内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

『夏の花』から始めた「現代文学」講義

2025-01-31 06:25:37 | 講義の余白から

 昨日の担当授業は、一昨日と同じ学部ニ年生を対象とした「現代文学」。前期開講の「近代文学」は戦中までを扱い、別の教員が担当した。私が請け負うのは、いわゆる戦後文学から平成の終わりまで。といっても12回の授業でできることは限られており、おのずとテーマの選択を強いられる。
 そもそも今年度から私がこの授業を担当することになったのは、現代文学が専門の同僚が今年度から研究員として日本へ出向することになり、最短でニ年、きわめて高い確率で四年間、不在だからである。この担当は消去法による決定で、私が適任者だからではもちろんない。いわゆる「困ったときは〇〇」に私の名前が当てはめられたにすぎない。
 ストラスブール大学日本学科は今年で開設四十周年を迎えるが、文学の授業を古代から現代まで全部担当したことがあるのは私だけである。野球に例えるならば、どこのポジションでもこなせる超ユーティリティ・プレイヤーといったところであるが、それで特別手当があるわけでもなく、将来「殿堂」入りするわけでもなく、要するに、「あいつならなんとかしてくれるんじゃない」という根拠のない淡い期待を背負った「何でも屋」ってことで、別に嬉しくもない。
 まあ、新学科開設の責任者として赴任し8年間勤めた前任校では、日本経済・政治・法律、さらには東アジアの地政学(それも修士課程)まで担当したことがあるし、ストラスブールでも、他校のポストへの採用が決まって抜けた同僚が担当していたメディア・リテラシーを引き継いだこともあったから、それに比べれば、今年度担当科目は「おだやか」なものです。
 気の毒なのは、私ではなく、学生である。私の専門分野が「哲学」らしいということを彼女ら彼らは薄々知っているが、まさにそうであるからこそ、「現代文学」の担当教員が「なんで〇〇なの?」と訝しく思い、さらには不審の眼差しを私に向ける学生がいたとしても不思議はない。
 しかし、そこは百戦錬磨のベテランである。テキトーにうわべを取り繕う手立てにはストックがかなりある。それらを使い回して今学期を乗り切るのが私自身のパーソナルで極秘の目的である。
 昨日は、初回だから、授業概要、成績評価・試験方式、提出課題など、前置き的な話で時間を稼ぎ(って、この使い方間違ってるか?)、ついで、基本方針として、小説中心の文学史的説明という偏向を排し、詩歌・劇文学・評論・エッセイなど、とかく軽視されがちな分野にも広く眼を配る、とぶち上げて、小説についての説明が手薄になることへの事前の正当化を密かに行い、さらに、フランスでもよく知られ、翻訳も多数出回っている作家は軽く扱い、これまであまり注目されてこなかった作家や作品を紹介するという独自性を前面に出して学生の気を引き、毎回コラム的・箸休め的に近現代詩歌を紹介する時間を設けるという変化球を投げ、その日扱うテーマと関連する漫画やアニメや映画を紹介することもあるかも知れないと期待をもたせるというおまけをつけた。
 そのうえで、戦後文学の一つの出発点として、原民喜の『夏の花』(仏訳あり)を紹介した。紹介後、この作品に描かれた原爆投下前後の広島の光景との関連で、片渕須直監督のアニメーション映画『この世界の片隅に』のなかの原爆投下直前直後のシーンをちょっと見せたところで残り30分。
 その時間には、この授業のメインテキストとして使う『新日本文学史』(文英堂、2106年)の編著者たちによる気品溢れた、しかし気合が入りすぎて難解な「はじめに」をぶち込み、学生達を呆然とさせておいたうえで、「でも、心配することはないですよ。このテキスト、高校生向けだけれど、この「はじめに」を一回読んだだけで理解できる高校生はほとんどいないと思います。でも、大事なのはその中身ですから」と私自身が用意した仏訳を読み上げたところで、授業終了。
 その「はじめに」の全文は以下の通り。

