経営コンサルタントへの道

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【カシャリ!庭園めぐりの旅】 鳥取県米子市 皆生温泉・東光園庭園 白砂青松と大山の勇姿の温泉街の池泉庭園

2023-12-16 12:03:00 | 【カシャリ!ひとり旅】 山陰山陽四国

 

  【カシャリ!庭園めぐりの旅】 鳥取県米子市 皆生温泉・東光園庭園 白砂青松と大山の勇姿の温泉街の池泉庭園

 

 

 

 若い頃からひとり旅が好きで、経営コンサルタントとして独立してからは、仕事の合間に旅をしたのか、旅行の合間に仕事をしたのかわかりませんが、カメラをぶら下げて【カシャリ! ひとり旅】をしてきました。

 旅のテーマは寺社や庭園めぐりです。

 

 日本には「日本庭園」と呼ばれる庭園だけではなく、「イングリッシュガーデン」など、海外の庭園形式をした庭園も多数あります。寺社を訪れたときに、想定していなかったところに、庭園を発見することがあります。

 下手の横好きで、【カシャリ! ひとり旅】を続けていますが、その一環で訪れた庭園を順次紹介してまいりたいと思います。

■ 鳥取県米子市 皆生温泉・東光園庭園 白砂青松と大山の勇姿の温泉街の池泉庭園

 皆生温泉(かいけおんせん)は、米子市の北、日本海に面した山陰を代表する海辺の温泉地です。
 白砂青松の美しい海岸線と中国地方最高峰の大山を眺めることができ、「日本の渚100選」、「日本の白砂青松100選」、「日本の夕陽・朝日100選」、「都市景観100選」、「日本の水浴場88選」に選定されています。

健康と美肌を作る温泉
 泉質は、ナトリウム・カルシウム塩化物泉で、湧出量は毎分4456.5リットルと豊富な湯量を誇っています。源泉数は19カ所あり、源泉温度は63〜83℃と高温です。主な効能は神経痛、リウマチ、慢性皮膚病、慢性婦人病などに有効です。近年お湯の調査から美肌効果に優れていることが分かり、女性にとって喜ばれる温泉として注目されています。「ホカホカ、ツルツルの健康と美肌をつくる」温泉です。
 

 

 

ホテルロビードアの眼前に広がる

 

 

 

 

惚れ惚れする石畳

 

 

 

 

石畳右側に沿う石橋のある池

 

 

 

 

正面にある滝が庭園に響く

 

 

 

 

 

 

 

石畳左の小池

 

 

 

 

玄関前の枯山水庭園

 

 

 

 

ユニークな石組み

 

 

 

 

七福神のレリーフ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




ユーチューブで視る 【カシャリ!庭園めぐりの旅】

写真集は、下記URLよりご覧いただくことができます。

静止画: http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmeisho.htm
映像:  http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmovie.htm 

【 注 】 映像集と庭園めぐりは、重複した映像が含まれています


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【カシャリ!庭園めぐりの旅】 鳥取県米子市 足立美術館 大観他の日本画と枯山水庭園

2023-01-22 10:03:00 | 【カシャリ!ひとり旅】 山陰山陽四国

 


  【カシャリ!庭園めぐりの旅】 鳥取県米子市 足立美術館 大観他の日本画と枯山水庭園


 



 


 若い頃からひとり旅が好きで、経営コンサルタントとして独立してからは、仕事の合間に旅をしたのか、旅行の合間に仕事をしたのかわかりませんが、カメラをぶら下げて【カシャリ! ひとり旅】をしてきました。

 旅のテーマは寺社や庭園めぐりです。


 日本には「日本庭園」と呼ばれる庭園だけではなく、「イングリッシュガーデン」など、海外の庭園形式をした庭園も多数あります。寺社を訪れたときに、想定していなかったところに、庭園を発見することがあります。

 下手の横好きで、【カシャリ! ひとり旅】を続けていますが、その一環で訪れた庭園を順次紹介してまいりたいと思います。

■ 鳥取県米子市 足立美術館 横山大観他の日本画と枯山水庭園 


 


 足立美術館(あだちびじゅつかん)は、島根県安来市に所在する、近代日本画を中心とした島根県の登録博物館です。

 地元出身の実業家・足立全康(あだちぜんこう)が、1970年(昭和45年)、71歳のときに開館しました。

 美術館としての特徴は、横山大観等日本画のコレクションと美しい日本庭園です。

創立者・足立全康
 


 足立全康(あだちぜんこう 1899年 - 1990年)は、明治32年2月8日、能義郡飯梨村字古川(現、安来市古川町)の農業に生まれました。
 戦後、大阪で繊維問屋、不動産関係などの事業のかたわら、幼少の頃より興味を持っていた日本画を蒐集し、いつしか美術品のコレクターとして知られるようになったのです。裸一貫から事業を起こし、一代で大コレクションをつくりあげるほどの才能の持ち主といえます。
 逸話も多くあります。なかでも大観の名作『紅葉』と『雨霽る』(あめはる)を含む北澤國男(東洋バルヴ創業者)の「北沢コレクション」を、1979年(昭和54年)に入手した際の武勇談は有名です。
 昭和53年に名古屋の横山大観展で見た「紅葉」(六曲一双屏風)に言葉も出ないほどの感動を受けました。何が何でも手に入れるのだと八方手を尽くしたそうです。門外不出の「幻のコレクション」といわれた北沢コレクションの一部とわかりました。
 「一目惚れの女性に2年も通い続けて枕金も決め、さあ床入りという時に、枕をかかえて逃げられるようなもんだ。そりゃあんまりじゃないですか」と頼み込み、泣き落として決めたそうです。


 


          


                  苔庭に立つ足立全康像

美術館としての足立美術館

 日本人なら誰でも知っている画家の作品に接することで、日本画の魅力を理解して欲しいというのが、足立美術館のコンセプトです。また、大観を知ることによって日本画の美、すなわち「美の感動」に接する契機となることが、創立者足立全康の願いでもあるのです。

 横山大観の作品総数130点が所蔵され、質量ともに日本一として知られています。代表作「紅葉」は、大観の代表作のひとつで、昭和6年(1931)の作です。
 真紅の紅葉に、群青の流水と白金泥の漣を加え、秋の清冽な自然を描き出しています。

 大観のほかにも、竹内栖鳳、橋本関雪、川合玉堂、上村松園ら、近代日本画壇の巨匠たちの作品も揃っています。それに加え、北大路魯山人、河井寛次郎の陶芸、林義雄、鈴木寿雄らの童画、平櫛田中の木彫なども収蔵され、魯山人館には、北大路魯山人の作品が陳列されています。

日本庭園美の足立美術館

 足立美術館のもう一つの特色である、広大な日本庭園は、中根金作の設計で、苔庭は、小島佐一も参画しています。足立全康の「庭園もまた一幅の絵画である」という信念の結晶です。

 庭園は「枯山水庭」「白砂青松庭」「苔庭」「池庭」など6つに分かれ、面積5万坪にまでも及んでいます。全康自らが、全国を歩いて庭石や松の木などを捜してきたのです。全康の言葉通り、絵画のように美しい庭園です。

 日本庭園における造園技法のひとつである借景の手法が採られています。彼方の山や木々までも織り込まれています。その借景を維持するために、借景となる山林の一部を購入するほどまでにもこだわっています。

 90歳を超えても、全康は、朝に夕に庭を見て廻ったそうです。少しでも気に入らないことがあると庭師を呼んでは陣頭指揮をとって手を加えさせました。

 米国の日本庭園専門雑誌『ジャーナル・オブ・ジャパニーズ・ガーデニング』が行っている日本庭園ランキング(Shiosai Ranking)では、初回の2003年から何度も日本一に選出されています。

 フランスの旅行ガイド『ミシュラン・グリーンガイド・ジャポン』や『Guide Bleu Japon』におきましても、それぞれ三つ星(最高評価)を獲得しているのです。

 外国人にも人気が高く、年間の来館者数は、60万人を超えることも多いそうです。

■ アクセス


 


JR: 安来駅より無料シャトルバスで約20分
車: 山陰道安来ICより約10分


 


開館時間 年中無休
 夏季    4月-9月    9:00-17:30
 冬季    10月-3月    9:00-17:00


 


          


 


歓迎の庭
 足立美術館の建物前から白砂青松と紅葉の赤がクッキリと見える庭園が歓迎してくれています。
 受付を通って直進すると通路に出ます。その右手が白砂青松の「歓迎の庭」の裏側になります。足立美術館庭園の素晴らしさの前奏曲といえます。

          

苔庭
 歓迎の庭通路を左折すると苔庭を通して足立翁像が見えます。
 スギゴケを主体とした強風の雅やかさを醸し出す庭園で、苔の緑と白砂のコントラスト、苔庭の先と枯山水庭を結ぶ石橋が心を慰めてくれます。
 苔庭を見ながら左折すると魯山人館です。その手前に魯山人館の竹林と蹲踞があります。

          


枯山水庭
 足立美術館庭園のハイライトともいえる枯山水庭が見えるロビーにでます。
 借景の山も足立美術館が購入するほど、自然との調和が美しい庭です。中央に立つ石は、険しい山をイメージしたものでしょう。そこから流れ落ちる滝水が大河となって、大海を表す池に流れ込む雄大な山水を感じ取れます。
 右手奥を見ますと、高さ15mの瀑布が見えます。那智の滝を模して作られたという「鶴亀の滝」です。


 


          


 


          


 


白砂青松庭
 庭園を満喫できる喫茶室前を通ると「白砂青松庭」が見えます。足立美術館の表庭の最も奥に位置します。
 横山大観の名作「白砂青松」をイメージして造られた庭園だそうです。白砂の丘陵には、右手がクロマツ、左手が赤松が配されていて、その対照的な調和を楽しみながら鑑賞できます。

          


 


坪庭
 本館から喫茶室「大観」に行く途中に坪庭があります。蹲踞が存在感を高めています。

          


 


池庭
 喫茶室「大観」からお茶をしたり、軽食をとったりしながら楽しめる池泉庭園です。
 周囲との調和のとれた、新しい感性と伝統的な手法のハイブリッド型の池泉庭園といえます。奥には小滝が二段になって流れ落ち、中央に架かる石橋を通して大毛に流れ込んでいます
 池には優雅に泳ぐ鯉が、「これこそ、俺たちの池だ!」と言っているようです。

          


 


生の額絵
 枯山水庭へ行く通路に、生の額絵と言われる、枯山水庭が見える額縁窓があります。窓のすぐ外に大きなクロマツが、格好良く庭にアクセントを付けて立っています。大小の木や石がバランス良く配置されていて、芝生の稜線が美しく見えます。「琳派の絵のようだ」と形容されるそうです。

