二胡師といわれる人は、蛇皮を張る人という事になっています。
勿論全く木工をやらないという事ではないでしょうが、二胡で一番大切なのは蛇皮の張り方だという事になっていますから。
二胡の製造工程で考えると、木工の部分はそのほとんどが機械作業による量産体制です。特に胴は。
それこそ昔は、手で一つ一つ作られていたのでしょうが、現在ではすべて量産です。
そして蛇皮は、いくら量産ものでも今のところは、ひとの手で張られています。
二台をいっぺんに張るようなものもありますが、それは相当安価ないわゆるお土産物なのでしょう。
この辺りも弦堂さんに聞いてみたいですね。
蛇皮を加工する際に、裏側についている脂肪を、刃物で削ります。
この際にも、ひとの手で削られるのですから、うまい下手というのが出てきます。
周辺部をより薄くして、真ん中を厚くのこす、すると振動した時により大きく振動しやすくなります。
その周辺部をより多く削ると言っても、ほんの2,3ミリの幅だけです。
これは、スピーカーのコーン紙なども同じように作られます。
ただ、スピーカーと違って、蛇皮は全体に一定の質ではありません、
背中の真ん中は鱗も小さいですし、お腹に行くにしたがって、鱗は大きくなっていきます。
皮の厚みも変わっていきますし、右左の伸び率も変わります。
蛇はとぐろを巻きますし、それは個体によって右左が違います。
当然その癖も着きますね。
蛇皮を張る際にはそれらを考慮して、何回か水につけて伸ばして、乾かすを繰り返すはずなのです。
それを、きちんとやって、均一な張力になるようにすると、とても良いなりの楽器が出来上がります。
これは一例ですが、あるお客様の楽器の蛇皮を切り取って、横から見たところです。
何となく、ひらひらと歪んでいますね。
ピンと平らになっていないのです。
これは切り取ってみないと分からないのです、というか分かりにくいです。
楽器に張られている時に、皮の各部分を指で押してみて、全体に同じような張力を感じるのは、良い楽器だと思います。
左右を押してみて似たような感じ、上下を押してみて同じような感じの跳ね返りを指に感じるという事です。
普通太鼓でも、まあバケツの裏でも良いですが、一定の厚みの物を張ったとすると、真ん中はどうしても張りきれずに、周辺部よりはゆるくなりますね、
ですから指で押したりすると、真ん中は周辺部よりへこみます。
良い二胡の場合、これが不思議と周辺部と真ん中の押した感じがそれほど違わないのです。
この画像の蛇皮が、まだ胴に張ってあった時には、それこそ、右側と左側は反発力に違いを感じたのです。
左が緩く感じましたし、右上もゆるく感じ皮のあちこちが違った反発を感じました。
剥がしてみた結果、このように全体にゆがみがありました。
この楽器は、購入して数年のようです。
多分皮を張る時に時間をかけて張っていなかったか、伸ばす回数が少なかったのかもしれません。
しかし、これは見ただけでは分かりにくいですね。
かといって楽器を受け取った時に、蛇皮のあちこちを、みなさんが指でぐんぐん押したら、たぶん楽器屋さんに嫌がられますし。
また慣れないと、その反発力の違いというのは、分かりにくいです。
それが分かるからこそ、二胡師といわれるのでしょう。
光舜堂工房主
勿論全く木工をやらないという事ではないでしょうが、二胡で一番大切なのは蛇皮の張り方だという事になっていますから。
二胡の製造工程で考えると、木工の部分はそのほとんどが機械作業による量産体制です。特に胴は。
それこそ昔は、手で一つ一つ作られていたのでしょうが、現在ではすべて量産です。
そして蛇皮は、いくら量産ものでも今のところは、ひとの手で張られています。
二台をいっぺんに張るようなものもありますが、それは相当安価ないわゆるお土産物なのでしょう。
この辺りも弦堂さんに聞いてみたいですね。
蛇皮を加工する際に、裏側についている脂肪を、刃物で削ります。
この際にも、ひとの手で削られるのですから、うまい下手というのが出てきます。
周辺部をより薄くして、真ん中を厚くのこす、すると振動した時により大きく振動しやすくなります。
その周辺部をより多く削ると言っても、ほんの2,3ミリの幅だけです。
これは、スピーカーのコーン紙なども同じように作られます。
ただ、スピーカーと違って、蛇皮は全体に一定の質ではありません、
背中の真ん中は鱗も小さいですし、お腹に行くにしたがって、鱗は大きくなっていきます。
皮の厚みも変わっていきますし、右左の伸び率も変わります。
蛇はとぐろを巻きますし、それは個体によって右左が違います。
当然その癖も着きますね。
蛇皮を張る際にはそれらを考慮して、何回か水につけて伸ばして、乾かすを繰り返すはずなのです。
それを、きちんとやって、均一な張力になるようにすると、とても良いなりの楽器が出来上がります。
