「新しいアプローチ」云々と前宣伝が喧しかった師走の日露交渉も終わってみれば、実質的な成果なし、老獪な北の大国の術中にはまり、経済協力のみの言質を取られる結果になったようだ。今後は今回の交渉をめぐって喧々諤々の論争がなされるだろうが、どこか虚しさも感じられる。
「北方領土」と当然のごとくに刷り込まれてきたが、日本側が奪還を目指す四島、すなわちエトロフ、クナシリ、シコタン、ハボマイはすべてアイヌ地名であることから瞭然のように、元は北海道全域と併せてアイヌ民族の「領域圏」であった。
アイヌは国家を持たない民族であり続けたから、アイヌ固有の国家としての領有権を主張したことは一度もないが、先住の事実に変わりない。フランス革命と同じ1789年にクナシリ・メナシのアイヌが和人商人に対して起こした武装蜂起事件は、当時の幕府による四島を含む「蝦夷地」占領への重要な契機となった。
その後、第二次大戦直後、ヤルタ協定を根拠に旧ソ連軍が四島に進攻、占領し、ソ連解体後の新ロシアが継承して今日に至る。順番をつければ、アイヌ、日本人に次ぐ三番手の住人がロシア人である。現在の争いは、二番手住人と三番手住人の間でのものである。
虚しさは、ともに侵奪者たる後住者同士の領有権争いから来るものかもしれない。しかし国際法の「理論」は不法占領でも実効支配が確立されれば領土となるといういまだに粗っぽいものだ。ロシアの実効支配は、すでに半世紀を超えている。タイムリミットが近い。
「新しいアプローチ」として日露共同主権論のような新概念が提唱されれば、いくらか展望も開けたが、日露どちらからもそうした斬新な提案はなかった。ただし、救いは今般交渉では旧/現住民の権利の擁護という視点が滲んできたことである。
旧住民の権利として墓参を含む自由往来の権利、現住民の権利としては居住継続とともに経済開発による生活水準の向上が想定されている。唯一の具体的な提案事項と言える「共同経済活動」なるものも、そのための枠組みであるべきで、四島を日露両資本の共同草刈場にしてはならない。