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持続可能的計画経済論[統合新版](連載第9回)

2024-11-29 | 持続可能的計画経済論[統合新版]

第1部 持続可能的計画経済の諸原理

 

第3章 環境と経済の関係性

(1)環境規準と計画経済
 前章で見たような数々の欠陥を抱えたソ連式計画経済に対し、ここで提唱する新たな計画経済はソ連式計画経済とは全く異なる観点と手法で行われるものである。
 まず観点という面から言えば、新しい計画経済は環境的持続可能性に視座を置く。つまり地球環境の可及的な持続性を目指す計画経済である。その意味で、「持続可能的計画経済」と命名される。
 持続可能的計画経済とは、計画的な環境政策にとどまらず、環境的持続可能性に関する指標を規範的な基準として計画される経済であって、それは計画経済の一つの類型である。簡略に言えば、ノルマとしての環境規準に基づく計画経済―環境計画経済―である。
 このような環境指標に規律される計画経済は経済開発に圧倒的な重心を置いていたソ連式計画経済―言わば開発計画経済―では論外のことであり、結果として、ソ連式計画経済は開発優先政策による資源の浪費・消耗による環境破壊を引き起こしたのであった。
 その意味では、持続可能的計画経済はソ連式計画経済を反面教師としつつ、ソ連邦解体後、高まってきた地球環境保護の潮流に合致した新しい計画経済のあり方として浮上してくるべきものである。
 現時点ではこうした持続可能的計画経済を現実の政策として採用している国は(筆者の知る限り)存在せず、最も先進的な環境政策を提起する緑の党やその周辺の環境保護運動にあっても、計画経済の提唱には踏み込まず、市場経済を受容したうえでの環境政策の推進を主張するにとどまっていることがほとんどである。
 これはちょうど市場経済を維持したまま福祉政策でこれを補充する修正資本主義としての社会民主主義とパラレルな関係にもあり―しばしば重なり合う―、修正資本主義としての環境主義理念の表れでもあるが、その限界性はすでに人為的気候変動のような国際的課題への取り組みが顕著に前進しないことにはっきりと現れているのである。
 地球環境上の諸問題を根本的に解決するためには、環境規準によって生産活動を量と質の両面から体系的に規律する必要があり、それを可能とするための計画経済こそが持続可能的計画経済にほかならない。

 

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持続可能的計画経済論[統合新版](連載第8回)

2024-11-28 | 持続可能的計画経済論[統合新版]

第1部 持続可能的計画経済の諸原理

 

第2章 ソ連式計画経済批判

(4)政策的欠陥
 ソ連経済は、大戦をはさんでスターリン政権時代に高度経済成長を遂げた。ソ連式計画経済の全盛期は独裁者スターリンの時代であったと言ってよい。その政策的な秘訣が、徹底した重工業及び軍需産業傾斜政策であった。
 ソ連では、マルクスが『資本論』の中で資本主義の分析に用いた生産財生産に係る第一部門と消費財生産に係る第二部門という産業区分を援用して、生産財(資本財)をAグループ財、消費財をBグループ財と区分したうえ―この分類自体大雑把だが―、Aグループ財の生産を最優先したのであった。これに米国に対抗して軍事大国化を目指す先軍政治的な政策が加わり、軍需産業の成長が導かれた。
 こうした初期の成功の秘訣が、後期になると政策的な欠陥として発現してきた。傾斜政策の中で劣位に置かれた消費財生産は大衆の暮らしにとっては最重要部門であって、経済成長に見合った生活の豊かさを実現するうえで鍵となるはずであったが、ソ連では1953年のスターリン死後にようやくテコ入れが始まった。
 しかしこうした部門でも国営企業が生産主体となったため、西側でしばしば揶揄されたように靴まで国営工場で製造されるという状態で、品質も粗悪であった。そのうえ、前節でも述べたような計画の杜撰さによる需要‐供給のアンバランスや物資横領などの腐敗によって流通が停滞・混乱し、末端の国営商店での品薄状態が恒常化する結果となり、批判的論者をして「不足の経済」と命名されるまでになった。
 結局、ソ連経済の後期になると、良質な消費財は石油危機による石油価格高騰を利用して獲得した外貨を投入し、西側資本主義諸国からの輸入品で補充するほかなくなった。
 一方、傾斜政策のゆえにソ連経済の強みでもあったはずのAグループ財に関しても、計画経済は主として量的な拡大生産に重点を置いていたため技術革新が進まず、老朽化した工場設備が更新されないまま使用され続ける状態であり、生産効率も悪化していった。
 こうした結果、総体としてソ連経済は資本主義的な過剰生産状態には陥らなかったものの、傾斜政策による産業間のアンバランスと質的革新を軽視した量的拡大政策による生産性の低下という欠陥を内蔵させることになった。
 ソ連は冷戦時代、ライバルの市場経済大国・米国に追いつき、追い越すことを目指していたが、結局のところ、どうにか米国と肩を並べることができたのは、核開発と宇宙開発に象徴される軍需産業分野だけであった。
 ソ連終末期のゴルバチョフ政権による「改革」は、市場経済原理の中途半端な政策的導入により、ソ連式計画経済の本質的欠陥を増悪させ、いっそう不足の経済に拍車をかけ、体制崩壊を早める契機となった。
 これは、ソ連式計画経済の模倣から始めつつ、ソ連よりいち早く市場経済化を野心的に進め、最終的には事実上計画経済と決別した共産党中国との明暗を分けたポイントでもあったと言える。

