内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

「愛をつかみながら、そして愛につかまれないように無私に愛することは難しい」― ウィトゲンシュタイン『哲学宗教日記 1930-1932 / 1936-1937』より

2024-12-27 09:26:02 | 読游摘録

 講談社学術文庫の今月の新刊ニ冊、ウィトゲンシュタイン『哲学宗教日記 1930-1932 / 1936-1937』(鬼界彰夫訳)とプラトン『ティマイオス』(土屋睦廣訳)の電子書籍版を22日に購入。
 前者の原本は2005年に講談社から刊行され、長らく品切れのために入手困難だったが、今回若干の修正を施して学術文庫化された。後者は学術文庫のための新訳。「プラトニズムの歴史は『ティマイオス』の解釈史にほかならない」(訳者あとがき)にもかかわらず、これまで文庫版の日本語訳はなかった。どちらもまことに慶賀すべき出版だと思う。
 今日は前者から摘録する。
 この日記は、ウィトゲンシュタインの死後40年以上の歳月を経た1993年に発見された。本書はその全訳である。この発見以前にはその存在すら知られていなかったこの日記は、「これまで十分に明らかでなかったウィトゲンシュタインの内的な精神生活、彼の宗教体験、そして彼の哲学的変遷の過程に新しい光を当てるものである」(訳者の「はじめに」より)。
 「『論理哲学論考』から『哲学探究』への巨大な思想的変遷を実現するために哲学者が潜り抜けなければならなかった魂の内的な葛藤と闘いの、血がにじみ出るような生々しい記録だと言うことができるだろう」(「学術文庫版まえがき」より)。
 「『哲学探究』という書物に関心のある読者に対して本日記は、この高名な哲学書に隠されながらもどこかに漂っている著者の実存の響きというものが生み出された現場を提示するだろう。だが何より本日記は、哲学的思考の可能性というものが思考者自身の生(実存)の質に深く依存していることを身をもって示すことにより、哲学がいかに真剣なものなのか(ものであらざるをえないのか)を我々に教えるものだ(同「まえがき」より)。
 この日記の第一部(1930‐1932)が書き綴られていた当時、ウィトゲンシュタインには愛する女性がいた。マルガリート・レスピンガーである。1926年に当時ウィトゲンシュタインが居候していた姉マルガレーテ・ストロンボー邸で二人は出逢い、交際が始まった。マルガリートは、1904年4月18日スイスのベルン生まれ、裕福なスイス人実業家の子女。1930年4月26日、41歳の誕生日を迎えたウィトゲンシュタインは彼女から誕生日プレゼントとしてハンカチを贈られる。その日の日記にウィトゲンシュタインはこう記している。

 私の頭はとても興奮しやすい。今日マルガリートから誕生日にハンカチをもらった。どんな言葉であっても、そのほうが私にはもっとうれしかっただろうし、そしてキスだったらさらにもっとうれしかっただろうけど、それでも私は喜んだ。
 今生きている人間の中で、彼女を失うことは私にとって最も大きな打撃だろう。私は軽はずみでこう言っているのではない。というのも私は彼女を愛している、あるいは愛したいと願っているからだ。

 しかし、5月9日の日記にはこう記している。

私は R.[マルガリート・レスピンガー]に夢中だ。もちろんずいぶん前からそうなのだが、とりわけ今激しく夢中なのだ。けれども、十中八九絶望的だということはわかっている。つまり、いつ何時彼女が婚約し、結婚するかもしれない、という覚悟を私はしなければならないのだ。そしてそれが私にとってきわめて大きな苦痛になろうことはわかっている。だから、いつか切れてしまうことがわかっているこの紐に自分の全体重をかけるべきでない、ということもわかっている。つまり私は両足で大地にしっかりと立ち続け、紐はただつかむだけにしておき、それにぶら下がるべきではないのだ。でもこれが難しいのだ。愛をつかみながら、そして愛につかまれないように無私に愛することは難しい。――うまく行かなくなったとき、それを負けゲームと見なす必要がなく、「心構えはできていた、それでも事は申し分ない」と言えるように愛することは難しい。