 日本文学史と名づけられる書物の数は、はなはだ多い。しかしながら、文学史とは何か、また文学史はどのように学ばれるべきかについての明確な意識につらぬかれた書は、いたって少ない。単に作家と作品と文学に関する諸事項についての知識を、それらの生起した時間的序列に従って蓄えるのが文学史学習の目的ではあるまい。
 いったい、文学という事実は、我々が主体的にそれとかかわることによって、その姿を立ち現すのである。したがって、文学はつねに我々の現在的経験としてのみ存在するのだといえようが、しかし、そのことは、過去の時代の文学遺産を、現在の我々の立場からほしいままに鑑賞したり解釈したりしてよいということではない。過去の文学を現在の経験として存在させるということは、それらを現在にひきすえようとしても、そのことを拒否するそれぞれの固有性に目を開き、過去の文学と我々との間の距離を自覚し、両者を見直す往反運動を重ねることによって、過去から現在へと連なる血脈をさぐりあてるという作業なしには不可能なのである。
 本書は、現在の我々が過去の文学とそのような関係を正しく取り結ぶための指針の書として編まれたのであり、そうした目的のもとに、全時代にわたる文学の諸事実を歴史的に体系だてたものである。執筆にあたっては、日本文学の研究者として現在第一線に立つ気鋭の諸氏六名に強力を依頼したが、これらの諸氏の熱心な討議を経て書き下ろされた本書は、高校生諸君の文学史学習のための最適な書となりえていることは、編著者の大いなる喜びである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


悪夢への意趣返し、あるいは悪魔祓、そして、偽装された哲学講義としての「仏文和訳」

2025-01-30 07:59:30 | 講義の余白から

 水曜日には二コマ担当授業がある。前期から引き続いての「日本思想史」(学部三年生対象)と後期のみで今年度から導入された学部ニ年生対象の「Thème」(自国語から外国語への翻訳作文、日本学科の学生にとっては仏文和訳)である。
 前者は、フランスでの二十七年間の教育経験のなかで、もっとも熱が入り、もっとも楽しんでいる講義である。後期に取り上げる最初のテーマは、『風姿花伝』における「花」、である。このテーマを選んだのは、新年早々見た悪夢(1月6日の記事を参照されたし)への意趣返し、あるいは悪魔祓という意味合いもあると勝手に思っている。だから、ものすごく入念に準備した。
 今日はイントロダクションで、来週は、自分の論文 « Le geste dans le théâtre nô : approche phénoménologique — Réflexion phénoménologique sur la forme vivante, mise en scène dans le théâtre nô —»(in La Fleur cachée du Nô, textes réunis et présentés par Catherine Mayaux, Honoré Champion, Paris, 2015) に基づいて話す。
 「仏文和訳」のほうは、まだ日本語を学びはじめて一年半ほどの学生が大多数であるニ年生対象であるから、構文的・語彙的にそう高難度な文章を課題とすることはできない。かといって、平易ではあるがありきたりの文章ではこっちがつまらないし、そう思ってやっているとその気分が学生達にも感染してしまう。そこで、私自身で仏文和訳のためのアンソロジーをぼちぼち作っていくことにした。
 初回の今日は、翻訳の的確性を判断する三つのレベルについてまず説明した。それは、構文、文脈、社会・文化という三つのレベルである。この三つのレベルは、相互浸透的で、完全に別々に扱うことはできないが、まずは構文レベルから始める。つまり、文脈その他の要素を一旦考慮外に置き、元のフランス語文の意を適切な日本語の構文に移すことから始める。
 始めてみてすぐにわかることは、文脈抜きでは、適切な語の選択からして決定できない場合がいくらでもあるということである。さらに、構文は完全で文脈からして誤解の余地はなくても、日本社会の慣習として、そういう言い方は普通しないという場合も少なくない。
 つまり、翻訳は社会・文化的レベルまで理解が及ばないと完了しない。言い換えれば、翻訳は社会と文化を学ぶ一つの方法なのである。
 授業で出した一例は « Il pleut ! » という短文である。「君たちはどう訳しますか」と聞くと、すぐに「雨が降っています!」という答えが返ってきた。「正解。他の訳し方はないですか」と聞くと、「雨が降っている!」と常体に言い換えた学生がいた。これももちろん正解。「でもね、文脈次第でもっといろいろな訳がありうるんだよ。例えば、「雨!」だけでもいいし、「雨だ」でもいいし、「雨よ」もありうるし、まだまだ他にも考えらられる。」
 誰がどんな状況で誰に対して言ったのか、その人はどんな性格なのか、どんな心理状態なのか、などなど、さまざまな要素を考慮すればするほど、訳のヴァリエーションも広がる。
 もう一例は、 « Il fait froid. » / « J’ai froid. » これは「寒い」一言でもOKだし、若者たちは「さむ!」って縮めていうことも多い。「こわ」「はや」「おそ」などなど、形容詞の変化語尾「い」を省略する言い方は今ではまったく日常言語化している。と説明したうえで、「私は嫌いだし、自分では絶対に使わないけどね。君たちも、教室の外で使うのは勝手だけど、私の前では使わないでくれ」と釘を指しておいた。
 すると、最前列に座っていた女子学生が、「先生、あえて「さむ!」と訳すことで、それが使われた会話の雰囲気を伝えられるということはありますか」と聞いてきた。「とてもいい質問だね。そう、たった一語、的確な選択をすることで、その場の雰囲気について他の説明を加えなくても伝えられることもあるね。」
 そして、感謝の表現例を説明したときには、「あざす」とか「あざーす」が何を意味するかは知っておいてもいいが、「私の前では絶対に使うな。使ったら単位はあげないからな」と脅しておいた。
 授業の締めくくりは、デカルトとモンテーニュ。
 « Je pense, donc je suis. » 学生達は一年のとき、人あるいは生き物の所在を示すときは「いる」、無生物は「ある」と教わる。ところが、ここで「いる」は使えない。なぜか。これはもう翻訳の問題ではなく、ここからは哲学の問題だ。
 モンテーニュからは、 « Quand je danse, je danse : quand je dors, je dors. » 私の手元にある日本語訳は、すべて、漢字かひらがなかの違いを除けば、「私/わたし」を文頭に一回置いているだけ。ところが、原文では « je » が四回も繰り返されている。どうして日本語訳では繰り返さないのか。この問いに答えるには、助詞「は」の機能の理解が必要である。
 来週は、パスカルとヴァレリーから課題文を選ぶつもりだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


