こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

冬の100曲:Roberta Flack「Chapter Two」1970

2025-01-18 20:30:00 | 音楽帳

入院することになった身内のため、ここ数日神保町をほつき歩いていた。唐突に時間が出来て久しぶりに歩いた神保町は、また前回よりがらりと変わっていた。歩く人たちを含めて、街全体がホワイト社会に犯され、漂白されたみたいにきれいになっていく。その分、さらにそっけなく見え出した令和の街。

神保町との付き合いは初めて歩いた小学生時代に始まり、浪人時代には毎日居た。また大人になってからも週末には毎週ココに居る時期があった。そんな長年付き合った時代は遠くになった。

***

この数日 延々と変わっていく変化に呆然としながらも、まだ昔ながら続く古本屋さんや路地を巡り、偶然出会えた本やレコードを買った。

その後お腹が空いて昼食場所をさがして歩いたが、油そばにラーメンに・・カラダに悪そうな高い麺類のお店がいっぱいで、ふつうのお店が無い。外には学生等が並んでいた。寒空の下、座りスマホで待つ人までいる始末。私には入りがたい店だらけ・・。歩き疲れて迷った末、やはりここは安定の日高屋にしようと諦め、いつもの店を目指した。。。しかし、その店に行くと、そこは空き地になっていた。

仕方なく妥協して、次に目指したのは安定の中華屋さん。そこならスカは引かないだろうと探して、手近な店に入る。中国人の店員に案内され、カベに向かう一人席に通されたが、テーブルからスマホで注文するシステム制と知りオロオロ・・etc・etc・・。

***

過ぎ去りし日々を思いながら、その過去と似て非なる街を歩く。そんな中聴いていたのが、ロバータ・フラックのアルバム。最近たまたまめぐり合わせで手に取ったCDは、彼女の1970年作品だった。2枚目のアルバム「第二章(Chapter Two)」。iTunesに取り込んだはいいが、なかなか聞けずじまいだったこのアルバムを取り出し、神保町を歩く道で初めて聴いた。8曲入り約38分。何度も繰り返し聴くうちなじんでいく。

まるで胃薬が胃の粘膜を覆って修復していくように、音がトゲトゲした日々の暮らしで傷み切ったココロに、優しくそっと触れてくる。とがったキズを丸く覆ってくれる。私にとってこのアルバムは、予定調和的にもっともらしい静かな部屋で聴くよりも、昔過ごした街の雑踏の中で、或いは歩き過ぎ行く風景の中で聴く方が沁み入るようだ。ジャズボーカルのテイストと文字にして分類してみせることは可能だが、語ってしまうと消え入りそうな微細な音のニュアンス。そこに向かい合う。

 

■Roberta Flack「Until It's Time for You to Go」1970■

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冬の100曲:フィリップ・グラス「天の伽藍(がらん)」1982

2025-01-11 21:20:00 | 音楽帳

□音楽と無縁な話し□一月上旬□

元旦からの炎症は粘っこいが、やっと下り坂に入った。6日(月曜日)には熱は消えていた。一日中の鼻水もやっと粘質からサラサラの水っ鼻に変わった。しかし、その一方で6日以降、家の人が逆に38度熱を出し始めた。彼女は家で寝て休んで治すやり方をとっていたが、一向に熱が引かないので、数日後やっと医者に行った。

症状の様相からして、私が伝染(うつ)したとはどうも言い難い。しかし、最近は私が外から何かを家に持ち込んでるパターンが多く、一年中こんなことばかりやっていることに今更絶望する。5年前休職して以降、どうもこんな免疫性の病気ばかりで、それは医者から言わせると抵抗力の低下が要因とのこと。コロナ前にはこんなことはなかったのだが、コロナ明け以降ウイルスが暴れている社会状況と自分の減退する身体状況がぶつかりあっていて、戸惑っている。

***

昔からそうだったのかもしれないが、正月などは明けてしまえば普通の平日。昔みたいな正月の高揚感は無い。リハビリが仕事みたいな今の自分には、前年から続く日々が繰り返されているだけだ。そんな三箇日、もう1月3日にはBSテレビはそれまでの平日放送に戻っていた。朝は「はぐれ刑事」やっているし、昼前後からは2時間サスペンスをやっている。

1月3日は、熱で寝込む中、この2時間ドラマを観た。偶然観たそれは「湯の町コンサルタント」というもの。角野卓造と坂東三津五郎の2人のコンビが活躍するもので、以前も一・二度観た気がするのだが、何より惹きつけられたのはバックに流れていたフィリップ・グラスの音楽。どうしてこれが掛かるのか?わからずじまいだったが、すごく思い入れある大好きな曲「天の伽藍(がらん)」が繰り返しかかっていた。

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「天の伽藍」は、1982年発表のアルバム「グラスワークス」に収録された曲。私は1982年5月(今は亡き放送局?)“FM東京”夜の「サントリー・サウンド・マーケット」で初めて聴いた。

当時マンハッタンに住んでいたブライアン・イーノを立川直樹さんが訪ねてロングインタビューに成功。そのインタビューと音楽を織り交ぜた番組が一週間通して放送され、「天の伽藍」はその中で掛かった。この放送を編集したカセットテープで、「天の伽藍」を何百回も聴いた。憂いを帯びたしらべに、世紀末的な不安を重ねてしまう自分がいた。微妙な淡い色調の曲に「なんて美しい曲なんだろうか」と当時も今もうっとりする。