 マルガリートへの愛は、ウィトゲンシュタインに、喜びと同じほど、あるいはそれ以上に、苦しみを与えるものであったようである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「この世界の中に何らか統計学と「必然性」以外のものを発見しようという希望を棄てることを欲しない人たち」― レフ・シェストフ『悲劇の哲学』と九鬼周造『偶然性の問題』より」

2024-12-19 13:17:26 | 読游摘録

 昨日話題にしたル・モンド紙の記事のうち授業で翻訳の課題対象としたのは最初の三分の一くらいで、学生たちの日本語訳はおよそ800字前後である。
 その部分の最後の一文は、 « les statistiques qui fondent les calculs des algorithmes tendent à réduire le possible au probable, et que cela est en contradiction avec la singularité de la langue, qui est une condition de toute pensée véritable. » となっている。「アルゴリズム計算の基礎となる統計データは、可能性を蓋然性に縮小する傾向があり、このことは、すべての真の思考の条件である言語の特異性と矛盾する」というほどの意味である。
 「ありうること」を過去のデータに基づいて「ありそうなこと」へと還元してしまうのが統計であり、それに基礎を置くアルゴリズム計算は、人間の真の思考の条件であるところの、これまではなかったけれども「ありうる」ことを考えるができるという言語の特性とは相容れない。筆者はそう言いたいのであろう。
 この一文で言及されている言語の特異性について、同記事の後続部分にさらに立ちった説明があるわけではないから、これ以上突っ込んでもしょうがないのだが、アルゴリズム計算は必ずしも思考の自由を妨げるわけではなく、むしろそれを基礎づけもするのであるから、このような一面的な論拠によってAIに対して人間の自由で創造的思考を擁護することは難しいと思う。
 ただ、統計データ、蓋然性、さらには必然性のみに依拠し、偶然性を排除してしまうことが思考の自由、創造的な発想、未知なるものとの邂逅へと開かれた心などを萎縮させてしまうということはあるだろう。
 九鬼周造は『偶然性の問題』の序説で、レフ・シェストフの『悲劇の哲学』なかの言葉を借りて、「我々は「この世界の中に何らか統計学と「必然性」以外のものを発見しようという希望を棄てることを欲しない人たち」に属する」と宣言している。九鬼が参照しているのは『悲劇の哲学』の仏訳(1926年)で、 その原文は « ceux qui ne veulent pas renoncer à l’espoir de découvrir dans le monde autre chose que la statistique et la « nécessité » » (Léon Chestov, La philosophie de la tragédie, Le Bruit du Temps, 2012, p. 49) となっている。
 AIがあらゆる分野を席巻する現代、「偶然性の存在論的構造と形而上学的理由とをでき得る限り開明に齎すことを願う」『偶然性の問題』は新たな光の下に読み直されるべきときなのかも知れない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「ありてなければ」― 『古今和歌集』における「存在と無」

2024-12-09 23:59:59 | 読游摘録

 竹内整一氏には『ありてなければ』(角川ソフィア文庫、2015年)というタイトルの著作があるが、この「ありてなければ」は、『古今和歌集』巻十八雑歌下のなかの詠み人知らずの次の一首から取られている。

世の中は夢かうつつかうつつとも夢とも知らずありてなければ(942)

 同書のなかで竹内氏はこの一首について次のように注解している。

 この世の中、あるいは男女の仲(当時、平安女流において「世の中」は「男女の仲」という意味合いでも使われていた)というものが、今たしかに「ある」ということを自分は知っている。しかしそれは、同時に、いつか「なくなる」こと、あるいは、もともとは「なかった」ものだということも知っている。そうした、有‐無の微妙な認識です。有は有であるままに、いわば、無に足をすくわれているわけです。(30頁)

 角川ソフィア文庫版『古今和歌集』の訳注者高田祐彦氏は同歌を「世の中は夢か現実か。現実とも夢ともわからない。存在していて存在していないのだから」と現代語訳し、「存在と無は一つであるという、すぐれて哲学的な歌であり、多くの「はかなさ」を詠む古今集歌にとって、一種の思想的な支柱ともいうべき歌。天台の教理に基づくという説もあるが、限定する必要はあるまい」と注解を加えている。
 この歌が「詠み人知らず」なのも何か示唆的である。
 この一首、ミッシェル・ヴィエイヤール=バロン先生の名仏訳ではこうなっている。

Ce bas monde
Est-il songe ou réalité ?
Réalité ou songe
Je ne le saurais dire, car
Il existe sans exister.