          


 


生の掛け軸
 池庭を見るふもとに休憩所があり、窓越しに池庭を見ると一幅の絵となります。その反対側にも額縁窓があります。床の間の壁を縦長にくりぬいて、あたかも山水画の掛け軸のような演出もなされています。
 見落としがちなところにありますが、美術館側のお薦めスポットですので、見逃さないようにしたいです。
 


          


 





ユーチューブで視る 【カシャリ!庭園めぐりの旅】

写真集は、下記URLよりご覧いただくことができます。

静止画: http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmeisho.htm
映像:  http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmovie.htm 

【 注 】 映像集と庭園めぐりは、重複した映像が含まれています


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【カシャリ!庭園めぐりの旅】 鳥取県米子市 皆生温泉・東光園庭園 白砂青松と大山の勇姿の温泉街の池泉庭園

2022-12-29 12:33:00 | 【カシャリ!ひとり旅】 山陰山陽四国

 


  【カシャリ!庭園めぐりの旅】 鳥取県米子市 皆生温泉・東光園庭園 白砂青松と大山の勇姿の温泉街の池泉庭園


 



 


 若い頃からひとり旅が好きで、経営コンサルタントとして独立してからは、仕事の合間に旅をしたのか、旅行の合間に仕事をしたのかわかりませんが、カメラをぶら下げて【カシャリ! ひとり旅】をしてきました。

 旅のテーマは寺社や庭園めぐりです。


 日本には「日本庭園」と呼ばれる庭園だけではなく、「イングリッシュガーデン」など、海外の庭園形式をした庭園も多数あります。寺社を訪れたときに、想定していなかったところに、庭園を発見することがあります。

 下手の横好きで、【カシャリ! ひとり旅】を続けていますが、その一環で訪れた庭園を順次紹介してまいりたいと思います。

■ 鳥取県米子市 皆生温泉・東光園庭園 白砂青松と大山の勇姿の温泉街の池泉庭園


 


 皆生温泉(かいけおんせん)は、米子市の北、日本海に面した山陰を代表する海辺の温泉地です。
 白砂青松の美しい海岸線と中国地方最高峰の大山を眺めることができ、「日本の渚100選」、「日本の白砂青松100選」、「日本の夕陽・朝日100選」、「都市景観100選」、「日本の水浴場88選」に選定されています。

健康と美肌を作る温泉
 泉質は、ナトリウム・カルシウム塩化物泉で、湧出量は毎分4456.5リットルと豊富な湯量を誇っています。源泉数は19カ所あり、源泉温度は63〜83℃と高温です。主な効能は神経痛、リウマチ、慢性皮膚病、慢性婦人病などに有効です。近年お湯の調査から美肌効果に優れていることが分かり、女性にとって喜ばれる温泉として注目されています。「ホカホカ、ツルツルの健康と美肌をつくる」温泉です。
 



ホテルロビードアの眼前に広がる


 



惚れ惚れする石畳


 



石畳右側に沿う石橋のある池


 



正面にある滝が庭園に響く


 



 



石畳左の小池


 



玄関前の枯山水庭園


 



ユニークな石組み


 



七福神のレリーフ


 



 


 


 





ユーチューブで視る 【カシャリ!庭園めぐりの旅】

写真集は、下記URLよりご覧いただくことができます。

静止画: http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmeisho.htm
映像:  http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmovie.htm 

【 注 】 映像集と庭園めぐりは、重複した映像が含まれています


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【カシャリ!庭園めぐりの旅】 島根県松江市 松平不昧が愛した茶室「明々庵」 2 枯山水庭園

2022-12-23 12:33:00 | 【カシャリ!ひとり旅】 山陰山陽四国

 

  【カシャリ!庭園めぐりの旅】 島根県松江市 松平不昧が愛した茶室「明々庵」 3 茶室と前庭

 

 

 若い頃からひとり旅が好きで、経営コンサルタントとして独立してからは、仕事の合間に旅をしたのか、旅行の合間に仕事をしたのかわかりませんが、カメラをぶら下げて【カシャリ! ひとり旅】をしてきました。

 旅のテーマは寺社や庭園めぐりです。

 日本には「日本庭園」と呼ばれる庭園だけではなく、「イングリッシュガーデン」など、海外の庭園形式をした庭園も多数あります。寺社を訪れたときに、想定していなかったところに、庭園を発見することがあります。

 下手の横好きで、【カシャリ! ひとり旅】を続けていますが、その一環で訪れた庭園を順次紹介してまいりたいと思います。

■ 島根県松江市 松平不昧が愛した茶室「明々庵」 3 茶室と前庭 

 

 明々庵は、江戸時代中期、茶人としても知られる松江藩七代藩主・松平不昧(まつだいらふまい)の好みによって、松江市殿町の有澤(ありさわ)家本邸に建てられた茶室です。

 不昧も、しばしば来訪しましたが、明々庵は、明治維新後一時、東京の松平伯邸に移されたことがあります。その後、昭和3年、松江市内にある菅田庵(かんでんあん)の敷地内にある有澤山荘の向月亭(こうげつてい)に隣接している萩の台に移設されました。
 大戦後、昭和41(1966)年、松平不昧150年祭を機に、現在の赤山に再々移築されました。

 茅葺の厚い入母屋に、不昧直筆の「明々庵」の額を掲げ、茶室の床の間は、五枚半の杉柾の小巾板をそぎ合わせた、奥行きの浅い床です。また二畳台目の席は、中柱もなく、炉も向切りといった軽快なものです。定石に頓着しない松平不昧の好みの一端が表れています。

 園内にある「百草亭」では、お抹茶をいただけます。これは、明々庵が再々移築された昭和41年に作庭・建立されました。庭園は、“出雲流庭園”の枯山水庭園と露地庭で高盛されています。

 

■ アクセス

 

  JR山陰本線 松江駅より約2.5km(徒歩30分・駅周辺にレンタサイクルあり)
  松江駅よりレイクラインバス15分、「塩見縄手」バス停下車 徒歩5分
 

【 コメント 】
 

 私が訪れた時は、紅葉がすでに始まっていましたが、ピークまでには少々早い時期でした。
 松江城から徒歩で10分ほどのところにあるので、北総門からでて左折、宇賀橋を渡り、左折後、3本目の小径を右折して、150m程さきにある入口階段から行きました。
 冬時間では、17時に閉まってしまいますので、時間配分に注意する必要があります。

 


■ 明々庵 3 茶室と前庭

 明々庵は、江戸時代中期、茶人としても知られる松江藩七代藩主・松平不昧の好みによって、松江市殿町の有澤家本邸に建てられた茶室です。

 松平不昧も、しばしば来訪しましたが、明々庵は、明治維新後一時、東京の松平伯邸に移されたことがあります。その後、昭和3年、松江市内にある菅田庵の敷地内にある有澤山荘の向月亭に隣接している萩の台に移設されました。
 大戦後、昭和41(1966)年、松平不昧150年祭を機に、現在の赤山に再々移築されました。

 

茶室「明々庵」入り口

 

 受付から庭園木戸越し正面に、

茶室明々庵の入り口建物を通して

茶室の建物や茶室前庭の一部が見えます。


茶室「明々庵」入り口


 茶室入り口の建物は、茶室の待合所です。

 

飾り雪隠

 

茶室入り口の建物の一部が飾り雪隠です。

茶室利用者が使ったのかどうかはわかりませんが、

簡易トイレといったところでしょうか。


茶室「明々庵」前庭へ


 待合所から茶室前庭に出ますと、踏み石が連なり、

右手に石灯籠や蹲踞があります。


茶室「明々庵」建物


 明々庵は、茅葺きの建物で、

屋根は入母屋造りになっています。
 松平不昧が通った茶室ですので、

彼好みの建物なのでしょう。


茶室「明々庵」にじり口


 茶室のにじり口前から振り返りますと、

柱越しに待合所の建物が見えます。
にじり口の前には、形の良い踏み台石が配されています。

 

 


茶室「明々庵」にじり口刀掛け


 にじり口の横には、刀掛けがあります。
 茶室とは、武士も町人も同等という関係から、

武士は、にじり口から入る前に

刀をここにかけなければなりません。



茶室「明々庵」本席


 にじり口から、本席の内部を覗いてみました。
 茶室の床の間に掛け軸が下がっています。

そこに“明々庵”と書かれていますが、

松平不昧の自筆だそうです。


茶室「明々庵」


 一旦、茶室本席を離れ、踏み石伝いに、書院風広間の方に廻りました。
 本席のように少人数でお茶の嗜む茶室を「小間」といい、

それ以上の人が列席する場合は「広間」というそうです。

本席が二畳台目の間取りですが、

広間は書院風にしつらえられている四畳半の間取りです。


茶室「明々庵」広間
 

広間にも炉が切られています。

炉の切り方には2種あり、

点前畳の中に切るのを「入炉(いりろ)」といい、

外に切るのを「出炉(でろ)」というそうです。

 


 この茶室は、入炉で、

点前畳の客側に炉が切られている

向切(むこうぎり)」という造りです。


 茶道のことには疎いのですが、

何か清々しい気分となりました。

充分に理解できないままですが、

気持ちよく明々庵を離れられました。

 

島根県松江市 茶室庭園「明々庵」

松平不昧が愛した茶室「明々庵」 1 胸を膨らませて入口へ

松平不昧が愛した茶室「明々庵」 2 枯山水庭園     

松平不昧が愛した茶室「明々庵」 3 茶室と前庭     

 




ユーチューブで視る 【カシャリ!庭園めぐりの旅】

写真集は、下記URLよりご覧いただくことができます。

静止画: http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmeisho.htm
映像:  http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmovie.htm 

【 注 】 映像集と庭園めぐりは、重複した映像が含まれています


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【カシャリ!庭園めぐりの旅】 鳥取県米子市 足立美術館 大観他の日本画と枯山水庭園

2022-12-22 10:03:00 | 【カシャリ!ひとり旅】 山陰山陽四国

  【カシャリ!庭園めぐりの旅】 島根県安来市 足立美術館 横山大観他の日本画と枯山水庭園

 

 

 若い頃からひとり旅が好きで、経営コンサルタントとして独立してからは、仕事の合間に旅をしたのか、旅行の合間に仕事をしたのかわかりませんが、カメラをぶら下げて【カシャリ! ひとり旅】をしてきました。

 旅のテーマは寺社や庭園めぐりです。

 日本には「日本庭園」と呼ばれる庭園だけではなく、「イングリッシュガーデン」など、海外の庭園形式をした庭園も多数あります。寺社を訪れたときに、想定していなかったところに、庭園を発見することがあります。

