けい先生のつぼにくる話

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12月22日は冬至です!一陽来復です。

2006-12-19 07:48:13 | 易経、東洋哲学
ずいぶん前、まだ日本の鍼灸学校の学生だったころです。
西洋医学の生理学の授業中に、先生が急に「今日は冬至だから易を立てます。生理学の授業はなし!」とおっしゃいました。
生徒一同は生理学の授業がないというだけでうれしさにどよめきました。先生も「今年は西洋的な授業を担当しているけど、私も鍼灸師の端くれだからね、、、」とおっしゃいます。西洋医学も教えられて、易も立てられるなんてシブイねー!と惚れ惚れとしたものです。

冬至というのは天と地が一番近くなり、一年中で一番日照時間が短い日。「冬に至る」と書くけれども陰の気が旺盛になるのがとまり、やっとここに陽の気が盛んになり始めるターニングポイントです。また明るさが増し始めるとき、「一陽来復」のときということで、易経(えききょう)を学ぶ人たちは年筮(ねんぜい、この一年間の運気と注意点を体感する易)を立てて、来る新年のための心構えを新たにします。

この先生はその日、クラス全員の年筮をだしてくれました。ある女性の同級生は「君は特に今の彼氏は最悪だ、乱暴で甘えん坊でくさっとる!来年はそんな男は捨てて強い女になりなさい。」といわれて驚いて泣いてしまいました。
その最低の彼氏は実は私の隣の席にいて、で、その場では小さく小さくなっていたことを思い出します。

鍼灸師は占いで患者さんが治るかどうかを見ているのでしょうか??否!否!です。そんな薄っぺらいことはいたしません。

易経とか易学と呼ばれる学問は東洋哲学を学ぶための必須の学問で、世の中のすべてのものの動きや情勢、成り行きを客観的に且つ暖かい愛情で「観る」(「見る」よりも深く広い意味)学問です。西洋の科学のように分析分析、ミクロミクロの世界に行くのではなく、体や物事の全体を観て、それに無理がないか、自然の流れに沿っているか、そうでなければどうすればいい感じのバランスになるかという観方を養う学問です。
易経はどうしても、おみくじとか神秘主義的な占いの範疇と同等に見られてしまうことがあって、非科学的で、新興宗教的で怪しいものと見られていることも事実です。もちろん易経は占いとしても使えるし、またいろいろな占いを混合した自称易者が詐欺まがいの商売をしている場合もあるので困ります。
ちなみにどんな種類の占いでも、観たあとにものを売りつけてくるのは間違いなく本物ではありません。霊感商法です。

日本では伝統的な鍼灸医学や漢方医学を目指す人々の多くは東洋哲学を学びます。老子、荘子などもそうですが、特に易経を学ぶことによって東洋的な人体の観かたも学びます。学校の解剖学の時間では鍼灸学校といえども「ご遺体」の解剖の授業を受けるのですが、死んだ方の解剖だけでなく、天地の間で息をしている「活きている人間」の観方を学ぶのです。
もちろん易経は医学だけのものではなく、政治、ビジネス、心理学等の分野でも隠れた大ファンがいるのです。

吉田茂以来、田中角栄を除いて中曽根康弘まで日本の歴代首相のご意見番であった陽明学者安岡正篤(やすおかまさひろ)師も、もちろん易学の大家で、戦後の日本人がこれ以上自分の文化に誇りをもてないようにならないように努力した方です。彼は易経を占いとしてではなく、人生哲学として、混沌とした政治の舵取りのための基本を明確にするためにつかいました。

また、一部の鍼灸師はこういった東洋的なものには興味がない方もいて、患部にいきなり太い鍼を2本以上刺して、そこに電気をかけて、西洋医学的な治療を好む方もいます。アメリカの鍼灸師にはこのような直接神経治療型の先生が多いようです。これが多くの皆様に「鍼は怖い、痛い」という気持ちを抱かせているようです。

易経については、これからも時々投稿して、お話を進めてゆきたいとおもいます。
退屈なときもあるでしょうが、おつきあいください。
いずれにしても今年は12月22日が冬至となります。この一年を反省して、来年はご自分の人生の主人公になれるよう、私自身も含めてがんばりましょう!!

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