 「ありてなければ」が「在ることなし在る」あるいは「存在することなしに存在する」と訳されている。この仏訳もまた私を瞑想へと誘ってくれる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「何のわけも判らない言語の中に、音楽にみるような韻律があり」― 杉本鉞子『武士の娘』より

2024-12-08 21:10:55 | 読游摘録

 明日の「日本思想史」の授業では、年度開始前の夏休み中から前期で取り上げるテーマの一つとして予定していた「おのずから」と「みずから」の関係について話す。竹内整一氏の『「おのずから」と「みずから」 日本思想の基層』(ちくま学芸文庫、2023年)を授業中にも参照するつもりでいたのだが、いざ授業で学生たちに読ませる箇所を探してみると、序など一部を除いて、学部三年生にはちと文章が難しすぎるので、引用は最小限にせざるを得なかった。相良亨の『日本人の心』(東京大学出版会、1984年、増補新装版、2009年)や『日本の思想 理・自然・道・天・心・伝統』(ぺりかん社、1989年)なども参照したが、やはり読解テキストとしてはレベルが高すぎる。仕方なく、これらの本を参照しつつも、自前の説明を準備した。それはそれで楽しかった。
 その説明のなかで挙げる「おのずから」の用例をさまざまな本から採集していて、今井むつみの『学びとは何か ―〈探究人〉になるために』(岩波新書、2016年)のなかに引用されている杉本鉞子の『武士の娘』の一節に行き当たった。まだ六歳のころに意味もわからずに読まされていた四書について先生に尋ねると、「読書百遍意おのずから通ず」という反応が返ってきたという話で、「おのずから」の用例としては典型的である。その直後の文章が美しい。

何のわけも判らない言語の中に、音楽にみるような韻律があり、易易と頁を進めてゆき、ついには、四書の大切な句をあれこれと暗誦したものでした。でも、こんなにして過ごしたときは、決して無駄ではありませんでした。この年になるまでには、あの偉大な哲学者の思想は、あけぼのの空が白むにも似て、次第にその意味がのみこめるようになりました。時折り、よく憶えている句がふと心に浮び雲間をもれた日光の閃きにも似て、その意味がうなずけることもございました。(『武士の娘』大岩美代訳、ちくま文庫、1994年)

 この本の原本は杉本鉞子自身の手によって英語で書かれた。その原文は以下の通り。

There was a certain rhythmic cadence in the meaningless words that was like music, and I learned readily page after page, until I knew perfectly all the important passages of the four books and could recite them as a child rattles off the senseless jingle of a counting-out game. Yet those busy hours were not wasted. In the years since, the splendid thoughts of the grand old philosopher have gradually dawned upon me; and sometimes when a well-remembered passage has drifted into my mind, the meaning has come flashing like a sudden ray of sunshine.

Etsu Inagaki Sugimoto, A Daughter of the Samurai, Diamond Pocket Books 2023, p. 17-18.

 ちなみに、大岩訳は「自ら」(おのずから)とし、小坂恵理訳(『[新訳]武士の娘』PHP研究所、2016年)は「自ずと」としている箇所の原文を見ると、“A hundred times reading reveals the meaning.” となっており、「おのずから」に対応する語はない。上掲の成句を前提にして補ったのだと思われる。
 ここに記述された経験は、「言葉がみずからを解きほぐす」ということと「意がおのずから通じる」ということが不二であることを示している。これが「わかる」ということなのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「傷つきやすさ vulnerability」ではなく「傷つけやすさ」こそが問われる ― 村上靖彦『すき間の哲学』より

