内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

上代における「愛」と「恋」について(8)― 枕に寄せる恋

2025-02-28 16:28:02 | 講義の余白から

 昨日の記事で話題にした歌と同じ巻第十一のなかに、しかもその歌にほど近い二六三一の歌にも「黒髪」が読み込まれている。ただし、部立が異なり、前者が「正述心緒」であるのに対して、後者は「寄物陳思」である。

ぬばたまの黒髪敷きて長き夜を手枕の上に妹待つらむか

 「黒髪をふさふさと敷き靡かせながら、この長い夜を、手枕に空しく身を任せて、あの子はしきりに待っていることであろうか。」(『釋注』)
 「黒髪敷きて」または「黒髪云々」は、女の待つ姿をいうことが多い(『釋注』)。上掲歌は、約束を果たしえなかった男が女の待つ姿を想像して詠んだ歌である。解きほどかれて空閨に広がる黒髪はそれだけで来ぬ人を待ち続ける辛さ悲しさの隠喩になっている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


上代における「愛」と「恋」について(7)―「ぬばたまの我が黒髪を引きぬらし乱れてなほも恋ひわたるかも」の狂おしさ

2025-02-27 08:17:02 | 講義の余白から

 「恋ひわたる」という表現も万葉集に多く見られ、50例を超える。長い間恋い焦がれ続けることで、ぱっと燃え上がったかと思えば忽ち冷めてしまうような一過性の恋心とはまるでわけが違う。持続的に身を焦がす情熱であるだけに会えぬ時間が長ければそれだけ苦しみや悲しみも深い。

ぬばたまの我が黒髪を引きぬらし乱れてなほも恋わたるかも(巻第十一・二六一〇)

 「われと我が黒髪を解きほどき、身も心もとり乱しては、さらにいっそう狂おしく、あなたに焦がれつづけています。」(伊藤博『萬葉集釋注』)
 「調子がまっすぐに流れている。みずからの姿を描いた上三句の具象性が、下二句が平板になるのを救っている。鴻巣『全釈』に、「空閨孤衾に輾転反側する佳人の姿を、眼前に髣髴せしめるものがある。第四句の乱而(ミダレテ)は、第二句の黒髪の縁語になってゐるやうにも見える」とある。」(『釋注』)
 「引きぬらし」の「ぬらす」はひとりでに解けるの意の下二段「ぬる」の他動態。つまり、自ら髪を解きほどくこと。
 岩波文庫版『万葉集(三)』(2014年)によると、万葉の時代、相手に思われると自分の髪が自然に解けると考えられていた。そして、同歌の第三句について、「ここではそれを裏返しにして、自分でわざと髪をほどくことによって、相手の思いを招こうとした」と注している。
 「ぬばたまの我が黒髪を引きぬらし」とは、なんとせつなくかつ官能的な所作であろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


上代における「愛」と「恋」について(6)―「君に恋ひ」のせつなさ

2025-02-26 17:01:50 | 講義の余白から

 万葉集には「君に恋ひ/ふ」という表現が三十例近くある。この「…に恋ふ」という表現について『古典基礎語辞典』は次のように説明している。

用法上の特徴として、上代では「…に恋ふ」のように、格助詞ニを受けるのが普通であるが、これは当時の人々が、「恋」を相手に求めて働きかける心理的活動ではなく、受動的に相手にひかれるものととらえていたためと思われる。平安時代に入ると「…を恋ふ」のような現代でも耳にする語法が一般的となり、意味も故人や遠い所を思い慕うように少し広がっていく。また、コフの主格も必ずしも一人の人間に限らず、「人々が光源氏を恋ふ」とか「うぐひすが昔を恋ふ」など、複数の人間や人間以外の例もあり、範囲が広がる。

「君に恋ひ」が第一句に置かれている歌は万葉集には七首ある。

君に恋ひいたもすべなみ葦鶴の哭のみし泣かゆ朝夕にして(巻第三・四五六)

君に恋ひいたもすべなみ奈良山の小松が下に立ち嘆くかも(巻第四・五九三)

君に恋ひうらぶれ居れば敷の野の秋萩しのぎさを鹿鳴くも(巻第十・二一四三)

