内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

訳語としての「居場所」から原文へと遡る(2) ―「ここが私の居場所である」モンテーニュ『エセー』より

2024-12-31 12:24:11 | 言葉の散歩道

 モンテーニュの城館は、ボルドー市の東およそ60キロ、ドルドーニュ川の岸辺から北へ3キロほどの距離にあります。その城館の一角に立つ円塔の三階がモンテーニュの書斎です。その書斎についてモンテーニュは『エセー』の中にかなり詳細な記述を残しています。ちょっと長くなりますが、保苅瑞穂氏の『モンテーニュ よく生き、よく死ぬために』(講談社学術文庫、2015年、原本、筑摩書房、2003年)の中の保苅氏自身の手になる訳を引きましょう。この訳の中に「居場所」という言葉が出てくるからです。
 モンテーニュ自身のガイドにしたがって彼の書斎を訪問してみましょう。

 書斎は塔の三階にある。一階は私の礼拝堂であり、ニ階は寝室とその続きの部屋であって、一人になるためによくそこで横になる。その上の階に大きな衣装部屋がある。昔は私の家で一番役に立たない場所だったが、私は生涯のほとんどの日々と、一日のほとんどの時間をそこで過ごしている。夜はそこには決していない。それに続いて、かなり小粋な小部屋がある。冬には暖炉に火を入れることができるし、じつに気持ちよく窓が作られている。そして、費用と面倒を恐れなければ、この面倒というのが私をあらゆる仕事から追い出すのであるが、その両側に、長さ百歩、幅十二歩の回廊を、同じ平面に簡単につけたすことができるだろう。別の用途のために築かれた壁が、どれもちょうどいい高さにあるからだ。すべての隠居所には散歩道がなければならない。私の考えは、座らせておいたのでは、眠ってしまう。私の精神は、足がそれを揺り動かさなければ、進まない。本なしで勉強するものは、誰もこうしたものである。
 書斎の形は円形であって、私の机と椅子に必要なところだけが〔壁が〕平らになっている。そして壁面が湾曲しているので、私のまわりにぐるりと五段に並んだ本のすべてが一目で見渡せる。書斎は三方に視界が開けて、豊かで、遮るものがない眺望が楽しめ、内部には直径十六歩の空間がある。冬には総立て続けにここにはいない。私の家はその名が示すとおり、小高い丘の上に立っていて、ここほど風当たり強いところはないからだ。ほかから離れていて、来るのに少し骨が折れるのが気に入っている。運動になってその効果もあり、大勢のものを遠ざけておけるからだ。ここが私の居場所である。私はここの支配を純粋なものにして、この一隅だけは夫婦、親子、市民の共同体から守ろうと務めている。他の場所ではどこであっても、私の権威は言葉だけのもので、実際には曖昧なものである。私の考えでは、自分の家に、だれにも頼らず自由でいられる場所、とりわけ自分をねんごろに扱える場所、身を隠せる場所を持っていないものはみじめである!

 最後の一文には、「みじめ(misérable)って、そりゃあそうかも知れませんけど、庶民にはそんな場所、縁がないのが普通ですよ」と半畳の一つも入れてみたくはありますが、それはともかく、「ここが私の居場所である。」という一文、原文は « C’est là mon siège. » です(表記は現代表記に改めています)。
 この siège というフランス語は、「座席」「議席」「本部・本拠地」「源・中枢」「座」(カトリック世界での教皇や司教の)などの意味をもっています。「居場所」という訳は、上の引用の文脈のなかで適訳だと思います。堀田善衛の『ミッシェル 城館の人』にも同じ箇所が三回引用されていて、当該の一文は「ここが私の居場所である」とまったく同じ訳です。
 白水社の宮川志朗訳(2014年)では「ここが、わたしの座席なのだ。」と訳されています。「座席」というと、飛行機や電車や劇場や映画館のそれをまず思い浮かべてしまいませんか。「シエージュ」とルビが振られてはいるのですが、「シエージュ」というフランス語を知らない人には、「なにそれ?」と、まったく理解の助けにはなりません。
 関根秀雄訳(国書刊行会、2014年)では、「こここそわたしのお城である。」となっていて、ちょっとビックリしました。でも、確かに、「城」には、「自分だけの空間・分野・世界」(『三省堂国語辞典』第八版、2022年)、「むやみに他人の入ることを許さない、堅く守っている独自の領域」(『新明解国語辞典』第八版、三省堂、2020年)、「比喩的に、他人の侵入を許さない自分だけの世界の意にも使われる」(『明鏡国語辞典』第三版、大修館書店、2021年)、「他人の干渉を許さない、自分だけの領域のたとえ」(『新選国語辞典』第十版、小学館、2022年)などの語釈が見られますから、上の引用文の文脈からすれば、ありかも知れません。
 ただ、現代日本語で「居場所」という言葉が持つようになった豊かなニュアンスを考えると、私は「居場所」という訳語に一票投じたく思います。