 

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持続可能的計画経済論[統合新版](連載第7回)

2024-11-26 | 持続可能的計画経済論[統合新版]

第1部 持続可能的計画経済の諸原理

 

第2章 ソ連式計画経済批判

(3)本質的欠陥
 ソ連式計画経済は失敗した経済モデルであるということは、今日の定説となっている。しかし、それはソ連体制そのものが解体・消滅したことによる結果論的な定言命題であって、実際にどのような点でなぜ失敗したかの分析は十分に行われないまま、ソ連式計画経済の対照物とみなされる市場経済の正しさがこれまた論証抜きで絶対視されているのが実情である。
 たしかに、ソ連式計画経済はソ連体制が存続していた時代からすでに行き詰っていた。その原因は、逆説的ではあるが、それが真の計画経済ではなかったという点にこそあった。
 ソ連式計画経済は、「計画経済」というよりは、前回も見たとおり、激しい内戦からの戦後復興を目的とする国家資本主義過程で誕生した政府主導の「経済目標」に導かれた一種の統制経済であった。それはスターリン政権下で戦後復興が一段落し、経済開発・高度成長を目指した本格的な「5か年計画」が始動しても、本質的には変わらなかった。
 何より貨幣経済も存置されたままであった。従って、末端の消費財は商品として国営商店で販売されていたし、計画供給の中核となる生産財についても市場取引的な要素が残されていたのだった。
 ソ連における生産活動の中心を担った国営企業間には競争原理が働かなかったということが定説であるが、実際のところ、複雑な計画策定手続きの過程で国営企業間にある種の利権獲得競争があり、また個別企業は事実上の独立採算制を採り、1960年代の限定的な「経済改革」の結果、その傾向は増した。
 さらに労働は賃労働を基本とし、しかも―あらゆる資本家・経営者の理想である―出来高払い制が主流であり、マルクス的な意味での剰余価値の搾取は国営企業の形態内で厳然と残されていたのであった。表見上の低失業率にもかかわらず、実際は企業内に余剰人員を抱え、「社内失業者」が累積していた。
 要するに、ソ連式計画経済は、典型的な市場経済とはたしかに異質であるとしても、市場経済的要素が混在した国家主導の混合経済的なシステムであり、レーニンが暫定的な体制と考えていた国家資本主義が理論的に検証されることなく遷延的に発達したものだったと言える。
 他方で、ソ連式国家資本主義の本質は統制経済であったからこそ、統制経済に付き物の闇経済が発現した。これが厳正な企業監査システムの欠如ともあいまって国営企業幹部の腐敗を誘発し、物資横領・横流しのルートを通じた闇経済が組織犯罪的な地下経済として社会に根を張ることになった。
 それでも中央計画が精確に行われていればより持続的な成功を収めた可能性はあったが、ゴスプラン主導の計画は現場軽視ゆえに不正確な経済情報に基づく杜撰な机上プランとなったため、その理念である「物財バランス」自体が不首尾に終わり、需要‐供給のアンバランスが生じがちであった。そのためソ連経済に景気循環はないという公式説明にもかかわらず、資本主義の特徴である景気循環が存在した。
 かくして、ソ連式計画経済は構造上の本質的な欠陥を多々抱えていたために「計画経済」としては成功しなかった。その根本原因を簡単にまとめれば、本来計画経済が適応できない貨幣経済に計画経済を無理に接木しようとしたことにあったと言えよう。
 ただし、公平を期して言えば、ソ連式計画経済もその初期には低開発状態のロシアを新興工業国へと急速に浮上させる開発経済の手法としては相当な成功を収めた事実は指摘しておかねばならない。しかし、一定まで成長した後の持続可能性には欠けていたのである。その背景には、次節で論じる政策的な欠陥も寄与していたと考えられる。