 下手の横好きで、【カシャリ! ひとり旅】を続けていますが、その一環で訪れた庭園を順次紹介してまいりたいと思います。

■ 鳥取県米子市 足立美術館 横山大観他の日本画と枯山水庭園 

 

 足立美術館(あだちびじゅつかん)は、島根県安来市に所在する、近代日本画を中心とした島根県の登録博物館です。

 地元出身の実業家・足立全康(あだちぜんこう)が、1970年(昭和45年)、71歳のときに開館しました。

 美術館としての特徴は、横山大観等日本画のコレクションと美しい日本庭園です。

創立者・足立全康
 

 足立全康(あだちぜんこう 1899年 - 1990年)は、明治32年2月8日、能義郡飯梨村字古川(現、安来市古川町)の農業に生まれました。
 戦後、大阪で繊維問屋、不動産関係などの事業のかたわら、幼少の頃より興味を持っていた日本画を蒐集し、いつしか美術品のコレクターとして知られるようになったのです。裸一貫から事業を起こし、一代で大コレクションをつくりあげるほどの才能の持ち主といえます。
 逸話も多くあります。なかでも大観の名作『紅葉』と『雨霽る』(あめはる)を含む北澤國男(東洋バルヴ創業者)の「北沢コレクション」を、1979年(昭和54年)に入手した際の武勇談は有名です。
 昭和53年に名古屋の横山大観展で見た「紅葉」(六曲一双屏風)に言葉も出ないほどの感動を受けました。何が何でも手に入れるのだと八方手を尽くしたそうです。門外不出の「幻のコレクション」といわれた北沢コレクションの一部とわかりました。
 「一目惚れの女性に2年も通い続けて枕金も決め、さあ床入りという時に、枕をかかえて逃げられるようなもんだ。そりゃあんまりじゃないですか」と頼み込み、泣き落として決めたそうです。

 

          

                  苔庭に立つ足立全康像

美術館としての足立美術館

 日本人なら誰でも知っている画家の作品に接することで、日本画の魅力を理解して欲しいというのが、足立美術館のコンセプトです。また、大観を知ることによって日本画の美、すなわち「美の感動」に接する契機となることが、創立者足立全康の願いでもあるのです。

 横山大観の作品総数130点が所蔵され、質量ともに日本一として知られています。代表作「紅葉」は、大観の代表作のひとつで、昭和6年(1931)の作です。
 真紅の紅葉に、群青の流水と白金泥の漣を加え、秋の清冽な自然を描き出しています。

 大観のほかにも、竹内栖鳳、橋本関雪、川合玉堂、上村松園ら、近代日本画壇の巨匠たちの作品も揃っています。それに加え、北大路魯山人、河井寛次郎の陶芸、林義雄、鈴木寿雄らの童画、平櫛田中の木彫なども収蔵され、魯山人館には、北大路魯山人の作品が陳列されています。

日本庭園美の足立美術館

 足立美術館のもう一つの特色である、広大な日本庭園は、中根金作の設計で、苔庭は、小島佐一も参画しています。足立全康の「庭園もまた一幅の絵画である」という信念の結晶です。

 庭園は「枯山水庭」「白砂青松庭」「苔庭」「池庭」など6つに分かれ、面積5万坪にまでも及んでいます。全康自らが、全国を歩いて庭石や松の木などを捜してきたのです。全康の言葉通り、絵画のように美しい庭園です。

 日本庭園における造園技法のひとつである借景の手法が採られています。彼方の山や木々までも織り込まれています。その借景を維持するために、借景となる山林の一部を購入するほどまでにもこだわっています。

 90歳を超えても、全康は、朝に夕に庭を見て廻ったそうです。少しでも気に入らないことがあると庭師を呼んでは陣頭指揮をとって手を加えさせました。

 米国の日本庭園専門雑誌『ジャーナル・オブ・ジャパニーズ・ガーデニング』が行っている日本庭園ランキング(Shiosai Ranking)では、初回の2003年から何度も日本一に選出されています。

 フランスの旅行ガイド『ミシュラン・グリーンガイド・ジャポン』や『Guide Bleu Japon』におきましても、それぞれ三つ星(最高評価)を獲得しているのです。

 外国人にも人気が高く、年間の来館者数は、60万人を超えることも多いそうです。

■ アクセス

 

JR: 安来駅より無料シャトルバスで約20分
車: 山陰道安来ICより約10分

 

開館時間 年中無休
 夏季    4月-9月    9:00-17:30
 冬季    10月-3月    9:00-17:00

 

 

 

          

 

 美術品は撮影できませんので、庭園を中心にご紹介します。

 

歓迎の庭
 足立美術館の建物前から白砂青松と紅葉の赤がクッキリと見える庭園が歓迎してくれています。
 受付を通って直進すると通路に出ます。その右手が白砂青松の「歓迎の庭」の裏側になります。足立美術館庭園の素晴らしさの前奏曲といえます。

          

苔庭
 歓迎の庭通路を左折すると苔庭を通して足立翁像が見えます。
 スギゴケを主体とした強風の雅やかさを醸し出す庭園で、苔の緑と白砂のコントラスト、苔庭の先と枯山水庭を結ぶ石橋が心を慰めてくれます。
 苔庭を見ながら左折すると魯山人館です。その手前に魯山人館の竹林と蹲踞があります。

          


枯山水庭
 足立美術館庭園のハイライトともいえる枯山水庭が見えるロビーにでます。
 借景の山も足立美術館が購入するほど、自然との調和が美しい庭です。中央に立つ石は、険しい山をイメージしたものでしょう。そこから流れ落ちる滝水が大河となって、大海を表す池に流れ込む雄大な山水を感じ取れます。
 右手奥を見ますと、高さ15mの瀑布が見えます。那智の滝を模して作られたという「鶴亀の滝」です。

 

          

 

          

              鶴亀の滝は、写真中央よりやや右上

 

白砂青松庭
 庭園を満喫できる喫茶室前を通ると「白砂青松庭」が見えます。足立美術館の表庭の最も奥に位置します。
 横山大観の名作「白砂青松」をイメージして造られた庭園だそうです。白砂の丘陵には、右手がクロマツ、左手が赤松が配されていて、その対照的な調和を楽しみながら鑑賞できます。

          

 

坪庭
 本館から喫茶室「大観」に行く途中に坪庭があります。蹲踞が存在感を高めています。

          

 

池庭
 喫茶室「大観」からお茶をしたり、軽食をとったりしながら楽しめる池泉庭園です。
 周囲との調和のとれた、新しい感性と伝統的な手法のハイブリッド型の池泉庭園といえます。奥には小滝が二段になって流れ落ち、中央に架かる石橋を通して大毛に流れ込んでいます
 池には優雅に泳ぐ鯉が、「これこそ、俺たちの池だ!」と言っているようです。

          

 

生の額絵
 枯山水庭へ行く通路に、生の額絵と言われる、枯山水庭が見える額縁窓があります。窓のすぐ外に大きなクロマツが、格好良く庭にアクセントを付けて立っています。大小の木や石がバランス良く配置されていて、芝生の稜線が美しく見えます。「琳派の絵のようだ」と形容されるそうです。

          

 

生の掛け軸
 池庭を見るふもとに休憩所があり、窓越しに池庭を見ると一幅の絵となります。その反対側にも額縁窓があります。床の間の壁を縦長にくりぬいて、あたかも山水画の掛け軸のような演出もなされています。
 見落としがちなところにありますが、美術館側のお薦めスポットですので、見逃さないようにしたいです。
 

 

          

 



ユーチューブで視る 【カシャリ!庭園めぐりの旅】

写真集は、下記URLよりご覧いただくことができます。

静止画: http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmeisho.htm
映像:  http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmovie.htm 

【 注 】 映像集と庭園めぐりは、重複した映像が含まれています


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【カシャリ!ひとり旅】 島根県松江市 12天守のひとつ「松江城(千鳥城)」

2022-11-24 17:39:02 | 【カシャリ!ひとり旅】 山陰山陽四国

 


  【カシャリ!ひとり旅】 島根県松江市 12天守のひとつ「松江城(千鳥城)」


 


 



 若い頃からひとり旅が好きで、経営コンサルタントとして独立してからは、仕事の合間か、旅行の合間に仕事をしたのかわかりませんが、カメラをぶら下げて【カシャリ! ひとり旅】をしてきました。


 


 旅は、時間に追われる現実からの開放、明日への糧となります。


 


 写真は、自分の記録であるとともに、お節介焼き精神から、他の人に情報提供も兼ねてとり続けてきました。


 


 何を思って撮影したのだろうか? 自分も行ってみたい・・・


 


 他の人に、そう思っていただける写真を撮りたいと思って、ライフワークとして、続けられるだけ続けてまいりたいです。


 


 



名所旧跡  グロマコン 経営コンサルタントへの道


 


 


■■ 島根県松江市 


 


 松江市(まつえし)は、島根県の出雲地方に位置する市で、島根県の県庁所在地です。また、山陰最大の都市であり、隣接する県米子市とともに中海・宍道湖・大山圏域の中核を担っています。

 北は日本海に接する島根半島の北山山地、宍道湖と中海、南は中国山地に挟まれています。シジミ量で知られる汽水湖である宍道湖から中海に注ぐ大橋川によって、市街地は南北に二分されています。松江藩の城下町を中心に発展してきました。

 宍道湖畔、大橋川の両岸に築かれた町で、松江城下の堀川の保存状態も良いことから「水の都」とも呼ばれています。

  面積      572.99km2
  総人口     200,880人 (推計人口、2022年10月1日)
  人口密度    351人/km2


 


■ 国宝松江城


 
 全国に現存する 12 天守の一つで、別名「千鳥城」とも呼ばれています。2015 年 7 月、国宝に指定されました。



 最上階の望楼まで登ると、松江市街や宍道湖が一望できる絶景が待っています。


 


 城山公園内には、散歩道があり松や竹林、桜や椿、梅など四季折々の自然が楽しめ、市民の憩いの場でもあります。案内サービスがあり、ガイドと一緒に回ると、城の秘話が聞けます。


 


■ アクセス


 


 所在地    松江市殿町 1-5     0852-21-4030
 開館時間 4 月~ 9 月 8:30 ~ 18:30 10 月~ 3 月 8:30 ~ 17:00
 定休日    無休
 料金    登閣料 大人 680 円、小人 (小中学生) 290 円
 HP    https://www.matsue-castle.jp/
 
【車】大手前駐車場からすぐ
【バス】 JR 松江駅からレイクラインバスで約 10 分「国宝松江城 (大手前)」下車 / 徒歩 2 分

 共通入場券
   2 施設共通券 (松江城・松江歴史館) 大人 950 円 小人 (小中学生) 430 円
   3 館共通券  松江城・小泉八雲記念館・武家屋敷 大人 1,100 円 小人 (小中学生) 510 円
 