 それでは皆様、どうぞ良いお年をお迎えください。

 

いざや寝ん元日は又翌(あす)のこと      与謝蕪村

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


訳語としての「居場所」から原文へと遡る(1) ― プラトン『ティマイオス』

2024-12-30 08:36:23 | 言葉の散歩道

 「居場所」という言葉が気になりだしたのは、修士一年の演習で村上靖彦氏の『ケアーとは何か』(中公新書、2021年)を読んだことがきっかけだったことはこのブログでも話題にし、以後、村上氏が言う意味での「居場所」のことを何回か記事にしてきました(今年9月14日の記事とそれ以降の一連の記事をご参照ください)。
 学生たちも「居場所」という言葉にこちらの予想以上に強い関心を示し、演習レポートのテーマに選んだ学生も複数いるし、テーマと密接に関連する概念として言及が見られるレポートがいくつもあしました。
 村上氏の多数の著作の中で繰り返される「居場所」の説明を読めば、居場所がどれほどそれぞれの人にとって大切かよくわかるし、それは日本人に限られたことではなく、フランス人にとっても大切だし、どの国で生きていようと、だれにとっても大切に違いない普遍性をもったものであるということも納得できます。
 ところが、その意味での「居場所」をいざフランス語に訳そうとすると、一語では訳せません。場所を意味する lieu という名詞と別の名詞を de という前置詞で繋いでみても、どれも村上氏がその大切さを繰り返し力説する「居場所」にはピッタリとは重なりません。そこがまたこの言葉の面白いところでもあります。
 私自身がどれほど使っているかと、このブロクの記事内で検索してみたら、自分でも驚いたのですが、ブログを始めた2013年からざっとかぞえただけ数十回は使っていました。その中には引用文中の用例も含まれていますが、それらを除いても、二十回は下りません。しかも、それらの用例は、いずれも村上氏が言う意味での「居場所」とどこかで重なっているのです。
 つまり、問題としての「居場所」は、村上氏の本を読む前から、私にとってもかなり切実な問題であったことに今更ながら気づかされた格好です。
 そんなことがあり、他の人たちの文章の中ではどんな文脈でこの語が使われているか調べてみる気になりました(いずれ授業のネタとしても使えるだろうという目論見もあります)。といっても、調査対象を広げすぎては収拾がつかなくなるおそれが多分にあります。ネット上にはもう無数といってよい用例があることでしょう。新聞記事に限ってもまだ広すぎます。
 そこで、手近なところから始めようと、「あれ、なぜここで使われているの?」と、最近ちょっと気になった用例を拾い上げてみることにしました。しかも、外国語文献の日本語訳に限ります。
 今日取り上げるのは、一昨日の記事で引用した『ティマイオス』の一節のなかの用例です。その引用の中に、「生成するすべてのものに居場所を提供し」とあります。ギリシア語原文は « ἕδραν δὲ παρέχον ὅσα ἔχει γένεσιν πᾶσιν » (52b) となっていて、最初の語が ἕδρα という名詞の対格で παρέχω という動詞の目的語になっています。この ἕδρα が「居場所」と訳されているのです。このギリシア語は「指定された場所」とか「在処」という意味ですから、「それぞれのものに相応しい場所」という意味で「居場所」を訳語としてこの文脈で使うのは妥当な選択だとも思われます。ただ、生成消滅するすべてのものについて「居場所」という言葉を使うのには若干の違和感を覚えはしますが。
 ちなみに、Luc Brisson の仏訳では emplacement と訳されていて、これは「用地」という意味で、「居場所」という語に感じられるような生命の「ぬくもり」はまったくありません。ネット上で閲覧できる別の仏訳では théâtre と訳されています。これは「劇場」とか「舞台」とか「現場」という意味ですから、emplacement と違って、ダイナミズムが感じられますね。個人的にはこちらのほうが好きです。
 明日、大晦日の記事では、モンテーニュの『エセー』の日本語訳のなかの「居場所」を取り上げますね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