2024-12-05 23:59:59 | 読游摘録

 本日午後、明日午前中の博論審査のためにパリに移動。16時40分東駅到着。13区の国立図書館フランソワ・ミッテラン館近くのホテルに直行。このアパート・ホテルは INALCO が予約してくれた。出来て数年の新しい建物だが、おそらくは今年のパリ・オリンピックの際に様々な国の観光客にひどくよく利用されたせいなのか、すでにかなり傷みが目立つ。夕食は、このブログでも昨年の6月24日の記事で話題にしたことがあるお気に入りのレストラン Lao-Viet で。開店時刻の18時半少し前に入れたので客は私一人。いつものようにとても感じの良い接客。料理にも満足。
 昨日の修士一年の演習で最近入手したばかりの村上靖彦の『すき間の哲学 世界から存在しないことにされた人たちを掬う』(ミネルヴァ書房、2024年)の以下の箇所を読む。

私は今まで多くの人を傷つけてきたという罪悪感とうしろめたさを 持っており、このことがすき間を解消することの難しさと直結していると感じられる。つまり私自身には見えなかったさまざまなすき間があり、このことで私が多くの人を傷つけてきたが、おそらくこのことは私にさまざまな意味でマジョリティ属性を持つということ、それゆえに困難な位置にいる人の事情を感じ取ることができなかったということと関わる。(p. 241-242)

一つまちがいないのは、マジョリティ側が自分の特権性に気づくことの難しさであり、気づけていない他者の苦境がつねに残ることであり、気づかないことによって「私がつねに誰かを傷つけているのではないか」という恐れを持つ必要があるということだろう。つまり「傷つきやすさ vulnerability」ではなく「傷つけやすさ」こそが問われる。(p. 247)

 この演習ではしばしば vulnérabilité を話題にしてきただけに、村上氏がいう「傷つきやすさ」という言葉には学生たちは皆かなり強く印象づけられていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「世界の微笑がひそんでいる」― 谷川俊太郎「ありがとうの深度」より

2024-11-29 16:58:34 | 読游摘録

 『自選 谷川俊太郎詩集』(岩波書店、2023年)電子書籍オリジナル版には、岩波文庫版(2013年)の同名詩集には収録されていない2013年以降の作品が以下の11冊の詩集から26篇追加収録されている。『ミライノコドモ』(岩波書店、2013年)、『こころ』(朝日新聞出版、2013年)、『おやすみ神たち』(ナナロク社、2015年)、『詩に就いて』(思潮社、2015年)、『あたしとあなた』(ナナロク社、2015年)、『いそっぷ詩』(小学館、2016年)、『バウムクーヘン』(ナナロク社、2018年)、『普通の人々』(スイッチ・パブリッシング、2019年)、『ベージュ』(新潮社、2020年)、『どこからか言葉が』(朝日新聞出版、2021年)、『虚空へ』(新潮社、2021年)。
 毎日それらの作品のうちのいくつかを谷川俊太郎自身の朗読で聴き、自分でも声に出して読んで味わっている。

 

ありがとうの深度

心ここにあらずで
ただ口だけ動かすありがとう
ただ筆だけ滑るありがとう
心得顔のありがとう

心の底からこんこんと
泉にように湧き出して
言葉にするのももどかしく
静かに溢れるありがとう

気持ちの深度はさまざまだが
ありがとうの一言に
ひとりひとりの心すら超えて
世界の微笑がひそんでいる


The Depths of “Thank You!”

“Thank you!” with no heart,
Just lips.
“Thank you!” just smoothly written.
“Thank you!” proudly expressed on a face.

“Thank you!” calmly overflowing,
welling up like a fountain
from the depths of the heart,
impatiently waiting for utterance.