後期の授業が始まる ―「日本事情」

2025-01-29 04:22:50 | 講義の余白から

 今週月曜日から後期の授業が始まった。月曜日から早速一コマ担当授業があった。応用言語学科・英日併修コースの一年生向けの「日本文明」で、これは前期担当した「日本文明入門」の続き。
 週一時間の授業で、受講者は四〇名程度。まあ、概してよく聴いてくれているけれど、受講者諸君が実のところ日本のどんなところに関心をもっているのはよくわからずに授業内容を組み立てている。
 前期の最初の三回は、現代日本を代表する名作アニメーション映画である『かぐや姫の物語』『君の名は。』『聲の形』をそれぞれ題材とするという、若者の「気を引く」という戦術を採用し、これは見事に当たった。
 その後の三回はけっこう重厚な内容を扱ったが、問題そのもの ―〈和〉の原理の根本的欠陥、二次的自然の文化的創造、『風姿花伝』における「花」― には関心をそれなりもってくれたようで、前期中間試験の成績はまずまずであった。
 後半は、日本列島の地理的紹介。北海道から沖縄まで、一道・三十二県、日本列島を南下する形で紹介していった。試験結果はまあまあってところ。近畿地方の二府五県と関東地方の一都六県は時間が足りなくて触れることさえできず、後期に回し、一昨日の授業で足早に紹介した。
 この地理的紹介の目的は、日本列島全体についての地理的イメージ、特にその多様性を理解してもらうことにある。というのも、日本学科の学生でさえ、日本の地理を一通り勉強する機会はなく、近畿や関東など日本の中心的な都市が集中する地方については歴史の授業でいくらかは知識を得ることはあっても、おそらく都道府県名を全部言える学生はゼロに等しく、ましてや各県・各地方の特徴を簡単にでも説明できる学生はいない。
 かねがねこのような地理的知識の欠落が気になっていたが、今年度一年生のこの授業を担当する機会を与えられ、その欠をいくらかでも補うべく微力を尽くした次第である。
 後期は、科目名から「入門 introduction」という語が外れて「日本文明 civilisation japonaise」となったから(私がそうしたわけではなく、カリキュラム上そうなっているだけのことだが)、もう好き勝手にやることにした。
 科目名を直訳すれば「日本文明」だが、実質は「日本事情 choses japonaises」紹介みたいなものであり、日本史は、ニ年次・三年次に古代から現代まで通史を勉強するから、歴史には直には触れないという制約もあり、日本についての知識がまだ乏しく無邪気なフランスの若者たちに、「日本ってこんな感じですよ」と、数十年にわたって蓄積された豊富な経験と深い知識と凝り固まった偏見に基づいて、一方的に講釈するってところですかね。
 誰ですか、学生たちが可哀想って、呟いているのは? 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「真の抒情詩としての生命的な達成」― 川口久雄『菅家文草 菅家後集』解説より