これは一例ですが、あるお客様の楽器の蛇皮を切り取って、横から見たところです。
何となく、ひらひらと歪んでいますね。
ピンと平らになっていないのです。
これは切り取ってみないと分からないのです、というか分かりにくいです。
楽器に張られている時に、皮の各部分を指で押してみて、全体に同じような張力を感じるのは、良い楽器だと思います。
左右を押してみて似たような感じ、上下を押してみて同じような感じの跳ね返りを指に感じるという事です。
普通太鼓でも、まあバケツの裏でも良いですが、一定の厚みの物を張ったとすると、真ん中はどうしても張りきれずに、周辺部よりはゆるくなりますね、
ですから指で押したりすると、真ん中は周辺部よりへこみます。
良い二胡の場合、これが不思議と周辺部と真ん中の押した感じがそれほど違わないのです。
この画像の蛇皮が、まだ胴に張ってあった時には、それこそ、右側と左側は反発力に違いを感じたのです。
左が緩く感じましたし、右上もゆるく感じ皮のあちこちが違った反発を感じました。
剥がしてみた結果、このように全体にゆがみがありました。
この楽器は、購入して数年のようです。
多分皮を張る時に時間をかけて張っていなかったか、伸ばす回数が少なかったのかもしれません。
しかし、これは見ただけでは分かりにくいですね。
かといって楽器を受け取った時に、蛇皮のあちこちを、みなさんが指でぐんぐん押したら、たぶん楽器屋さんに嫌がられますし。
また慣れないと、その反発力の違いというのは、分かりにくいです。
それが分かるからこそ、二胡師といわれるのでしょう。
光舜堂工房主
同じブランドでしたらその辺は統一されるのが当たり前というのが、たとえ、工場が違ったとしても日本の感覚なのですが、それらのばらつきがあるというのは、どのような生産過程になっているのか不思議です。たくさんの下請け往生を持つメーカーもあるということなので、その辺の問題ではないかと考えたわけです。現在日本のヴァイオリンのメーカーなどで、中国で生産しているところもありますが、最終的なアッセンブルの段階でかなり問題も出ると聞いています。二胡はまた違うのでしょうかね。
もし製品のバラツキが下請けによる影響であれば、敦煌牌、虎丘牌も普及品は下請け次第ということになりますが、そこは内部の関係者でなければわかりません。しかし下請けを一手に扱っているブランドの製品を観察するに、敦煌牌、虎丘牌はそれらとはかなり異なっています。民族楽器廠のものは如何に安価なものであっても一貫した方針があります。
ここで言う「下請け」というのは、常熟という劉天華の故郷で有名なところですが、そこに集中しています。無錫の郊外です。彼らがどのような経緯でそこに移り住んだのかわかりません。
北京の場合、同種の人々は平谷区に集中しています。そこで、この経緯について調べると、星海牌(北京民族楽器廠)が民営化した時に、独立者が相次いだらしい、実力があれば北京市内で工房を構えるなど個人でやっていけたのですが、そうでなければ集団でやっていたのかもしれず、それで一地域に密集するようになったのかもしれません。そのあたりのことを詳しく聞きたいのですが関係者らは話したがりません。もちろん、工房は平谷に限定されているわけではなく、河北省のあちこちに散らばっていますので、それぞれが行きたいところに行ったのかもしれません。平谷のようなところは政府の管理を受けて、仕事が保てるようにされています。
彼らが説得力のある優れた楽器が作れるかどうかは、個人的な観察の範囲内でと断った上でですが、才能が全てという感じがします。もうあまりに昔の話ですから、現在は代が変わっていて、若い人が製作しているところもあります。皆、無名ですが、能力は天才的な人もいます。埋もれているように見えますが、彼らの経営状態は良好です。そして下請けは受けていません。
北京や河北のこれら優秀な人々の何人かと話したことがあるのですが、彼らに共通するのは「二胡を作りたがらない」ということです。琵琶や阮など撥弦楽器に注力します。デリケートな状況なので、あまり突っ込んだことは聞けませんでしたが、発言を総合的に観察するに、二胡の人間は文化をわかっていないと辛辣に批判するのが結局言いたいことの全てであるらしい、西洋化に向かっちゃったりしてますからね。撥弦楽器ではそういうことは要求されず、伝統美がそのまま愛されています。二胡の方が人口は多い筈なので、それでも相手にしたくないというのは相当なことだと思います。
しかし各民族楽器廠は今の所、伝統美を失ってはいません。これも時間の問題なのかもしれません。役所のような対応で、極めて理不尽、購入者のこちらの方が殴られそうになるぐらい酷い対応ですが、これがまともになってしまうと、音も現代化してしまいそうな怖さがあります。
この画像の様に後々歪みが出てきます。