Though the depths of feeling are different,
in this sound of “Thank you!”
the world’s smile is hidden,
transcending even each person’s heart.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


人の最期を看取る場所、終末期病棟 ―『お別れホスピタル ⑬』本日発売

2024-11-28 23:59:59 | 読游摘録

 今年度の日仏合同ゼミのテーマとして「ケアの倫理」を取り上げようかなと考えはじめたのは今年の二月のことでした。そう思うようになったきっかけの一つはNHKドラマ『お別れホスピタル』でした。
 このドラマの第一回目を何の予備知識もなしに観て、いたく感動し、エンドロールを見てはじめて、同名原作漫画の作者が『透明なゆりかご』の沖田☓華さんだと知りました。躊躇なく、その時までに刊行されていた11巻の電子書籍版を直ちに購入し、全巻一気に読みました。以後、第12巻も発売と同時に購入し、今日は予約注文してあった第13巻の発売開始日でした。
 そもそも終末期病棟をテーマとすること自体が漫画として稀有なことですが、一話ごとに細やかに描かれた患者さんのそれぞれに異なった最期にはその人の人生が凝縮されています。過酷な労働条件下でその最期を看取る看護師さんたちの姿から、末期のケアとは何なのかという問いへと自ずと導かれます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


灰色の冬の日の夕暮れに聞こえた幻聴 ― モーリス・ド・ゲランと和泉式部との間の微かな共鳴

2024-11-09 15:50:05 | 読游摘録

 フランス19世紀前半の日記に関する記事は今日で一旦終わりにする。このテーマはしかし私にとってはライフワークのようなものであるから、またいずれ立ち戻ることになるだろう。
 Michèle Leleu, Les journaux intimes, PUF, 1952 は、18世紀末から20世紀前半にかけて主にフランス語で書かれた日記についての最初のまとまった研究である。それは当時の心理学的知見に基づいた性格学的日記研究で、研究対象となった九十ほどのテキスト(その中には日記というカテゴリーに入れること自体に議論の余地があるものも含まれているが)をその性格において大きく三つのカテゴリーに分類し、そのいずれにも該当しないテキスト群を別立てでまとめ、さらにそれぞれのカテゴリーをいくつかのサブ・カテゴリーに分けて、それぞれにその特徴をテキストに即して考察するという細密な方法を採用している。
 しかし、ジョルジュ・ギュスドルフが指摘しているように(Georges Gusdorf, Les écritures du moi. Lignes de vie 1, Odile Jacob, 1991, p. 61)、それぞれの日記が書かれた時代についての歴史的考察には欠けている。
 この本の中には考察対象となった日記の本文が多数引用されており、それだけで貴重な資料にもなっている。ただし、そのなかには孫引きもあり、原典にまで遡って確認作業が行われていない引用もある。
 モーリス・ド・ゲランにもしばしば言及されており、その日記や書簡からの引用も少なくない。その一つが友人 Barbey d’Aurevilly 宛1838年4月11日付書簡の引用である。ただ、この引用はフランソワ・モーリヤックの日記からの孫引きである。この文章には、夭折した詩人モーリス・ド・ゲランの性格がよく表れていると思う。

Je déborde de larmes, moi qui souffre si singulièrement des larmes des autres. Un trouble mêlé de douleur et de charme s’est emparé de toute mon âme. L’avenir plein de ténèbres où je vais entrer, le présent qui me comble de biens et de maux, mon étrange cœur, d’incroyables combats, des épanchements d’affection à entraîner avec soi l’âme et la vie et tout ce que je puis être ; la beauté du jour, la puissance de l’air et du soleil, tout ce qui peut rendre éperdue une faible créature, me remplit et m’environne. 

Michèle Leleu, op. cit., p. 67.

私は涙で溢れかえっている。私はかくもひどく他の人たちの涙に苦しむ。痛みと魅惑が入り混じった混乱が私の魂全体を占拠している。これから私が入ろうとしている暗闇に満ちた未来、善と悪で私を満たす現在、私の奇妙な心、そこでは信じられないような数々の戦いが繰り広げられ、魂と命そして私がそうでありうるすべてを引きずっていく愛情がほとばしる。日の美しさ、大気と太陽の力、か弱い生き物を狂おしいまでにかき乱すあらゆるものが私を満たし、取り囲んでいる。