2025-01-28 00:29:33 | 読游摘録

 川口氏は、『菅家文草 菅家後集』解説の「結び、文学史的地位」を道真への深い敬愛と真率な共感がこめられた以下のような文章で締め括っている。

 道真の詩を虚心によめば、そこにいつの時代にもかわらぬ人間のかなしみ、人間の勁さと弱さ、この四季のうつりかわりのみずみずしさ、島国の自然の美しさが浮彫りされる。大和物語にみる恋愛追求の人間模様を背景に、平和な平安宮廷生活にくりひろげられる妖艶美を極めたきらびやかな文学精神の反面に、愛児を失い、両親を先立たせて慟哭する赤裸な人間性を吐露した作品、転任を余儀なくなれる役人生活の憂鬱、学者同志の嫉視反目のなかにあえぐ研究者のなやみ、教育者として学生を指導する喜びと悩み。最後に西府の謫所で呻吟するどん底人間の悲しみの告白―― 一人の人間の生涯の歴史が、彫り深く、あざやかな陰影をもって、かくも劇的に自照された例ありや。真の抒情詩としての生命的な達成がここにみられる。私は道真に対する新しい関心と批判がよびおこされることを信ずる。

 このような讃辞を捧げることができる研究対象をもった研究者は幸せであると私は思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「後進文化圏としてのおのれを展開させるみち」― 川口久雄『菅家文草 菅家後集』解説より

2025-01-27 00:00:00 | 哲学

 昨日の記事で引用した川口久雄『菅家文草 菅家後集』解説の「結び、文学史的地位」に提示された雄大な比較文化・文学的視座は示唆的である。

大陸の異質な文化の重圧にたえて、東海の島国に自国文化を形成してきたわが古代にあって、巨大な中国古典遺産をたとえひきうつしにせよ、継承することが、後進文化圏としてのおのれを展開させるみちであった。原型とはやや次元を異にし、変容されたものではあっても、異質な文化的重圧はかくしてのみのりこえられるべきであった。言語・文学の面についていえば、漢文という古典の言語・文学の形式が日本化して日本漢文を形成する過程において、同時に日本語および日本文学の形式に影響を与えずにはやまなかった。すなわち日本語を洗練し豊富にし、また日本文学に芸術的生命をふきこみ、それ以後の展開を可能ならしめた。古今の真名序から仮名序の散文が、寛平期の漢文の散文形式から、延喜・天暦期の日本語の散文が生まれでてくる。きくところによれば、ちょうどラテン系の諸形式から、ヨーロッパ・バロック文学が生まれてくるように。源氏や枕の文体さえも、このような漢文系の形式と内容との影響をうけて形成されることが分析されつつある。そしてかような道筋は、明治において西欧という異質文化の重圧をうけた際に、奇しくも同じ足跡をたどろうとして現に苦闘しつつあるのである。こういう意味において、わが国の精神文化の形成を考える上において、道真において典型的にみられる漢文学の受容と日本漢文の形成は今日においても無意味ではあるまい。

 圧倒的な優位に立つ古代中国文明・文化に飲み込まれてしまうことなく、その摂取と変容と「うつし」を通じて数世紀をかけて徐々に形成されていったのが中古の日本語であるとすれば、明治以降急速に摂取・受容された西洋文明・文化をその不可欠の栄養素としながら、それを十分に吸収したとはいえない現代日本語はまだ形成途上にあるのではないだろうか。そうであればこそ、二つの外なる源泉から繰り返し養分を吸収することで形成されてきた日本語は、外に学ぶということ忘れなければ、これからもまだまだ「成長」できる言語なのかも知れない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「人間の奥底にひそむやむにやまれぬ名付けがたいもの」― 川口久雄『菅家文草 菅家後集』解説より

