毎週カエルのために活きたコオロギを買って来て、カエルに食わせるのはやはりどうも後ろめたいというか寝覚めが悪い。。。。
娘たちにしっかりといって聞かせて、カエルとあまってまだ生きているコオロギを持って、近くのレイクメーシッドという湖に行って、カエルとコオロギに謝りながら解き放ってきました。
そのご、娘たちともう一度ペットショップに行って、これまでにえさとして殺してしまったであろうコオロギの数を上回る40匹以上を買い求めました。
そして、これをまた同じ湖に行ってそこの公園に解き放って来たのです。
はい、多分に自己満足的なことなのですが、まあ、、悪いカルマ消滅ということでは一件落着ということでしょうか。。。。。
ミャンマーやタイ国では、寺院の入り口や池のほとりで鳥や魚を売っています。
参拝者はこれを買い求めて大空や池に逃がしてやります。これが一種の功徳につながるようで、特に祭日などはこの「逃がし」を行う人たちを多く見かけて物です。
この「逃がし」はタイではこのようなやり方があります。
1.プロイプラー 魚を池に放って自由にしてやる。
2.プロイノック 小鳥を池に放って自由にしてやる。
3.プロイゴー 牛を自由にしてやる。牛は口語ではウーアといいますが、仏教用語ではゴーというそうです。これは、王様の鑑札のついた牛を農作業用の牛を買えない農民に寄付することで、農民は生活が成り立ち、この牛も生涯大切に使い、殺したり転売したりしないで一生を全うさせてやるというわけです。
私も先月バンコクでロイヤルファミリーと現内閣の患者さんたちとこのプロイゴーの儀式に混ぜてもらってきました。

今回はおなかに子供がいる牝牛を2頭の寄付が行われました。

ロイヤルファミリーの一つ、タナキッパワンバン家の皆さんと閣僚
儀式の後「いやーわしもいっそ家族にプロイサーミー、、お父さん解き放ち(もちろん私の造語です。。)をしてもらって自由になりたいものですなーー」というと、「実はわしもなのだ。。。」という返事が返ってきました。一般庶民の私も、王族も閣僚もお父さんたちの考えることは同じというお話でした。
でも、魚や鳥は自由を得られることになるが、牛の場合は一種の農奴だな。。。。殺されて食われないだけましなのか。