□音楽と無縁な話し□暮れから年初□
12月下旬からノドの痛みは感じていたが、それを認めるとアウトなのでうがいだけをして過ごしていた。つまりその痛みは”例の病気”への前兆(まえぶれ)であることは薄々意識で感じていたのである。しかし、そこに注目すると病気を引き寄せるので無視していた。1週間程度続いていたノドの痛みは、なんとかその程度で年を越えた。
そして元旦。今年の正月はそもそもうれしくもなんともない。能登地震が起きた日でもあるし。この何年ものあいだできるだけ関わらないようにしてきた父、そして元家族たち。最近では彼らに一年に一回だけ会う日が元旦となっている。それゆえ余計に元旦は喜ばしいものから遠くに在る。気が重いだけの一日。
その気の重さが前面に出ているから、家人も一緒に行きたくないのだ。しかし、その空気を無理矢理はねかえして、ムチを打って先方へ出向いた。そんな午後の訪問。先方に居ても意味の無い時間。手持ちぶさたから、つい流れで少し冷酒を呑んでしまった。
***
今の自分はふだんお酒を呑まない。無理して「欲しくない」と言っているのではない。吞めなくなったせいでもあるが、もう欲しいとも思わない。たまに夕食時ノンアルコールビアを、家で付き合って呑む程度だ。この日やむなく呑んだ酒のせいで血管が浮き出始め、遠いどこかで頭痛が始まり、そして鼻水が止まらなくなった。かんでもかんでも止まぬ鼻水。よくあるスパイラルが始まり、元旦の会合の終わりを首長くして待つ。
そしてやっと夜7時過ぎ、元旦の会合から解放され、帰路を辿る。その帰路で次第に酒が消えていく。帰りの道で家の者としゃべっていると、それでもまだまだやけに赤い顔と消えぬ鼻水を指摘される。”例の前ぶれ”じゃないの?と。
家に帰って熱を測るとすでに数値は38℃台。。。結果的に昨年後半からの続編。5回目の炎症。三箇日(さんがにち)は病院はやっていないので、この元旦、2日、3日・・・と寝込んで治そうとするが、それで済まないのが、この肺炎に向けた不気味な熱と他の症状。38℃台に上がった熱は、夜中汗でびしょびしょになって衣類を着替えることに。そして翌朝起きると平熱に戻っている。
だが、翌日も午後からゆっくりと熱が上がり出し、また夜には38℃を越えていく。これを2日も3日も繰り返し、果ての無い静かな戦いに入ってしまう。
***
病院が本格的に再開するのは6日(月曜日)だが、この日は元々早朝からしごとの用事があった。何とか5日(日曜日)じゅうには歩ける程度まで直さねばならない。また辛さから月曜まで我慢できる状態でもない。
考えた末4日(土曜日)病院に出向いた。この日は病院側も十分な体制にはなく、医者も関係者も半分程度の状態に対し、年末年始我慢していた同様の患者が来るという具合。それは予想通りだった。自分が見てもらいたかった医師が居ないのも分かった話し。結局検査はできず薬を貰って帰る形となった。これも予想通りだった。あまり劇薬は望まないが、いったん薬で病気をある程度昇華させるしかなかった。そして何とか6日の仕事を越えることができた。
***
年末年始も、いろんな音楽を聴いた。しかしいつもどおりストレートな音楽は少ない。
宝石ならばよく磨かれた鮮やかなものではなくて、はっきりしないもの。光線の入り方で屈折の度合いを変えにぶい色を放つ石のようなもの。。。今日なら今日で、別にどんな音楽でも良かったのだが、夕方たまたまこの曲が気持ちに一番近い位置に在った。
予約して手に入れたCDで、発売前にすでに全部聴いて知っていたということなら、ボウイの「ブラック・スター」と同様。2022年の暮れにオンラインで聴き、翌2023年1月17日入手後はしばらく繰り返し聴いていたが、つら過ぎて放り出したCD。今日ひさしぶりに取り出した。その頃も今日も”20220123”は流していてさほど苦ではない。息と野外の風が聴こえる。
■坂本龍一「20220123」■
241230
250104
250106早朝
インフルエンザ流行っていますね。
ご自愛ください。
僕もようやく教授のラストアルバム聴けるようになりました。カーオーディオに取り込んで、雪道を運転しながら聴いています。そうすると音が自然の景色と調和するんです。ああ坂本さんが目指した音楽はこういうことだったんだってわかります。
人間は活動の中で様々なものを人工物として作り出しますが、自然現象とは異なるはずのものが、実は最終的には同じものであったと気づき、回帰していく。これを一生と呼ぶのかもしれません。
元旦から発熱、とは思いもしない年明けでした。
教授のアルバムの件、興味深い話しありがとうございます。
私が「12」発売時思っていたのは、、、
「B-2unit」が右脳のかたまりの様相と真逆に最後行ったんだな、ということでした。いつも概念が優先するアタマでっかちだった教授が病気というものと共存しながら生きる。。そのためにチカラを抜いてフリーハンドに。。何も考えずに時と寄り添った結果このような姿に帰結した。そんな風に聞こえていました。