・・『認知症』我が両親の場合・・
父は17年前に96歳で、母は8年前に101歳で他界しました。
二人とも晩年まで健康に過ごしていましたが
最期の2年ほどは認知症状を呈するようになりました。
父は住み慣れた自宅で母が面倒を見ていましたが
次第に≪物忘れ≫と≪嫉妬妄想≫が見られるようになって‥
父の友人が遊びに来られた際に
母がお茶を出したり話し相手をすると
「知らない男と浮気をしている」と母を責めた話を
よく聞かされました。
「それはネ、父さんが母さんを愛しているからだよ」と
母を慰め、父さんは寂しいのだから優しくしてあげて‥と頼んだものです。
また母は101歳10ヵ月の長命でしたが
100歳を迎えた頃から ≪物忘れ≫が激しくなり
長女であるKimitsukuの事も、分からなくなりました。
ある時、久し振りに会ったKimitsukuの顔を見て不審そうにするので
名前を言うと「まさかぁ~」びっくり驚いていました。
そしてウチの娘は20歳くらいで、未だ嫁に行っておらず
何処かに勤めている。優しくて良い娘だと‥。
私を見て「どちら様でしたか‥」と聞くので
「昔、大変お世話になった者です」と答えると
笑顔で喜んでいたことが忘れられません。
昔の記憶が朧げになり不安症状が出た時には
楽しかった頃の思い出や、頑張っていた時代を回想すると
自信を取り戻したり過ぎし日が甦ったりして
気持ちが穏やかに落ち着くようでした。
・・貴方も私も 認知症予備軍・・
・・みんなで呆ければ 怖くない・・
・・頑張りましょう・・
親子のお別れは幾つになっても寂しいものですが、ご両親様も長寿で全うされたことには安堵のようなお気持ちを抱いた事ではないでしょうか?
周囲の環境や接するお身内の皆様が宜しかった事も大いなる良き影響だったのでしょうと思います。
それに何もかも心得ておいでなるkimitsukuさんの存在も大きかったのではないでしょうか?
年齢は人様々かもしれませんが認知症になるのは召される何年か前は致し方ないのかも、しれませんね。又そのほうが亡くなるご本人様にとっても、その方がよろしいように思われますが・・・・
私の場合は父が62歳母が68歳で亡くなりました。
二人とも病気でした。昭和二桁の初め頃の時代で父は三男坊でしたのでほんとに何もない手作りのよう
な家からの出発だったことはよく話しておりましたが土地はしっかりあったようですが、開墾から始まり、当時の事ですので全て手作業での物作りであったのでいろいろとご苦労だった事でしょう。
それが晩年にどのように影響したのかと思われますが、今の自分を思えばほんとに早い旅立ちでした。
今でも両親に親孝行の真似事でもいいから一つも出来なかった事や「ありがとう」「さようなら」の言葉もなかった事に心密かに後悔しております。
「受けたご恩は子に返す」などという言葉がありますが・・・・これは如何様に思われますでしょうか?
思わぬところで長いダラダラコメントになってしまい失礼いたしました。。。。でもいい意味で追憶ができて爽やか気分でおります
認知症も悪くないかと
以前に死期の近い叔父を見舞に行ったときに
治療が辛くて、あちこちに痛みもあったかと
そんな時「いっそのことぼけちゃいたいよ」って
叔父の言った言葉が忘れられません
歳を重ねて、別れの時嫌な事は忘れて何もかも真っ新な気持ちも悪くないかと…
年齢だったり、状況によるかとは思いますが
もちろん人に迷惑をかけたりは困りますが
認知症は、そんなに悲観しなくても良いかと…
楽観的に思ってますが、こればかりは
はてさて…ですね
まだ若い60代で亡くなられたご両親、残念なことでしたね。
開墾など厳しい労働で無理をして、健康を害されたのでしょうね。
親が若くして亡くなると、子供は受けた恩を返せぬ侭になりがちですが
「受けた恩を子に返す」ことで、次代へ循環してゆくのでしょう。大事なことと思います。
我が家の場合は、両親とも長命でしたので悔いなく看取ることが出来たと思います。
老人介護の経験があったこともプラスでした。「備えあれば憂いなし」は、こんな場合にも有効でしたね。
いずれ我が身の老後問題≒介護・認知症の問題。
「備えあれば‥」を心掛けたいと思っています。
太宰治の小説に「年老いて呆けることは神仏のさん コメント有難う。
いつか読んだ太宰治の小説に「年老いて呆けることは神仏からの贈り物」
老いて心身が衰え親しい人もに先立たれ、孤独と不安の中で命永らえるのは辛い。いっそ何も分からなくなった方が幸福と言うものだ。
「呆ける≒認知症」は、長く生きた褒美に神仏がくれた贈り物‥と言うことだったかと
叔父さんの言葉のように、身体と知能が同時に衰えていけば良いのですが‥人間なかなか思うようにいかないものです。
「認知症」が困るのは、介護者の知識・技術が未熟だからとも考えられます。
「物忘れ」や「記憶障害」があっても問題なし。周囲の人が注意して見守り、言葉掛け、注意喚起、適時誘導などすれば、
認知症の人は可愛いいものです。自分の性格や物の見方などを気付かせてくれて興味深いかも‥
まぁ先の心配は程々にして今日を十分に生きましょう