46歳で脳幹(橋)出血、現在72歳の車イス男性。ブログはFact is factで(事実だものしょーがねぇべ)
昨日4/29は私達夫婦の結婚記念日だったので、寒かったけどまこと寿しの寿司会席を外食してきた。
ここはその昔私が初めて外食できた思い出の店でもあり、女房が特に好きだった店でもある。
女房が他界してからも毎年かかさずに、娘がこの日を祝ってくれることを非常に嬉しく思う。
メリージェーン
今年は7回忌をやるくらい、あれからもう時間が過ぎてしまった。
結婚後というよりも、結婚前のことのほうがいろいろと思い出されるんだよね。
う~ん、私もそれだけ年をとったということなのかなぁ~
【体重】
71.5㎏ → 先週=パス、2週前=パス、3週前=71.2㎏、1月前=70.8kg
2014年=71.4㎏、13年=72.3㎏、12年=71.5kg・・・07年=79.7kg
BMI=24±1 → 身長が1.735mなので、体重=69.3~75.3㎏が目標
【血圧(高―低、mmHg)】
4月=123-76 → 3月=109-66、2月=104―64、1月=パス
【特記】
ふぅ~、4月5日以来の体重か。
あいだが開いたわりにほとんど変わりないから、まあ良しとしよう。
掃除機・ポリタンクと自力でできる生活行動が広がっているのは、やはり体幹の回復が大きいと思う。
伝い歩きのフォームなんかも、どこがどうとは言い難いけど、半年前に比べると全然違うもの。
手足の筋が体幹で一本の筋に繋がって、だんだん力強い松葉杖のようになって行くんだろうね、きっと。
三百六十五夜
もう50年も前になるけど、中学生の時は本間千代子さんが大好きだった。
綺麗な人より可愛い(めんこい)系の人が好きだった、今もそうだけどね。
(4/26追記)
実際の神経回復は脳幹・橋で迂回路の部分開通として24時間絶え間なく起きているのだけど、
それはあたかも、身体の『末端から中央へ』、『芯から表層へ』と、マヒが回復しているように感じる。
末端→中央→末端→・・、芯→表層→芯→・・と、マヒ回復が無限に繰り返されるように感じるので、
一見すると回復が一進一退しているように思うけれど、実はそうではない。
年単位の長い時間で見ていると、身体全体がゆっくりと回復していることが分かる。
自信があったので、昨日段差10cmある玄関の外から内に、18リッターの灯油ポリタンクを2個運び入れた。
マヒ手で身体を支えながら、良い方の手でポリタンクを持ち上げて、
玄関ドアや手すりを1m刻みで2,3m伝い、そして玄関内へと運び入れた。
大きく制限はあるけど、絨毯の掃除や灯油ポリタンク運びなど、できることが驚くくらい広がってきた。
蝶番(チョウツガイ)が壊れたようなマヒ体幹だったけど、いつの間にこんなことができるようになっていたとは。
SAKURA
桜つながりで、、、、う~ん、テキサスを思い出す。
県内なら一目千本桜の、白い峰の蔵王―白石川―桜の風情が好きだ。
岩木山→津軽平野→出稼ぎ→の連環で、単身赴任を始めた頃の話しを少し・・。
以前も少し書いたけど、最初の頃は名取の家族のもとに帰ってくるのが辛くて堪らなかった。
帰ってくる日は飛ぶように帰ってくるから良いのだけど、日曜日の午後/夕方に東京に戻るのがイヤでね。
あるとき、家族4人で仙台に出かけて昼飯を一緒に食べた時なんか、
仙台駅まで見送って貰うとよけい辛くなるから、ここで別れようと店の前で別れ、
私一人だけ駅の方向へ、女房・娘達は反対の一番町方向へ歩いていったけど、
途中で何回もふり返りバイバイしたことなんか、まるで生木をひき裂かれるようで。
以来、帰ってくるのは金曜日の夜、東京に戻るのは月曜日朝の始発新幹線にした。
これだと吉幾三ばりに、『父ちゃん、これからちょっくら出稼ぎして来らぁ~』と勇んで玄関を出られる。
↓で弘前城の花見を書いていて、そんなことをつらつらと思い出してしまった。
