先日22日はFremontのタイ寺院にいってきました。
私はいつもSan Brunoのタイ寺院にいっているのですが、この日は少し遠出してみたのです。サンクスギビングの日なので、さぞ混んでいるかと思いきや、参拝者は非常に少なくて、アットホームな雰囲気で住職や皆様と楽しい時間を過ごしました。
ここの住職もサンブルーノの住職と同じく、頼めば手相と誕生日から割り出す、タイ式の四柱推命のようなことをしてくれます。私は観てもらう気は無かったのですが、周りにいた何人かの参拝者が、「この日本の先生のもみてあげれば?」といってくれました。しかしご住職は「この御仁はご自分がわかっていらっしゃるようなので、観なくともよいでしょう」とおっしゃいました。(そんなことはないんですけどね、、、、)
まあ、ていよくお断りされてしまったといってしまえばそれまでなのですが、私も最近「易経哲学」を研究していて思うところがあったばかりなので、「ご住職、なかなかやるな!」という感じがして、ご住職たちとの歓談に花が咲きました。
母屋のほうで、昼ごはんまでご馳走になってしまいました。
帰るときにご住職がカラフルなひもについている仏陀のペンダントをお経を唱えてから私の首に掛けてくれました。あとでみると仏陀の顔の面が私の胸に向かっています。普通のペンダントは表の面を当然外に向けて掛けてますよね。
これわざとなのか、単にご住職の間違いなのか、はたまたタイ式のどっちでもいいんじゃない?かまわないのマイペンライ精神からくるのか不明です。
今度、ちゃんと聞いておきましょう。
私はいつもSan Brunoのタイ寺院にいっているのですが、この日は少し遠出してみたのです。サンクスギビングの日なので、さぞ混んでいるかと思いきや、参拝者は非常に少なくて、アットホームな雰囲気で住職や皆様と楽しい時間を過ごしました。
ここの住職もサンブルーノの住職と同じく、頼めば手相と誕生日から割り出す、タイ式の四柱推命のようなことをしてくれます。私は観てもらう気は無かったのですが、周りにいた何人かの参拝者が、「この日本の先生のもみてあげれば?」といってくれました。しかしご住職は「この御仁はご自分がわかっていらっしゃるようなので、観なくともよいでしょう」とおっしゃいました。(そんなことはないんですけどね、、、、)
まあ、ていよくお断りされてしまったといってしまえばそれまでなのですが、私も最近「易経哲学」を研究していて思うところがあったばかりなので、「ご住職、なかなかやるな!」という感じがして、ご住職たちとの歓談に花が咲きました。
母屋のほうで、昼ごはんまでご馳走になってしまいました。
帰るときにご住職がカラフルなひもについている仏陀のペンダントをお経を唱えてから私の首に掛けてくれました。あとでみると仏陀の顔の面が私の胸に向かっています。普通のペンダントは表の面を当然外に向けて掛けてますよね。
これわざとなのか、単にご住職の間違いなのか、はたまたタイ式のどっちでもいいんじゃない?かまわないのマイペンライ精神からくるのか不明です。
今度、ちゃんと聞いておきましょう。