十代の頃/80年代初頭への病的なこだわりが40年以上たっても続く。時間的理由だったり経済的事情で当時ゆっくり聴けなかったアルバムを聴き直す日々。そんな中、最近はどうも1984年のアルバムを聴くことが多い。
1984年とは自分にとって「音楽」の魅力が枯渇したみたいに、最新音楽の存在価値が落ち始めた年だった。テクノやエレクトロニックポップが一般化してきて、世界に満ち溢れ出したのが1983年。その年末にYMOが散開してしまい、翌1984年をむかえた。音楽を聴くことで激しい刺激を得られたり、めくるめく夢みたいな世界が脳裏に展開していたのに、そんな麻薬が切れ出したのが1984年だった。
この1984年あたりから美味しい音楽が激減し、自分は"テクノ=命(いのち)"と言っているだけでは凍死してしまうかもしれない、と思い出した。このままでは「生き永らえることは出来ないかもしれない」と判断し、四方八方、色んな周辺分野に新しい音楽の息吹をより一層探し出していた。
そんな中のいわば数100枚のうちの1枚が、ジャクソンズの「ビクトリー」。これは当然、1983年マイケルの「スリラー」が異常な大ヒットを飛ばしたおかげで企画されたアルバムなのだろう。制作スタッフはほぼ「スリラー」と一緒らしい。
しかし、こんな分かったふりをしているが、このCD「ビクトリー」をちゃんと1枚まるごと聴けたのは今年2025年の年明け後のこと。たまたま中古屋さんの店頭でこのCDを発見、格安だったため購入。iTunesに入れて、チャリンコで街を流したり、歩きながら聴いている。
1984年リリース当時、ミック・ジャガーとマイケルの共演したシングル「ステイト・オブ・ショック」、それにシングルカットされ、番組「日立サウンドブレイク」でも掛かった「トーチャー」の2曲は印象深く聴いていたが、それ以外の6曲は知らないまま年月が経っていた。「ステイト・オブ・ショック」は当時ヒットしている最中は大して気にもならなかったのに、刻んでくる音やピキピキと起立したテンポがすごく胸に刺さる日があって、ここ10数年のどこかでシングル盤だけは買って持っていた。
この数日、寂しい寒空の下 夜散歩をする中このアルバムを繰り返し聴いた。全8曲は静かでメロウな曲から激しいものまでうまくバリエーション散らしてある。実に「よく出来たアルバム」だが、企画ものの域は出ていない。
それでも、スーッと聴けてしまうくらい、他のポップスに比べれば水準は高いけれど。。
自分がマイケルを聴くことに違和感を抱く人がいるが、実は「スリラー」も大ヒットする前、発売後すぐに気に入ってカセットで聴いていたくらい。決してマイケルの筋金入り大ファンではないが、おかしくなる前のマイケルは素晴らしいと思っていた。
しかし「ビクトリー」を聴いていると、中居くんじゃないが、ジャクソンファミリーの名声にあぐらかいて、家に女の子を招き入れては兄弟で輪姦していた連中+マイケルのアルバム、という記憶がよみがえる。そんな人でなしの馬鹿兄弟が行う輪姦を横目に見ながら、足蹴にされていたマイケルが不憫でならない。。。
マイケルのヒットがあってこそ発売出来たアルバムなのに、などと憤慨してしまったりする。そうして、せっかくアルバムを通して聴けたのに、結果的には音楽に対したった一人・唯一生真面目で真剣なマイケルの歌う「ステイト・オブ・ショック」に戻ってしまった。
■Jacksons(Michael Jackson & Mick Jagger) 「State Of Shock」1984■