君に恋ひ萎えうらぶれ我が居れば秋風吹きて月かたぶきぬ(巻第十・二二九八)

君に恋ひうらぶれ居れば悔しくも我が下紐の結ふ手いたづらに(巻第十一・二四〇九)

君に恋ひ寐寝ぬ朝明に誰が乗れる馬の足の音ぞ我れに聞かする(巻第十一・二六五四)

君に恋ひ我が泣く涙白栲の袖さへ濡れてせむすべもなし(巻第十二・二九五三)

 七首それぞれの意を伊藤博『萬葉集釋注』に拠って示す。

 「わが君に心ひかれ、何ともしようがなくて、葦辺に騒ぐ鶴のように、声をあげてだだ泣けてくるばかりだ。朝にも夕べにも。」(四五六)

 「君恋しさにじっとしていられなくて、奈良山の小松の下に立ちいでて嘆いております。」(五九三)

 「あの方に恋い焦がれてしょんぼりしている折も折、敷の野の秋萩を押し分けては、男鹿がしきりに鳴いている。」(二一四三)

 「あの方に恋い焦がれ、しおれうなだれて私がいるあいだに、秋風が寒々と吹いて月は西空に傾いてしまった」(二二九八)

 「あなたに恋い焦がれてしょんぼりしていると、腹立たしいことに、私の下紐がしきりにほどけてきて、紐を結ぶ手間を繰り返すばかりで。」(二四〇九)

 「君恋しさに眠れもしなかったこの夜明けに、いったい誰が乗っている馬の足音なのか、この私に聞えよがしに通り過ぎて行くのは。」(二六五四)

 「あなたに恋い焦がれて私が泣く涙、その涙は、袖までもぐっしょり濡れて、どうにも止めようがありません。」(二九五三)

 つぎに各歌についての『釋注』の評釈の一部を引く。

 「「葦鶴の哭のみし泣かゆ」は、「葦鶴」が大伴氏の本貫である難波の景物であることを意識した表現らしく、縁ある者、こぞって、大伴家の棟梁を哭き悲しむさまを述べたものと見られる。」(四五六)

 「調べがまっすぐに強く流れ、嘆きが盛りあがっている。「小松が下に立ち嘆く」というのが単純かつ鮮明にして真率で、心を打つ。君を思うてじっとしておられず、わけもなく小松の下に寄って行く姿があわれである。」(五九三)

 二一四三の歌には評釈なし。

 「待っても待っても君は来ず、ついに月は傾いて夜が更けてしまったことを嘆いている。「萎えうらぶれ」ている作者のわびしさが「秋風吹きて月かたぶきぬ」によってよく生かされている。秋風に吹かれて月をひとり見つめている女の姿が浮かんでくるような歌だ。」(二二九八)

 「「悔しくも我が下紐の結ふ手いたづらに」は、その光景が上二句「君に恋ひうらぶれ居れば」を生かすのに効果があり、感興も余りあって、なかなかいい。」(二四〇九)

 「朝明けの蹄の音は、女の許から帰る男の馬が鳴らす場合が多いことを背景にしたのが二六五四である。よその男が帰るのを通して来ない相手を恨んだとも(『古義』)、相手の男がよその女に通って帰ると見て恨んだとも(『全註釈』)、取れる。後者なら『蜻蛉日記』の世界などが浮かんできて、王朝的情趣の先駆を見ることになる。が、実際は前者なのであろう。」(二六五四)

 二九五三についても特に評釈と言えるような言及はない。

 これら七首に共通していることは、恋い焦がれている「君」に会えていないことである。いずれの歌も、会いたくてしかたがないのに会うすべがない苦しみや悲しみやいたたまれなさを詠っている。「君に恋ひ」とは、ただ「受動的に相手にひかれ」ている状態のことではない。「恋」が生活の隅々までが浸透していて、何を見ても、何に触れても、何を聞いても、「君」のことばかりが思われ、でも会えなくて、身も細るばかりの状態であることをこれらの歌は示している。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