 

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持続可能的計画経済論[統合新版](連載第6回)

2024-11-25 | 持続可能的計画経済論[統合新版]

第1部 持続可能的計画経済の諸原理

 

第2章 ソ連式計画経済批判

(2)国家計画経済
 内戦後の戦後復興の過程で誕生したゴスプランを中心とするソ連式計画経済の性格は、多分にして統制経済に近いものであったと言える。それはまた、同時に国家による行政主導の計画経済であった。その点で、第1章で見た協同組合連合会の共同計画を基本とするマルクスの計画経済論からは外れていたのであった。
 もっとも、レーニンは最晩年の論文の一つの中で、社会主義をもって「文明化された協同組合員の体制」とするユートピア的定義を提出し、完全な協同組合化を「文化革命」と呼んで後世に託してもいるが、それは行程も定かでない遠い将来のこととして事実上棚上げされていたのである。
 こうした性格の下に始動したソ連式計画経済は、レーニン早世後、後継者の椅子を射止めたスターリンの指導下で基本的な骨格が形成される。その最初の業績は、1928年に始まる第一次五か年計画であった。これ以降、経済計画の基本年単位は5年に定められ、五か年計画がソ連式計画経済の代名詞となる。
 その計画策定は、「物財バランス」という元来は科学の術語である物質収支:英語ではいずれもmaterial balance)に由来する技法に基づいていた。科学において物質収支とは、ある化学反応の系において単位時間にその系に投入される物質の量と系から得られる物質の量との均衡を意味する。
 計画経済にあっては、ある一定期間に投入される物財の量と生産される物財の量をバランスさせる技法とされる。それによって需要と供給とを均衡させ、市場経済にありがちな両者の不均衡から生じる不安定な景気循環を防止できるというのである。
 実際の計画策定は、支配政党たる共産党が国家を吸収・凌駕する形で党・国家が二元行政を展開するというソ連の政治制度を反映し、極めて複雑なプロセスで行われていた。特に共産党が国家を凌駕する存在であったソ連では、まず行政機関であるゴスプランの前に、共産党指導部が経済計画の基本方針を決定したうえ、それを連邦閣僚会議(内閣に相当)で詰めたうえ、ゴスプランに送付することになる。
 ゴスプランでの具体的なプラン策定は先の物財バランスを考慮した計画経済の中心を成すが、それはゴスプランを舞台にした他の経済官庁や経済専門家などの意見を交えた折衝の結果たる合意として現れた。
 だが、これで終わりではない。ゴスプランが策定した計画の範囲内で、今度は各産業界を統括する経済官庁が個別の生産目標を策定したうえで、所管する国営企業へ通達する。個別企業はそれに基づき個々の生産計画を作成し、再び所管官庁を通じてゴスプランに戻され、計画の修正案が策定される。
 そうしてまとめられた最終計画案が再び閣僚会議及び共産党指導部に送付されたうえ、最後に憲法上国家の最高意思決定機関として位置付けられた最高会議で承認され、立法化される。こうしてようやく五か年計画が施行される。
 ざっとこのような煩雑なプロセスを経て実施されるのがソ連式計画経済であったが、見てのとおり、官僚制的なセクショナリズムと上意下達の権威主義的なシステムによった行政主導の官僚主義的計画経済であって、これが一名「行政指令経済」と呼ばれたことには十分理由があったと言える。

 

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持続可能的計画経済論[統合新版](連載第5回)

2024-11-23 | 持続可能的計画経済論[統合新版]

第1部 持続可能的計画経済の諸原理

 

