かつて大阪道頓堀(どうとんぼり)は
東の方からから文楽座(ぶんらくざ)
、
角座(かどざ)、
中座(なかざ)と劇場が並んでいました
文楽座はもともと人形浄瑠璃の
劇場ですが 、松竹家庭劇として
曾我廼家 十吾(そがのや とうご/じゅうご)一座か
喜劇を上演していました
十吾はペンネーム茂林寺文福(もりんじぶんぶく)で
芝居の脚本も書いていました
映画館だった角座は
道頓堀角座(どうとんぼりかどざ)として
漫才ブームで中田ダイマル・ラケット。
夢路いとし、喜味こいし。
正司歌江・かしまし娘など
小鼓を打ちながら紋付き袴姿の
砂川捨丸、中村春代
客席1000席の
マンモス演芸場(松竹芸能)となりました
中座は、上方歌舞伎の劇場ですが
渋谷天外(しぶやてんがい)
藤山寛美(ふじやまかんび)の
松竹新喜劇が上演されていました