八兵衛のセカンドライフ

46歳で脳幹(橋)出血、現在72歳の車イス男性。ブログはFact is factで(事実だものしょーがねぇべ)

10月30日(きゅうりと魔女のライブ)

2015年10月30日 07時12分51秒 | 介護サービス
食べ残しこそしなかったけど、昨日は危なかった。
和え物にきゅうりが入っていたけど、一見して何か分からずに一口食べたその食感でもしやと思った。
外見ではそれと分からない細く短い千切りだったし、大嫌いな理由の青臭さが全然なかったし、
第一、一口でももう食べてしまったあとだしね。(何のことなかった)
う~む、なかなかやるのぅ。
きゅうりを輪切りの薄切りにしていたら、ゼッタイ食べる前から手をつけずに残しただろうね、
形や大きさにこだわる私のことだから。
冒頭にかえって何が危なかったのか、なんだか私にも訳が分からなくなってきたぞっ

ハロウィンも近いので、3時のおやつの後で女性介護員が魔女に扮したカラオケワンマンショーがあった。
オープニングは山本リンダの『どうにもとまらない
即席ミラーボールやマラカスやタンバリンなどの鳴り物入りで、超々盛り上がった。
天城越えは次回まわしだったので、テレサテンの愛人をリクエストした。
得意の歌だったらしく、テレサテンより上手かったなあ。
エンディングはジュディオングの『魅せられて』、いや、お見事お見事、非常に楽しいライブだった。

 ps:私達を楽しませながら、介護員さん達もそれ以上に楽しんでいるから底抜けに明るいんだろうなあ
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10月28日(筋肉のこわばりも緩んできた)

2015年10月29日 06時27分35秒 | 介護サービス
マヒが薄れて行く感覚は今朝も凄かったので、足用バランスボールのご利益は絶大だ。
もちろん昨日もじか足で一日中踏んでいたし、食べ残しもしなかった。
ケアマネさん曰く、
ここの施設は機能訓練と食事にチカラを入れているので、私に合うと思い勧めたとのこと。
こんなことなら、もっと早くケアマネさんの言うことを聞いておけば良かったなあ~
でも、それだけお試しショートでの体験がブレーキになっていたということだと思うな。

ところで、だんだんよく鳴る法華のタイコ。
単に早朝の回復感覚だけではなく、マヒ半身全体の筋肉の緊張・こわばりが次第に緩んできてるのが何より嬉しい。
平行棒内の歩行訓練、自宅での手すり伝い歩きの感じが変わってきているし、
太腿・二の腕・脇の下・脇腹の自己マッサージでも、筋肉のこわばりが沖縄旅行の頃より断然緩んできたもの。

さあ、今日も張りきってデイに行ってくるべー
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10月28日(今朝も迂回路開通の感覚は凄かった)

2015年10月28日 07時05分23秒 | 介護サービス
昨日もじか足でバランスボールを午前中一杯踏んだ所為か、今朝は昨日の朝より凄かった。
3時過ぎから起床する1時間強の間に、10数回は迂回路の開通に伴う血流感覚の突然の活性化があったもの。
迂回路が開通した瞬間は、マヒ手足や体幹など身体の今まで感じていなかった血管が、
突然もわ~っと血流感覚が広がって数10秒くらいはその血流感覚が鋭敏になるんだよね。
慣れというか逃げ水というか、しばらくするとその血流感覚も消えてしまったようになるけどね。
多分、こんなことを何万回何十万回も繰り返して、本当にマヒが薄れて行くんだろうけど、
これが数分間隔で起きたから、ワクワクしながらも太腿、二の腕、肋骨などを必死に刺激したよ。
日中も起きているはずだけれど、日中はほかのことに気をとられているから気がつき難いんだよね。
イボイボでマヒ足の裏を刺激しながら、マヒ足首を動かし続けるのが良いみたいだ。
よおし、こうなったら、今日は一日中バランスボールを踏み続けるぞ!!

 ps:昨日も食べ残しはなかったけど、午後は早退した。

 注:マヒ足に装具をつけている人は、ケガする原因になるのでマネしないでください。
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10月27日(マヒ濃度が薄れて行く感じ)