視線は身体の一部である ― プラトン『ティマイオス』より

2024-12-29 08:26:58 | 読游摘録

 ある本を、拙論のなかである議論を構成するための一齣としてその一節を利用するという浅ましい魂胆を離れて、虚心坦懐、とまで言えばこれは明らかに言い過ぎになるが、特にこれという目的もなく探しものもなく読むことで、実利のために読んだときには印象に残らなかった箇所がおのずから目に飛び込んでくるということがある。
 今回、今月の文庫新刊のなかで気を引かれたというだけで購入した『ティマイオス』を読んでいてそういうことが昨日あった。さっと一読みして、「あっ、これ、面白い」と直感的に思った箇所があった(45b-46a)。視線は身体の一部である、より詳しくは、自己身体の内部の火である視線は日の光の中で外なるものと同族として一体となり、全体として一つの身体を形成する、という話である。ちょっと長い引用になる。

 神々は器官の中でも光をもたらす眼を最初に作り上げて据えつけましたが、それは以下のような原因によってでした。すなわち、火の中でも焼くことはできないが、穏やかな(へーメロン)光をもたらすことはできるもの、日々の昼間(へーメラ)にふさわしいものを、神々は身体(眼の一部)となるように工夫しました。というのも、私たちの内部にはそれと兄弟である混じりけのない火があって、神々はそれが眼を通って流れ出るようにしたからです。その際、眼全体も滑らかで稠密なものにしましたが、とりわけ眼の中心部分を圧縮して、〔その組織よりも〕粗い他のものはすべて堰き止め、先に述べたような純粋な火だけが通り抜けるようにしました。それゆえ、視線の流れの周囲に昼間の光があるときには、似たものが似たものへと飛び出していって一緒になり、眼から一直線上に、内から出ていくものが外からやって来るものと衝突して抵抗する方向へと、同族のものとなった一つの身体が形成されました。すると、その身体全体は同質なので、作用も同様に受けることになり、自分が何に触れようと、他の何が自分に触れようと、それらのものの運動を、その身体全体を通して魂まで伝達し、私たちがそれによって見ると言っている感覚をもたらしました。
 しかし、夜になって同族の火が退くと、それ(視線)は断ち切られてしまいました。なぜなら、それは似ていないものに向かって出ていくので、自分が異なったものとなって消えてしまうからです。隣接する空気は火をもっていないので、それと一緒に結びつくことがもはやできないからです。したがって、それは見ることをやめ、さらに眠りを誘うものとなります。というのは、神々が視覚を保護するために工夫した瞼というものが閉じるときには、それは内部の火の力を閉じ込めるので、その力が内部の運動を分散させて均等にし、運動が均等になると平静が生じるからです。その際、生じた平静が大きいときには夢の少ない眠りがやって来ますが、何か比較的大きい運動がまだ残っているときには、それがどんなもので、どこにのこっているかによって、それに応じた種類と量の幻が生じます。その幻は、内部で映し出されたものなのに、目覚めたときには外部にあったかのように思い出されるのです。

 この所説を鵜呑みにするわけにはいかないけれど、「世界の見方を学び直す」(メルロ=ポンティ『知覚の現象学』序文)ための一つの契機には充分になると思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「唯一無二の宇宙」― 『ティマイオス』の宇宙論的プラトニック生態学

