経営コンサルタントへの道

コンサルタントのためのコンサルタントが、半世紀にわたる経験に基づき、経営やコンサルティングに関し毎日複数のブログを発信

【カシャリ!ひとり旅】 山形県山形市 文翔館(県政史緑地)2 大正時代の県庁舎と廻遊式庭園2 貴賓室  0105

2023-01-20 13:25:54 | 【カシャリ!ひとり旅】 宮城・山形・福島

 

  【カシャリ!ひとり旅】 山形県山形市 文翔館(県政史緑地) 大正時代の県庁舎と廻遊式庭園2 貴賓室  0105

 

 

 若い頃からひとり旅が好きで、経営コンサルタントとして独立してからは、仕事の合間か、旅行の合間に仕事をしたのかわかりませんが、カメラをぶら下げて【カシャリ! ひとり旅】をしてきました。

 

 旅は、時間に追われる現実からの開放、明日への糧となります。

 

 写真は、自分の記録であるとともに、お節介焼き精神から、他の人に情報提供も兼ねてとり続けてきました。

 

 何を思って撮影したのだろうか? 自分も行ってみたい・・・

 

 他の人に、そう思っていただける写真を撮りたいと思って、ライフワークとして、続けられるだけ続けてまいりたいです。

 

 

名所旧跡  グロマコン 経営コンサルタントへの道

 

 

■■ 文翔館庭園(県政史緑地) 大正時代の県庁舎と廻遊式庭園2 貴賓室 0105

  https://www.gakushubunka.jp/bunsyokan/

 「文翔館」(ぶんしょうかん)は、大正時代に建てられた、かつての山形県庁舎を活用した公共文化施設です。横に並ぶ2棟の洋風建築が「山形県旧県庁舎及び県会議事堂」として国指定重要文化財となっています。1916年(大正5年)に建造されたイギリス・ルネッサンス様式の重厚な石造り・レンガ造りの建築です。

 前庭「県政史緑地」には、回遊式の日本庭園や、県会議事堂前には洋風の庭園もあります。

 昭和後期に山形県庁が新たな建物に移転したのち、旧県庁舎の保存修復工事が10年ほどかけて実施されました。それにあわせて建物周辺も緑地公園としての整備を開始され、現在見られる和風庭園などが作庭されました。

 1995年(平成7年)に「山形県郷土館(文翔館)」としてオープンしました。

 庭園は、秋にはモミジや楓などの紅葉が楽しめ、春にはしだれ桜が咲き乱れます。また旧県庁舎の中庭もレンガに囲まれたヨーロッパのような雰囲気を感じられる空間になっています。

 山形の中心商店街・七日町通りのつきあたりにあるこの洋風建築は今なお山形市のランドマーク的存在で多くの市民にとっての憩いの空間となっています。その一方ドラマや映画のロケ地としても使われています。


 庭園は、ジョサイア・コンドルの弟子である田原新之助による設計で、設計顧問は米沢藩出身の中條精一郎がつとめました。中條精一郎は、出身地・米沢に元藩主の邸宅で国登録有形文化財となっている『上杉伯爵邸』を手掛けているほか、熱海の岩崎家別邸(現『熱海陽和洞』。非公開。)では七代目小川治兵衛(植治)と共に仕事をしています。

 

■ アクセス


 JR山形新幹線 山形駅より徒歩約25分強 

  ※春〜10月まで観光案内所にレンタサイクルあり
 山形駅より路線バス「市役所前」バス停下車すぐ

 

 

文翔館正面

 

国指定重要文化財

1916年(大正5年)に建造されたイギリス・ルネッサンス様式の重厚な石造り建築

 

 

貴賓室

皇族や国の高官が来られたときの控え室

一時は副知事室として使われていた

家具とシャンデリアは当時の資料をもとに復元

 

貴賓室のシャンデリア

 

知事官房

知事の秘書室

 

知事室

ボード張りの天井は漆喰の花飾りに復元

壁紙も現存模様をもとに復元

絨毯は当時のモノをクリーニングして使用

 

復元された壁紙

 

クリーニングされた当時の絨毯をそのまま利用

 

群市長控え室の暖炉

 

警察部長室

 

警察部長室の置物

 

記念碑の回廊

手前から黎明、発展、激動、復興、成長の各時代を

一部屋毎にディスプレイ

 