上代における「愛」と「恋」について(5)―「恋」が「弧悲」であるとき

2025-02-25 00:00:00 | 講義の余白から

 「恋ふ」という動詞のすべての変化形と「恋(こひ)」という名詞のいずれかが含まれる万葉歌は、ちゃんと数えたわけではないが、長短あわせて数百首はあろうから、それらすべてに当たる時間は残念ながら今の私にはない。
今回の授業の準備の一環としては、「弧悲」と表記された歌にのみあたった。全部で二十九首、三十例ある(巻第十七・四〇一一には二度使われている)。
 集中の用例分布には著しい特徴があり、巻第十七に十八例、巻第十八に二例、つまりこの二巻だけで用例数の三分の二を占める。巻第十七から第二十までの最後の四巻は大伴家持による編纂意図が直接的に強く働いていることとこの使用頻度とが無関係であるとは考えにくい。「恋」は「弧悲」に極まるという定言は、孤愁の歌人大伴家持にいかにも似つかわしい。
 しかし、この点ばかりを強調すれば、家持の歌人としての稀有な卓越性を見誤ることになるだろう。「家持には、歌の題詞に衆の中で「独」であることを表す例が多い(17三九〇〇)ことも忘れるべきではない。かくして、家持の「ひとりし思へば」は、恋にあらざるもっと深い人間の孤愁、社会の中にあって自己一人という真の孤独を言い表す、集中稀有の和歌表現である」(伊藤博『萬葉集釋注 十』(集英社文庫ヘリテージシリーズ、2005年、345‐346頁)からである。
 家持の孤愁は弧悲には尽くされぬことを認めたうえで、集中の「弧悲」全例に照らしてみるとき、愛する人から遠く離れて、あるいは、何らかの理由で長いこと会えないままでいるとき、あるいは、そもそも逢うことがかなわないとき、その人を思いつつ独り悲しむ「こひ」が詠われている歌において、「孤悲」という表記が特に意識して選択されていると見て差し支えないであろう(ただし、明日香旧都に対する懐旧恋慕の情を詠った三二五や飛び去った蒼鷹への情を詠った四〇一一はこれに該当しない)。
 このことは、しかし、他の表記の場合には「弧悲」という含意がないということを直ちに意味するわけではない。原文で「こひ」が別の漢字で表記されていても、そして今日通用している訓み下し文では一様に「恋」の字が当てられていても、あるいは動詞「恋ふ」の他形であっても、そこに「弧悲」の意が込められている歌ももちろんある。
 他方、「弧悲」ばかりを上代の「恋」の特徴として強調するのも行き過ぎであろう。「恋」は「恋ふ」の連用形名詞であるから、まずは動詞「恋ふ」の意を『古典基礎語辞典』で確認しておこう。

コフ(恋ふ)は身も心もひかれている異性に対して、しきりに逢いたい気持ちがつのる意を表す。その後、用法が拡大して家族など、相手が複数の場合もあるが、コフの主格は一人に限られている。連用形コヒを「弧悲」と書き表したものなど一人悶々と恋着する様子をよく表した用字法である。日常親しい動物や遠く離れた土地などを対象にした例もあるが、比喩としての用法である。

 この解説に従えば、「恋ふ」は他者と共有されうる感情ではない。たとえそれが恋する相手とであってさえも。いや、まさにその相手とは共有し得ない切ない感情を相手に対して持つことが「恋ふ」ことであると言うべきだろう。「恋ふ」のはほかならぬこの一人の〈私〉なのだから。この共有不可能性が「恋ふ」の本性である。「弧悲」という表記が選択された理由もそこにある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


上代における「愛」と「恋」について(4)―「うるはし」にも含まれている「いとしさ」

2025-02-24 00:00:00 | 講義の余白から

 「うるはし」は、愛を表現する言葉としては「かなし」や「うつくし」ほど強い気持ちが込められていないように思える。いくつかの古語辞典の解説を読んでみよう。

上代には、風景や相手を、壮麗だ、立派だとたたえる気持ちを表した。中古以後の和文脈では、主に、外面的にきちんと正しく整っているさまをいい、美の表現としては、端正な美、整然とした美を表す。(『古典基礎語辞典』角川学芸出版)