2025-01-26 05:39:02 | 読游摘録

 岩波日本古典文学大系の川口久雄校注『菅家文草 菅家後集』(1966年)は、大岡信の道真論にとって「最も重要な拠りどころ」である。
 幸いなことに、弊日本学科には、同大系全巻がいつでもすぐに閲覧できるように共同研究室の書架に並んでいる。教員以外、それも古文を参照する必要がある二人の同僚以外、まず誰も開きもしない。いや、近づきもしないだろう。それに、現状では、寄贈された雑多な本が大系全巻の前を覆っていて、函の背表紙さえよく見えない。そんなきわめて「良好な」保管状態なので、全巻本体はほとんど新本のようにキレイなままだ。赴任十一年目だが、この間同大系をもっともよく利用しているのは私である。
 『菅家文草 菅家後集』を先日借り出してきた。全巻寄贈されてから三十年ほどになると思われるが、今回はじめて本体が函から取り出され、開かれたのは間違いない。
 同巻の校注者、川口久雄による巻頭解説は、本文だけで六十頁に及ぶ雄編である。大岡信はこの解説について、「多くの蒙を啓かれただけでなく、校注者川口氏の道真の文学によせる情熱にいたく感銘を受けた」と称賛している。同書は現在も道真研究の基本文献の一つとされている。
 大岡信が『詩人・菅原道真』のなかに引用しているその解説の一節を摘録しておきたい。

道真は晴れのとき、おおやけのときには、これまでの日本文学にみることのできなかった繊細妖艶を極めた美の世界をことばで構築してみせた。わたくしのとき、ひとりのときには、人間の奥底にひそむやむにやまれぬ名付けがたいものに肉迫して、これに表現を与えた。彼は十世紀の列島社会において、言葉の真の意味で文学したひとりの人間といえよう。彼はわが文学史の上で、和漢ふたつの領域に出入した、まれにみることばの魔術師であり、ことばとの格闘者であった。彼の作品における和習そのものが、ある意味ではかかる道筋の軌跡ともいえよう。彼は日本人の言語表現の能力の振幅をひろげ、多様さと豊富さとをもたらした。感情の微妙さ、繊細な顫動とてりかげりを自由に表現する技術と語法とをきりひらいた。彼の作品が千年の風雪にたえて生きのこりえたのも、あながち天神信仰のせいばかりではあるまい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「詩人は独りぼっちでいてくれた方がよい」― 大岡信『詩人・菅原道真――うつしの美学』より

2025-01-25 00:00:00 | 読游摘録

 菅原道真の「冬夜九詠」の最後の一篇「残燈」。

耿耿(かうかう)たる寒き燈(とぼしび) 夜(よは)に書(ふみ)を讀む

煙嵐(えんらん)の牖(まど)を渡りて 如何にかせむ

微心半(なかば)死にて 頻に挑(かか)げ進めば

(くじ)き盡(つく)す 枯れ蒿(よもぎ) 一尺餘り

 耿々たる寒燈のもと 夜ふけて書を読む

 煙霧のごとき風が窓をうって どうしたらいいのか

 わが心も灯芯もなかば死なんとして なおも芯をかきたて読み進めば

 枯れよもぎの灯芯はついに燃え尽きてしまった一尺余り

 この詩そのものが心深く浸み込んできたばかりでなく、この詩についての大岡信の評釈にも私は心を打たれた。それは、ひとりの詩人が詩の制作現場でもうひとりの詩人と対話しているかのようである。その一節を省略なしに引用する。

 「微心」は、自らの心と燈火の芯とのダブル・イメージでしょうが、この「微心半死頻挑進」という一行は、詩句の内側からむくむくと渦が湧き立ってくるような運動の美をもっています。それが次の「折尽枯蒿一尺余」の詩句に向かってのしかかり、一緒にどっと倒れ伏す感じを生み出しているのは、みごとというほかありません。

 道真はこういう内省的で瞑想的な詩において、あきらかに現代の詩人です。つまり今もなお生きている詩人です。

 中国の詩に深く学び、模倣を通じてその形式をわがものとし、官僚としての自身の生活に密着取材することを通じて詩の中身を独創的なものに鍛えあげ、つまりは「うつし」そのものにおいて独創性を発揮したのが、菅原道真という詩人の生成過程の、秘密でも何でもない秘密だったのだと言えるでしょう。