第2章 ソ連式計画経済批判

(1)曖昧な始まり
 これまでのところ、歴史上本格的かつある程度持続的に実践された計画経済は、唯一ソ連式計画経済だけである。そのため、計画経済と言えば、特にことわりなくともソ連式計画経済を指すと言ってよい。それほど有名な経済政策ではあるが、実のところ、この政策は真に「計画経済」と呼ぶに値するか疑問のある出自を持つ。
 ソ連式計画経済は、そもそもその始まりが曖昧であった。ソ連式計画経済の指令機関である国家計画委員会(Gosplan:ゴスプラン)はロシア10月革命後の内戦・干渉戦が終結した直後、1921年2月に設立された。当然ながら、この時期、ソ連経済は戦乱によって破局的状態にあった。そうした戦後復興の切り札としてレーニン政権が打ち出したのが、いわゆる新経済政策(NEP:ネップ)であった。
 「新」と銘打たれているけれども、この政策は実際のところ、時限的に資本主義を復旧させて経済力の回復に充てるという趣旨であったから、共産主義を掲げる革命政権としてはあえて逆行的な施策を取り入れるレーニン流プラグマティズムの産物であった。
 とはいえ、全面的な市場経済化がなされたのではなく、市場化は手工業や農業分野を中心とし、外国貿易、重工業、通信・交通といった基幹分野は市場経済化から除外する混合経済政策ではあった。
 レーニンによれば、それは市場を野放しにするのではなく、国家が市場をコントロールする限りで、「国家資本主義」と呼ぶべき特殊な経済復興政策であった。
 そうした戦後混乱期に、一方で計画経済の主力となるゴスプランが設立されたのであった。しかし当初のゴスプランは諮問機関的なものにすぎず、ソ連の構成共和国ごとの経済計画の調整と連邦共通計画の作成という限定的な役割を持つにとどまったのである。
 そもそもレーニン政権が最初に打ち出した戦後復興計画はゴエルロ・プランと呼ばれた電化計画であり、その計画を担ったのは、ゴスプランではなく、ゴスプランよりも一年早く設立されたゴエルロ(Goelro)すなわちロシア国家電化委員会であった。レーニン政権は全土電化事業を戦後復興の土台とみなしており、当初はゴスプランもゴエルロの影に隠れていた。このゴエルロ・プランが後の五か年計画の原型になったとされている。
 こうした経緯を見ると、あたかも第二次世界大戦後の日本で、戦後復興を推進する指令機関として設立された経済安定本部を前身とし、2001年の行政機関統廃合まで存続した経済企画庁(経企庁)に類似している。
 資本主義を採る日本の経企庁は本格的な計画経済機関となることなく、最終的には統計・分析機関となり、その役割を終えたわけだが、ソ連の場合は国家資本主義の産物として発祥したゴスプランが国家計画機関として以後増強されていくという違いはある。しかし、ソ連式計画経済はこのように戦後復興の過程で、国家資本主義という特殊な経済政策の産物として始まったという歴史的な事実には十分留意される必要がある。

 

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持続可能的計画経済論[統合新版](連載第4回)

2024-11-22 | 持続可能的計画経済論[統合新版]

第1部 持続可能的計画経済の諸原理

 

第1章 計画経済とは何か

(3)マルクスの計画経済論
 計画経済論というとマルクス主義を連想させることもいまだに多いが、実際のところマルクスの経済理論の中には、本格的な計画経済論が見当たらない。彼の主著『資本論』に代表されるマルクス経済論の圧倒的な中心は、資本主義経済体制の批判的解析に置かれていたからである。
 とはいえ、マルクスは間違いなく計画経済の支持者であった。そのことは、ごくわずかながらマルクスが残した片言から窺い知ることができる。例えば『資本論』第一巻筆頭の第一章に見える「社会的生活過程の、すなわち物質的生産過程の姿は、それが自由に社会化された人間の所産として、意識的・計画的な制御の下に置かれたとき、初めてその神秘のヴェールを脱ぐ」というひとことは、まさに計画経済の概略に言及したものである。
 もう少し具体化されたものとしては、晩年の論説『フランスの内乱』に見える「協同組合連合会が共同計画に従い全土的生産を調整し、もってかれら自身の制御下に置き、そうして資本主義的生産の宿命である不断の無政府状態と周期的な痙攣とを終息させるべきであるとするならば・・・・・それが共産主義以外の・・・・・何ものであろうか」という言述も、より明確に共産主義=計画経済に言及したものである。
 この後者の言述で重要なことは、マルクスの想定していた計画経済は「協同組合連合会(の)共同計画」に基づくものだということである。この点で、ソ連式計画経済のような国家計画機関による経済計画に基づくいわゆる行政指令経済とは全く異なっている。
 元来マルクスは、共産主義社会をもって「合理的な共同計画に従って意識的に行動する、自由かつ平等な生産者たちの諸協同組合から成る一社会」と定義づけていた。
 マルクスは国家廃絶論とは一線を画していたが(拙論『マルクス/レーニン小伝』第1部第4章(4)参照)、マルクスが想定する共産主義経済社会は国家行政機関が主導するものではなく、その基礎単位は協同組合企業であって、経済計画もまたそうした協同組合企業自身の自主的な「共同計画」として策定・実施される構想となるのである。
 それでは、マルクス経済計画論では貨幣経済との関わりはどうとらえられていたか。これについてマルクスはいっそう明言を避けているが、やはり晩年の論文『ゴータ綱領批判』に見える「生産諸手段の共有を基礎とする協同組合的な社会の内部では、生産者たちはかれらの生産物を交換しない」という言述からして、交換経済の現代的形態である貨幣経済は予定されていないと考えられる。
 かくしてマルクス計画経済論の概略は非国家的かつ非貨幣(非交換)経済的とまとめることができるが、このような理論枠組みはマルクス主義を公称したソ連式の国家的かつ貨幣経済的な計画経済政策とはむしろ対立的なものだとさえ言えるであろう。
  ソ連がマルクスとレーニンをつなげて「マルクス‐レーニン主義」という体制教義を標榜していたため、ソ連の旧制はすべてマルクスに淵源があり、従って、旧ソ連の失敗はマルクス理論の失敗を意味するという三段論法的な評価が世界的に定着することとなってしまった。
  しかし、国家計画委員会をはじめとするソ連の旧制はすべてレーニンとスターリンの時代に設計されたものであって、本来はマルクスと切り離して「レーニン‐スターリン主義」と呼ぶほうが正確である。計画経済を新たに構想するに当たっては、マルクスとソ連とを直結させない思考法が特に必要である。

