こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

U2 「A Sort Of Homecoming」'84.10

2010-10-09 11:48:13 | 音楽帳


アルバム「WAR」から、一変した新生U2のアルバム「ジ・アンフォゲッタブル・ファイア」のトップの切り出しのこの曲「A Sort Of Homecoming」~「Pride」への流れが好きである。
まさか、ブライアン・イーノがU2のボノの執拗なるプロデュースの打診を承諾するとは思わなかったので、当時はかなり驚いたのを覚えている。

U2の「WAR」のジャケットそのままの、現状への怒りと叩きつけるようなヴォーカル=ボノの訴え・寒々とした北国のキーンと張り詰めた気候を反映した緊迫した空気の中ドライブするジ・エッジのギターサウンドと、ロック嫌いのブライアン・イーノは結びつきようにはなかった。

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デヴィッド・ボウイ・DEVO・ULTRAVOX・トーキングヘッズ等々をプロデュースをした後、「ロック」というカテゴリーの限界性に、「ロックという音楽は(当時)終わった音楽であり、発展性・拡張性に乏しい音楽であり、今の自分には一切の興味が無く、そこに戻る事はないだろう。」と、1983年のインスタレーションの来日の際のインタビューでも答えていたイーノは、すっかりアンビエントな音楽の人になっていた。
「今、全てのものが、わたしには余りにも早く移ろい行き過ぎる。もっとゆったりした流れの中にこそエネルギーやドリーミーな世界があると確信している。」



一方、ボノはなんとイーノのそういうアンビエントな音楽を聴いているファンであった。
このアルバムよりもかなり前から、ブライアン・イーノが好きだと言うことを公言していた。「いつかきっと一緒に仕事をしたい。」とは言っていたが、それはあくまで希望であったが・・・・
かなり熱心なラブ・コールをボノがイーノに何度も折衝を試みた結果、イーノが折れて承諾するという結果となった。あれだけ信念の強いインテリのイーノが折れたというから、ボノの訴えが並大抵のものではなかったことが窺える。

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このアルバムは邦題で「焔(ほのう)」というタイトルで発売された。
しかし、イーノが絡んだ事でむしろ、それまでの闇雲に突進していく音楽から、一歩引いたところから、冷静沈着な視点で作られた、「単純ロック」では無い世界が広がっている。

そこには、ブライアン・イーノのプロデュース術が大いに関与しているのは明らかである。

この「焔(ほのう)」は、よくイギリスのミュージシャンにあるパターンだが「イギリスを制覇したから、次はアメリカだ。」という指向が見え隠れするが、だからと言って、8割がバカで出来た巨大な国家=アメ公相手の、生温い音楽では無く、知的であり、繊細さを失っていない。
しかし、まさかこの次のアルバム「ヨシュア・ツリー」でアメリカのみならず全世界でヒットするビッグ・グループになってしまうとは、まさに目からウロコであった。

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このカッコ良いジャケットは、わたしの大好きな写真家アントン・コービンによるものだが、この城は実際に、このアルバムの録音が行われたアイルランドのダブリンから30マイル北に行った所にある「スレーン城」という不思議な佇まいを持った素晴らしい姿の建造物である。

音にも、このジャケットがイメージされるような空の広がりがあるが、これはブライアン・イーノ独特のエコー処理に拠る空間的広がりなのである。
多くのミュージシャンが、このイーノのエコーに影響されて様々な試みを行っているが、「どうやったら、あのようなエコーが創れるのかさっぱり解からない」と口々にいう。
カセットテープの可能性の研究から始まったイーノにしか解からないヴェールに隠されたエコー処理方法なのである。

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U2という硬派ガチガチのバンドが、イーノ教授の指示に従って音を鳴らし、それを自然な形で組み合わせしていくと、こんなナチュラルで広がり・奥行きのある音楽が出来上がるという好事例。
元々、ボノの熱心さに打たれて始めた共同作業だったが、そのイーノは「U2というとロックと思われがちだが、わたしが彼らの依頼を受けた最大の理由は、表面的な音ではなく、その底にある”ソウル(魂)”を揺り動かされたことだった。」と語っているが、まさにU2の音楽の良さというのはそこにあるように思える。

ちなみに「the unforgettable fire(忘れ得ぬ焔)」とは、広島・長崎の原爆の事を指している。

コメント (2)
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