動詞「潤ふ」の形容詞化。もともと、みずみずしく生気に満ち溢れた美しさをいった。上代では、見事で申し分のない美しさを、中古では多く、道徳・礼儀その他の理想に照らして欠点のないさまをいうようになったが、一面では親しみにくい、かたくるしいといった語感を否定しがたい。(『詳説古語辞典』三省堂)

上代では立派で壮麗なようすを表したが、平安以降は、もっぱら容姿や態度の整っているようすをいう語となった。類義語の「うつくし」が愛すべき美しさ、かわいらしさをいうのに対し、「うるはし」は端正な、整った美をいう。したがってそれは、ともすれば堅苦しい印象を伴うものでもあった。(『全訳古語辞典』角川書店)

きちんと整って欠点のない様子、をいう。上代には、賛美の気持ちを込めて美しい、端正である、の意に多く用いられ、平安時代には、きちんとして、まじめでよい、あるいは整いすぎていてとりすましている、近寄りがたい、などの気持ちを込めて用いられるようになる。(『全文全訳古語辞典』小学館)

 これらの説明でおおよそ「うるはし」と形容されるものの輪郭が掴めたようにも思うのだが、それによくあてはまらない用例が万葉集には幾例かある。例えば、巻第十五の中臣朝臣宅守と狭野弟上娘子との贈答歌中の以下の二首がその例である。この二首、いずれも宅守から娘子に贈られた歌である。

愛しと我が思ふ妹を思ひつつ行けばかもとな行き悪しかるらむ(3729)

愛しと我が思ふ妹を山川を中に隔りて安けくもなし(3755)

 原文はどちらも「宇流波之」であるから「うるはし」という訓みに紛れはない。愛の贈答歌群中のこの二首での「愛し」は、(整った)美しさを讃嘆するというよりは、離れ離れになった娘子へのいとしい気持ちを表明していると見るべきではなかろうか。
 実際、この二首での「愛し」は、小西甚一の『基本古語辞典』(大修館書店、新装版)が「うるはし」の第二の語釈として示している「(愛情をともなった感じで)いとしい。(英語の darling に当たる)」の意に解するのが妥当ではないか。「うるはし」のこの語釈は、しかし、上掲の四つの辞書だけでなく、手元の他のいずれの辞書にも見られない。
 さらに話をややこしくしているのは、小西がこの第二の語釈の用例として万葉集・巻第十七の大伴池主の歌(3974)「山吹は日に日に咲きぬ うるはしと我が思ふ君はしくしく思ほゆ」を挙げていることである。というのも、この歌が同族下僚の池主から家持に贈られた歌であることからしても、この「うるはし」は「いとしい」というよりは「すばらしい」という賛嘆の念を表していると見るべきだからである。
 それはともかく、「(愛情をともなった感じで)いとしい」という小西の辞書だけに見られる語釈は注意されてしかるべきだろう。この意味があればこそ「うるはし」を「愛し」と漢字で表記することにも納得がいく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


上代における「愛」と「恋」について(3)― 上代の失われた「うつくし」を求めて」

2025-02-23 00:00:00 | 講義の余白から

 現代日本人の美的感性がどのように形成されてきたかという大きな問題は拙ブログでは扱いかねる。明治以降に導入された西洋近代由来の審美感がその形成にどれだけ与っているのかという問いもここでは考慮外である。
 「うつくし」という上代から使われている言葉の語意の変遷を近世まで用例に依拠しながら辿るだけでもどれだけ時間がかかることだろう。
 別に何かの目的のためにするのではなく、事柄自体に対する自分の関心に導かれて言葉の世界を逍遥するのが楽しくて辞書や古典文学に読み耽っているだけのことだから、探索にいくら時間がかかっても苦にならない。それどころか、その探索は持続すればするほどよい愉楽の時である。
 書籍購入にはいささかの出費を強いられるとはいえ、必要な本を一旦入手してしまえば後はそれらだけで長年十分に楽しめるから、古寺巡礼ならぬこの古語巡礼の旅は「趣味」としては悪くないだろうと本人は思っている。
 それに、今回はその趣味の探訪と資料収集の結果を授業で使えるという実益もあるから、ただの現実逃避ではないのか、あるいは、趣味に現を抜かしているだけではないのか、という自責の念に苦しむこともない(いや、少し、ある)。
 さて、「うつくし」である。
 『古典基礎語辞典』が「うつくし」にあてる漢字は「美し」と「愛し」。前者は今日の「美しい」と重なるところがあるから特段の違和感はないが、「うつくしい」に「愛」を当てるという発想は現代日本語の一般的な語感のなかにはないであろう。
 同辞典同項の解説は以下の通り(抜粋)。