 この一節を読んだとき、和泉式部の名歌「冥きより冥き途にぞ入りぬべき」(この歌については今年5月4日の記事を参照されたし)とのまったく思いがけない共鳴を微かに聞く思いがした。それはしかし灰色の冬の日の夕暮れに老生の耳にだけ響いた幻聴に過ぎないかとも疑われる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


消えゆく日々の痕跡を記すことに時を費やすのは、神から恵まれた時を無にすることではないのか ― ウージェニー・ド・ゲラン『日記』より

2024-11-08 08:49:15 | 読游摘録

 『集英社世界文学大事典』(デジタル版)にはモーリス・ド・ゲランが立項されている。

フランスの詩人。散文詩の創始者の一人。南フランスのアルビ近郊ル・ケイラの館に生まれる。6歳の時に母を失うが,その代償を5歳年上の姉ウージェニー・ド・ゲランに見いだす。トゥルーズの神学校に入り,のちパリに出てコレージュ・スタニスラスに学ぶ。この時から故郷に残るウージェニーへ宛てた手紙が書き始められ,姉弟の「書簡集」が形成されることになる。1832年冬,ブルターニュのラムネーに合流して宗教的共同生活を送り,同時に内面的日記『緑の手帖』Cahier vert の執筆も始まる。翌年9月ラムネーと別れてパリに戻り,文学的活動を期待したが,「ヨーロッパ評論」誌等二,三の雑誌への執筆だけで生きていけるわけもなく,スタニスラス校で教鞭を執りながら,苦しい生活を送る。35年ごろに,散文詩の先駆とされる『サントール』Le Centaure を書き始めるが,モーリス自身これがどういうジャンルに属することになる作品であるのか,特別の意識はなかったと思われる。引き続いて同様の散文作品『酒神祭尼(ラ・バツカント)』La Bacchante(『日記・書簡・詩』所収)が書かれた。弱っていた身体に無理が重なり,36年ごろから結核の徴候を見せ始める。一時的に健康を回復した38年11月,植民地帰りの18歳になる娘カロリーヌ・ド・ジェルヴァンと結婚するが,幸福な時期は短く,翌年7月,モーリスはル・ケイラの館で没する。ジョルジュ・サンドの手により40年の「両世界評論」に『サントール』が発表され,さらにスタニスラス校時代の友人バルベー・ドールヴィイ,ギヨーム・スタニスラス・トレビュチヤンによって遺作が整理され,『遺稿集』Reliquiae(61),『日記・書簡・詩』Journal, lettres et poèmes(62)が出版された。

 この記述の中に出てくる5歳年上の姉ウージェニー・ド・ゲラン(1805‐1848)も同事典に立項されている。

フランスの女性詩人。詩人モーリス・ド・ゲランの姉。南フランス,アルビ近郊のル・ケイラの館に生まれ,神への深い信仰と,5歳年下の弟モーリスに対する愛情とのうちに,その生涯を送った。彼女自身の作品というものはなく,弟と交わされた書簡,弟の生前書き続けられた日記があるのみである。没後,バルベー・ドールヴィイらにより編集された『日記と書簡』Journal et Lettres(1862)が発表され,深い感性と優れた散文詩人としての才能が認められた。

 ウージェニーの日記は弟のそれとほぼ同時期に出版された。この日記はフランスで出版された個人の私的日記としては最初の商業的な成功を収めた。Philippe Lejeune & Catherine Bogaert, op. cit. は、おそらくその成功はこの日記が詩的感性と敬虔な態度との一つのお手本として若い女性たちに薦められたことに特に因るであろうと推測している。
 日記を人間以上に親愛な伴侶とした弟のモーリスと違って、姉のウージェニーは日記が自愛への誘惑という危険を孕んでいることに気づいており、日記に溺れかける自分を戒めるような記述が見られて興味深い。彼女の日記の一部はKindle版があり無料で読める。30歳の誕生日を3週間後に控えた1835年1月7日、こう記している。

C’est toujours livre ou plume que je touche en me levant, les livres pour prier, penser, réfléchir. Ce serait mon occupation de tout le jour si je suivais mon attrait, ce quelque chose qui m’attire au recueillement, à la contemplation intérieure. J’aime de m’arrêter avec mes pensées, de m’incliner pour ainsi dire sur chacune d’elles pour les respirer, pour en jouir avant qu’elles s’évaporent.

