曼陀羅(まんだら)は多くの場合9つの仏陀の絵などからなっていて、その一つ一つが各々相関し合い、影響しあって森羅万象を構成していることを示しています。一つの絵柄はその上、下、両隣と影響し合い、そのひとつの絵柄から全部を観たり想像したりすることができ、その全部がまたそのひとつの絵柄の背景となっているということが示されています。
そのアジア的な相関関係の思想でものを観ると、陰陽であれば、ある物事とか事象の陰的な面から陽的な側面を感じたり、その逆を想像することができます。前回お話した、森羅万象を表す基本である、乾(けん 天の意味)、兌(だ 澤)、離(り 火)、震(しん 雷)、巽(そん 風)、坎(かん 水)、艮(ごん 山)、坤(こん 地)の八卦(はっかとよみます)でも同じです。
あるひとつの窓から、この八卦のうちのひとつが見えたとしますと、たまたま見えていないほかの7つの卦もその後ろや周りに連なって存在しているわけです。そしてこれら八卦が二乗されてできた易経の中の全部の卦である64卦も同じように連なっていて、ひとつの宇宙とか、ひとつのものごと、事象を構成しているとされているのです。
ちょっと矛盾するようですが、これらの卦のひとつを理解すれば、そのほかの63卦全部がわかるということが言えますし、逆にこの63卦を理解することによって、目の前のひとつの卦を本当に理解することができるともいえますね。ひとつの卦に全部が含まれていて、全部が一つ一つの連なりで構成されているということでもあります。
ここから、東洋哲学も東洋医学も、「観えるところから、観えないところを知る学問」として、発展してきたといえるでしょう。
この概念を時空を超えたところまで拡げてゆくと、易経を「占い」といて使うことができるということになります。
もちろん易経は古代に「占い」のために生まれた学問です。それが「孔子」の時代くらいから、占いだけに使うよりも、森羅万象を理解体現する哲学として発展してゆきました。そして易経の内容に孔子の弟子たちや多くの賢人たちによる解釈と使い方の加筆が行われ、東洋一の哲学書として完成されました。近代ではシンクロニシティ(共時律)のユングなども易経の考え方を大いに参考にして、持論を展開された学者です。
東洋医学ではこの易経の根本思想である陰陽、五行、八卦の考え方から、脈診、望診(患者の顔などを観て診断する方法)、腹診などが編み出されて、今日に至っています。
ちなみに卦は「か」とよみます。「当たるも八卦、当たらぬも八卦」は「はっけ」と通常いわれていることと、相撲で「はっけよいのこった!!」が
八卦からきたとか、気合を入れて!の意味で、「発気(はっき)よい残った(土俵に)」といわれてきたのが訛って「はっけ」となったといわれています。だから、裏通りで易占(易経を使った占い)をする人を「八卦見(はっけみ)」と呼んだりしたのです。
三省堂の新明解漢和辞典第4版の、366頁では卦をカ(クヮ)と読ませています。さすが三省堂さんです!!
ああよかった!以前、私が易経哲学とか東洋哲学のお話をする時に、たまたまこの発音の件の前置きを忘れてお話を進めてしまうと、この卦の発音のところで「プッ、、、(け)でしょ、、、」という素人さんの声がこそっと聞こえてきて悔しい思いをしていたのです。普段から読書をされている方ほど「プッ、、、」とされるので困りました。
このほかにも「鼻腔」、「頭蓋骨」などのよみかたも、業界の読み方と小説の中でふられている読みかながちがうために、おなじようなことがおこるのです。「御用達」「重複」なんかもそうですね。いつかこれらの単語についてもお話したいと思います。
お話のポイントがかなりずれてしまったので、本日はここまでにしておきましょう。
日本伝統鍼灸漢方
そのアジア的な相関関係の思想でものを観ると、陰陽であれば、ある物事とか事象の陰的な面から陽的な側面を感じたり、その逆を想像することができます。前回お話した、森羅万象を表す基本である、乾(けん 天の意味)、兌(だ 澤)、離(り 火)、震(しん 雷)、巽(そん 風)、坎(かん 水)、艮(ごん 山)、坤(こん 地)の八卦(はっかとよみます)でも同じです。
あるひとつの窓から、この八卦のうちのひとつが見えたとしますと、たまたま見えていないほかの7つの卦もその後ろや周りに連なって存在しているわけです。そしてこれら八卦が二乗されてできた易経の中の全部の卦である64卦も同じように連なっていて、ひとつの宇宙とか、ひとつのものごと、事象を構成しているとされているのです。
ちょっと矛盾するようですが、これらの卦のひとつを理解すれば、そのほかの63卦全部がわかるということが言えますし、逆にこの63卦を理解することによって、目の前のひとつの卦を本当に理解することができるともいえますね。ひとつの卦に全部が含まれていて、全部が一つ一つの連なりで構成されているということでもあります。
ここから、東洋哲学も東洋医学も、「観えるところから、観えないところを知る学問」として、発展してきたといえるでしょう。
この概念を時空を超えたところまで拡げてゆくと、易経を「占い」といて使うことができるということになります。
もちろん易経は古代に「占い」のために生まれた学問です。それが「孔子」の時代くらいから、占いだけに使うよりも、森羅万象を理解体現する哲学として発展してゆきました。そして易経の内容に孔子の弟子たちや多くの賢人たちによる解釈と使い方の加筆が行われ、東洋一の哲学書として完成されました。近代ではシンクロニシティ(共時律)のユングなども易経の考え方を大いに参考にして、持論を展開された学者です。
東洋医学ではこの易経の根本思想である陰陽、五行、八卦の考え方から、脈診、望診(患者の顔などを観て診断する方法)、腹診などが編み出されて、今日に至っています。
ちなみに卦は「か」とよみます。「当たるも八卦、当たらぬも八卦」は「はっけ」と通常いわれていることと、相撲で「はっけよいのこった!!」が
八卦からきたとか、気合を入れて!の意味で、「発気(はっき)よい残った(土俵に)」といわれてきたのが訛って「はっけ」となったといわれています。だから、裏通りで易占(易経を使った占い)をする人を「八卦見(はっけみ)」と呼んだりしたのです。
三省堂の新明解漢和辞典第4版の、366頁では卦をカ(クヮ)と読ませています。さすが三省堂さんです!!
ああよかった!以前、私が易経哲学とか東洋哲学のお話をする時に、たまたまこの発音の件の前置きを忘れてお話を進めてしまうと、この卦の発音のところで「プッ、、、(け)でしょ、、、」という素人さんの声がこそっと聞こえてきて悔しい思いをしていたのです。普段から読書をされている方ほど「プッ、、、」とされるので困りました。
このほかにも「鼻腔」、「頭蓋骨」などのよみかたも、業界の読み方と小説の中でふられている読みかながちがうために、おなじようなことがおこるのです。「御用達」「重複」なんかもそうですね。いつかこれらの単語についてもお話したいと思います。
お話のポイントがかなりずれてしまったので、本日はここまでにしておきましょう。
日本伝統鍼灸漢方