親子の間の(主に親から子への)、また夫婦、恋人の間の肉親的な非常に親密な感情をいうのが最も古い意味。したがって、動詞ウツクシブ・ウツクシムは、仁・慈・恵・愛の行為をする意。中古になると、わが子や孫をかわいく思う気持ちも表現するが、主に子供や若い女性に対する可憐な感情やそのかわいらしさをいう。『枕草子』では、「うつくしきもの」の段で雛の調度や蓮や葵の葉の小さいものを挙げて、「何も何も小さきものはみなうつくし」とするが、こうしたとらえ方は『枕草子』に独特の、意外性を強調する表現で、物を形容する例は髪などのほかはまれで、幼い人間に対してだけ使われている。

 「うつくし」についての『枕草子』に見られる独自の感性も中古に現れる用法も括弧に入れて、上代の「うつくし」へと遡ろう。たとえ今日の私たちが「うつくし」の最も古い意味への感性を喪失しているとしても、万葉集や同時代の風土記に見られる用法を味読することによって、言葉の遠い記憶が私たちの心のなかで再起動されないとは限らない。そう願いつつ私は万葉集を読み続けている。
 私が若い頃から上代にかぎりない憧憬の念を懐き続けているのは、失われた古代の感性を一つの古語の記憶の再賦活によっていくらかでも取り戻したいからなのだと思う。この憧憬と希求が地上に生まれ故郷をもたない私にとっての言葉の国のなかでの「ふるさと」探しなのであろう。
 原文が一字一音表記で訓みに紛れがない一例を挙げる。巻第二十の大伴家持によって収集・編集された防人歌の歌群のなかの一首(4422)である。原文表記は「宇都久之美」となっている。

我が背なを筑紫へ遣りて愛しみ帯は解かななあやにかも寝も

 夫を防人として任地筑紫へ送り出す妻が詠んだ歌である。「うちの人、この人を筑紫へやってしまったら、いとしみながら、帯は解かないままでいたい……。それにしても私はただもやもや案じながら独り寝ることになるのか。」(伊藤博『萬葉集釋注』)
 対して、原文は「愛」ただ一文字で、それが「愛しき(ウツクシキ)」と訓まれている例(4236)。

天地の 神はなかれや 愛しき わが妻離(サカ)る 

 死んだ妻を悲しみ悼んだ長歌の冒頭である。原文は「愛吾妻離流」。たった五文字の漢字表記の簡潔性がかえって悲しみの深さを刻印しているかのようである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


上代における「愛」と「恋」について(2)― 「愛」より根源的な「かなし」

2025-02-22 07:59:43 | 講義の余白から

 『古典基礎語辞典』は「かなし」の項にこの語に当てることができる漢字表記として「悲し・哀し・愛し」の三つを挙げている。今回の考察にとっては三つ目の「愛し」が特に重要だが、その場合でも、他の二つの漢字が含んでいるニュアンスがまったく排除されてしまうわけではない。
 同項の解説は以下の通り。

カナシは、…することができない意を添える接尾語カヌと同根。愛着するものを、死や別れなどで喪失するときのなすすべのない気持ち。別れる相手に対して、何の有効な働きかけもしえないときの無力の自覚に発する感情。また、子供や恋人を喪失するかもしれないという恐れを底流として、これ以上の愛情表現は不能だという自分の無力を感じて、いっそうその対象をせつなく大切にいとおしむ気持ちをいう。自然の風景や物事のありさまのみごとさ・ありがたさなどに、自分の無力が痛感されるばかりにせつに心打たれる気持ちをもいう。
中世から近世にかけては、貧困による悲哀の意から、カナシがそのまま貧困を意味するとされる例がある。

