ごっとさんのブログ

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私から見たパチンコの歴史

2019-02-21 10:24:30 | ギャンブル
先日海物語について書きましたが、あまり面白さは出せなかったような気がします。

私は学生のころからですのでほぼ50年、頻度は様々ですがずっとパチンコやスロットをやってきました。いろいろ懐かしいことがありますので、ここでは歴史的なことを書きますが、あくまで私から見たものですので、それほど正確ではありません。

最初は大学2年ぐらいに非常にうまくパチプロ級の腕の同級生がおり、誘ってくれたのがきっかけでした。これが昭和40年代ですが、この頃のパチンコは立って指で玉を入れ、自分でレバーをはじくという技術がないとダメであり、立ってプレーしていますのでそれほど長くできないものでした。

この頃玉がいくらだったのか記憶がないのですが、カウンターに行ってお金を払うと小さな箱に球を出してくれるというのどかなものでした。

台も釘と穴しかないようなもので、私が始める少し前にチューリップという機能が付き、1個入るとこれが開き2個目が簡単に入ると閉じるというだけのものでしたが、その同級生に言わせるとかなり大きな画期的なものだったようです。

学生時代はこのタイプが続いていましたが、その後台に皿が付きそこに球を入れておくと自動で玉がばねのところまで流れるという時代が少しありました。このタイミングに合わせてレバーを自分ではじくわけですが、これがパチンコの自動化の第1歩といえます。

これが始まって割と早く、自動で玉をはじく電動パチンコが出てきました。これはレバーで打ちだしの強さを調節すれば、一定の力で玉を打ち出すようになりました。ほぼこれと同時期に台の前にイスが設置され、座って打つようになりました。

この電動で座って打つというスタイルになり、技術的要素が無くなり高齢者などでも簡単に楽しめ、長時間のプレーが可能となったのです。これが昭和50年代の話です。

この誰が打っても同じペースで玉が出るという変化に従って、新しい機種が出てきました。それが羽根ものとか飛行機台と呼ばれるもので、穴に球が入ると上の方にある羽根が一瞬開くというものです。

これは電動で1分間に100発という手では打てないような速さで玉が出ているので、羽根が開いたときに入る可能性があるというものです。この羽根から入った球が決められた穴に入ると大当たりで、この羽根が連続して開いたり閉じたりし、一挙にかなり大量の球が出てくるという機種です。

それまではチューリップしかありませんので、一辺に玉がたくさん出るということはなかったのですが、この機種により初めて大量出玉ということが達成されたのです。これで小さなパチンコブームが来たのかもしれませんが、長くなりましたので次に続きます。

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