 



 



 



明々庵茶室庭園から見た松江城天守閣


 


全国に現存する 12 天守の一つで


千鳥城の別名を持っています


 



松江城内堀(県庁側)


 



大手門跡


 



三の門跡


 



二の門跡


 



一の門前の枡形


 



一の門


 



松江城本丸


 



本丸屋根


 



本丸最上階から見た宍道湖の嫁ヶ島


 



最上階から見た夕陽


 



 



石落とし


 



松江城広場から見る夕陽


 



夕日に映える松江城


 


 


 



  リスト http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmovie.htm


 


 



  ■ カシャリ! ひとり旅




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【カシャリ!庭園めぐりの旅】 島根県松江市 松平不昧が愛した茶室「明々庵」 1 胸を膨らませて入口へ

2022-11-21 07:27:09 | 【カシャリ!ひとり旅】 山陰山陽四国

  【カシャリ!庭園めぐりの旅】 島根県松江市 松平不昧が愛した茶室「明々庵」 1 胸を膨らませて入口へ

 

 

 

 若い頃からひとり旅が好きで、経営コンサルタントとして独立してからは、仕事の合間に旅をしたのか、旅行の合間に仕事をしたのかわかりませんが、カメラをぶら下げて【カシャリ! ひとり旅】をしてきました。

 旅のテーマは寺社や庭園めぐりです。

 日本には「日本庭園」と呼ばれる庭園だけではなく、「イングリッシュガーデン」など、海外の庭園形式をした庭園も多数あります。寺社を訪れたときに、想定していなかったところに、庭園を発見することがあります。

 下手の横好きで、【カシャリ! ひとり旅】を続けていますが、その一環で訪れた庭園を順次紹介してまいりたいと思います。

■ 島根県松江市 松平不昧が愛した茶室「明々庵」 1 胸を膨らませて入口へ 

 明々庵は、江戸時代中期、茶人としても知られる松江藩七代藩主・松平不昧(まつだいらふまい)の好みによって、松江市殿町の有澤(ありさわ)家本邸に建てられた茶室です。

 不昧も、しばしば来訪しましたが、明々庵は、明治維新後一時、東京の松平伯邸に移されたことがあります。その後、昭和3年、松江市内にある菅田庵(かんでんあん)の敷地内にある有澤山荘の向月亭(こうげつてい)に隣接している萩の台に移設されました。
 大戦後、昭和41(1966)年、松平不昧150年祭を機に、現在の赤山に再々移築されました。

 茅葺の厚い入母屋に、不昧直筆の「明々庵」の額を掲げ、茶室の床の間は、五枚半の杉柾の小巾板をそぎ合わせた、奥行きの浅い床です。また二畳台目の席は、中柱もなく、炉も向切りといった軽快なものです。定石に頓着しない松平不昧の好みの一端が表れています。

 園内にある「百草亭」では、お抹茶をいただけます。これは、明々庵が再々移築された昭和41年に作庭・建立されました。庭園は、“出雲流庭園”の枯山水庭園と露地庭で高盛されています。

 

■ アクセス

  JR山陰本線 松江駅より約2.5km(徒歩30分・駅周辺にレンタサイクルあり)
  松江駅よりレイクラインバス15分、「塩見縄手」バス停下車 徒歩5分
 

【 コメント 】
 

 私が訪れた時は、紅葉がすでに始まっていましたが、ピークまでには少々早い時期でした。
 松江城から徒歩で10分ほどのところにあるので、北総門からでて左折、宇賀橋を渡り、左折後、3本目の小径を右折して、150m程さきにある入口階段から行きました。
 冬時間では、17時に閉まってしまいますので、時間配分に注意する必要があります。

 

 


■ 明々庵 1 胸を膨らませて入口へ

 明々庵は、江戸時代中期、茶人としても知られる松江藩七代藩主・松平不昧の好みによって、松江市殿町の有澤家本邸に建てられた茶室です。

 松平不昧も、しばしば来訪しましたが、明々庵は、明治維新後一時、東京の松平伯邸に移されたことがあります。その後、昭和3年、松江市内にある菅田庵の敷地内にある有澤山荘の向月亭に隣接している萩の台に移設されました。
 大戦後、昭和41(1966)年、松平不昧150年祭を機に、現在の赤山に再々移築されました。

 

明々庵入口階段

 

入口前広場

 階段を登り切りますと、正面に大きな石灯籠が据えられています。

その奥に蔵も見えます。


明々庵から見た松江城

 石灯籠に左手に広場があり、視界が広がり、松江市内を一望できます。
正面に松江城の天守閣が見えます。
 松江城は、別名「千鳥城」とも呼ばれています。

古くから現存する天守閣は、全国に12か所あり、

松江城は、2015 年 7 月に、国宝に指定されています。
 最上階の望楼まで登りますと、

松江市街や宍道湖が一望できる絶景が待っています。

 

 

明々庵枯山水庭園入口木戸

 

広場から入り口方向に歩いて行きますと、

蔵の横から、明々庵の茶道会館に行けます。

 さらに進みますと左手に、見学者のための受付があります。

受付の横には、明々庵に続く木戸があり、

その右手前に石灯籠が立っています。

これから、どの様な庭園に誘ってくれるのか、期待できます。


 木戸をくぐりますと、踏み石が庭園へと誘ってくれます。

奥には、茶室への木戸があります。

 

<続く> 2 枯山水庭園  3 茶室と前庭 

 

島根県松江市 茶室庭園「明々庵」

松平不昧が愛した茶室「明々庵」 1 胸を膨らませて入口へ

松平不昧が愛した茶室「明々庵」 2 枯山水庭園     

松平不昧が愛した茶室「明々庵」 3 茶室と前庭     

 

 



ユーチューブで視る 【カシャリ!庭園めぐりの旅】

写真集は、下記URLよりご覧いただくことができます。

静止画: http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmeisho.htm
映像:  http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmovie.htm 

【 注 】 映像集と庭園めぐりは、重複した映像が含まれています


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【カシャリ!ひとり旅】 岡山県岡山市 岡山城は後楽園の対岸に優美な姿で立つ

2022-08-30 17:03:00 | 【カシャリ!ひとり旅】 山陰山陽四国

 

  【カシャリ!ひとり旅】 岡山県岡山市 岡山城は後楽園の対岸に優美な姿で立つ

 

 若い頃からひとり旅が好きで、経営コンサルタントとして独立してからは、仕事の合間か、旅行の合間に仕事をしたのかわかりませんが、カメラをぶら下げて【カシャリ! ひとり旅】をしてきました。

  旅は、時間に追われる現実からの開放、明日への糧となります。

  写真は、自分の記録であるとともに、お節介焼き精神から、他の人に情報提供も兼ねてとり続けてきました。

  何を思って撮影したのだろうか? 自分も行ってみたい・・・

  他の人に、そう思っていただける写真を撮りたいと思って、ライフワークとして、続けられるだけ続けてまいりたいです。

名所旧跡  グロマコン 経営コンサルタントへの道

 ■■ 岡山城(おかやまじょう) 

 備前国御野郡岡山(現・岡山県岡山市北区)にあり、国指定の史跡となっています。別名は「烏城(うじょう)」、「金烏城(きんうじょう)」です。
 戦国時代に、備前東部から興って、美作、備中東部まで勢力を伸ばした宇喜多氏が本拠としたことで、近世城郭の基礎が生まれたといえます。その後小早川氏、池田氏により整備、拡張が行われました。
 はじめは本丸の北から東には郭の無い、非常に防備が薄い縄張でした。その弱点をカバーするために旭川の流路を変更し、天然の堀として東側の備えを堅固にしました。天守は4重6階の複合式望楼型です。
 さらには郭の代りとして、「後園(後楽園)」が築かれました。
 明治時代に取り壊しや堀の埋め立てなどが行われ、第二次大戦中、空襲のため天守・石山門を焼失しました。現在までに2つの櫓、本丸付近の石垣、内堀が残り、戦後に天守・不明門・廊下門・六十一雁木上門・塀の一部が再建されました。
 現存する月見櫓・西之丸西手櫓は国の重要文化財に指定され、「岡山城跡」として史跡にも指定されています。城跡は「烏城公園」として整備される一方、二之丸跡や三の丸跡には、公共建物などが建てられました。

■ アクセス

  飛行機     岡山空港から岡山駅までバスで約30分
 バス      岡山駅から岡電バス「岡電高屋行き」、

      両備バス「東山経由西大寺行き」
       いずれも「県庁前」で下車、徒歩10分
 路面電車 「岡山駅前」から「東山行き」に乗車、「城下」下車、徒歩10分
 自動車  岡山ICから東に約20分
 

後楽園前から望む岡山城

 

「烏城(うじょう)」と呼ばれる天守閣

 

天守閣前広場から見る

 

国の重要文化財「月見櫓」

 

岡山城から後楽園を望む

  

  リスト http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmovie.htm

 

  ■ カシャリ! ひとり旅


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【カシャリ!ひとり旅】 山口県岩国市 錦帯橋 国指定名勝・日本三名橋のひとつ

2022-07-28 13:21:21 | 【カシャリ!ひとり旅】 山陰山陽四国

 

  【カシャリ!ひとり旅】 山口県岩国市 錦帯橋 国指定名勝・日本三名橋のひとつ

 

 

 若い頃からひとり旅が好きで、経営コンサルタントとして独立してからは、仕事の合間か、旅行の合間に仕事をしたのかわかりませんが、カメラをぶら下げて【カシャリ! ひとり旅】をしてきました。

 

 旅は、時間に追われる現実からの開放、明日への糧となります。

 

 写真は、自分の記録であるとともに、お節介焼き精神から、他の人に情報提供も兼ねてとり続けてきました。

 

 何を思って撮影したのだろうか? 自分も行ってみたい・・・

 

 他の人に、そう思っていただける写真を撮りたいと思って、ライフワークとして、続けられるだけ続けてまいりたいです。

 

 

名所旧跡  グロマコン 経営コンサルタントへの道

 

 

■■ 山口県岩国市 錦帯橋 国指定名勝・日本三名橋のひとつ 


 錦帯橋バスセンターに着くと、目の前に、日本三名橋のひとつ、国指定の名勝「錦帯橋」がお出迎えしてくれます。

 錦川に架かる、写真でおなじみの美しい5連のアーチで、訪れた人は、その優美な姿に見とれてしまうでしょう。

 東京の日本橋、長崎の眼鏡橋と並んで「日本三名橋」といわれている岩国市にある「錦帯橋」は、1673(延宝元)年、岩国3代領主の吉川広嘉(きっかわひろよし)によって創建された木造5連のアーチ橋です。