2015年10月27日 06時50分05秒 | 介護サービス
随分久しぶりかな、今朝布団の中でマヒ濃度が薄れて行く感覚があった。
手足だけでなく、尻、肩、脇腹、唇のまわりからも、あたかもマヒが抜けて行く感じだった。
起床して手すりを伝い歩いたらマヒ足が軽く、昨日とは歩く足取りがハッキリ違っていた。
しばらくすると慣れて元の歩きになるだろうけど、このところデイケアの刺激を受けているからかな?
それとも昨日は靴を脱いで、直足でバランスボールを一日中踏んでいたからかな?
こりゃ、ますます楽しみになったぞ。
さあ、今日も張りきって行くべーかな。

 ps:昨日も食べ残しはなかった。
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10月26日(何故、食べ残しが少ないのか)

2015年10月26日 06時27分12秒 | 介護サービス
昨日のブログのリンク先をあらためて読んで、よくぞカラオケを歌えるまでになったものだと思った。
まだ聞くに耐えきれない所も多いのだけれど、調子っぱずれでヘタっぴなのは倒れる前からだしね。

また昼食は、ごはん、味噌汁、メインおかず、小鉢2つ、の構成だけど、
食わず嫌いが多い私が10日もたつのに、
何故食べ残しが小鉢2品(なます、切干大根の煮付け)だけしかなかったのか?
病院食は病人向けの栄養バランスの良い食事が第一義だけど、
介護施設の利用者は高齢者や身障者が多いけど、決して病人という訳ではない。
ここではみんな食べることを大きな楽しみにしているので、栄養バランスもさることながら、
みんなの期待に応えて、美味しくかつ嚥下し易い食事やおやつを第一義としている。
だから、私の食べ残しもチョー少ないのだろう。
ほとんど、娘からの受け売りだけどね。

さて、バランスボールを踏みながら見れる東北の道路地図をカーくんに買って貰ったことだし、
今日も張り切ってデイケアに行ってくるべー
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脳卒中の回復(3/3)

2015年10月25日 20時00分21秒 | 介護サービス
倒れて6ヶ月以降は維持期と呼ばれていて、回復は停滞ないしは後遺症が固定化すると言われている。
医者やセラピストにとってはそうかも知れないが、倒れた本人にとっては一生涯続く後遺症。
どんなにリハビリを頑張っても、後遺症は固定化してしまうものなのだろうか?

自己流だけど私が17年間リハビリに取り組んできた経験から言うと、
その後もリハビリを継続的に行ってゆけば、回復期とは比較にならない僅かな回復だけど連続して続いて行く。
しかし、それは認定された身体障害等級内での回復であり、身体障害等級を超えるような大きな回復は無理。
あくまでも私の経験だから脳幹(橋)出血に限ってのもので、後遺症はある程度重いけどそれなりの運動ができて、
倒れた時が若いのでその後長い年月の運動やリハビリができる場合、と考えている。

ある程度重い身体障害とは、脳幹(橋)出血の場合だから体幹の1級障害をさしている。
回復期以降の維持期では、たとえどんなに狂的激しくきついリハビリを数年間毎日したとしても、
その回復は非常に微々たるものなので、負った後遺症がある程度重くないと回復による変化を知ることはかなり難しい。
年単位で外見や身体のこなしに違いが出てくればそれはむしろ良い部類で、
重い後遺症でもめげずに長くリハビリを頑張っている人に、神様がくれた小さな贈り物なのかもしれない。

 ps:最近のスピードアップしたような回復については、よく分からないのでこのブログでは省略した。
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10月25日(マイホトケ様の思し召しか)