2024-12-28 09:57:23 | 読游摘録

 『ティマイオス』(講談社学術文庫)の紙版の書誌情報によると、本文は304頁であるから、訳者自身が「訳者あとがき」で言っているように、「分量的には小著」である。しかも、『ティマイオス』本文の訳自体は本書全体の半分以下であり、訳注が約2割を占め、訳者解説は3割を超える。この例外的な構成は、『ティマイオス』の内容そのものの哲学的「質量」の大きさとその解釈史の厚みと奥行きが桁外れであることを示している。
 訳者解説の冒頭で訳者は『ティマイオス』の哲学史的な位置づけを次のように説明している。

 現代のプラトン研究者に、プラトンの主著は何かと尋ねたら、おそらくたいていの人は『国家』と答えるだろう。確かに、『国家』にはプラトン哲学のエッセンスが詰め込まれており、質量ともに主著と呼ばれるのにふさわしい。それにもかかわらず、プラトニズムの長い歴史から見れば、プラトンの対話篇の中で最も大きな影響力をもった著作は『ティマイオス』であった。神による宇宙の制作とさまざまな自然学的理論が論じられる本書は、プラトンの対話篇の中ではむしろ特殊なものと言えるが、古くからプラトンの信奉者たちによって重視されてきた。とりわけ、前一世紀から後三世紀にかけてのいわゆる中期プラトン主義と、それに続く新プラトン主義の時代には、この書はプラトンの著作の中でも特権的な地位を占めてきた。古代後期から中世を通じてのプラトニズムの歴史は、『ティマイオス』の解釈史だったと言っても過言ではない。この伝統が近代まで及んでいることは、例えばラファエロの有名な壁画《アテネの学堂》の中で、プラトンが手にしている書物が『ティマイオス』であることに象徴的に現れている。

 博士論文の中で西田幾多郎における〈場所〉について考察する箇所で、『ティマイオス』の中で初めて「コーラ」(chôra)という語が出てくる一節(52a-b)を参照したことがある。参照した Luc Brisson の仏訳(GF Flammarion, 1992. 現在入手できるのは2017年刊の改訂第6版)当該箇所には今でも付箋が貼ったままになっている。その箇所を土屋睦廣氏の新訳で引用しよう。

 以上のことがそのとおりだとすれば、次のことに同意しなくてはなりません。すなわち、第一には、同一を保つ形相が存在します。それは生じることも滅びることもなく、自分の中によそから他のものを受け入れることもなく、自分がどこか他のものの中に入ってこともなく、目に見えず、他の仕方で感覚されることもないもので、これを考察することは知性の働きの役割です。これと同じ名で呼ばれ、これに似ているのが第二のものです。これは感覚されるもの、生じるもので、常に動いていて、ある場所に生じては再びそこから滅び去っていくもので、感覚とともに思惑によって捉えられるものです。また第三に、常に存在している場の種類があります。これは消滅を受け入れることなく、生成するすべてのものに居場所を提供し、感覚によらずに何かの非嫡出の理性の働きによって触れられるもので、かろうじて信じられるものです。まさにこれに目を向けながら、私たちは夢を見て、こんな主張をします。「存在するものはすべて、どこかある場所に、何らかの場を占めてあるのでなければならない。地上にも天にも、どこにもないようなものは、そもそも何も存在しないのだ」と。

 博論では、プラトンの〈コーラ〉との違いを際立たせることで西田の〈場所〉について論じることが目的だったが、そのような狭隘な目的を離れて、今こうして久方ぶりに『ティマイオス』を清新な日本語訳で読み直すとき、生態学的観点という別の新たな光のもとにプラトンの宇宙論が立ち現れてくるような気がする。
 『ティマイオス』の美しい最終節を引いて今日の記事を閉じることにする。

 それでは、これで万有に関する私たちの話は今やすでに終わりに来た、と言うことにしましょう。というのも、この宇宙は、死すべき生き物と不死なる生き物を受け取って、このようにして満たされ、目に見える生き物を包括する、それ自身、目に見える生き物として、知性の対象の似像である感覚されうる神として、最大で、最善で、最も美しく、最も完全なものとして生まれたからです。これこそが、唯一無二の宇宙なのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「愛をつかみながら、そして愛につかまれないように無私に愛することは難しい」― ウィトゲンシュタイン『哲学宗教日記 1930-1932 / 1936-1937』より