 錦川の洪水により流失、翌1674年に改良を加え再建された橋は、1950年に洪水で損壊するまで276年間、威容を保ちました。地元市民の強い要望により、昭和28(1953)に木の橋として再建、2002年からは劣化した木造部分を替える「平成の架け替え事業」も行われました。

 現在の橋の長さは、直線で193.3m、橋面に沿って210m、幅は5m、橋台の高さは6.6mと迫力を誇ります。特徴的な反り橋の構造は、とても精巧かつユニークで、現代の橋梁工学から見ても優れた建築構造だと言われています。

 春は桜、夏は鵜飼いや花火の夜景、秋は城山の自然林の紅葉、冬は雪化粧と、「錦」の名の通り、四季折々の色彩豊かな景観が楽しめます。

 橋の上では錦川のせせらぎと、さわやかな川風に癒されます。景色を楽しみながらゆっくり渡ると良いでしょう。山の頂には、岩国城も見えます。

 必見スポットとして、河原から見上げる錦帯橋の裏側です。芸術作品のような『木組の技法』を見ることができます。
 

 

■ アクセス

 

新幹線新岩国駅から錦帯橋へのアクセス

 JR新岩国駅で下車、駅から出て目の前のバス停から「錦帯橋行」のバスに乗車、約15分で到着します。
 タクシーを利用すると約10分で到着できます。
 

【所在地】〒741-0081 山口県岩国市横山2丁目6−51
【TEL】0827-41-1477
 

料金

 大人(中学生以上)    個人310円 団体260円
 小学生    個人150円 団体120円(幼児無料)


セット券
 錦帯橋・岩国城ロープウエー・岩国城の3つのセット 所要時間 約1時間30分〜2時間
 大人個人1,140円→970円(団体760円)に割引
 小学生個人 530円→460円(団体350円)に割引
 その他割引    ※障がい者手帳等


営業時間    8:00〜17:00(観光シーズン18:00まで 夏期19:00まで)
 

 

旅行社より配布された地図

 

 

■■ 5連のアーチの錦帯橋 ■■

 

日本三名橋のひとつ、国指定の名勝「錦帯橋」

5連のアーチ橋はおなじみと

言えるほど、よく知られています。

 

山頂では岩国城が見下ろしています

 

橋の長さは、直線で193.3m、橋面に沿って210m、幅は5m、

橋台の高さは6.6mと迫力を誇ります

 

東京の日本橋、長崎の眼鏡橋と並んで

「日本三名橋」といわれています。

1673(延宝元)年、岩国3代領主の吉川広嘉(きっかわひろよし)によって

創建された木造5連のアーチ橋です。

 

初代の錦帯橋は、完成後まもなく流失

 

1950年に洪水で損壊するまで276年間、威容を保ちました。

地元市民の強い要望により、昭和28(1953)に木の橋として再建

 

 

■■ 錦帯橋近くの菖蒲園 ■■

 

 

 

 

 

 

菖蒲園の近くに立つ佐々木小次郎の像

 

【 注 】

一部の写真で、ホワイトバランスが崩れ

お見苦しいものがあることをご容赦ください。

 

 

  リスト http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmovie.htm

 

 

  ■ カシャリ! ひとり旅


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【カシャリ!ひとり旅】 山口県萩市1 幕末・明治期に傑出した人物を輩出

2022-07-16 11:03:00 | 【カシャリ!ひとり旅】 山陰山陽四国

  【カシャリ!ひとり旅】 山口県萩市1 幕末・明治期に傑出した人物を輩出

 

 

 若い頃からひとり旅が好きで、経営コンサルタントとして独立してからは、仕事の合間か、旅行の合間に仕事をしたのかわかりませんが、カメラをぶら下げて【カシャリ! ひとり旅】をしてきました。

 

 旅は、時間に追われる現実からの開放、明日への糧となります。

 

 写真は、自分の記録であるとともに、お節介焼き精神から、他の人に情報提供も兼ねてとり続けてきました。

 

 何を思って撮影したのだろうか? 自分も行ってみたい・・・

 

 他の人に、そう思っていただける写真を撮りたいと思って、ライフワークとして、続けられるだけ続けてまいりたいです。

 

 

名所旧跡  グロマコン 経営コンサルタントへの道

 

 

■■ 山口県萩市 幕末・明治期に傑出した人物を輩出 


  https://www.hagishi.com/

 萩市(はぎし)は、中国地方西部、山口県の北部に位置する日本海に面した歴史の街です。江戸時代に、毛利氏が治める長州藩の萩城下町です。

 日本海に面し、三方が山に囲まれていて、道路・鉄道・港湾の整備も遅かったため、山陽側の市町村と比べると発展が遅れ気味でした。新制の萩市として発足後の2005年国勢調査でも、人口の減少が目立ち、特に合併前の旧町村での減少傾向が目立ちました。

 萩市に限らず、山口県は、幕末から戦前にかけて政財界に多くの傑出した人物を出しています。吉田松陰は、その中でも特筆すべき人のひとりです。

 司馬遼太郎の幕末小説である『世に棲む日日』『花神』や、大河ドラマ『花燃ゆ』は萩市が舞台になっています。

 萩市中心部は、日本有数の規模を誇るデルタ地帯です。旧・川上村から流れる阿武川(あぶがわ)は2つに分かれ、橋本川と松本川となって日本海に注いでいます。また、両河川からは新堀川、藍場川といった小河川が分岐し、市街を流れ、水の豊多町でもあります。

 

■ アクセス


 空路 山口宇部空港または萩・石見空港経由
 鉄道 新幹線新山口駅より高速バスまたはJR山口線湯田温泉または山口駅からバス利用
 

旅行社より配布された地図

 

 

■■ 山口県 歴史を語る萩市内 ■■

 

萩市内ホテルより望む萩港

 

ホテル庭園

 

萩市内伊勢屋横丁

 

萩市内 菊屋横町

 

重要文化財 菊屋住宅

 

萩慶安橋から望む

水の豊かな街並み

 

 

■■ 山口県 旧家・久保田家 ■■

 

 

久保田家 庭園

 

久保田家 庭園

 

久保田家

 

久保田家

 

萩市1 幕末・明治期の人材輩出 https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/8d2bffd27dc3c285cc6d5beb3d2bcd25
萩市2 木戸孝允・高杉晋作旧宅 https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/3c4f1739da3c2762bb4f5951a75a883a
萩市3 松陰神社 https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/09167034c59469ce40e498d467d33070
萩市4 松下村塾 https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/e6cf43e7f30b9f7ecea6350eeb719ac3

 

  リスト http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmovie.htm

 

  ■ カシャリ! ひとり旅


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【カシャリ!ひとり旅】 山口県萩市2 幕末・明治期に傑出した人物を輩出 木戸孝允・高杉晋作旧宅

2022-07-16 10:48:56 | 【カシャリ!ひとり旅】 山陰山陽四国

  【カシャリ!ひとり旅】 山口県萩市2 幕末・明治期に傑出した人物を輩出 木戸孝允・高杉晋作旧宅

 

 

 若い頃からひとり旅が好きで、経営コンサルタントとして独立してからは、仕事の合間か、旅行の合間に仕事をしたのかわかりませんが、カメラをぶら下げて【カシャリ! ひとり旅】をしてきました。

 

 旅は、時間に追われる現実からの開放、明日への糧となります。

 

 写真は、自分の記録であるとともに、お節介焼き精神から、他の人に情報提供も兼ねてとり続けてきました。

 

 何を思って撮影したのだろうか? 自分も行ってみたい・・・

 

 他の人に、そう思っていただける写真を撮りたいと思って、ライフワークとして、続けられるだけ続けてまいりたいです。

 

 

名所旧跡  グロマコン 経営コンサルタントへの道

 

 

■■ 山口県萩市 幕末・明治期に傑出した人物を輩出 


  https://www.hagishi.com/

 萩市(はぎし)は、中国地方西部、山口県の北部に位置する日本海に面した歴史の街です。江戸時代に、毛利氏が治める長州藩の萩城下町です。

 日本海に面し、三方が山に囲まれていて、道路・鉄道・港湾の整備も遅かったため、山陽側の市町村と比べると発展が遅れ気味でした。新制の萩市として発足後の2005年国勢調査でも、人口の減少が目立ち、特に合併前の旧町村での減少傾向が目立ちました。

 萩市に限らず、山口県は、幕末から戦前にかけて政財界に多くの傑出した人物を出しています。吉田松陰は、その中でも特筆すべき人のひとりです。

 司馬遼太郎の幕末小説である『世に棲む日日』『花神』や、大河ドラマ『花燃ゆ』は萩市が舞台になっています。

 萩市中心部は、日本有数の規模を誇るデルタ地帯です。旧・川上村から流れる阿武川(あぶがわ)は2つに分かれ、橋本川と松本川となって日本海に注いでいます。また、両河川からは新堀川、藍場川といった小河川が分岐し、市街を流れ、水の豊多町でもあります。

 

■ アクセス


 空路 山口宇部空港または萩・石見空港経由
 鉄道 新幹線新山口駅より高速バスまたはJR山口線湯田温泉または山口駅からバス利用
 

旅行社より配布された地図

 


萩市内ホテルより望む萩港

 

■■ 山口県 歴史を語る萩市 木戸孝允旧宅 ■■

 

 

 明治維新の立役者木戸孝允の生家。藩医であった彼の旧宅は、国の史跡指定であり、木造桟瓦葺き2階建てです。孝允の誕生当時の部屋や庭園が残っています。

 山口県萩市呉服町2 0838-25-3139 萩市観光課
 無料 8:00~17:00 無休 駐車場なし

 JR山陰本線東萩駅から防長交通バス県庁前行きで5分、萩バスセンターで防長交通バス循環西回りに乗り換えて4分、萩城城下町下車すぐ
 

■ 木戸孝允 幕末の長州藩士、勤王志士、明治時代初期の政治家

 きど たかよし
 1833年8月11日(天保4年6月26日)- 1877年(明治10年)5月26日)
 号は松菊、竿鈴

 幕末の長州藩士、勤皇の志士、明治維新の元勲として大久保利通、西郷隆盛とともに維新の三傑の一人に数えられます。幕末期には桂 小五郎(かつら こごろう)の名で活躍しました。

 長州藩藩医和田家の生まれですが、7歳で同藩藩士桂家の養子となりました。1849年に吉田松陰の門弟となりました。1852年には江戸に留学して斎藤弥九郎の道場で剣術を学び、また洋式の砲術や兵術、造船術、蘭学なども学んでいます。

 1858年の安政の大獄以降、薩摩藩、水戸藩、越前藩など諸藩の尊王攘夷の志士たちと広く交わるようになり、高杉晋作や久坂玄瑞らと並んで藩内の尊王攘夷派の指導者となりました。