津軽平野
昨日は外食がてら、眼科クリニックに行ってきた。
マヒ目の充血もきれいになっていて、去年秋からのマヒ目の充血もこれで終了。
次回の診察は、やっと1ヶ月後になった。
ということで、お祝いを兼ねて夕食はヒレステーキを300gにした。
ミディアムレアの肉300gは、まるでエアーズロックのようだった。
毎日のマヒ回復は運動面ではほとんど変化がなくても、
2週間前の外出時に比べて、身体のこなしがどことなく軽くなっていた。
今日は完全休養日。
満開の桜は昨日たっぷり見たし、今日は花より団子で行こうかな。
津軽恋女
兄貴が五所川原に住んでいた時、GWに親父とお袋を車に乗せて、岩手から行ったことがあった。
あの時、弘前公園の桜は丁度満開だった。
兄貴は運転だったので飲めなかったけど、私と親父はずいぶん酒を飲んだ。
弘前城と岩木山と満開の桜、今ふり返ってみても、あれが最高の花見だった。
翌年1月に私が倒れたから、あれが最後の親孝行になった。
昨日のブログで、私が歩行練習を開始する目安を書いた。
片足立ちというと、皆さんは厳密な片足立ちを思い浮かべると思うけど、
一本杖を使って歩行する目安はもう少し緩く、(1)または(2)ができれば良い。
(1)立って片足立ちを試す場合は、この絵のとおり。
良い方の手を手すりや台に軽く置き、この状態でマヒ片足立ちが10秒以上できること。
手すりは握ってはダメで、あくまで手すりに手を置くだけ。(杖は上下に強いが、横方向はダメ)
(2)四つん這いで試す場合は、この写真のとおり。
四つん這いの姿勢からマヒ手―良い足を上に上げて、良い手―マヒ足のみで10秒以上姿勢を保てること。
マヒ足(骨盤)にしっかり体重を乗せないと、前につんのめってしまう。
現状は、マヒ足に全体重をかけると弱くて潰れそうな気がして、2,3秒後には前につのんめる。
倒れた初年度は腹や尻を上に持ち上げられずに、まともな四つん這いすらできなかった。
だから将来とも自立歩行はできないと診断した大学病院は、医学的に正しかったとは思う。
認定は宮城病院への転院3ヶ月後だったけど、体幹マヒの1種1級では四つん這いなどできるはずもなかった。
医学では5年先を見れば十分だろうけど、倒れた当時の私は46歳で血気盛んな中年。
残り30年以上ある人生を切り拓くオレの意欲まで、大学病院の教授にくじかれてたまるか!だった。
風のささやき
最初の銀行強盗首謀者とフェイダナウェイに疑われながらも、2度目の銀行強盗をまんまと成功させ、
パリ行き飛行機でシャンパンを傾けるマックウィーンは、いつも3つ揃え背広を着て最高にカッコ良かった。
◇だんだんよく鳴る法華の太鼓、毎日感じる回復もまた少し大きくなってきたようだ。
今では回復感覚は大なり小なり24時間感じているが、早朝に布団の中で感じるものはとりわけ大きい。
今朝布団でマヒ二の腕をモミモミしていたら、腕・肩のマヒが肩甲骨経由で頭に吸い上げられて行ったし、
マヒ足全体の筋紡錘リンパ液が、チュルチュルと尻・骨盤経由で頭に吸い上げられて行った感覚を覚えた。
過激な感覚が1時間以上も続いたので、ひょっとしたらとも思ったけど、、、もうこの錯覚で16年も過ぎたしね。
起床して2,3時間はマヒ半身が軽く感じたな、今はもう慣れっこになってしまったけどね。
ただ、昨日までの身体とはどことなく違うのを感じる。
人間の身体は60兆個の細胞からなる世界だもの、
まあ、こういうのを天文学的に積み重ねていって、徐々に歩けるようになるんだろうね。
◇今日一日のリハビリが終わった今(夕方)、マヒ尻たぶ~マヒ足外側全体に長ーい伸縮自在テープを張ったようだ。
不愉快な刺激ではなく、やがて尻や足全体に広がって行きそのうち歩ける強さになると思うとむしろ心地良い。
手前味噌で恐縮だけど、生涯に亘るリハビリだからこそ、こういう自己暗示は大切だと思う。