2024-12-27 09:26:02 | 読游摘録

 講談社学術文庫の今月の新刊ニ冊、ウィトゲンシュタイン『哲学宗教日記 1930-1932 / 1936-1937』(鬼界彰夫訳)とプラトン『ティマイオス』(土屋睦廣訳)の電子書籍版を22日に購入。
 前者の原本は2005年に講談社から刊行され、長らく品切れのために入手困難だったが、今回若干の修正を施して学術文庫化された。後者は学術文庫のための新訳。「プラトニズムの歴史は『ティマイオス』の解釈史にほかならない」(訳者あとがき)にもかかわらず、これまで文庫版の日本語訳はなかった。どちらもまことに慶賀すべき出版だと思う。
 今日は前者から摘録する。
 この日記は、ウィトゲンシュタインの死後40年以上の歳月を経た1993年に発見された。本書はその全訳である。この発見以前にはその存在すら知られていなかったこの日記は、「これまで十分に明らかでなかったウィトゲンシュタインの内的な精神生活、彼の宗教体験、そして彼の哲学的変遷の過程に新しい光を当てるものである」(訳者の「はじめに」より)。
 「『論理哲学論考』から『哲学探究』への巨大な思想的変遷を実現するために哲学者が潜り抜けなければならなかった魂の内的な葛藤と闘いの、血がにじみ出るような生々しい記録だと言うことができるだろう」(「学術文庫版まえがき」より)。
 「『哲学探究』という書物に関心のある読者に対して本日記は、この高名な哲学書に隠されながらもどこかに漂っている著者の実存の響きというものが生み出された現場を提示するだろう。だが何より本日記は、哲学的思考の可能性というものが思考者自身の生(実存)の質に深く依存していることを身をもって示すことにより、哲学がいかに真剣なものなのか(ものであらざるをえないのか)を我々に教えるものだ(同「まえがき」より)。
 この日記の第一部(1930‐1932)が書き綴られていた当時、ウィトゲンシュタインには愛する女性がいた。マルガリート・レスピンガーである。1926年に当時ウィトゲンシュタインが居候していた姉マルガレーテ・ストロンボー邸で二人は出逢い、交際が始まった。マルガリートは、1904年4月18日スイスのベルン生まれ、裕福なスイス人実業家の子女。1930年4月26日、41歳の誕生日を迎えたウィトゲンシュタインは彼女から誕生日プレゼントとしてハンカチを贈られる。その日の日記にウィトゲンシュタインはこう記している。

 私の頭はとても興奮しやすい。今日マルガリートから誕生日にハンカチをもらった。どんな言葉であっても、そのほうが私にはもっとうれしかっただろうし、そしてキスだったらさらにもっとうれしかっただろうけど、それでも私は喜んだ。
 今生きている人間の中で、彼女を失うことは私にとって最も大きな打撃だろう。私は軽はずみでこう言っているのではない。というのも私は彼女を愛している、あるいは愛したいと願っているからだ。

 しかし、5月9日の日記にはこう記している。

私は R.[マルガリート・レスピンガー]に夢中だ。もちろんずいぶん前からそうなのだが、とりわけ今激しく夢中なのだ。けれども、十中八九絶望的だということはわかっている。つまり、いつ何時彼女が婚約し、結婚するかもしれない、という覚悟を私はしなければならないのだ。そしてそれが私にとってきわめて大きな苦痛になろうことはわかっている。だから、いつか切れてしまうことがわかっているこの紐に自分の全体重をかけるべきでない、ということもわかっている。つまり私は両足で大地にしっかりと立ち続け、紐はただつかむだけにしておき、それにぶら下がるべきではないのだ。でもこれが難しいのだ。愛をつかみながら、そして愛につかまれないように無私に愛することは難しい。――うまく行かなくなったとき、それを負けゲームと見なす必要がなく、「心構えはできていた、それでも事は申し分ない」と言えるように愛することは難しい。

 マルガリートへの愛は、ウィトゲンシュタインに、喜びと同じほど、あるいはそれ以上に、苦しみを与えるものであったようである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