 1864年の池田屋事件及びその直後の禁門の変により、但馬出石で8か月の潜伏生活を余儀なくされました。高杉晋作らが藩政を掌握すると帰藩し、1865年に藩主より「木戸」の苗字を賜りました。

 1866年には藩を代表して薩長同盟を締結しています。

 新政府成立後には、政府官僚として太政官に出仕し、参与、総裁局顧問、参議に就任しました。

 1868年(慶応4年=明治元年)に、五箇条の御誓文の起草・監修にあたり、明治維新の基本方針を定めた他、版籍奉還や廃藩置県など、封建的諸制度を解体して近代社会(市民社会・資本主義社会)と中央集権国家確立をめざす基礎作業に主導的役割を果たしたのです。

 1871年には岩倉使節団に参加し、諸国の憲法を研究し、1873年に帰国したのちはかねて建言していた憲法や三権分立国家の早急な実施の必要性について政府内の理解を要求しました。内政優先の立場から岩倉具視や大久保利通らとともに西郷隆盛の征韓論に反対し、その結果、西郷が下野することになりました。西南戦争を憂い「西郷よ。いいかげんにしないか」と死の直前に言い残したといわれています。

 憲法制定を建言していましたが、富国強兵政策に邁進する大久保主導政権に批判的で、その他の事情もあり、参議を辞しました。晩年は政府内で、孤立しがちで、その後、病死しました。
 

木戸孝允旧宅

 

木戸孝允旧宅

 

 

 

 

■■ 山口県 歴史を語る萩市 高杉晋作旧宅 ■■

 

 長州藩の200石の中級武士の家に生まれ育ち、倒幕運動を積極的に押し進めた高杉晋作の旧宅です。平屋建ての民家には、写真や書が展示され、庭には自作の歌碑があります。

 山口県萩市南古萩町23 083-22-3078
 大人 100円、中・高校生 50rmm円 小学生以下 無科
 8:00~17:00(12~3月は9:00~16:00) 予約により閉館時間延長可
 不定休(予約が望ましい)
 駐車場なし
 JR山陰本線東萩駅から防長交通パス県庁前行きで5分、萩バスセンターで防長交通バス循環西回りに乗り換えて5分、萩械外堀入口下車、徒歩3分
 

 

■ 高杉晋作 久坂玄瑞等とともに尊皇攘夷運動をした長州藩士

 たかすぎ しんさく
 天保10年8月20日〈1839年9月27日〉- 慶應3年4月14日〈1867年5月17日〉

 幕末長州藩の尊王攘夷志士として久坂玄瑞等とともに活躍した武士です。奇兵隊など諸隊を創設し、長州藩を討幕運動に方向付けしました。

 文久元年(1861年)には、海軍修練のため、藩の所蔵する軍艦「丙辰丸」に乗船し、江戸に渡りました。神道無念流練兵館道場で剣術の稽古をしました。その年に、東北遊学を行い、加藤桜老や佐久間象山、横井小楠とも交友しています。

 文久2年(1862年)に、藩命で、五代友厚らとともに、幕府使節随行員として長崎から中国の上海へ渡航、清が欧米の植民地となりつつある実情などを見聞して7月に帰国しました。

 尊王攘夷(尊攘)派が台頭しますと、晋作も桂小五郎(木戸孝允)や久坂義助(久坂玄瑞)らとともに尊攘運動に加わり、江戸・京都において勤皇・破約攘夷の宣伝活動を展開し、各藩の志士たちと交流しました。

 文久2年12月12日には、幕府の違勅に抗議するため、同志とともに品川御殿山に建設中の英国公使館焼き討ちを行いました。

 文久3年(1863年)、幕府が朝廷から要請されて制定した攘夷期限が過ぎますと、長州藩は関門海峡における下関戦争で外国船砲撃を行い、惨敗します。晋作は下関の防衛を任せられ、身分に因らない志願兵による奇兵隊を結成します。

 文久4年(1864年)、長州藩は禁門の変で敗北して朝敵となり、久坂玄瑞は自害しました。英仏米蘭4か国連合艦隊が下関砲台を占拠、晋作は和議交渉を任され、ギリギリの線で交渉を成立させました。

 幕府の権威が失墜し、慶応3年(1867年)に大政奉還、高杉晋作は、下関市桜山で肺結核の療養中、慶応3年4月13日(1867年5月16日)深夜に享年29(満27歳8ヶ月)で死去しました。

 

 

 

萩市1 幕末・明治期の人材輩出 https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/8d2bffd27dc3c285cc6d5beb3d2bcd25
萩市2 木戸孝允・高杉晋作旧宅 https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/3c4f1739da3c2762bb4f5951a75a883a
萩市3 松陰神社 https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/09167034c59469ce40e498d467d33070
萩市4 松下村塾 https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/e6cf43e7f30b9f7ecea6350eeb719ac3

 

  リスト http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmovie.htm

 

 

  ■ カシャリ! ひとり旅


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【カシャリ!ひとり旅】 山口県萩市3 幕末・明治期に傑出した人物を輩出 松陰神社

2022-07-15 09:39:44 | 【カシャリ!ひとり旅】 山陰山陽四国

  【カシャリ!ひとり旅】 山口県萩市3 幕末・明治期に傑出した人物を輩出 松陰神社

 

 

 若い頃からひとり旅が好きで、経営コンサルタントとして独立してからは、仕事の合間か、旅行の合間に仕事をしたのかわかりませんが、カメラをぶら下げて【カシャリ! ひとり旅】をしてきました。

 

 旅は、時間に追われる現実からの開放、明日への糧となります。

 

 写真は、自分の記録であるとともに、お節介焼き精神から、他の人に情報提供も兼ねてとり続けてきました。

 

 何を思って撮影したのだろうか? 自分も行ってみたい・・・

 

 他の人に、そう思っていただける写真を撮りたいと思って、ライフワークとして、続けられるだけ続けてまいりたいです。

 

 

名所旧跡  グロマコン 経営コンサルタントへの道

 

 

■■ 山口県萩市 幕末・明治期に傑出した人物を輩出 


  https://www.hagishi.com/

 萩市(はぎし)は、中国地方西部、山口県の北部に位置する日本海に面した歴史の街です。江戸時代に、毛利氏が治める長州藩の萩城下町です。

 日本海に面し、三方が山に囲まれていて、道路・鉄道・港湾の整備も遅かったため、山陽側の市町村と比べると発展が遅れ気味でした。新制の萩市として発足後の2005年国勢調査でも、人口の減少が目立ち、特に合併前の旧町村での減少傾向が目立ちました。

 萩市に限らず、山口県は、幕末から戦前にかけて政財界に多くの傑出した人物を出しています。吉田松陰は、その中でも特筆すべき人のひとりです。

 司馬遼太郎の幕末小説である『世に棲む日日』『花神』や、大河ドラマ『花燃ゆ』は萩市が舞台になっています。

 萩市中心部は、日本有数の規模を誇るデルタ地帯です。旧・川上村から流れる阿武川(あぶがわ)は2つに分かれ、橋本川と松本川となって日本海に注いでいます。また、両河川からは新堀川、藍場川といった小河川が分岐し、市街を流れ、水の豊多町でもあります。

 

■ アクセス


 空路 山口宇部空港または萩・石見空港経由
 鉄道 新幹線新山口駅より高速バスまたはJR山口線湯田温泉または山口駅からバス利用
 

旅行社より配布された地図

 


萩市内ホテルより望む萩港

 

■■ 山口県 歴史を語る萩市 松陰神社 ■■

 

 

松陰神社
  https://showin-jinja.or.jp/

 松陰神社(しょういんじんじゃ)は、東京都世田谷区と山口県萩市の二か所にあります。幕末の思想家・教育者である吉田松陰、および彼の門人である伊藤博文、山縣有朋はじめ、松下村塾の生徒を祭神として、学問の神として崇敬を受けています。

 山口県萩市椿東に所在します。

 1890年(明治23年)、松陰の実家・杉家の邸内に松陰の実兄杉民治が土蔵造りの小祠を建て、松陰の遺言により愛用していた赤間硯と松陰の書簡とを神体として祀ったのが創建です。

 1907年(明治40年)、共に松下村塾出身の伊藤博文と野村靖が中心となって神社創建を請願し、萩城内にあった鎮守・宮崎八幡の拝殿を移築して土蔵造りの本殿に付し、同時に県社に列格しました。

 現在の社殿は、昭和30年に新しく建てられたもので、創建当時の土蔵造りの旧社殿は松下村塾での門人を祭る末社・松門神社となっています。

 境内には松下村塾が現存しています。また松陰幽囚の旧宅・吉田松陰歴史館などがあります。2009年、松陰没後150年を記念し、宝物殿『至誠館』が開館しました。境内には、“自立学習の祖”と記した顕彰碑を始め、多くの碑が立っています。

 萩市で学問の神として最も尊敬を集める神社であり、正月には多くの初詣客が訪れます。(【Wikipedia】を基に作成)

  所在地    山口県萩市椿東1537
  位置        北緯34度24分43.70秒 東経131度25分5.60秒
  主祭神    吉田寅次郎藤原矩方命(吉田松陰)
  社格等    県社
  創建    明治40年(1907年)

 山陰本線(JR西日本)東萩駅が最寄り駅
 

■ 吉田松陰 幕末・明治期を支える人を育てた

 よしだしょういん
 文政13年(1830年)8月4日(西曆9月20日)、長州萩城下松本村(現:山口県萩市)に生誕
 安政6年10月27日(1859年11月21日)、伝馬町牢屋敷にて死刑が執行された。享年30(満29歳没)

  長州藩士、思想家、教育者で、山鹿流兵学師範でもあります。明治維新の精神的指導者・理論者・倒幕論者として知られています。私塾「松下村塾」で、後の明治維新で重要な働きをする多くの若者に思想的影響を与えた人です。
  

 幕末の志士吉田松陰は、海外事情を学ぶため、鎖国の禁を犯し、密航することを決意しました。

 長崎に来航したロシア船への便乗を佐久間象山に薦められ急行しましたが間に合わいませんでした。翌嘉永7年(1854)3月、来航したペリー艦隊の後を追って、弟子金子重輔と下田へ来ました。

 機をうかがい、夜中に下田市柿崎より小舟でペリー艦隊ポーハタン号に漕ぎ着け、渡米を懇請しましたが、ペリーに拒絶されてしまいました。

 

吉田松陰 伊豆下田「至誠通天」碑

 