 語釈の一番目は「悲しい」「せつない」。「現代の「かなしい」と基本的に同じである」とされる。用例として、万葉集の大伴旅人の名歌「世の中は空しきものと知る時しいよよますます悲しかりけり」(巻5・793)を挙げている。この歌の原文は「余能奈可波牟奈之伎母乃等志流等伎子伊与余麻須万須加奈之可利家理」と一字一音の万葉仮名で表記されているので訓みに紛れはない。
 しかし、まさにそうであるからこそ、「悲」という漢字をあてていいのかどうか、すこし躊躇われる。ここをあえて「かなしかりけり」平仮名表記することによって、あるいは、文字表記を念頭から振り払い、「カナシカリケリ」と音に特に注意することで感じられるニュアンスがあるように思う。この歌についてはこのブロクでも数回取り上げているが、特に2014年1月11日2020年10月12日の記事を参照されたい。
 語釈の二番目は「せつないほどいとおしい」「かわいくてしかたがない」。用例として万葉集・巻第十八の長歌四一〇六から「父母を見れば尊く 妻子見れば愛しくめぐし」が挙げられている。原文は「可奈之久米具之」であるから訓みに紛れはない。ただ、注釈書によって、「可奈之」を「愛し」としているのもあれば、「かなし」と平仮名表記にしているものもある。
 万葉集における「かなし」の用例は、数からすると巻第十四の東歌のそれが過半数を占める。「かなしき」「かなしけ」(「かなしき」の東国形)「かなしも」などの形で歌語として頻用されている。古文の教科書に東歌の例としてよく載っている「多摩川にさらす手作りさらさらになにぞこの子のここだかなしき」(3373)はその代表例である。
 この歌についても、原文「可奈之伎」を平仮名表記にしている注釈書もあれば、「愛しき」と表記しているものもある。
 この歌が詠まれたとき、あるいは朗唱されたとき、つまり「カナシキ」と発語されたとき、「愛」という漢字固有の含意はまだ混入していなかったのではないかと推測される。万葉人にとって「カナシ」は「愛」よりも根源的な感情だったのではないかと私は思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


上代における「愛」と「恋」について(1)― 上代における「愛の形」

2025-02-21 14:33:19 | 講義の余白から

 なかば趣味みたいなものだが、表向きは「日本文明」の授業の準備の一環として、上代・中古における「愛(す)」「好き/好く」「恋ふ/恋」の用例をエクセルで一覧表にするという作業を月曜からずっと続けていた。
 上代には、「好き/好く」の用例はあまりなく、あってもあまり興味深い例は見つからなかった。中古から中世にかけての「すき(数奇)」については三年生対象の「日本思想史」で前期に取り上げたことでもあるし、一年生向けの「日本文明」の授業では、「好き/好く」は軽く触れる程度にして、上代における「愛」と「恋」に話題を限定することにした。
 『万葉集』で「愛」という漢字が「アイ」という訓みとともに使われている箇所は数えるほどしかなく、中国起源の意味を多かれ少なかれ反映する形で漢語の中で使われている。
 それに対して、「愛」が形容詞、あるいは他の漢字とともに一語を形成している場合、注釈者たちによって和訓がさまざまに与えられており、その和訓は注釈者間で一致していないことも少なからずあるが、それらの和訓が、古代日本における「愛」とは何か、「愛する」とはどういうことか、という問いに対する答えの緒を与えてくれる。
 形容詞としては「うつくし」「うるはし」「かなし」「めぐし」等に「愛」という漢字があてられている。ただしこれは注釈者の解釈によるところが大きく、平仮名をあてている注釈書もあり、当時これらの形容詞を使って歌を詠んだ歌人たちが「愛」という漢字を念頭においていたとは限らない。むしろ、そのような場合は少なかったと思われる。
 上掲の形容詞中、用例数からすると「かなし」が最も多く、四十例近くある。ついで、「うつくし」が十数例、「うるはし」が数例、「めぐし」が二三例である。この最後の「めぐし」は、「めぐしうつくし」あるいは「かなしくめぐし」と、意味の近い他の形容詞と組み合わせて用いられている。
 「愛す」という動詞の用例は、『万葉集』の歌中にはなく、山上憶良の「子等を思ひし歌」(802)の前文(詞書)に三回用いられているに過ぎない。
 この動詞「愛す」の上代における用法について、『古典基礎語辞典』(角川学芸出版)は次のように解説している。
「アイスは平安中期までの仮名文学作品にも見えない。しかし、漢文訓読文では[中略]早くから用いられて」いる。「漢文訓読文においては、価値あるものとして認め大切にするという意味が強かった。それに対し、漢文訓読文以外では、人間の場合、親が子を、男が女をというように上位者が下位者を我が物としてかわいがるという意味を表し、動物や物に対しては気に入って我が物とするという意味を表した。共に執着につながる気持ちによる行為を表すことが多い。この、執着する意が加わるのは仏教において「愛」は十二因縁の一つで、喉が渇いているときに水を飲まずにはいられないような人間の最も根源的な欲望、苦を避け常に楽しみたいという欲望、執着心を表すという。」
 愛する相手に対する気持ちを歌として表現する際に古代人たちが好んで使った上掲の形容詞の意味を探ることによって、古代における「愛の形」が見えてくる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「身体死すとも理性は死せず」―『瘋癲老人読書感想放言録』(私家版)より