1982年という年は、実に不思議で面白い年だった。普通のロックやポップスと並列で、現代音楽寄りにあるペンギン・カフェもローリー・アンダーソンもそしてフィリップ・グラスもポップスのフィールドに存在していた。実際、このフィリップ・グラスのアルバムはアメリカのキャッシュボックス・チャートの123位(4月)に入っていた、という。

雑誌ミュージックマガジンで、彦坂尚嘉さんがこのレコード評を書いている。音楽家には「独自のスタイル」を確立することが大事なのかもしれないが、人間としてそれだけでは「救い」が無い。と述べている。60年代後半にすでにフィリップ・グラスは独自スタイルを確立していたが、そこには「救い」がなかった。ここで江藤淳の話しを引き合いに出しながら、このアルバムでフィリップ・グラス独自のかつてのスタイルの硬質性は失われているが、その喪失によって生まれたこの成熟と「救い」に深く敬意を表する、と評価する。

この彦坂尚嘉さんの評価に対し、中村とうようさんは「この手の音楽聴き過ぎて魂を”喪失”せぬようご用心」と書いている。

自分は、このアルバムの美しさに酔ってきた1人。同時期に初めて聴いたスタイルばりばりの「浜辺のアインシュタイン」よりもはるかにこの「グラスワークス」にココロ惹かれる。このアルバムに救いを感じ、このアルバムの中に身をうずめて魂を喪失する悦楽に昔も今も酔っている。

 

■Philip Glass「Facades」1982■

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冬の100曲:坂本龍一「20220123」

2025-01-07 20:50:00 | 音楽帳

□音楽と無縁な話し□暮れから年初□

12月下旬からノドの痛みは感じていたが、それを認めるとアウトなのでうがいだけをして過ごしていた。つまりその痛みは”例の病気”への前兆(まえぶれ)であることは薄々意識で感じていたのである。しかし、そこに注目すると病気を引き寄せるので無視していた。1週間程度続いていたノドの痛みは、なんとかその程度で年を越えた。

そして元旦。今年の正月はそもそもうれしくもなんともない。能登地震が起きた日でもあるし。この何年ものあいだできるだけ関わらないようにしてきた父、そして元家族たち。最近では彼らに一年に一回だけ会う日が元旦となっている。それゆえ余計に元旦は喜ばしいものから遠くに在る。気が重いだけの一日。

その気の重さが前面に出ているから、家人も一緒に行きたくないのだ。しかし、その空気を無理矢理はねかえして、ムチを打って先方へ出向いた。そんな午後の訪問。先方に居ても意味の無い時間。手持ちぶさたから、つい流れで少し冷酒を呑んでしまった。

***

今の自分はふだんお酒を呑まない。無理して「欲しくない」と言っているのではない。吞めなくなったせいでもあるが、もう欲しいとも思わない。たまに夕食時ノンアルコールビアを、家で付き合って呑む程度だ。この日やむなく呑んだ酒のせいで血管が浮き出始め、遠いどこかで頭痛が始まり、そして鼻水が止まらなくなった。かんでもかんでも止まぬ鼻水。よくあるスパイラルが始まり、元旦の会合の終わりを首長くして待つ。

そしてやっと夜7時過ぎ、元旦の会合から解放され、帰路を辿る。その帰路で次第に酒が消えていく。帰りの道で家の者としゃべっていると、それでもまだまだやけに赤い顔と消えぬ鼻水を指摘される。”例の前ぶれ”じゃないの?と。

家に帰って熱を測るとすでに数値は38℃台。。。結果的に昨年後半からの続編。5回目の炎症。三箇日(さんがにち)は病院はやっていないので、この元旦、2日、3日・・・と寝込んで治そうとするが、それで済まないのが、この肺炎に向けた不気味な熱と他の症状。38℃台に上がった熱は、夜中汗でびしょびしょになって衣類を着替えることに。そして翌朝起きると平熱に戻っている。

だが、翌日も午後からゆっくりと熱が上がり出し、また夜には38℃を越えていく。これを2日も3日も繰り返し、果ての無い静かな戦いに入ってしまう。

***

病院が本格的に再開するのは6日(月曜日)だが、この日は元々早朝からしごとの用事があった。何とか5日(日曜日)じゅうには歩ける程度まで直さねばならない。また辛さから月曜まで我慢できる状態でもない。

考えた末4日(土曜日)病院に出向いた。この日は病院側も十分な体制にはなく、医者も関係者も半分程度の状態に対し、年末年始我慢していた同様の患者が来るという具合。それは予想通りだった。自分が見てもらいたかった医師が居ないのも分かった話し。結局検査はできず薬を貰って帰る形となった。これも予想通りだった。あまり劇薬は望まないが、いったん薬で病気をある程度昇華させるしかなかった。そして何とか6日の仕事を越えることができた。

***

年末年始も、いろんな音楽を聴いた。しかしいつもどおりストレートな音楽は少ない。

宝石ならばよく磨かれた鮮やかなものではなくて、はっきりしないもの。光線の入り方で屈折の度合いを変えにぶい色を放つ石のようなもの。。。今日なら今日で、別にどんな音楽でも良かったのだが、夕方たまたまこの曲が気持ちに一番近い位置に在った。

予約して手に入れたCDで、発売前にすでに全部聴いて知っていたということなら、ボウイの「ブラック・スター」と同様。2022年の暮れにオンラインで聴き、翌2023年1月17日入手後はしばらく繰り返し聴いていたが、つら過ぎて放り出したCD。今日ひさしぶりに取り出した。その頃も今日も”20220123”は流していてさほど苦ではない。息と野外の風が聴こえる。

 

■坂本龍一「20220123」■

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250106早朝

コメント (2)
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