 

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持続可能的計画経済論[統合新版](連載第3回)

2024-11-20 | 持続可能的計画経済論[統合新版]

第1部 持続可能的計画経済の諸原理



第1章 計画経済とは何か

(2)計画経済と交換経済
 市場経済とは市場という交換の場を中心に回っていく経済体制であるので、市場経済はすなわち交換経済である。特に現代の交換経済では、貨幣という媒介物を手段として交換取引が連鎖的に成立していくから、市場経済は貨幣経済と実質上同義とみなしてもよい。
 ただ、理論上は経済運営が市場メカニズムによるか経済計画によるかという問題と、交換取引の媒介手段が貨幣によるかどうかという問題は別次元の問題であり、計画経済と貨幣経済を両立させることは可能とみなされている。そのため、実際、かつてのソ連式計画経済も貨幣経済下で行われていた。
 しかし、観念のレベルを離れて経済運営の実践問題として見たとき、貨幣交換を中心として回っていく貨幣経済と計画経済は調和しない。貨幣経済は貨幣交換の連鎖で成り立っているが、それは需要と供給の成り行きに依存しており、多分にして投機的な要素を持つ。マルクスの言葉によれば、それは「市場価格の晴雨計的変動によって知覚される商品生産者たちの無規律な恣意」によって動いていくものであるから、事前の計画によっては制御不能なものである。
 そうした貨幣経済を計画経済に適応化させようとすれば、それは公的機関、特に政府による価格統制という技術によらざるを得ない。理論上は、経済情勢と需要・供給の事前予測に基づいて公的機関が適正な価格を設定することは可能とされるが、実際のところ投機的な貨幣交換を完全に制御することは不可能であり、旧ソ連を含め、価格統制政策に成功した例がないのは必然と言える。
 してみると、計画経済は本来的に貨幣経済の外にあるとみなしたほうがよさそうである。これを貨幣の側から考えてみると、本来アナーキーな本質を持つ貨幣経済は真の意味での経済計画とは相容れないということになる。
 この理をより根本に遡って考えると、計画経済とはそもそも非交換経済であると言い切ってもよいだろう。貨幣交換か物々交換かを問わず、およそ交換をしない。それが純粋の計画経済である。少しでも交換経済の要素が残るなら、それは真の計画経済とは言えない。
 市場とはすなわち交換の場であるから非交換経済は非市場経済でもあるが、そうであってはじめて計画が必要的となる。なぜなら、非交換=非市場経済では、経済運営の規範的指針となる計画なかりせば物やサービスが生産・分配されていかないからである。
 まとめれば、純然たる計画経済はまずもって非交換経済であって、それゆえにまた非貨幣経済でもあるということになろう。そう見れば、貨幣経済下で行われていたソ連式計画経済がなぜ交換経済的要素を排除し切れず、計画経済としては規律を欠いた中途半端なものに終始したかも理解されるのである。

 

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持続可能的経済計画論[統合新版](連載第2回)

2024-11-19 | 持続可能的計画経済論[統合新版]