〈静心無〉― この世に生きる人の実存的様態

2024-12-26 10:27:16 | 哲学

 昨日の記事で述べたように、『和泉式部集』の一例を除いて、中古の文学作品において「静心」は「なし」と結合してほぼ一語化している。『ジャパンナレッジ』で小学館の日本古典文学全集全文に検索をかけても同様な結果が得られる。昨日挙げた作品以外では『栄花物語』に29例あるのが目立つ。
 語構成としては〈静心+なし〉と分解できるわけだが、「静心」が単独で名詞として用いられることがなく「静心なく」という副詞的用法が圧倒的に多く、体言を修飾する形容詞あるいはその述語としての用例が若干という言語的事実は何を意味しているのだろうか。
 どの古語辞書の「しづごごろ」の項を見ても、「静かな心」「落ち着いた心」といった語釈を示すのみで、そのような心の実在は当然のことのようにみなされており、なぜ用法としては「なし」を伴う例が圧倒的多いのか、その理由についての説明がない。
 人の心の安定した状態としての「静心」を示す例がない(和泉式部歌中の例「しづ心ある褻衣」は「家で落ち着いているときの平常着」の意で人の心の状態のことではない)からといって、「静かな心」「落ち着いた心」という意味での「静心」が現実に経験されることはなかったということにはもちろんならない。そのような平静な状態あるいは常態としての実定的な「静かな心」は、まさにそれが理由で文学作品において取り立てて表現する対象とはならなかったと一応は考えられる。
 では、人の心の状態が平常とは異なる不安定な欠如態に一時的に置かれたときに、その状態で何かが行われる様が「静心なく」と表現されるだけのことなのだろうか。確かに、『源氏物語』や『栄花物語』ではそのような用例がほとんどである。
 しかし、友則の「静心なく花の散るらむ」は、人の心のことではなく、散り急ぐ桜花の落花様態であり、「静心なく」は桜にとって常態である。
 和泉式部の「物思へばしづ心なき世の中にのどかにも降る雨のうちかな」においては、心休まることのない人の世(特に男女の仲)とそれを包み込むように穏やかに降る雨(「降る」に「経る」を、「雨」に「天」を掛ける)とが対比されており、「静心なき」は世(特に男女の仲)の常である。
 昨日も引用した紫式部の「かきくもり夕立つ波のあらければ浮きたる舟のしづ心なき」については、ルネ・シフェールがその『紫式部集』仏訳(Murasaki-shikibu, Poèmes, POF, 1986)の同歌の註で « Il s’agit de tout autre chose que d’une simple description de paysage, la barque secouée par la tempête étant une image de la précarité du destin de l’homme en ce bas-monde. » (p. 24) と指摘しているように、これは単なる叙景歌ではなく、この俗世での人間の運命の不安定さを詠んだ一首である。
 これらの歌が表現している〈静心無〉は、何らかの理由で一時的に静心を失った一過性の心理的欠如態ではなく、モノの不可避的な有限で儚い存在様態、あるいは、静心を求めつつもそれを得られずにこの世を生き続けなければならない人間の実存的様態である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