正面玄関裏側

 

時計塔の構造

 

内務部部長室

 

山形県旧県庁舎及び県会議事堂

前庭は洋風庭園

 

正面玄関上のベランダから見た日本庭園

 

 

 

 

  リスト http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmovie.htm

 

 

  ■ カシャリ! ひとり旅


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【カシャリ!ひとり旅】 山形県山形市 文翔館(県政史緑地)1 大正時代の県庁舎と廻遊式庭園1 外観と正庁 0105

2023-01-20 13:25:06 | 【カシャリ!ひとり旅】 宮城・山形・福島

 

  【カシャリ!ひとり旅】 山形県山形市 文翔館(県政史緑地) 大正時代の県庁舎と廻遊式庭園1 外観と正庁 0105

 

 

 若い頃からひとり旅が好きで、経営コンサルタントとして独立してからは、仕事の合間か、旅行の合間に仕事をしたのかわかりませんが、カメラをぶら下げて【カシャリ! ひとり旅】をしてきました。

 

 旅は、時間に追われる現実からの開放、明日への糧となります。

 

 写真は、自分の記録であるとともに、お節介焼き精神から、他の人に情報提供も兼ねてとり続けてきました。

 

 何を思って撮影したのだろうか? 自分も行ってみたい・・・

 

 他の人に、そう思っていただける写真を撮りたいと思って、ライフワークとして、続けられるだけ続けてまいりたいです。

 

 

名所旧跡  グロマコン 経営コンサルタントへの道

 

 

■■ 文翔館庭園(県政史緑地) 大正時代の県庁舎と廻遊式庭園1 外観と正庁 0105

  https://www.gakushubunka.jp/bunsyokan/

 「文翔館」(ぶんしょうかん)は、大正時代に建てられた、かつての山形県庁舎を活用した公共文化施設です。横に並ぶ2棟の洋風建築が「山形県旧県庁舎及び県会議事堂」として国指定重要文化財となっています。1916年(大正5年)に建造されたイギリス・ルネッサンス様式の重厚な石造り・レンガ造りの建築です。

 前庭「県政史緑地」には、回遊式の日本庭園や、県会議事堂前には洋風の庭園もあります。

 昭和後期に山形県庁が新たな建物に移転したのち、旧県庁舎の保存修復工事が10年ほどかけて実施されました。それにあわせて建物周辺も緑地公園としての整備を開始され、現在見られる和風庭園などが作庭されました。

 1995年(平成7年)に「山形県郷土館(文翔館)」としてオープンしました。

 庭園は、秋にはモミジや楓などの紅葉が楽しめ、春にはしだれ桜が咲き乱れます。また旧県庁舎の中庭もレンガに囲まれたヨーロッパのような雰囲気を感じられる空間になっています。

 山形の中心商店街・七日町通りのつきあたりにあるこの洋風建築は今なお山形市のランドマーク的存在で多くの市民にとっての憩いの空間となっています。その一方ドラマや映画のロケ地としても使われています。


 庭園は、ジョサイア・コンドルの弟子である田原新之助による設計で、設計顧問は米沢藩出身の中條精一郎がつとめました。中條精一郎は、出身地・米沢に元藩主の邸宅で国登録有形文化財となっている『上杉伯爵邸』を手掛けているほか、熱海の岩崎家別邸(現『熱海陽和洞』。非公開。)では七代目小川治兵衛(植治)と共に仕事をしています。

 

■ アクセス


 JR山形新幹線 山形駅より徒歩約25分強 

  ※春〜10月まで観光案内所にレンタサイクルあり
 山形駅より路線バス「市役所前」バス停下車すぐ

 

文翔館

 

大正時代に建てられた、かつての山形県庁舎を活用した公共文化施設

市役所前のバス停で下車すると、目の前にデンと構えています。

思わず「オーッ!」と声をあげる華麗さを持っています。

 

フェンスに囲まれ、大正建築様式らしい門構えです。

 

日本庭園側から望む

 

正面玄関を入ると

ふたたび「オーっ!」と

おそらく、何かのドラマでも見ていると思います。

上野の東京国立博物館の階段を思い出します。

 

 

 

階段上

 

 

正庁

行動に相当します。

訓示や辞令交付、重要会議などが行われます。

 