 壮図むなしく破れた松蔭等は、潔く自首し、拘禁された場所が、下田市宝光院長命寺(廃寺)でした。

 さらに平滑の獄に移され、同年4月11日は、江戸伝馬町の獄に送られました。

 松蔭等が、下田に滞在した期間は、24日の短いものであり、また海外渡航は失敗に終わりましたが、その行動は幕末開港の歴史に欠くことのできない重要な一ページを刻むものであり、後に与えた影響は大きかったといえます。(【Wikipedia】および下田市史蹟紹介立て看板をもとに作成)

 

 

 

 

 

 

 

 

 石碑「親思ふ~」


「親思ふこころにまさる親ごごろけふの音づれ何ときくらん」、

松陰が、安政6年(1859)10月20日付けで

家族に宛てた遺書の中で詠われた有名な和歌が彫られています。

昭和37年(1962)、萩国際ライオンズクラブの承認を記念して

奉納、建立されました。

 

石碑「明治維新胎動之地」


昭和43年(1968)、

明治維新100年を記念して建立

揮毫は故佐藤栄作元首相

 

 

末社 松門神社


現社殿の竣功に伴い、それまでの松陰神社社殿を移築し、

松陰の塾生・門下生を御祭神として

昭和31年(1956)に創建されました。

 

円政寺

 

萩市1 幕末・明治期の人材輩出 https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/8d2bffd27dc3c285cc6d5beb3d2bcd25
萩市2 木戸孝允・高杉晋作旧宅 https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/3c4f1739da3c2762bb4f5951a75a883a
萩市3 松陰神社 https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/09167034c59469ce40e498d467d33070
萩市4 松下村塾 https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/e6cf43e7f30b9f7ecea6350eeb719ac3

 

  リスト http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmovie.htm

 

 

  ■ カシャリ! ひとり旅


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【カシャリ!ひとり旅】 山口県萩市4 幕末・明治期に傑出した人物を輩出 松下村塾

2022-07-11 17:24:07 | 【カシャリ!ひとり旅】 山陰山陽四国

 

  【カシャリ!ひとり旅】 山口県萩市4 幕末・明治期に傑出した人物を輩出 松下村塾

 

 

 若い頃からひとり旅が好きで、経営コンサルタントとして独立してからは、仕事の合間か、旅行の合間に仕事をしたのかわかりませんが、カメラをぶら下げて【カシャリ! ひとり旅】をしてきました。

 

 旅は、時間に追われる現実からの開放、明日への糧となります。

 

 写真は、自分の記録であるとともに、お節介焼き精神から、他の人に情報提供も兼ねてとり続けてきました。

 

 何を思って撮影したのだろうか? 自分も行ってみたい・・・

 

 他の人に、そう思っていただける写真を撮りたいと思って、ライフワークとして、続けられるだけ続けてまいりたいです。

 

 

名所旧跡  グロマコン 経営コンサルタントへの道

 

 

■■ 山口県萩市 幕末・明治期に傑出した人物を輩出 


  https://www.hagishi.com/

 萩市(はぎし)は、中国地方西部、山口県の北部に位置する日本海に面した歴史の街です。江戸時代に、毛利氏が治める長州藩の萩城下町です。

 日本海に面し、三方が山に囲まれていて、道路・鉄道・港湾の整備も遅かったため、山陽側の市町村と比べると発展が遅れ気味でした。新制の萩市として発足後の2005年国勢調査でも、人口の減少が目立ち、特に合併前の旧町村での減少傾向が目立ちました。

 萩市に限らず、山口県は、幕末から戦前にかけて政財界に多くの傑出した人物を出しています。吉田松陰は、その中でも特筆すべき人のひとりです。

 司馬遼太郎の幕末小説である『世に棲む日日』『花神』や、大河ドラマ『花燃ゆ』は萩市が舞台になっています。

 萩市中心部は、日本有数の規模を誇るデルタ地帯です。旧・川上村から流れる阿武川(あぶがわ)は2つに分かれ、橋本川と松本川となって日本海に注いでいます。また、両河川からは新堀川、藍場川といった小河川が分岐し、市街を流れ、水の豊多町でもあります。

 

■ アクセス


 空路 山口宇部空港または萩・石見空港経由
 鉄道 新幹線新山口駅より高速バスまたはJR山口線湯田温泉または山口駅からバス利用
 

旅行社より配布された地図

 


萩市内ホテルより望む萩港

 

■■ 山口県 歴史を語る萩市 松下村塾 ■■

 

■ 松下村塾 しょうかそんじゅく
    http://shoin-jinja.jp/

【世界遺産登録】吉田松陰の志を継ぐ維新志士たちを数多く輩出した塾

 天保13年(1842)に、松陰の叔父である玉木文之進が自宅で私塾を開いたのが始まりです。後に松陰の外伯父にあたる久保五郎左衛門が継承し、子弟の教育にあたりました。そして安政4年(1857)、28歳の松陰がこれを継ぎ、主宰することになったのです。

 木造瓦葺き平屋建ての50㎡ほどの小舎で、当初からあった8畳の一室と、後に吉田松陰が増築した4畳半一室、3畳二室、土間一坪、中二階付きの部分から成っています。講義室だった8畳の部屋には松陰の石膏像と肖像画、机が置いてあります。昼夜を問わず熱い議論が交わされていたようです。

 松陰は、身分や階級にとらわれず塾生として受け入れました。わずか1年余りの間でしたが、久坂玄瑞、高杉晋作、伊藤博文、山県有朋、山田顕義、品川弥二郎など、明治維新の原動力となり、明治新政府に活躍した多くの逸材を育てました。

 当時、この地域が松本村と呼ばれていたことから「松下村塾」という名がつけられたと伝わっています。

 松陰は、「学は人たる所以を学ぶなり。塾係くるに村名を以てす。」と『松下村塾記』に記し、村名を冠した塾名に誇りと責任を感じ、志ある人材を育てようとしました。

 私の座右の名にもなっている「至誠」、すなわち「至誠にして動かざるものは未だこれあらざるなり」は、松蔭の教えが詰まった言葉と考えます。

【国指定史跡】

Tel    0838-22-4643
住所    萩市椿東1537(松陰神社敷地内)
営業時間    外観のみ見学自由
休日    
駐車台数    一般車 無料(境内60台、神社前58台)、大型 500円(13台)
Webサイト    http://shoin-jinja.jp/
アクセス    萩循環まぁーるバス(東回り)「松陰神社前」バス停より徒歩1分
 

 

松下村塾

 

 幕末期に、吉田松陰が主宰した私塾です。

 

 わずか8畳の部屋で、昼夜を問わず熱い議論が交わされていといいます。

 

 松陰は身分や階級にとらわれず塾生として受け入れ、わずか1年余りの間でしたが、久坂玄瑞、高杉晋作、伊藤博文、山県有朋、山田顕義、品川弥二郎など、明治維新の原動力となり、明治新政府に活躍した多くの逸材を育てました。
 

 

吉田松陰幽囚ノ旧宅
 

 松陰の実家、杉家の旧宅で、当時よりこの地に建っていました。天保年間に建てられたといわれ、瀬能吉次郎の持家を借りて住んでいました。

 安政2年(1955)12月、萩城下の野山獄より出牢した松蔭は、この邸内の3畳半の1室に幽囚されました。ここで家族などに対して講義を行われ、これがやがて松下村塾の教育に発展して行きます。

 平成27年7月5日、ユネスコの世界文化遺産に登録されました。
 

 

 

 

わずか8畳の部屋で、昼夜を問わず熱い議論が交わされ

幕末・明治期に活躍した人達を育てました。

 

■ 松陰神社
  https://showin-jinja.or.jp/

 松陰神社(しょういんじんじゃ)は、東京都世田谷区と山口県萩市の二か所にあります。幕末の思想家・教育者である吉田松陰、および彼の門人である伊藤博文、山縣有朋はじめ、松下村塾の生徒を祭神として、学問の神として崇敬を受けています。

 山口県萩市椿東に所在します。

 1890年(明治23年)、松陰の実家・杉家の邸内に松陰の実兄杉民治が土蔵造りの小祠を建て、松陰の遺言により愛用していた赤間硯と松陰の書簡とを神体として祀ったのが創建です。

 1907年(明治40年)、共に松下村塾出身の伊藤博文と野村靖が中心となって神社創建を請願し、萩城内にあった鎮守・宮崎八幡の拝殿を移築して土蔵造りの本殿に付し、同時に県社に列格しました。

 現在の社殿は、昭和30年に新しく建てられたもので、創建当時の土蔵造りの旧社殿は松下村塾での門人を祭る末社・松門神社となっています。

 境内には松下村塾が現存しています。また松陰幽囚の旧宅・吉田松陰歴史館などがあります。2009年、松陰没後150年を記念し、宝物殿『至誠館』が開館しました。境内には、“自立学習の祖”と記した顕彰碑を始め、多くの碑が立っています。

 萩市で学問の神として最も尊敬を集める神社であり、正月には多くの初詣客が訪れます。(【Wikipedia】を基に作成)

  所在地    山口県萩市椿東1537
  位置        北緯34度24分43.70秒 東経131度25分5.60秒
  主祭神    吉田寅次郎藤原矩方命(吉田松陰)
  社格等    県社
  創建    明治40年(1907年)

 山陰本線(JR西日本)東萩駅が最寄り駅
 

■ 吉田松陰 幕末・明治期を支える人を育てた

 よしだしょういん
 文政13年(1830年)8月4日(西曆9月20日)、長州萩城下松本村(現:山口県萩市)に生誕
 安政6年10月27日(1859年11月21日)、伝馬町牢屋敷にて死刑が執行された。享年30(満29歳没)

  長州藩士、思想家、教育者で、山鹿流兵学師範でもあります。明治維新の精神的指導者・理論者・倒幕論者として知られています。私塾「松下村塾」で、後の明治維新で重要な働きをする多くの若者に思想的影響を与えた人です。
  

 幕末の志士吉田松陰は、海外事情を学ぶため、鎖国の禁を犯し、密航することを決意しました。

 長崎に来航したロシア船への便乗を佐久間象山に薦められ急行しましたが間に合わいませんでした。翌嘉永7年(1854)3月、来航したペリー艦隊の後を追って、弟子金子重輔と下田へ来ました。

 機をうかがい、夜中に下田市柿崎より小舟でペリー艦隊ポーハタン号に漕ぎ着け、渡米を懇請しましたが、ペリーに拒絶されてしまいました。

 

吉田松陰 伊豆下田「至誠通天」碑

 


 壮図むなしく破れた松蔭等は、潔く自首し、拘禁された場所が、下田市宝光院長命寺(廃寺)でした。

 さらに平滑の獄に移され、同年4月11日は、江戸伝馬町の獄に送られました。

 松蔭等が、下田に滞在した期間は、24日の短いものであり、また海外渡航は失敗に終わりましたが、その行動は幕末開港の歴史に欠くことのできない重要な一ページを刻むものであり、後に与えた影響は大きかったといえます。(【Wikipedia】および下田市史蹟紹介立て看板をもとに作成)