2025-02-20 00:00:00 | 読游摘録

馬鹿だね、その人は君ではなく、君の小さな身体を殺すのだ。

 これが昨日の記事の終わりに出てきた問い―おそらくはニコポリスの学校でエピクテトスの講義中に弟子のひとりが発した問い―に対するエピクテトスの答えです。
 エピクテトスは、師ルフスを受け継いで、講義において聴講者が自分の欠点を目の前にみせつけられるような鋭い話し方したことが『語録』(高弟アリアノスによるエピクテトスの講義録)からわかります。
 でも、これ、今日日(きょうび)の大学の教室でやったら、学外第三者で構成されるハラスメント調査委員会に訴えられちゃうかも知れませんよね。授業に出席している他の学生たちが証人になる(スマホでこっそり撮影されているかも知れないし)わけですから、言い逃れもできず、さすがに懲戒免職や依願退職にはならないにしても、三ヶ月間給与10%カットくらいの処分は受けてしまうかも知れません。
 ここは、「いい質問ですね。その人は、そのとき、いったいあなたの何を殺すことができるのか、いっしょに考えてみましょうか」とかなんとか、質問してくれた学生(つまりクライアント)にもっと「寄り添った」対応をすることがいわゆるコンプライアンスってやつですよね。
 まあそれはともかく、エピクテトスの話の続きを聴きましょうか。

そうすると、なおどんな孤独が残っているのか、どんな困ったことがあるのか。どうしてわれわれは自分を小さな子供よりも劣ったものにするのか。子供はひとりぼっちに残されたときは、何をするのか。陶片と灰を集めてなにかを作ると、それからそれを壊して、また別のものを作る。こんなふうにして時を過ごすのにけっして困ることはない。私のほうは、君たちが船出すると、座ってひとり残されたぞ、こんなふうに孤独になったぞと言って泣くのだろうか。私には陶片も灰もないのだろうか。子供がそんな遊びをしているのは愚かなせいで、私が不幸なのは賢いからだろうか。