(参考)歩行開始の目安=マヒ足の片足立ちが10秒以上できること。
北の旅人
仙台で勤務した時(36~38歳)、国分町でずいぶんこの歌も歌ったなぁ~
3番の『♪夜の小樽は~』を、『♪夜の仙台~』に替えたりして。
恋の町札幌
大学は仙台だったけど、何故か昔からこの歌も大好きだった。
【体重】
71.2㎏ → 先週=70.8kg、2週前=70.8㎏、3週前=70.8㎏、1月前=71.4㎏
2014年=71.4kg、13年=72.3㎏、12年=71.5kg・・・07年=79.7kg
BMI=24±1 → 身長が1.735mなので、体重=69.3~75.3㎏が目標
【血圧(高―低、mmHg)】
3月=109-66 → 2月=104―64、1月=パス、12月=パス
【特記】
手足のマヒがハッキリと24時間緩み始めたことは嬉しいけど、欲を言えば尻・肩・体幹がねぇ~
身体の中で一番肉がついて重いのはここだから、ここがもっと軽くならないと。。。。。
欲を言いだしたらキリがないけど、さぁ、今日もリハビリを頑張るべー
今日のリハビリが呼び水になったらしく、リハビリ終了後もマヒ尻ー脇腹ー肩が常にシミシミし始めた。
こうゆう回復がこれからも積み重なって行くなかで、少しづつ歩ける身体になって行くんだろうけどね。
春木屋
荻窪の春木屋の歴史を見ると、創業は昭和24年とある。
あの徳川夢声も幼少の頃、春木屋で中華そばを食べたんだって。
それ、ホントかな?
私も中学生の頃にテレビで徳川夢声を見た記憶があるけど、当時でもおじいちゃんだった。
ウィキペディアによると、徳川夢声は明治26年生まれだから、彼の幼少期は明治30年代ということになる。
また夢声は20代でアルコール依存症とあるから、晩年には多少カン違い(妄想?)もあったのかも・・。
ファミマの釜石ラーメン
チャーシュー、メンマ、なるとのシンプルな魚介系しょうゆラーメンで、いわゆる支那そばフウ。
昨日はこわばりの源は筋紡錘と書いたけど、決して手足が悪い訳ではない。
脳橋が出血したことで、筋肉の筋紡錘のコントロールが不味くなってしまったのだ。
だから筋紡錘コントロールが不味い脳内のデータベース(DB)を作り直さない限り、こわばりは絶対になくならない。
このDBを作り直す方法は、ただ1つ。
どんなに時間がかかっても自分で身体を動かし続けることしかないから、だから『名医は自分』なのだ。
私が一人でもサボらずにリハビリしている理由は、まさしくこれ。
◇筋肉のこわばりの源は筋紡錘(キンボウスイ)で、筋紡錘の中はリンパ液で満たされているとのこと。
どーりで、最近マヒ側のあちこちでチュルチュルとマヒが溶けている感じがすると思ったら、、、、ふ~む、これか。
薄皮が剝がれる、シミシミ、脱皮、血流、チュルチュル、砂時計・・。
いろんな表現をしてきたけど、筋紡錘の中のリンパ液が動く微かな感触だったのか。
だから早朝の布団の中で安静にしている時ほどよく感じたわけか、なーるほどね。
ps:早朝の感覚は今も強くあるけど、これを書きだすとキリがないからもう卒業した。
細い金属糸で編み込んだマヒ足の筋肉がごわごわと緩み始めた感覚なども、筋紡錘のリンパ液の感触なんだろうね。
◇足踏みをしていて感じたことだが、体幹とマヒ足の股関節での接合が今までより一段深くなったように思う。
股関節での感じかたの変化は、昔の頃をよく思い出してみると、大きい変化だけでも2,3回はあった。
無機質のようだったマヒ足が感じ始めたり、ダルマ落おとしの希薄な接合が強く感じはじめたりとか・・。
今回の変化は期待しているほど大きくはなさそうだから、まあチリも積もればの1つと考えておこう。
ジェットストリーム(B747)
ジャンボの最終フライトは羽田ー那覇で、乗客560人のうち540人は最終便に乗るためだけのファンだったとか。
分かるなぁ~、ジャンボ・ファンのその気持ち。