第1部 持続可能的計画経済の諸原理



第1章 計画経済とは何か

(1)計画経済と市場経済
 計画経済について考える場合、計画経済とは何かということを初めに確定しておく必要があるが、実のところ、それが容易でない。
 計画経済というと「社会主義」が連想されるが、計画経済と社会主義は決して同義ではない。実際、今日の中国は「社会主義市場経済」を標榜し、社会主義と市場経済を結合させようとしているし、現代の社会主義体制は程度の差はあれ、みな市場経済への適応を指向している。
 また計画経済と統制経済とが同一視されることもあるが、これも適切な把握とは言えない。統制経済はしばしば戦時には政府が戦争遂行に必要な物資を集中的に調達する目的から体制の標榜を超えて導入され、資本主義体制の枠内でも戦時統制経済を導入することが可能なことは、例えば世界大戦中の戦時統制経済を見てもわかる。
 ただ、計画経済では通常は政府が策定する経済計画に基づき生産と流通が規制されるため、市場経済に比べれば「統制」の要素が強くなることは否めないが、それでも統制経済と計画経済は概念上区別されなければならない。
 一方、市場経済は計画経済の反対語とみなされているが、両者は通常考えられているほどに対立する概念ではない。市場経済を標榜していても、政府の経済介入の権限が広汎に及ぶ場合は計画性を帯びてくるし、また市場原理によって修正された計画経済もあり得るからである。
 前者―計画的市場経済―の実例は、先の社会主義市場経済である。ここでは政府の経済計画は維持されるものの、本来の計画経済のような規範性がなく、それは経済活動の総ガイドライン的な意義にとどまる。またある時期までの戦後日本経済は、政府の経済設計と行政指導を通じた「指導された資本主義」という性格が強かったが、これも社会主義市場経済よりははるかに緩やかながら計画的市場経済の亜種とも言えた。
 後者の市場的計画経済の実例は多くはないが、旧ユーゴスラビアの「自主管理社会主義」はその例に数えられる。ここでは労働者自身が経営に携わるとされる自主管理企業間に一定の競争関係が見られた。また1960年以降の経済改革で利潤原理が一部導入された旧ソ連経済も、ユーゴよりは限定的ながら市場的計画経済の亜種であった。
 かくして計画経済と市場経済の概念的区別も決して厳格ではないのだが、一点、計画経済に必ずなくてはならない要件は、公式かつ規範性を持った経済計画に基づいて経済運営がなされるということである。先の計画的市場経済が市場経済であって計画経済でないのは、そこでの経済計画ないし企画は規範性を持たないからである。
 なお、そうした規範性を持った経済計画が経済活動の全般に及ぶか―包括的計画経済―、それとも基幹産業分野に限られるか―重点的計画経済―という点は政策選択の問題となる。

 

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持続可能的計画経済論[統合新版](連載第1回)

2024-11-18 | 持続可能的計画経済論[統合新版]

統一新版まえがき

 本連載は、既連載『持続可能的計画経済論』及び『続・持続可能的計画経済論』を統合したうえ、再編したものである。実質的な内容に大きな変更点はないが、体系的により整理し、章立てに変更を加えている。

 

