250129スカイツリー
先週月曜日・27日には、いつも通り大竹さんのラジオで森永さんの声を聞いていた。その森永さんが亡くなったことを知ったのは、翌火曜日・28日夜のこと。実際は13時30分に亡くなったそうだが、知らせを聞いて「えっ」と絶句した。前日昼にはお話ししていたのに。
年明け後確かに調子は悪いと聞いていたが、森永さんのことだから、また波をこえたら調子は戻るはずだと思い込んでいた。しかし、それは甘かった。実際は相当ギリギリのところでラジオに出ていたのだ。そんな当たり前のことを忘れていた自分の思い込みの迂闊さを知った。
大竹さんのラジオではいつも月曜、阿佐ヶ谷姉妹と森永さんの歌声で始まるのが(いつからか)恒例になっていた。それが番組冒頭のなごやかな空気を作っていた。その冒頭の歌に「いただけない」という反響メールが多数占める回もあれば、「すごくうまく行き過ぎてつまらない」という日もあった。妙にクセになるその番組オープニングは「なんだかなぁ〜」な日もあったが、何はともかく月曜日は森永さんの不安定なボーカルで明けていた。こちらは月曜午後からの仕事前、「さて現場に入るか・・」というまでの数十分毎週聞いていた。
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昨年11月文化放送の浜祭りでは、ゴレンジャーみたいな真っ赤な衣装を身にまとい黒のサングラスをして、歌合戦に臨んだ森永さんの姿を目の前で見た。森永さんはサービス精神旺盛な方で、みんなが「なんて格好してるんですかあ」という中、「これでカンペキに準備は整いました」あとは歌うだけと、高橋真梨子さんの好きな歌「ごめんね」を歌った。
その歌は高橋さんの曲が持つ色気は当然みじんもなく、ゴレンジャーの姿と曲が持つ雰囲気が全くマッチしていない違和感だけがそこには有った。やっぱり「なんだかなぁ〜」という空気が漂い、みんなの印象に残るステージ姿だった。
浜祭りが終わった後のインタビューで森永さんは、やるからにはバットは振り切らなければならない、メディアに出る人はそうであらねばならないといったことを言っていた。そんな姿を回想しながら、ここ数日高橋真梨子さんが歌う正規の方の名曲「ごめんね」を聴いていた。
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森永さんは優秀だから、お金で困ったことはないだろうけど、それでも、ひたすら堕ちていき苦しくなっていく日本の中で、こんなやりくりや過ごし方があるよ、と私みたいにカネ無き人にもためになる話しをよくしてくれた。マネできることもよくあった。
その一方マネできないのは森永さんの最後の日々だった。ギリギリまで走り続けてパッと息絶えた姿はまるでドラマみたいで、そんな亡くなり方をした人を見たことがない。ガンがわかってから一年少し、最後の走り込み方は凄まじいものがあった。毎週ラジオでよく話していたが、本を何冊も並行で走らせながら、寝る間を削ってやらねばならないことをやり切った。こんな生き方はなかなか出来ないだろう。
ある年齢を超えるとつらくて仕方がないばかりで出口を失うことも多い。自分もそんな現実の渦に苦しむことは多い。しかし、森永さんみたいにはいかないかもしれないが、好きなものに夢中になること中心で余生を生きたいと思っている。(元々リーマンみたいな奴隷生活送ってる場合ではなかったのだ。)自分は果たしてどうなるか分からないが、そんな心境の今を過ごしている。
■高橋真梨子「ごめんね」1996■
241104増上寺