改修前はボード張りでしたが

調査から折り上げ天井になっていることが判り

改修しました。

 

床は、箱根細工のような幾何学模様

 

正庁から正面玄関上のバルコニーへ

 

バルコニーから時計塔を見上げる

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  リスト http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmovie.htm

 

 

  ■ カシャリ! ひとり旅


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■■【心de経営】 論語に学ぶ経営02 巧言令色には、鮮いなか仁 実践編 15

2023-01-20 13:15:38 | 【心 de 経営】 論語に学ぶ経営

■■【心de経営】 論語に学ぶ経営02 巧言令色には、鮮いなか仁 実践編 15

 【心de経営】は、「経営は心deするもの」という意味になります。それとともにフランス語の前置詞であります「de(英語のof)」を活かしますと、「経営の心」すなわち、経営管理として、あるいは経営コンサルタントとして、企業経営をどの様にすべきか、経営の真髄を、筆者の体験を通じて、毎月第二火曜日12時に発信いたします。

 

【筆者紹介】 特定非営利活動法人日本経営士協会理事長 藤原 久子 氏

 

 北海道札幌市出身、20年間の専業主婦を経て、会計事務所に約4年半勤務。その後平成元年7月に財務の記帳代行業務並びに経理事務員の人材派遣業の会社を設立し、代表取締役として現在に至る。従業員満足・顧客満足・地域貢献企業を目指し、企業の永続的発展を願う。  平成22年には横浜型地域貢献企業の最上位を受賞、続いてグッドバランスの受賞により、新聞、雑誌の掲載をはじめ、ラジオやWebTV(日本の社長100・神奈川県社長t v)に出演したりして、各種メディアで紹介されている。

 

 

 本メルマガで【心で経営】の新シリーズが始まり数か月が経過しました。混濁した世の中を生き抜く術・視点は何処にあるのかを私なりにお伝えする事ができればと願いつつ、企業経営の心髄に論語の精神が重なっている事に気付かされ、渋沢栄一に共鳴し、論語が私の愛読書の一つとなっています。

 中国、戦国時代の思想書「大学」におきましては、治国平天下(ちこくへいてんか:国を治め天下を平和に保つこと)の方が主体でありますが、私の論語への想いは、個人的規範が主体になっています。自らの修養の為に論語を学んでゆくのが最適であると考えたのです。

 何時の時代にあっても、また時代の変化の中でも、いわゆる不倒翁(「おきあがりこぼし」と同意)として行き抜いて、人間の持っていた自らの修養と経験に基づくものが、企業経営をしてゆく上で極めて重要であると確信しています。

 ここでご紹介する渋沢栄一の生涯は『論語』との出会いにあります。「明治維新を作った徳川時代的教養とはどういうものであったでしょうか。徳川時代は、一般的な民においても職字率が非常に高く、当時の世界的水準のトップではなかったかと言われております。『雨夜譚』をみますと、6歳のときに父の市郎右衛門から教育を受けていたとあります。その前の5歳のときから既に文章を読む事を教えられていて、学ぶという基礎を幼児に叩き込まれた渋沢栄一が一番親しんだのは、論語でした。7歳の頃に読み始め亡くなるまで読み続けていた渋沢栄一は、84才から2年余かけて膨大な『論語講義』を遺しました。この点ではまさに不易(ふえき:いつまでも変わらないこと)です。

 

■ 渋沢栄一の論語講義 : 学而第I-III3 ■ 

 

  巧言令色(こうげんれいしょく)には、鮮(すくな)いなか仁

 当メールマガジンにおいては、混濁した世の中を生き抜く術・視点は何処にあるのかを私なりにお伝えする事ができればと願っています。その下で、企業経営の心髄に論語の精神が重なっている事に気付かされ、渋沢栄一に共鳴し、論語が愛読書の一つとなっています。

 中国、戦国時代の思想書「大学」におきましては、治国平天下(治国平天下:国を治め天下を平和に保つ事)の方が主体でありますが、論語は個人的規範が主体になっています。そのことから自らの修養の為に論語を学んでゆくのが最適であると考えたのです。

 何時の時代にあっても、また時代の変化の中でも、いわゆる不倒翁(「起き上がりこぼし」)と同意として行き抜いて、人間の持っていた自らの修養と経験に基づくものが、企業経営をしてゆく上で極めて重要であると確信しています。

