講談社学術文庫の今月の新刊ニ冊、ウィトゲンシュタイン『哲学宗教日記 1930-1932 / 1936-1937』(鬼界彰夫訳)とプラトン『ティマイオス』(土屋睦廣訳)の電子書籍版を22日に購入。
前者の原本は2005年に講談社から刊行され、長らく品切れのために入手困難だったが、今回若干の修正を施して学術文庫化された。後者は学術文庫のための新訳。「プラトニズムの歴史は『ティマイオス』の解釈史にほかならない」(訳者あとがき)にもかかわらず、これまで文庫版の日本語訳はなかった。どちらもまことに慶賀すべき出版だと思う。
今日は前者から摘録する。
この日記は、ウィトゲンシュタインの死後40年以上の歳月を経た1993年に発見された。本書はその全訳である。この発見以前にはその存在すら知られていなかったこの日記は、「これまで十分に明らかでなかったウィトゲンシュタインの内的な精神生活、彼の宗教体験、そして彼の哲学的変遷の過程に新しい光を当てるものである」(訳者の「はじめに」より)。
「『論理哲学論考』から『哲学探究』への巨大な思想的変遷を実現するために哲学者が潜り抜けなければならなかった魂の内的な葛藤と闘いの、血がにじみ出るような生々しい記録だと言うことができるだろう」(「学術文庫版まえがき」より)。
「『哲学探究』という書物に関心のある読者に対して本日記は、この高名な哲学書に隠されながらもどこかに漂っている著者の実存の響きというものが生み出された現場を提示するだろう。だが何より本日記は、哲学的思考の可能性というものが思考者自身の生(実存)の質に深く依存していることを身をもって示すことにより、哲学がいかに真剣なものなのか(ものであらざるをえないのか)を我々に教えるものだ(同「まえがき」より)。
この日記の第一部(1930‐1932)が書き綴られていた当時、ウィトゲンシュタインには愛する女性がいた。マルガリート・レスピンガーである。1926年に当時ウィトゲンシュタインが居候していた姉マルガレーテ・ストロンボー邸で二人は出逢い、交際が始まった。マルガリートは、1904年4月18日スイスのベルン生まれ、裕福なスイス人実業家の子女。1930年4月26日、41歳の誕生日を迎えたウィトゲンシュタインは彼女から誕生日プレゼントとしてハンカチを贈られる。その日の日記にウィトゲンシュタインはこう記している。
私の頭はとても興奮しやすい。今日マルガリートから誕生日にハンカチをもらった。どんな言葉であっても、そのほうが私にはもっとうれしかっただろうし、そしてキスだったらさらにもっとうれしかっただろうけど、それでも私は喜んだ。
今生きている人間の中で、彼女を失うことは私にとって最も大きな打撃だろう。私は軽はずみでこう言っているのではない。というのも私は彼女を愛している、あるいは愛したいと願っているからだ。
しかし、5月9日の日記にはこう記している。
私は R.[マルガリート・レスピンガー]に夢中だ。もちろんずいぶん前からそうなのだが、とりわけ今激しく夢中なのだ。けれども、十中八九絶望的だということはわかっている。つまり、いつ何時彼女が婚約し、結婚するかもしれない、という覚悟を私はしなければならないのだ。そしてそれが私にとってきわめて大きな苦痛になろうことはわかっている。だから、いつか切れてしまうことがわかっているこの紐に自分の全体重をかけるべきでない、ということもわかっている。つまり私は両足で大地にしっかりと立ち続け、紐はただつかむだけにしておき、それにぶら下がるべきではないのだ。でもこれが難しいのだ。愛をつかみながら、そして愛につかまれないように無私に愛することは難しい。――うまく行かなくなったとき、それを負けゲームと見なす必要がなく、「心構えはできていた、それでも事は申し分ない」と言えるように愛することは難しい。
マルガリートへの愛は、ウィトゲンシュタインに、喜びと同じほど、あるいはそれ以上に、苦しみを与えるものであったようである。