灯火に静心なくクリスマス

2024-12-25 07:21:46 | 詩歌逍遥

 ノエルの休みに入って読書三昧に耽っている。十日ほど前に購入した Kindle Scribe(2024)で読書ノートを作りながら読んでいる。プレミアムペンの書き心地が期待以上によく、書くことに喜びを覚える。読書ノートとしてだけでなく、講義ノートとしても使っている。
 パスカルにおける inquiétude について思いを巡らし、「不安」以外に訳語はないものかと思案しているとき、「しづごころなく」という表現が思い浮かんだ。
 手元にある十一冊の古語辞典のうち『古典基礎語辞典』を除く十冊には「しづごころ」が立項されている。用例は、一冊を除いて、紀友則の「ひさかたの光のどけき春の日に静心なく花の散るらむ」(古今和歌集・巻第二・春歌下・八四)である。百人一首中の好きな一首として挙げる人が多いこの秀歌(『百人一首』を凡作揃いと切って捨てた塚本邦雄でさえ、『新撰 小倉百人一首』(講談社文芸文庫、2016年)のなかで、「惜春歌として品位のある、優美な、人に好まれさうな歌」と評価している)を、「しづごごろ」の用例として挙げるのは学習用古語辞典として至極穏当な選択である。だが、他の用例はどうなっているのかと気になった。
 友則の歌以外を用例として挙げているのは、小西甚一の『基本古語辞典』(大修館書店、新装版、2011年)である。蜻蛉日記と源氏物語からそれぞれ一例挙げている。「『いとめづらかなるすまひなれば、しづごころもなくてなむ』など語らひて」(中巻・天禄ニ年・鳴滝籠り)、「しづごころなく、このつぼねのあたり思ひやられたまへば」(真木柱)。いずれも、落ち着かない心理状態を意味している。
 その他の用例も気になり、『伊勢物語』『竹取物語』『源氏物語』『蜻蛉日記』『紫式部日記』『和泉式部日記』『更級日記』『枕草子』『古今和歌集』『新古今和歌集』の電子書籍版で検索してみた。「しづごころ」「しづ心」「静心」の三つ表記を入力して検索した。
 結果、用例が見つかったのは『蜻蛉日記』『源氏物語』『古今和歌集』『新古今和歌集』の四作品。『蜻蛉日記』には上掲の例も含めて5例。『源氏物語』には28例。『古今和歌集』には上掲の友則の歌と貫之の一首の2例。『新古今和歌集』に6例(うち一首は『紫式部集』から採られた一首)。
 これらに『和泉式部集総索引』(笠間書院、1993年。この書については 2019年8月6日の記事 を参照されたし)によって調べた3例が加わる。
 和泉式部の一首(「この衣の色白妙になりぬともしづ心ある褻衣にせよ」)を例外として、すべて「なし」という打消の語を伴っており、ほとんど「しづごころなし」という一語として機能している。
 落ち着かない心理状態を意味している例が多いが、自然現象の慌ただしさを描写している例(「雲のただずまひ静心なくて」蜻蛉日記、「置く露もしづ心なく秋風に乱れて咲ける真野の萩原」新古今・巻第四・秋歌上・332)もある。ただ、その場合も、その自然現象の描写に心模様が重ね合わされている。紫式部の一首「かきくもり夕立つ波のあらければ浮きたる舟のしづ心なき」では、風景描写がそのまま人間の実存的様態の表象になっている。
 「しづごころなし」をすべて漢字で表記すれば「静心無」となる。順序を入れ替えて「無静心」とすれば、inquiétude(in - quiétude)の原義に近づく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


Inquiétude は、「不安」ではなく、「現に在るところのものに満足せず、常にその先を求める自発的な性向」である

2024-12-24 10:58:45 | 哲学

 Le Grand Robert (2024)の « inquiétude » の項には、三番目の語義として、Lalande の Vocabulaire technique et critique de la philosophie (17ème édition, PUF, 1991 ; 1re édition « Quadrige », 2002) の « inquiétude » の項から以下の定義が引用されている。

« Disposition spontanée (…) consistant à ne pas se contenter de ce qui est, et à chercher toujours au-delà. »

 「現に在るところのものに満足せず、常にその先を求める自発的な性向」ということだが、(…) で省略された部分には « plutôt active qu’affective »(「情意的であるよりは活動的な」)という補足規定がラランドでは挿入されている。
 つまり、この第三の語義において、inquiétude とは、単に不安定な心理状態のことではなく、何かに向かっての活動を引き起こす心的様態を意味している。
 このような inquiétude の用法はライプニッツの『人間知性新論』に見られるが、ライプニッツはこの語をジョン・ロックの『人間悟性論』のなかの uneasiness の訳語として用いている。
 ロックにおいて、uneasiness とは、不快という情意的な状態のことで、あらゆる意志行為の決定的な原因である。つまり、つまり、現状に何か居心地の悪さあるいは何らかの欠如を感じていることがすべての意志的行動の決定因だというのである。
 このような情意的状態は、意志的に志向されることはなく、各自においていわば「おのずから」感受される。人間の存在様態として「おのずから」発生するこの心的状態が「みずから」起こすあらゆる行動の起動因だと言い換えることもできる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


真理探究の始源としての「安らぎなき心」

2024-12-23 07:18:13 | 哲学

 パスカルの『パンセ』に出てくる inquiétude は「不安」と訳される。例えば、断章19(セリエ版、ラフュマ版400、ブランシュヴィック版427)を見てみよう。

L’homme ne sait à quel rang se mettre. Il est visiblement égaré et tombé de son vrai lieu sans le pouvoir retrouver. Il le cherche partout avec inquiétude et sans succès dans des ténèbres impénétrables.