2015年10月25日 11時45分20秒 | 介護サービス
昨日も食べ残しをしなかったし、楽しい一日だった。
肩甲骨まわりの筋トレをやってみたけど、腕立て伏せより断然楽だったので乗り換えることにした。
朝夕の童謡にしても発声の良いリハビリだし、ここでの全てのことが私にとって新鮮なADLリハビリになっている。
さすがはプロ、高齢者や身体障害者の身体の不自由さをよく考えたスケジュール&メニューだと感心する。
たった10日しかたっていないからハロー効果だろうけど、マヒ半身が何かこう軽くなっていると感じる。
また、今までマーボ茄子や茄子の田楽は食べたことがなかった。
それがここでは普通に食べられたから、ここのデイケアはマイホトケ様の思し召しなのかも。
ホント、これならもっと早く受けとけば良かったなあ
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脳卒中の回復(2/3)

2015年10月24日 20時24分21秒 | 介護サービス
17年前に東北大病院に転院する時、関東逓信病院から伊豆逓信病院に転院する話もあった。
函南にある会社の付属病院で回復期リハビリを継続しながら、同時に温泉療法も行える有力な案だったが、
私もお銀も仙台に早期に転院する案を強く希望したので、この案はボツになった。

私もお銀も早期の仙台への転院を希望したのは、
 ・闘病が長期にわたることが必至だったので、
   まず家族のいる仙台に帰り、それからその後の経済問題とか諸々のことを考えたかった。
 ・顕著な回復は3ヶ月以内のリハビリとの時間制約は、当時一般には全然知られていなかった。

1種1級の身体障害の身にも関わらず会社復帰ができたのは、
東北大病院の主治医と喧嘩して、宮城病院で崖っ淵のリハビリをする気力と体力があったからだと思う。
あの時、社長は『強運な八兵衛くんの反骨精神』と言っていたけどね。
その気力と体力の源泉(馬ニンジン)は、
『1日でも早く一時帰宅の外泊許可をもらい、家族のいる自宅に帰りたい』にあったと思うな。
仙台に転院後たった1ヶ月ちょっとで初の外泊許可を貰えたので、その感激と嬉しさは今でも忘れられない。
玄関にたどり着くだけでも凄く大変だったけど、やっと玄関廊下に座れた時は、ホント感涙ものだった。

仮に伊豆で切れ目なくリハビリを継続できたとして、果たして会社復帰できる状況まで持って行けたかどうか。
東京での単身赴任7年目の果ての脳幹(橋)出血であったから、
辛く苦しい回復期リハビリを家族と離れてやる気力は、もうどこにも残っていなかった。
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10月23日(昨日のデイ)

2015年10月23日 17時37分56秒 | 介護サービス
昨日第2陣が定義に行ったので、お風呂も何もかもがほぼ貸切状態だった。
それに、昼食も食べ残しをしなかったし。
10日もたつのに食べ残しが2品(なます、切干大根)だけというのは、ホント奇跡としか言いようがない。
そういえば娘が言ってたけど、私がデイサービスに通い始めてから、何かこう生き生きしてるらしい。
そうと分かっていれば、もっと早くにデイサービスに行かせるんだっただと。
うちに一人いると自由きままで良いんだけど、テレビにしゃべりかけるより口を開くことがないもんなあ~
まあ、何でもいいけど、今日も張り切って行ってくるべー
→今日も食べ残しなしだった。
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脳卒中の回復(1/3)

2015年10月22日 07時28分00秒 | 介護サービス
回復期リハビリ病院への転院受入条件に倒れて3ヶ月以内があるらしいことから、
今では脳出血に倒れてから3ヶ月以内が回復の目安と一般化したようだ。
しかし私が倒れた17年前は、当時の医学会でもまだ定説化されつつあった段階(ホヤホヤ?)だった。
脳卒中=脳出血+脳梗塞だから紛らわしいけれど、
脳出血の場合の回復は、倒れて3ヶ月以内、
脳梗塞の場合の回復は、倒れて6ヶ月以内、ということのようだ。

脳出血では、、、倒れて3ヶ月以内か・・。
理想を言えばキリないけど、今では後出しじゃんけん、しょせんタラレバに過ぎない。
当時としては、あれができうる最善のことだったと思う。
お銀、会社の人達、特に産業医の先生に感謝しなくちゃバチがあたる。

 ps:大学病院の主治医をバ○ヤローと罵倒して退院させられた背景には、
    脳卒中における回復期の6ヶ月/3ヶ月問題(食い違い)もあった。
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