ハトとたんぽぽ

和子の気まま日記

2024-4-25(木)、脳トレ麻雀 🌞

2024年04月26日 07時49分18秒 | 脳トレ麻雀
久し振りの晴れ渡るお天気にタオルなど白い洗濯物を漂白しながら洗濯をして干す。

我が家の庭で育ったのか、2羽のアゲハチョウが飛び回っている。

紫色のツルニチニチソウの蜜を吸っているのか珍しく止まっている。

昼間はドンドン気温が上がって25度を越える夏日になった。

我が家のプランターにたくさんの青ジソの芽が出ていた。

昨年畑にカバーをしてしまったので、青ジソの芽が出ていなかったので、畑で友人に手伝って貰って植える。

脳トレ麻雀

そのまま老人福祉センターに行き、脳トレ麻雀を行う。

5人集まってきたので、私と友人の二人で行い、ほとんど友人が見ているだけになった。

午前中は友人がほとんど一人勝ちであった。

11時頃に参加した友人と交代して、見ていると私が減らした分だけ、増やしてくれました。

11時半頃からランチタイムで、私たちグループの5人は「てんしんらんまん」に行くと、毎回この時期のてんしんらんまんの食事は、タケノコの煮物、コゴミ、フキ等春の恵み満載の献立で、楽しみである。


老人福祉センターに行くと、もうすでにもう1グループのメンバーが始めていました。

見学者の手助けで、友人がやさしく教えて貰いながら、一生懸命に麻雀をしていました。

こんな風景もいいものですね。

午後からも友人が一人勝ちで、やっと最後のゲームでニコニコで積もることが出来た。

麻雀をやる人が増えて、牌のセットも増えてきたので、友人に借りていたマットと牌を持って帰ってきた。

夫の82歳の誕生会

娘が珍しく夫の82歳の誕生会に飲みに行こうと誘ってくれたので、歩いて「鳥栄」に鳥料理を食べに行く。

娘は生ビール、私はレモン酎ハイで乾杯。

心臓や砂肝の焼き鳥がとても美味しかった。

県道沿いの滝川モーターも廃業することになったと聞いたが、だんだん昔から続いていた店が廃業することは寂しいことである。

「鳥栄」は息子さんが後を継いでいるので、まだ安泰かな。

歩いて飲みに来るところは近場ではないので、このまま続いてほしいものです。

これからも誕生会に来たいものです。

今日の万歩計は、7,520歩でした。


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2024-4-24(水)、「課長さんはダウン症」 ☂️

2024年04月26日 06時07分47秒 | 本と雑誌
室温は、19.5度(7:00)
朝からずっと雨が降っていた。

何だか頭が重くて、「ほっとハウス」にパン作りのお手伝いに行く予定をしていたが、お断りして、ベットで娘から借りていた越智智子さんの「課長さんはダウン症」を読み上げる。

越智さんは弥富市生まれで弥富市育ち、中学校時代はソフトボールに明け暮れて、真っ黒に日焼けしていたので、母親が心配して、ピアノをお稽古を進められ、のめりこんでいった。

音楽大学に進学して、本格的にピアノを習うが、大学オーケストラではビオラを弾くとこれにものめり込んでいき、オーケストラの楽しさを味わう。

卒業後、高校の非常勤講師として働きながら、市民オーケストラに参加する中で、お見合いの写真を見せられて、兵庫県相生市の「この人と結構する」と決めて、お見合いをして、1976年(昭和51)5月8日姫路市で結婚。

次の年の1977年(昭和52)3月7日に章仁くん出産。

しかし何だか普通の子どもとは違い、成長が遅く、次男が生まれた病院で見てもらうと「精神薄弱」と言われ、ショックを受け、3歳の時にダウン症の診断を受ける。

夕方1人で出掛けていき、電車を見に行ったり、遊園地では1人で観覧車に乗ったりしたこともあったが、何とか幼稚園を卒園。

小学校では特殊学級に進学して、一人一人の成長に合わせた教育をしてもらう。

そんな中、夫がガンになり、42歳の若さで旅立ってしまった。

二人の子どもを連れて、弥富市の実家に帰り、章仁君は佐織養護学校、次男は地元の小学校に通い、第3の人生が始まる。

章仁君は、家にあるピアこの前に座って「ひく」というので、ドレを教えると、次の日にドレミを弾き、ピアノに興味を持つようになり、親子でピアノレッスンを行う日々が増えてきた。

始めての演奏会は、相生市の幼稚園での演奏会は、とても喜んで頂き、デビューすることとなった。

それから45歳になるまで400回以上のコンサートをやって来た。

養護学校の中学になっていた頃から、自作の曲を演奏するようになっていた。

夫の追悼コンサートでは「海のように」を弾くと、いつも夫のことを思い出します。

出雲市民会館大ホールでのコンサートでは堂々と自作の「春」を弾きました。

1976年に愛西市善太新田町の教会のメンバー中心にハレルヤ生活園を立ち上げ、12年間パンやクッキーを作って資金作りをする。

1998年(平成10)10月4日に隣町の弥富市にパンとクッキーの店「ほっとハウス」を開所。

多くのボランティアの人たちとパンとクッキーを作って、知人や公共施設などに売り歩く。

2001年(平成13)6月1日次男の協力の元、アメリカスタンフォード大学で「夫の30年追悼コンサート」を実現。

日本中から世界中から声がかかり、ピアノ演奏に出掛けて大忙し。

章仁君40歳、ほっとハウス20周年を記念して、2017年(平成29)3月19日に愛西市文化会館でコンサートを開催。

2019年(令和元年)ほっとハウスの2階「ドリームハウス」を防音音楽室、卓球室と自宅を改装する。

2019年(令和元年)11月1日に「NPO法人ほっとハウス」(日中一時支援)を立ち上げる。

相変わらず章仁君は課長、太田くんは係長。

越智さんは最後に「課長はもう45歳になった。部長でもいいかとも思うけれど、社長もいないからまあいいか。(中略)彼は私と音楽人生を共にしてきた。もし健常者であったらこの人生は無かったと思う。彼は彼なりに人生を素敵に楽しんで生きてこられた。それが幸せだったと思う」と綴っています。

苦労も多かったと思うが、ダウン症の章仁君との音楽の人生は多くの人たちとの出会いで、豊かな人生が送れたことは宝物です。

佐藤喜美子さんの詩の一部

おかあさん
元気、根気、のん気に
希望のエッセンスを
一滴、二滴振りかけて
それをモットーとして
生きていきましょう

と綴っています。同じ障がい者を持つ親としての生き方を学びました。

今日の万歩計は、5,573歩でした。
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