人間はどんな地位に自分を置いたらいいのかを知らない。彼らは明らかに道に迷っているのであり、自分の本来の場所から落ちたまま、それを再び見いだせないでいる。彼はそれを、見通すことのできない暗黒のなかで、不安にかられて、いたるところに求めているが、成功しない。(中公文庫、前田陽一訳)

 この断章中の訳語としての「不安」を別の日本語に置き換えるのは難しい。ただ、日本語の「不安」の通常の用例からの類推だけでは、パスカルにおける inquiétude の積極的意味は捉えがたい。
 「将来に対する不安」という表現は、将来についての見通しが立たず、あれこれと困難や障害が想像されて、気持ちが落ち着かない状態を意味していることが多い。なにかはっきりとした原因や理由があってあることが心配になるというよりも、むしろそれらがはっきりしないからこそ発生する不安定な心理状態が「不安」である。
 この状態が高じると、今やるべきことに集中できなくなる。つまり、現在の活動が阻害される。行動への意欲が削がれる。このような意味での「不安」に積極的な意味づけを与えることは難しい。
 不安に負けずに今できることに取り組むことができている場合であっても、それは、今できることに集中することによって不安を追い払おうとしているのであって、不安そのものが活動の原動力になっているわけではない。
 ところが、inquiétude は、探し求めているものがあるのだが、それがまだ見つかっておらず、心が満たされていないがゆえに、探し続けずにはいられないという、休むことなき(sans repos)精神の動的状態を意味することがある。
 この意味での inquiétude は、アウグスティヌスの『告白』にその淵源がある。 « fecisti nos ad te et inquietum est cor nostrum, donec requiescat in te. »(I, 1, 1「あなたは私たちを、ご自身にむけてお造りになりました。ですから私たちの心は、あなたのうちに憩うまで、安らぎを得ることができないのです。」) 
 この意味での inquiétude を真理探究の始源とする哲学の系譜の起点がパスカルであるというのが Laurence Devillairs が Philosophie de Pascal. Le principe d’inquiétude, PUF, 2022 で主張しているテーゼである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


母の命日 ―「善き人たちは死ぬものだと言うなかれ」

2024-12-22 07:19:13 | 雑感

 今日は母の命日である。十年前の今日、自宅で最後の息を引き取った。84歳だった。私自身が原因で引き起こされた数々の心配と心労が母の寿命を縮めたのはほぼ間違いない。それらがなければ、今もなお健在だったかもしれない。親孝行と言えることは何一つできなかった。慚愧に堪えない。
 亡くなる日の朝、背中が痛むから擦ってほしいと頼まれた。母の躰に直接触れたのは、おそらく幼少期以後、そのときが初めてだったと思う。しばらくだまって擦ってあげると、「ありがとう」と小さいがしっかりした声で言ってくれた。それが母から聞いた最後の言葉だった。
 亡くなった日の翌日から、感謝と弔いの意を込めて、九日間「たまゆらの記」と題した追悼記をこのブログに綴った。
 それを読み返しつつ、当時を思い起こし、母の生涯を回想しながら、今日一日を過ごしたい。
 昨日の記事で触れた三木清の「幼き者の為に」の冒頭には、古代ギリシアの詩人カリマコスのエピグラムの一行がギリシア語のまま、第一文の主語を省いて掲げられている。それを母の墓碑銘として捧げる。


「聖なる眠りを眠る。善き人たちは死ぬものだと言うなかれ。」
« dort d’un sommeil sacré ; ne dis pas qu’ils meurent, les gens de bien. »