 なんか、少しも説得された気分にならないんですけど。むしろ、この話がわからないとしたら、それは君が子供より馬鹿だからだと軽蔑されているような気分になるのは、私の度し難い僻み根性のせいでしょうか。
 第一三章のこれ以後の段落は、内容的にこれまでの議論と接続しておらず、「おそらく別の談義がここに紛れ込んだものと思われる」(岩波文庫訳注)ので省略します。
 「孤独」をめぐるこの章のここまでの議論を強引に一言でまとめてみましょう。魂の指導的部分(ヘーゲモニコン)である理性は、「君の小さな身体」が殺されても滅びはせず、その理性の声に聴きしたがって生きれば、いついかなるときも君は孤独ではなく、そのように生きることが幸福な善き生なのである。
 牽強付会を承知でこれをさらに箴言風に圧縮すると、「板垣死すとも自由は死せず」の顰に倣って、「身体死すとも理性は死せず」となりますでしょうか。
 ちなみに、国立こども図書館のサイト内の「中高生のための幕末・明治の日本の歴史事典」中の板垣退助のページによると、板垣退助が1882年岐阜で演説中に刺客に襲われたときには、「吾死するとも自由は死せん」と言ったそうで、それが後に「板垣死すとも自由は死せず」と言い換えられて人口に膾炙するようになったとのこと。それに、板垣はこの襲撃によって命を落としたわけではなく、この後も政治家として精力的に活動しました。
 話が思わぬ方向に逸れてきたので、ここらへんで御暇いたします。皆様、ごきげんよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


凡人、エピクテトス『語録』をブツブツ文句言いながら読む

2025-02-19 00:00:00 | 読游摘録

 どんなに偉大な皇帝であっても、臣民すべてを病気から守ることはできないし、事故や災害から守ることもできない。個々が感じる負の感情を取り除くこともできない。
 エピクテトスによると、哲学者の教説はこれらの不幸や災厄に対しても平和を与えることを約束しているという。ほんまかいな?

「みなさん、もし私に心を向けるならば、どこにいても、何をしていても、苦しめられたり、腹を立てたり、強制されたり、妨げられたりすることはないだろう。感情に動かされることなく、あらゆるものから自由になって暮らすことができるだろう。」

 こんないいことずくめのうまい話があったら誰だって飛びつきやしませんか。誰がこんな新興宗教の教祖みたいなことを言っているの? それは「神によって理性を通じて宣言されたもの」である。これじゃぁ、「ははー」とひれ伏す他なく、ちょっと水戸黄門の印籠みたいじゃありませんか(喩えが古くて恐縮です)?
 「人がもしこれを手にするならば、たとえひとりでいても満足ではないか。」そりゃあ、そうでしょうよ。だって、その人はみずからを省みて次のように考えるからです。

「今や私にはどんな悪いことも起きることはありえない。私には盗賊はいないし、地震もなく、すべてが平和に満ちており、すべてが平静に満ちている。あらゆる道が、あらゆる都市が、あらゆる旅の道づれ、隣人、仲間が無害である。そして、食物を務めとしている神はこれをあたえ、別の神は衣服を、別の神は感覚を、別の神は先取観念(反省に先行する自然発生的・予断的概念)をあたえてくださった。」

 ここまで読んだだけでは、「そんなうめぇー話あるわけねぇだろうが、バカにすんねぃ! だからテツガクシャなんて輩の御託は信用できねぇんだよ!」とブチ切れるのがフツーじゃないですかね。
 ところが、この後に来る話がエピクテトスの真骨頂なので、もう少し辛抱して彼の話を聴いてみましょうか。

しかし、必要なものがあたえられないときは、勧めるにふさわしいことを示し、ドアを開けて「来なさい」と君に告げる。どこに行くのか。少しも恐ろしいところではなく、君がそこから来た親しく同族的なるもの、すなわち基本要素の中に行くのだ。

 キ、キホンヨーソ? なにそれ? 

君の中で火であったものは火に、土であったものは土に、気息であったものは気息に、水であったものは水に戻ってゆく。

 確かにこうなってしまえば、つまり、おっちんじまえば、悲しみも怒りも不幸も災厄もありゃしない。でも、これじゃあ、それこそ実も蓋もない話じゃありませんか。

すべてが神々とダイモーンに満ち満ちているのだ。

人がこのような考えをもつことができ、太陽や月や星々を眺め陸と海を楽しむならば、少しも孤独ではないし、頼るものがないわけではないのだ。

 なんか、これって、しゃべってる自分だけいい気分になってんじゃねぇ、って思いませんか。だから、こんな質問も出るわけです。

「ではどうなりますか。だれかひとりぼっちでいる私のところにやって来て、私を殺すとしたら。」

 さて、この問いにエピクテトスはどう答えるでしょうか?