 子供の頃から一人物思いに耽ることが多かったようで、浮かんでは消えていく思いを味わうことに時を過ごすことに淫してしまう自分を冷静に見ている。同年3月1日にはこう記している。

Voilà bien longtemps que mon journal était délaissé. Je l’ai trouvé en ouvrant mon bureau, et la pensée d’y laisser un mot m’a reprise. Te dirai-je pourquoi je l’ai abandonné  ? C’est que je trouve perdu le temps que je mets à écrire. Nous devons compte à Dieu de nos minutes, et n’est-ce pas les mal employer que de tracer ici des jours qui s’en vont  ?

 消えゆく日々の痕跡を記すことに時間を費やすことは神から恵まれた時間を無にすることではないのかと自問する。しかし、彼女の心は揺れている。日記に今の自分の日々を記すことには抗しがたい魅惑がある。

Cependant j’y trouve du charme, et me complais ensuite à revoir le sentier de ma vie dans ma solitude. Quand j’ai rouvert ce cahier et que j’en ai lu quelques pages, j’ai pensé que dans vingt ans, si je vis, ce serait pour moi plaisir délicieux de le lire, de me retrouver là comme dans un miroir qui garderait mes jeunes traits. Je ne suis plus jeune pourtant, mais à cinquante ans je trouverai que je l’étais à présent. Ce plaisir donc, je me le donne.

 日記を再び開き、かつて書かれた自分の文章を読めば、そのときの自分がまるで鏡のなかにその当時の自分の姿を見るように映っている。今から二十年後、もし私がまだ生きていたら、今日の記事を読むことで、たとえそのときもう若くはなくても、若かった自分を再び見出して、うっとりとすることだろう。
 しかし、1848年に43歳で亡くなった彼女にはその機会は訪れなかった。それでも、こう記した日から数年後に日記を読み返して、若き日を懐かしむ甘美な時を恵まれたこともあったかも知れない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


弱き魂に寄り添う最愛の伴侶としての日記 ― モーリス・ド・ゲラン『緑の手帳』

2024-11-07 12:33:53 | 読游摘録

 Philippe Lejeune & Catherine Bogaert, Le journal intime. Histoire et anthologie によると、フランス革命期から1860年代まで、フランスで個人の日記が出版されることはなかった。そもそもそのような発想そのものがなかった。それは、この時期、自分のためだけに付ける日記が流行する一方、日記を付けている人たちが他者の日記を読む機会はまったくなかったということである。それぞれ自分だけの日記という親密な言語空間のなかで秘かに言葉を紡いでいた。
 当時夭折した詩人、モーリス・ド・ゲラン(Maurice de Guérin, 1810‐1839)は近年評価されるようになって全集も刊行されている。ゲランにとってその日記『緑の手帳 Le Cahier vert 』は、人間以上に信頼できる魂をもった親友、いや、最愛の伴侶であった。1834年4月20日にゲランはこう記している。

O mon cahier, tu n’es pas pour moi un amas de papier, quelque chose d’insensible, d’inanimé ; non, tu es vivant, tu as une âme, une intelligence, de l’amour, de la bonté, de la compassion, de la patience, de la charité, de la sympathie pure et inaltérable. Tu es pour moi ce que je n’ai pas trouvé parmi les hommes, cet être tendre et dévoué qui s’attache à une âme faible et maladive, qui l’enveloppe de son affection, qui seul comprend son langage, devine son cœur, compatit à ses tristesses, s’enivre de ses joies, la fait reposer sur son sein ou s’incline pas moments sur elle pour se reposer à son tour ; car c’est donner une grande consolation à celui que l’on aime que de s’appuyer sur lui pour prendre du sommeil ou du repos.

Œuvres. Le Cahier vert, Pages sans titre, Poème, Lettres à Barbey d’Aurevilly, édition de Marie-Catherine Huet-Brichard, Classique Garnier, « Classiques Jaunes », 2011, p. 119.