 ここでご紹介する渋沢栄一の生涯は『論語』との出会いにあります。「明治維新を作った徳川時代的教養とはどういうものであったか。徳川時代は一般的な民においても職字率が非常に高く、当時の世界的水準ではトップではなかったかと言われております。

 『雨夜譚』をみますと、6歳のときに父の市郎右衛門から教育を受けていたとあります。その前の5歳のときから既に文章を読む教養を教えられていて、学ぶという一番基礎を幼児に叩き込まれた渋沢栄一が一番親しんだのは、論語でした。7歳の頃に読み始め亡くなるまで読み続けていた渋沢栄一は、84才から2年余かけて膨大な『論語講義』を遺しました。この点ではまさに不易(ふえき:いつまでも変わらないこと)です。

 

■学而第I-III3  巧言令色(こうげんれいしょく)には、鮮(すくな)いなか仁

 子曰く、巧言令色(こうげんれいしょく)には、鮮(すくな)いなか仁

【口語訳】

 子曰く、猫撫で声でお世辞笑いする人間に、最高道徳の仁はもとめられない。

 

【解説に出てくるキーワード】

 「仁」は孔子の思想のキーワードになり、孟子の思想のキーワードは「義」になります。この二つを合わせたものが「仁義」であります。それでは「仁」とはどういう状態をいうのでしょう。解説者の山本七平さんによれば、孔子はそのことを具体的に言っていないとしながら、その人の行為が仁にどれだけ近いかということで、西郷隆盛の例を挙げています。

 西郷隆盛が渋沢栄一邸に乗り込んで、制度の見直しを迫ったエピソードを、自署の『青淵回顧録』で次のように述べています。

 「大蔵省では相馬藩「仁」の興国安民法を廃止しようという意見であるそうだが、この法は二宮尊徳以来の藩是で至極適切な制度であると思う。せっかくの良法が廃藩置県の実施によって廃絶せしめられるのは惜しいから、何とか存続できるようにしていただきたい」又、「今日の時勢は相馬一藩における興国安民法の存廃を顧慮するよりもさらに一歩を進めて国家の為に興国安民法を構ずるのが、いっそう急務であると信じます」

 あたかも政府を双肩に担われ國政料理の大任に当たっておられる貴方が、一小局部の相馬藩の為に遺法を存続されようと奔走せられるが、一国の公国安民法をお認めくださらないで一藩の為に心を労せられるのは、本末転倒の甚だしきものでその意を得ぬように考えられます」と無遠慮に申しあげた。

 「成る程、聞いてみると君の意見も尤ものように思うが、ただし儂(わし)は今日は君にものを頼みにきたので、議論を聞きに来たのではない。兎も角よく考えてできるならばなるべく都合よくしてくれるように頼む」と莞爾(かんじ)として笑われ、別に私の無礼を咎(とが)めずに帰られたが、その寛仁大度は実に敬服の至りであって・・・とありました。

 

                参考文献 論語と渋沢栄一 プレジデント社

 上述から、理路整然とした考えの下、寛容の精神で何事にもあたること、人々の間で愛情と尊敬を守るために、他人を愛し、時には憎む場合でも全てのひとに開かれた人となって、いつでも慈しみ深く、まずは、他人の意見を真摯に受け止めることと同時に自らを省みる重要性についても学んだ一項であります。

 経営士・コンサルタントにおいても基本となる人間性のうえに学術的に研鑚を重ね、社会人として必要とされる人間性を磨いてゆきたいと、年頭に当たり心新たに致した次第です。

 

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【話材】 昨日01/19のつぶやき お宅の消火器は期限切れになっていませんか?

2023-01-20 07:22:01 | ブログでつぶやき

 

  【話材】 昨日01/19のつぶやき お宅の消火器は期限切れになっていませんか?

 

経営コンサルタントとして感じたことを毎日複数のつぶやきをブログでお届けしています。

もし、お見落としがありましたり、昨日のブログで再度読みたいつぶやきがあるというときに便利なページです。

本日も、複数のブログで、つぶやき済です。

  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/64c918f51ea5ee1272e73ad843756e48

晴れ

■ 昨日は、下記のリストのようなことをつぶやきました。

konsarutanto   ◇ 昨日のつぶやき ◇ 

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