量産の場合どうしても、この伸ばし方の回数が少ないものが多いようです。それと、この下ごしらえの伸ばす時に、待つ時間も足りないような気がします。
私の経験では、水にぬらした蛇皮を型に当てて伸ばして、乾燥時間を十分に取ったとしても、その後また動きます。大体10日くらい乾燥したのち、蛇皮をあちこち押してみると、硬いとこと柔らかいところが出てきます。伸ばしては乾かしを繰り返し、一定の硬さになるようになってから初めて、本張りをします。
また弦堂さんのおっしゃる、っ蘇州系と上海系の違いの中で、外観も違いますが、内部の削りが大きく違います。両方とも棹のあたりを削って、いますが、蘇州系の方が削りが少し小さいです。上海系は棹の真ん中あたりまで削っていますので、内部の空間は大きくなってきています。ただ会社によって、あるいは、下請け工場によって、その削り具合がかなり変わる、と思います。ご存知のように、たくさんの下請けさんがいますから。
、また木の硬さによっては、同じくらいに削ったとしても、響き具合が変わるのではないでしょうか。
重量の軽い木は比較的柔らかく、良く響きますし、重量の重い硬い木は、響きにくくなります。ですから本来は、その楽器の木の硬さに合わせて、木のアルミや掘り込みなどの深さを決めていくものなのでしょうが、ハンドメイドではないのでそこまではやっていないのかもしれません。
ヴァイオリンなどの量産は、全部同じ木の厚みにして、木を蒸気で加熱して、金型でプレスして作ります。たままその木の硬さと、その形状がバランスがあった時には、両線にも関わらず、なかなかの楽器が出来上がることもあります。ですからヴァイオリンの場合は、ハンドメイドで一台づつ気を削り込んで、その硬さに合わせるようにしていくので、一人の作家の質が比較的ばらつきの無いものになるのでしょう。二胡も本来はそうすべきなのですが、何しろ、二胡を作る木全体に木が固いですから、大変です。ですので私はあまり沢山は作れません。
中国のある楽器店で、敦煌牌(上海民族楽器廠製)と虎丘牌(蘇州民族楽器廠製)の安価な二胡をたくさん置いているところがありました。上海は左、蘇州は右に置いていたようですが、いろんなお客さんの出入りで、ほどほどに混じり合っていました。これらはそれなりの価格のものではあり得ないぐらい製品にバラツキがありましたが、悪いものはありませんでした。上海と蘇州の二胡は外見から違いますので、木工工法もかなり違う筈で、それと蛇皮の貼り方で、それぞれ違う音を引き出していると考えられました。ところが、敦煌牌で確かに上海の音を出すものもあれば、蘇州の音が出てしまっているものもありました。虎丘牌も同じでした。そしてどちらでもないものとか、北京や天津の音が出てしまっているようなものは一切ありませんでした。必ず、どちらかの音が出ていました。不思議なことだと思いました。
港町の上海から内陸の蘇州までは新幹線で27~32分ぐらいです(在来線で1時間10分ぐらい)。新神戸から京都までが28分なので同じぐらいです(神戸三宮から京都四条河原町まで阪急電車で1時間19分)。神戸と上海は舶来品が輸入されていたハイカラな街です。京都と蘇州は歴史ある古都です。近いのですが背景や歴史が全く異なります。しかし互いに強い影響を与えあう関係でした。上海と神戸は非常に短期間のうちに文化都市として高度に発展しましたが、それは歴史的に高度な文明都市が近いところにあったことと無縁ではありませんでした。また港から入ってきた外国の珍しい品を購入していたのは内陸の文明都市でした。それでも互いに同化することはありませんでした。開放的な港と天然の要害に囲まれた内陸では人の気質に与える影響が違うからだと思われます。それで楽器の音まで全く違ったままに現代に至っています。
このことを考えると、単に全く異なるだけではなく、強い共通点もあることが楽器にも表れていることがわかります。それが、必ずしもしっかり作られていない普及価格帯の敦煌牌と虎丘牌の二胡を見て感じられるのではないかと思います。
そうしますと、何が二胡の音に決定的な影響を及ぼすのか、蛇皮なのか木工なのか、確定的なことは一概に言えないのかもしれないと思ったのですが、どうなのでしょうか。西野さんが以前に、二胡の個体をよく見て、それに合わせて張り替えると言われていましたが、蛇皮貼りの時に木工で示された方向性を活かせるという前提があれば、蛇皮では音色は決まらないと言えます。一方、木工で定めた方向性を蛇皮張りだけで超えてしまうことも可能なのかなと思いました。ただこれは上海と蘇州のようなかなり近い関係にある場合においてのみ成立しそうです。
ちょっと前まで、謎が感じられるような、よくわからない感じがしたのですが、西野さんの張替えを見せていただいたりして、ちょっとずつ見えてきた感じがします。難しいですね。