 この人の悲劇に終った生涯は神話化されるにふさわしいものでしたが、私はこの詩人の詩を読むことを通じて、彼の神話を解体し、制作現場の詩人を呼び戻そうと思うのです。その観点からすれば、詩人は独りぼっちでいてくれた方がよい。透明度が高いからです。道真の讃岐が、そして大宰府が重要なのはそのためです。

 


「身に関る万事 自然に悲し」、あるいは詩作の動機としての「深い人生の悲哀」― 菅原道真『冬夜九詠』に触れて

2025-01-24 00:28:01 | 詩歌逍遥

 大岡信の『名句 歌ごよみ』(全五巻、角川ソフィア文庫、1999-2000年)は、折に触れて紐解くお気に入りのアンソロジーである。「冬・新年」「春」「夏」「秋」「恋」の五分冊になっている。所有しているのはいずれも電子書籍版なので、手に取って気ままに頁をめくるということはできないが、テーマに沿って、即かず離れず、あたかも連歌・連句のように並べられた名句・名歌のいくつかをそのときの気分に合わせて嘆賞したり、それらに付された大岡の簡潔な評釈に詩歌の鑑賞の仕方を学んだり、興味をもった言葉が使われている作品を検索エンジンで網羅的に探したりして楽しんでいる。
 今日の記事のタイトルに挙げた菅原道真の漢詩には「冬・新年」篇で出会った。七言絶句九篇のうちの「独吟」と題された一篇である。

(とこ)寒く枕冷(ひややか)にして 明(よあけ)に到ること遅し
(あらた)めて起きて 燈前に独り詩を詠む
詩興変じ来りて 感興をなす
身に関る万事 自然に悲し

 この詩に大岡は次のような評釈を付している。

 冬の夜、寝床に入っていても寒さを覚えるほどで、枕も冷たい。夜明けにはまだまだ間がある。仕方なく再び起き出て、灯火のもと詩を作ろうとする。ところが、詩句を案じるうちに気分が変わってきて、わが身の来しかた、行く末、さまざまな思いが湧きたって感慨にふけることになってしまう。どういうわけか、わが身に関わることはすべて、何がなし悲しみの色を帯びているのだ。

 昨日の記事で話題にした『詩人・菅原道真――うつしの美学』のなかにもこの漢詩は引用されている。この作品について大岡は次のような興味深い見解と評釈を示している。

 詩の制作心理に多少とも関心を抱く向きには、この短詩はなかなか興味ある観察材料を提供しているでしょう。
 まるでこの詩人は同時代の人であるような気が、私にはいたします。[…]すなわちこの詩は、詩の制作現場の描写として上乗の出来具合を示しています。
 冬の夜、寝についたもののあまりの寒さに眠ることができない。夜は長い。やおらまた起き出して、燈火をともして独り詩を詠もうとするうち、一種の自転エネルギーのごときものの働きが詩興そのものの内側で活潑になり、湧然たる感興が形づくられる。その感興の中心にあるのは、しかしながら悲哀の感情だ。思えば身に関わる万事、自然に悲しいのだ。