統合新版序文

 計画経済は、資本主義的市場経済に対するオルタナティブとして、20世紀に社会主義を標榜したソヴィエト連邦によって初めて実践され、その後、ソ連の衛星諸国やその影響下諸国の間で急速に広まったが、同世紀末のソ連邦解体後、今日までにほぼ姿を消した。その意味では、計画経済は20世紀史の中の失敗に終わった一社会実験であるとも言える。
 しかし、20世紀的計画経済とはあくまでもソ連邦という一体制が実践した一つの計画経済―ソ連式計画経済―にすぎない。ソ連式計画経済が失敗に終わった原因については―本当に「計画経済」だったのかどうかも含め―検証が必要であるが、それだけが唯一無二の計画経済なのではない。むしろ真の計画経済はいまだ発明されていないとさえ言える。
 現時点では、市場経済があたかも唯一可能な経済体制であるかのような宣伝がなされ、世界の主流はそうした信念で固まっているように見える。だが、その一方で、市場経済は打ち続く世界規模での経済危機、国際及び国内両面での貧困を伴う生活格差の拡大といった内部的な矛盾に加え、地球環境の悪化という人類の生存に関わる外部的な問題も引き起こしている。
 こうした有害事象は口では慨嘆されながらも、まばゆい光である市場経済に伴う影の部分として容認されている。地球環境問題に関しては待ったなしの警告を発する識者たちでも、市場経済そのものの転換には決して踏む込もうとしない。あたかも「環境的に持続可能な市場経済」が存在するかのごとくである。
 だが、目下喫緊の課題とされている地球温暖化抑制のための温室効果ガス規制にしても、市場経済は真に効果的な解決策を見出してはいない。市場経済システムを温存するためには、生産活動そのものの直接的な規制には踏み込めないからである。
 地球温暖化に限らず、資源枯渇も含めた地球環境問題全般を包括的に解決するためには、生産活動そのものを量的にも質的にもコントロール可能な計画経済システムが必要である。そういう新しい観点からの計画経済論はいまだ自覚的に提起されているとは言えない。
 景気循環に伴う経済危機や格差問題の解決も重要であるが、そうした問題に対しては市場経済論内部にも一応の「対策」がないではない。だが、それらも決してスムーズには実現されないだろう。そうした問題の解決のためにも、計画経済が再考されなければならない。
 計画経済にはその実際的なシステム設計や政治制度との関係など、ソ連式計画経済では解決できなかった様々な難題も控えている。とはいえ、計画経済の成功的な再構築は、言葉だけにとどまらない環境的に持続可能かつ社会的に公正な未来社会への展望を開く鍵となるものと確信する。
 そうした新たな展望を伴う新しい計画経済を「持続可能的計画経済(Sustainable Planned Economy)」と呼ぶ。しかし、これを理念的な構想に終始させないためには、実際の経済計画をどのように策定するかということに関する具体的な原理や技法をも必要とする。
 持続可能的計画経済の原理とは、簡単に言えば、環境経済学と計画経済学とを組み合わせたものであるが、現時点での環境経済学はほぼ例外なく市場経済モデルを当然の前提としたものであって、計画経済モデルと結合させる試みはまともに行なわれていない。  
 しかし、地球環境の保全が喫緊のグローバルな課題となっており、とりわけ地球の平均気温を数値的にコントロールすべきことが科学者から提言されている時代には、生産活動の物量と方法の双方にわたってこれを計画的に管理することが不可欠であり、生産計画を個別企業の利潤計算に丸投げする市場経済モデルでは課題に解を与えることはできない。  
 一方、計画経済の原理を提供する計画経済学については、かつて計画経済のモデル国家とみなされていたソ連における70年近い経験と蓄積があったが、ソ連の解体後はその盟主ロシアを含めた旧ソ連構成共和国の大半が程度差やモデルの違いはあれ、資本主義市場経済へ転換したことにより、忘却されてしまった。  
 ソ連の計画経済モデルは遅れた農業経済国を短期間で工業国へ発展させるための開発計画の一種であり、そこでは環境保全の視点はほとんど無視されていた。しかも、それは国家に経済運営の権限を集中させるという国家全体主義的な政治理論と結びついてもいた。  
 そうした点で、ソ連の計画経済学はすでに時代遅れのものであり、これを単純に復活させることでは解決しない。とはいえ、計画経済の技法という点では、精緻な数理モデルの開発も進められていたソ連の計画経済学の遺産は改めて参照・再利用される価値を残してはいる。  
 当連載では、現代の経済理論における最前線の花形でもある環境経済学と、すっかり忘却され、ほこりをかぶっているかに見える計画経済学という新旧の経済理論を結合して、持続可能的計画経済のより具体的なモデルを構築することを目指していく。

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2024-11-10 | お知らせ

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普通選挙を巡る古くて新しい疑問

2024-11-07 | 時評

今日、民主主義を標榜する諸国では、一般国民も平等に選挙権を持つ普通選挙制度が定着しているが、普通選挙制度が確立される以前、普通選挙という考えは過激思想とみなされていた。反対論の有力な根拠の一つは、一般大衆に果たして政治判断力があるのか、だった。

今日ではこれは時代遅れの古い疑問とみなされるが、今般のアメリカ大統領選挙の結果を見ると、SNSやAIが駆使される選挙過程の電子化という現代的な状況の中、改めてこの疑問が浮上してくる。

※アメリカ大統領選挙では、一般投票の結果を直接には反映しない各州選挙人を通じた間接選挙制という古風な選挙制度が護持されているが、今回は一般投票でもトランプが勝利している。

実際、部分的な政策ばかりでなく、人格識見や言動を含めた総合評価では二大候補のどちらが21世紀の第二四半期を始める合衆国大統領によりふさわしいかは明らかと思われたが、アメリカの多数派有権者は34件もの罪状により刑事陪審裁判で有罪評決を下された人物を大統領に返り咲かせた。

※2016年のヒラリー・クリントン(vsトランプ)に続いて、女性大統領を再び拒否した意外なほど保守的なアメリカ人気質も影響したと思われるが、ここではそうしたジェンダー論は保留する。