 

萩市1 幕末・明治期の人材輩出 https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/8d2bffd27dc3c285cc6d5beb3d2bcd25
萩市2 木戸孝允・高杉晋作旧宅 https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/3c4f1739da3c2762bb4f5951a75a883a
萩市3 松陰神社 https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/09167034c59469ce40e498d467d33070
萩市4 松下村塾 https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/e6cf43e7f30b9f7ecea6350eeb719ac3

 

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  ■ カシャリ! ひとり旅


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【カシャリ!ひとり旅】 山口県岩国市 錦帯橋 国指定名勝・日本三名橋のひとつ

2022-07-09 14:12:07 | 【カシャリ!ひとり旅】 山陰山陽四国

  【カシャリ!ひとり旅】 山口県岩国市 錦帯橋 国指定名勝・日本三名橋のひとつ

 

 若い頃からひとり旅が好きで、経営コンサルタントとして独立してからは、仕事の合間か、旅行の合間に仕事をしたのかわかりませんが、カメラをぶら下げて【カシャリ! ひとり旅】をしてきました。

 

 旅は、時間に追われる現実からの開放、明日への糧となります。

 

 写真は、自分の記録であるとともに、お節介焼き精神から、他の人に情報提供も兼ねてとり続けてきました。

 

 何を思って撮影したのだろうか? 自分も行ってみたい・・・

 

 他の人に、そう思っていただける写真を撮りたいと思って、ライフワークとして、続けられるだけ続けてまいりたいです。

 

 

名所旧跡  グロマコン 経営コンサルタントへの道

 

 

■■ 山口県岩国市 錦帯橋 国指定名勝・日本三名橋のひとつ 


 錦帯橋バスセンターに着くと、目の前に、日本三名橋のひとつ、国指定の名勝「錦帯橋」がお出迎えしてくれます。

 錦川に架かる、写真でおなじみの美しい5連のアーチで、訪れた人は、その優美な姿に見とれてしまうでしょう。

 東京の日本橋、長崎の眼鏡橋と並んで「日本三名橋」といわれている岩国市にある「錦帯橋」は、1673(延宝元)年、岩国3代領主の吉川広嘉(きっかわひろよし)によって創建された木造5連のアーチ橋です。

 錦川の洪水により流失、翌1674年に改良を加え再建された橋は、1950年に洪水で損壊するまで276年間、威容を保ちました。地元市民の強い要望により、昭和28(1953)に木の橋として再建、2002年からは劣化した木造部分を替える「平成の架け替え事業」も行われました。

 現在の橋の長さは、直線で193.3m、橋面に沿って210m、幅は5m、橋台の高さは6.6mと迫力を誇ります。特徴的な反り橋の構造は、とても精巧かつユニークで、現代の橋梁工学から見ても優れた建築構造だと言われています。

 春は桜、夏は鵜飼いや花火の夜景、秋は城山の自然林の紅葉、冬は雪化粧と、「錦」の名の通り、四季折々の色彩豊かな景観が楽しめます。

 橋の上では錦川のせせらぎと、さわやかな川風に癒されます。景色を楽しみながらゆっくり渡ると良いでしょう。山の頂には、岩国城も見えます。

 必見スポットとして、河原から見上げる錦帯橋の裏側です。芸術作品のような『木組の技法』を見ることができます。
 

 

■ アクセス

 

新幹線新岩国駅から錦帯橋へのアクセス

 JR新岩国駅で下車、駅から出て目の前のバス停から「錦帯橋行」のバスに乗車、約15分で到着します。
 タクシーを利用すると約10分で到着できます。
 

【所在地】〒741-0081 山口県岩国市横山2丁目6−51
【TEL】0827-41-1477
 

料金

 大人(中学生以上)    個人310円 団体260円
 小学生    個人150円 団体120円(幼児無料)


セット券
 錦帯橋・岩国城ロープウエー・岩国城の3つのセット 所要時間 約1時間30分〜2時間
 大人個人1,140円→970円(団体760円)に割引
 小学生個人 530円→460円(団体350円)に割引
 その他割引    ※障がい者手帳等


営業時間    8:00〜17:00(観光シーズン18:00まで 夏期19:00まで)
 

 

旅行社より配布された地図

 

 

■■ 5連のアーチの錦帯橋 ■■

 

日本三名橋のひとつ、国指定の名勝「錦帯橋」

5連のアーチ橋はおなじみと

言えるほど、よく知られています。

 

山頂では岩国城が見下ろしています

 

橋の長さは、直線で193.3m、橋面に沿って210m、幅は5m、

橋台の高さは6.6mと迫力を誇ります

 

東京の日本橋、長崎の眼鏡橋と並んで

「日本三名橋」といわれています。

1673(延宝元)年、岩国3代領主の吉川広嘉(きっかわひろよし)によって

創建された木造5連のアーチ橋です。

 

初代の錦帯橋は、完成後まもなく流失

 

1950年に洪水で損壊するまで276年間、威容を保ちました。

地元市民の強い要望により、昭和28(1953)に木の橋として再建

 

 

■■ 錦帯橋近くの菖蒲園 ■■

 

 

 

 

 

 

菖蒲園の近くに立つ佐々木小次郎の像

 

【 注 】

一部の写真で、ホワイトバランスが崩れ

お見苦しいものがあることをご容赦ください。

 

 

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【カシャリ!ひとり旅】 島根県 津和野 山陰の小京都を散策

2022-06-23 08:48:33 | 【カシャリ!ひとり旅】 山陰山陽四国

 

  【カシャリ!ひとり旅】 島根県 津和野 山陰の小京都を散策

 

 

 若い頃からひとり旅が好きで、経営コンサルタントとして独立してからは、仕事の合間か、旅行の合間に仕事をしたのかわかりませんが、カメラをぶら下げて【カシャリ! ひとり旅】をしてきました。

 

 旅は、時間に追われる現実からの開放、明日への糧となります。

 

 写真は、自分の記録であるとともに、お節介焼き精神から、他の人に情報提供も兼ねてとり続けてきました。

 

 何を思って撮影したのだろうか? 自分も行ってみたい・・・

 

 他の人に、そう思っていただける写真を撮りたいと思って、ライフワークとして、続けられるだけ続けてまいりたいです。

 

 

名所旧跡  グロマコン 経営コンサルタントへの道

 

 

■■ 島根県 津和野 山陰の小京都を散策 

 

津和野町(つわのちょう)

 島根県の南西に位置し、山間の小さな盆地に広がる町並みは小京都の代表格として知られています。

  津和野は「つわぶきの生い茂る野」をその名のルーツにもつといわれています。

 遠い昔、山紫水明 のこの地に住みついた人々は、群生する「つわぶき」の可憐な花に目をとどめ、その清楚で高雅な風情に魅せられ、自分たちの住む里を「つわぶきの野」・・・ 「つわの」と呼ぶようになったと伝わっています。

 文豪森鴎外の出生地としてもしられています。毎年7月末に行われる祇園祭の中で、街中を練り歩く鷺舞は津和野の代名詞であり、国の重要無形民俗文化財に指定されています。

 2015年(平成27年)、文化庁が日本遺産の最初の18件の一つとして「津和野今昔 ~百景図を歩く~」を選定しました。

 歴史は古く、縄文時代までさかのぼり、今から約9000年前の早期縄文時代から人々が住んでいたことが確認されています。町内19ヶ所で遺跡が発掘されており、石斧、土器、石器などが採集されています。

 約1700年前の前期古墳時代の土器により当時、山口地方と山陰地方を結ぶ交通の要所として両方の文化が交流する重要な場所であったようです。

 平安時代の前半頃(約1200年前)の土師器や須恵器、緑釉陶器とともに、4枚の承和昌宝という銅銭も発見されています。

 明治維新前は、津和野藩亀井氏の城下町で、幕末期以降の廃仏毀釈と、長崎から配流されてきたキリシタンへ、改宗の強要が実施されたという歴史があります。(浦上四番崩れ)
 

 

■ アクセス


新幹線
 東京駅(山陽新幹線)- 新山口駅 JR山口線 - 津和野駅

空路
 萩・石見空港、山口宇部空港、大阪空港 - 益田駅(JR山口線)- 津和野駅
 

 

観光マップより

(グリーンハイライトは私の訪問地)

 

小京都といわれる街並み

 

 

観光地らしく人力車でも回れます

 

鷺舞蔵

 

毎年7月末に行われる祇園祭の中で、

街中を練り歩く鷺舞は津和野の代名詞であり、

国の重要無形民俗文化財に指定されています。

 

津和野カトリック教会

 

昭和6 (1931)年、ドイツ人ヴェンケレーによって建てられた

ゴシック建築の教会です。

武家屋敷が立ち並ぶ殿町で、

石造りの重厚な建物は目を引きますので

思わずカシャリ。

内部はステンドグラスが美しい

津和野駅から徒歩10分

見学可能時間 8:00~17:00 

 

 

太皷谷稲成神社(たいこだにいなりじんじゃ)

 島根県鹿足郡津和野町にある神社で、

別表神社にして旧社格は郷社、

通称「津和野のおいなりさん」です。

 全国で唯一「いなり」を「稲成」と表記する神社といわれています。

宇迦之御魂神(稲荷神)と伊弉冉尊が祀られています。

 日本三大稲荷の一つとされることがあり、

一般的には日本五大稲荷の一つに数えられ、

出雲大社に次いで島根県内2位の年間参拝客を数えます。

 

太皷谷稲成神社の鳥居は

伏見稲荷ほどの鳥居の多さではありませんが、

下の方まで続いています。

 

永明寺 ようめいじ

 津和野に在する鎌倉時代創建の禅宗の古刹です。

代々津和野藩主の菩提寺となり、

江戸時代には曹洞宗の大寺院として栄えました。

森鴎外の墓、干姫事件で知られる悲運の城主坂崎出羽守の墓があります。

 島根県津和野町後田口107 0856-72-0137
 入場料 無料(寺宝館・庭園=大人300 1円.高校生200円.小・中学生150円)
 時間  8:00~17:00 年中無休
 駐車場 あり
 JR山口線津和野駅から徒歩15分

 

永明寺に眠る森鴎外の墓所

 

多胡家老門 たごかろうもんおおおかかろうもん

 津和野藩の藩校だった養老館前のあたりは、

かつて老屋敷が集まっていたところです。

家老職を務めた多胡家の武家屋敷門は、

当時の家老の権勢を物語っています。

津和野町後田殿町 0856-72-1771(津和野町観光協会)
見学自由 駐車場なし
JR山口線津和野駅から徒歩10分
 

 

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