 この一節を読んで、詩作の動機もまた「深い人生の悲哀」でなければならない、と私は言いたくなった。


文庫本をカバンにしのばせて歩き、ときに取り出して読む愉楽

2025-01-23 06:54:18 | 雑感

 所有している電子書籍の数も日仏英合わせてかれこれ三千冊ほどになり、紙の本と合わせると蔵書一万冊ほどかと思われる。
 電子書籍の占める割合が近年徐々に増加しているのは事実だが、電子書籍を「愛している」わけではない。電子書籍購入は、利便性・実用性・効率性・経済性の点で紙の本に勝る場合、あるいは紙版が入手できない場合が圧倒的に多い。研究上重要な本は紙版と電子書籍版両方を購入し、マーカーや書き込みはすべて電子書籍版で行う。つまり、電子書籍は仕事と余暇のために日々大いに役に立っている。だから、とても「感謝」はしている。
 実用面からも紙の本が電子書籍に勝る点が多々あることは事実だが、それらを抜きにしても、紙の本への私の愛着あるいは執着はいまだに深い。
 なぜだろう。
 一つには、一冊一冊異なる物としての質感がある。これは感覚と記憶に関わる。電子書籍をPC・タブレットあるいはリーダーで読むとき、一冊の本を手にしているという感覚はないに等しく、したがってその一冊に固有の感覚の記憶も残らない。
 一つには、鑑賞のさいの「味わい」が違う。喩えていうならば、同じ味噌汁でも、木製の椀と金属製のマグカップとでは、おのずと味も違うだろう。そんなのは気の所為に過ぎず、中味は同じだし、栄養価も同一じゃないかと言われるかもしれないが、盛り付ける器によって同じ料理の味が微妙に変化するものではないか。
 実用一点張りのときやただ腹を満たしたいときは器などどうでもよいかもしれない。しかし、中味を味わいたいときには器にもこだわりたいではないか。
 なんでこんなことをくだくだと書いているかというと、今、大岡信の『詩人・菅原道真――うつしの美学』(岩波文庫、2020年)を電子書籍版で読んでいるところで、中味は素晴らしいのに、PCやタブレットの画面で活字を追うだけなのがいかにも味気ない。この稀有な名著、初版は1989年、岩波現代文庫版が2008年刊、そして岩波文庫として復刊されたのはつい5年前だというのに、その文庫版が現在版元品切れ状態なのである。中古本なら入手可能ではあるが。
 じっくりと繰り返し読みたいこのような名作の文庫版をカバンにしのばせて出歩き、折り触れて取り出して読むのは、こっそりと美酒を味わうにも似た愉楽である。
 早く復刊してください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


小雪舞うなか、歩いて本を取りに行ったら、草原で羊の群れに遭う

2025-01-22 15:32:19 | 雑感

 ネット上で購入した紙の本を自宅以外の受取場所に取りに行くことが月に何度かある。注文時に受取場所の候補のなかから最も都合良い場所を普通は指定する。大抵は自宅から一番近いところを選ぶ。複数の受取可能な場所が距離の点で大差ない場合は、受取可能曜日・時間帯がより幅広い場所を選ぶ。これまで、受取に関して特段のトラブルはなかった。
 ただ、配送請負業者によっては、こちらの承諾なしに、何らかの理由で、受け取り場所を一方的に変更してくることがたまにだがある。今日受け取りに行った本がそうだった。昨日夜に受取場所への配達が完了したとのメールが届いたのだが、その受取場所が指定した最寄りの場所ではなく、自宅から2,5キロほど離れた場所に変更されている。
 以前だったら、「なに勝手に変更してんだよ!」と腹を立てていたに違いない。ところが、ジョギングを日課とするようになってから、受け取りを兼ねてジョギングあるいはウォーキングすればいいやと、少しも腹が立たなくなった。自転車ならば往復で30分も見れば十分だが、そんな楽をしては「もったいない」と思ってしまう。
 で、今朝、小雪舞う中、歩いて取りに行った。なぜ走らなかったかといえば、深夜に降った雪で歩道は覆われており、走ると滑って転ぶ危険があると思ったからである。
 それに、歩行にはそれなりの思考のリズムがあり、歩行の速度でしか見えない景色もある。
 本を無事受け取り、そのまま帰ろうかとも思ったが、せっかくここまで来たからと、帰り道とは反対方向に歩き始めた。
 倉庫や会社が両側に並んでいるだけの殺風景な道路だが、以前何度か走ったとき、その先には何があるのか、ちょっと気になってはいた。
 建物が尽きたところから白銀の雪化粧で覆われた樹々の間を舗装路が続いている。どこに出るのかわからないまま歩き続けた。
 数分も歩くと、薄っすらと雪に覆われた草原が見えてきた。これは予想外だった。その草原の隅では、暖かそうな厚毛に包まれた羊たちが群れをなして朝食の冬草を食んでいる。私に気づくと、顔を上げて警戒するようにこちらをじっと見ているのが何頭かいる。近づいて写真を撮ろうとすると、みんな一斉に逃げ出した。少し離れたところから振り返り、「なに、こいつ、あやしい」という目でみんな私を見ている。それがおかしくて思わず笑ってしまった。何枚か写真を撮らせてもらって礼を言ってから、一本道を歩き続ける。
 一時間歩いてもまだ先がありそうなので、ここから先は次回のお楽しみということで、踵を返し、帰路につく。都合10キロあまり歩く。