西郷信綱は、その名著『古代人の夢』(平凡社ライブラリー、1993年)のなかで、南方熊楠の「自分を観音と信じた人」という論考から次の一文を引用している。「東西人共多分は、現代の世相人情を標準として、昔の譚を批判するから、少しも思ひやりなく、一概に古伝旧説を、世にありうべからざる仮托虚構でデッチ上た物と断ずる」(16頁)。そしてそれにこう続ける。
この「思ひやり」は事象を時代の文脈そのもののなかで見ることで、歴史的想像力という言葉におき変えることもできる。これはしかし、たんに過去と現代との間にあてはまるだけでなく、夢と覚醒との関係にもあてはまる。夢を覚醒時の意識を以て他の何ものかに因果的に還元してはなるまい、夢はまさしく夢として現実なのであって、部分的覚醒ではないからだ。仏法のありがた味を説くための方便説話ではあるが、かくしてここには夢を信ずべきものとした文化の一つの型が示されているといえる。(同頁)
文中の「方便説話」は、引用部分の前に全文が掲げられた『今昔物語集』の「信濃国王藤観音出家語」(巻十九第十一話)を指している。夢を信ずべきものとした文化の下限がいつごろなのか、私にはよくわからないが、西郷は同書のなかで、夢の神性が信じられた時期の下限を平安末期ないしは鎌倉初期あたりとしている。
『古典基礎語辞典』(角川学芸出版、2011年)の「ゆめ」の項の解説にはこうある。
今日一般的にはユメは眠っている当人の潜在意識に由来すると考えられているのに対して、古代においては、睡眠中には覚醒しているときの世界とは別のもう一つの世界が存在すると信じられており、そこで見えたものであるユメは、他者の意思によって眠っている人物に告知される指示や訓戒、あるいは断罪などさまざまの知らせであると考えられていた。神仏のお告げをはじめ、現実世界でこれから起こることの予言と見なされることが多く、政策の決定や軍事行為などの重大な局面にユメが決断の拠り所にされることもあった。
そのため、ユメの内容には日常的に注意が払われ、「夢合はせ」「夢解き」など、ユメを分析・判断して吉凶を占うことが行われ、それを職業とする者もあった。悪いユメを見たときには、ユメによって予告されている現実の災厄を避けるためにまじないをしたり呪文を唱えたりして、正夢にならないようにした。現在にも残る、悪夢を吉夢に取り替える夢違観音信仰など、現実の世界に作用を及ぼすユメの不思議な力が信じられていたことをうかがわせる習わしは多い。
一方で、覚醒すればたちまちいっさいが消失するところから、修辞的表現上は、はかないもののたとえに用いられた。
夢に対して南方熊楠のいう「思ひやり」なくして古典文学の理解はおぼつかないのは言うまでもなく、夢を別世界とする古代の信仰を荒唐無稽と一蹴する「近代人」がそれだけ豊かな現実世界を生きているとも必ずしも言えないように思う。