kimitsuku独り言

日々の暮らしから感じたあれこれを
ひとりブツブツ独り言

💓我がワイクルー💓

2023年09月05日 | 日記

            

昨日の投稿ワイクルー』で甦った、我が恩師の思い出です。

タイで『ワイクルー』とは、師(クルー)に合掌する(ワイ)、師に礼を示すという意味で

毎年6月16日を「教師の日」と定めて、学生が教師に感謝や尊敬を示す儀式などを行うとか‥

今も昔も、日本には存在しない祭日ですよね。

Keiから『ワイクルー』の話を聞いて、はて自分にとってクルーと呼べる師は‥と考えてみました。

記憶力の低下が案じられる昨今ですが‥思い出しましたぁ~ひとりだけ

S町中学3年の担任だったITO  JIRO先生です。

多感な15歳の少女Kimitsukuに、今後の生き方の指針を示してくれた先生でした。

断片的に記憶しているのは

① これからの女性は、精神的にも経済的にも自立することが大事

② 女性の社会的評価が低いのは、能力が無いのではなくチャンスが少なかったから

③ 実用婦人雑誌ではなく「婦人公論」を読みなさい‥‥など。

他に思い出すことは、夏休みに級友たちとアポイ岳登山に行った時

田舎の凸凹道で突然オンボロバスがジャンプして

ちょうど中腰で立っていたKimitsukuは、先生の膝の上に尻餅をついてしまい‥

あの時のドキドキした感触は今も、まざまざと‥。

また中3の修学旅行で仙台へ行った際には、どういう訳か先生が喫茶店へ誘ってくれて

まだ当時S町では見たことが無かった、ソフトクリームをご馳走になったこと。

どのようにして食べるのか分からず、周囲をキョロキョロ見回しながら

緊張して食べたことを懐かしく思い出します。

中学校を卒業する時、先生に大判のハンカチをプレゼントしたら

「どうして‥」と聞かれ、「先生のお弁当ハンカチが色褪せてきたから」と答えると

「よく見ているんだなぁ~」と顔を赤くされたことも、はっきり思い出します。

思うに‥ITO  JIRO先生は我がクルーであり、初恋の君だったのでしょうね‥

その後、先生は同僚教師と結婚され、S町を離れ、お子さんが生まれ‥

何年か過ぎてから、結核が再発して亡くなられたと聞きました。

長い間ず~っと意識下に埋もれていた、遠い日のあれこれが

甘く甦った『我がワイクルー』の思い出でした。

 

コメント
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