SNSやAIが駆使される電子化された選挙過程では、人格識見や品格ある言動はもはや優先的判断基準とならず、インターネットを通じた派手なプレゼンテーションに長けた扇動者が従来にも増して当選しやすいことがはっきりと証明された。

とりわけ、「嘘」が重要なプレゼン手段となったことが恐ろしい。「嘘」を活用する選挙戦略としては戦前のヒトラーとナチスという巨大な先例がすでにあるが、電子化選挙の時代には、「嘘」はより大きな効用を持つ。

候補者や陣営、支持者に加え、特定候補者の当選を望む外国政府までが繰り返し、たゆみなく電子的な手段で「嘘」を発信・拡散させれば、それが選挙過程では「真実」にすり替わり、ファクト・チェッカーたちが奮闘しても、もはや是正は効かない。カントがいかなる理由があろうと絶対的に許されないという厳格な道徳律を立てた「嘘」が、選挙過程では最も有効な戦術的手段となってきたのである。

これは、世界各国の野心的な選挙候補者・政党への激励となり、今後、世界中で模倣され、「嘘」戦術が世界に拡散するだろう。もはや、普通選挙制度は民主主義を保証しないどころか、民主主義を危うくすると断じても過言でない。

世界で最も歴史の長い民主主義の信奉者であったはずのアメリカ有権者が、事前予想の僅差ではなく、明確にアメリカン・ファシズムを選択したことが何よりの証拠である。同時に、この選択はトランプに象徴されるような資本家・経営者層が伝統的な政治献金を介さず、自ら直接に政治権力を掌握する資本至上主義をも反映している。―全く自慢にならないが、筆者はトランプ一期目の終了時点で、復権を半ば予見していた(拙稿)。

もっとも、トランプ政権は既に一期経験済みであるが、―筆者はトランプの初当選前からアメリカン・ファシズムを警告していた(拙稿)―第一期トランプ政権はまだ試運転的であったうえに、終盤ではコロナ・パンデミックという思わぬ災難に見舞われ、十分には展開できなかった。二期目は、たたき台となる右派系民間シンクタンクによる綱領文書も存在しているから(トランプは無関係を強調するが)、イデオロギー色が一期目より強まると予想される(拙稿)。

しかし本来、自由主義に基づく民主主義を支柱とするアメリカ合衆国憲法にファシズムの余地はない。但し、それは憲法が定める古典的な三権分立が機能する限りにおいてである。但し、それも大統領が就任式の宣誓文言どおり合衆国憲法を順守することが前提である。この二重の「但し」が担保される限り、アメリカではファシズムは不可能である。

ところが、一番目の「但し」は、上下両院を共和党が征する見込みとなったことで議会による大統領の監視と牽制は期待できなくなっている。司法による審査と抑制についても、すでに第一期にトランプが送り込んだトランプ政権に忠実な連邦最高裁判所・連邦下級裁判所の超保守派判事と二期目でも送るであろう同様の超保守派判事の存在により、機能しない。一番目の「但し」が崩れれば、二番目の「但し」も形骸化する。よって、アメリカン・ファシズムは現実化する余地を獲得している。

もっとも、ファシズムになっても、連続か返り咲きかを問わず、大統領任期を二期八年に制限する憲法修正第22条により、四年間の期間限定ファシズムではある。但し、これも、トランプ再選大統領が憲法を守って四年で退任した場合のことである。憲法に違反して政権に居座ったり、1951年に制定された比較的新しい修正第22条を廃止する憲法再修正を断行し、任期制限を撤廃するなら、「トランプ終身大統領」さえもあり得る。トランプ崇拝の支持者の中にはそれを望む熱狂者もいそうである。

そのようなことが起こらなかったとしても、ファシズムの四年はアメリカの自由主義・民主主義を破壊するのに十分すぎる年月である。今後、カナダや英国、オーストラリア等、よりましな英語圏への「自主亡命者」が続出するかもしれない。

繰り返せば、現代の電子化選挙過程は民主主義を保証しない。それどころか、民主主義を破壊する危険に満ちている。2024年アメリカ大統領選挙は、アメリカに限らず、選挙過程の電子化が進む日本を含めた諸外国に対しても重大な警告となった。

最後に我田引水。これからの民主主義は「嘘」戦術に左右される一般投票ではなく、代議員としての適格性を証明された代議員免許を持つ者の中からくじ引きで選ばれた代議員によって構成される民衆会議を軸としたものでありたい。

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