八兵衛のセカンドライフ

46歳で脳幹(橋)出血、現在72歳の車イス男性。ブログはFact is factで(事実だものしょーがねぇべ)

捨てる神あれば拾う神あり

2015年01月06日 19時31分14秒 | サラリーマン時代
先日のブログで会社復帰のことを書いていて、復帰を了承して頂いた時(46歳)の感激をあらたにした。

実は、あの時は社長が拙宅まで来られて、直接了承して頂いたのだった。
しかも、『奥さんも大変だったね。八兵衛くんが望めば在宅勤務でも了承するつもりだった。』
とまで言ってくれて、心からお銀をねぎらってくれたのだった。
お銀の父も『本当に良かったなぁ~』と安堵して、その1週間後にぽっくり亡くなってしまった。
幸運にも名取にグループ会社のビルがあったので、
そこに車イストイレ、スモールオフィス、車イス用玄関スロープなどを、急遽3ヶ月で作ってくれて、
女房が運転する自家用車で通勤することになった。
名取Sオフィスで5年、仙台卸町ビルで3年特命の仕事をして、復帰から8年後(54歳)に退職した。

東北大学病院は捨てる神だったけど、会社はまさに拾う神だった。
復帰を了承して貰った社長と人事部長には、どの山よりも高くどの海よりも深い御恩を戴いた。
深く、深く感謝申し上げます。

 ps1:間借した名取にあるグループ会社のビルは、かつて私が東北勤務時代に新築したものだったので、
    『八兵衛くんはつくづく幸運・強運の持ち主だなあ』と、社長はめぐりあわせに驚いていた。
    社長が分社プロジェクトのリーダーだったし、かつての上司が人事部長を兼任してたことも幸いだった。

 ps2:倒れて半年後の状況
     ①4肢体不完全マヒで自立歩行は不可、自走式車イスは可 
       マヒ側に屈強な支えがあれば、4,50mは1本杖で曲芸歩行らしきことができた。
     ②構音障害により電話を介した会話は不可。向い合せでの会話は聴き慣れていないと聴きとり難い。
     ③失調があり自筆は不可。ただ、マヒの弱い左手でのKB打鍵は一応できる。
     ④知能知識&情緒系の障害は全くなかった。
     ⑤よだれ・おむつ失禁・絶叫など職場で支障ある障害は一切なし。

 ps3:身体障害の程度などは会社側保健婦が事前に来院して、私をじかに面接して確認を行った。
    『パソコン等による知的デスクワークに限り就労可能』との宮城病院診断書を、作成した復帰願いに添えた。
    A4判1枚の十数行の復帰願いだったけど、文章の作成推敲に半日かかり、フラフラになったことを覚えている。

 ps4:冒頭の自筆ピカソ文字は倒れて9年目のもので、右側のは右手、左側のは左手で書いたもの。
    失調の度合いは右側がひどく、左に利き手交換したけれど、左でもとても実用には堪え切れない。
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