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持続可能的計画経済論[統合新版](連載第33回)

2024-12-30 | 持続可能的計画経済論[統合新版]

第2部 持続可能的経済計画の過程

 

第7章 経済計画とエネルギー供給

(2)エネルギー供給計画
 前節で、共産主義的な計画経済下での経済計画過程の起点はエネルギー計画であると指摘したが、ここで第4章で述べた持続可能的計画経済の原理を今一度振り返ると―
 持続可能的計画経済には環境アセスメントが予め包含されており、従って、主として生産の量的な調節を目的とする「物財バランス」にとどまらず、環境的持続可能性に適合するエネルギー資源の選択、生産方法や生産品構造の規制にも及ぶ質的な「環境バランス」も組み合わされなければならないのであった。
 特にこの「環境バランス」の前提として、エネルギー計画が必要となる。その場合、エネルギー計画を経済計画本体と分離して独立に組むか、それとも経済計画の前提部分のような形で組み入れるかという技術的な問題がある。
 エネルギー計画が経済計画の外部的規制ではなく、経済計画全体の内部的前提となることを強調するためには、組み入れ型が適切と思われるが、いずれにせよ、このようなエネルギー計画は、経済計画本体と同様に規範性をもって生産企業に適用される指針であって、単にエネルギー政策の基本方針を綱領的に掲げたものではない。
 またエネルギー供給は、エネルギー源の世界的な共同管理の制度とも密接に関連するため、世界レベルでのエネルギー源管理計画ともリンクしていなければならず、ここでは「一国エネルギー計画」は存立し得ない。
 内容的には、石油などの枯渇性エネルギーの節約と再生可能エネルギーの積極活用が基調となり、二次エネルギー源の中でも高度産業社会で最も比重の高い電力の環境持続的な総量規制はエネルギー計画の重要な柱である。
 ちなみに発電に関し、ひとたび事故が発生した際の環境破壊性において他に例を見ないことが実証済みの原子力は質的に見て安全に持続可能的なエネルギー源とは評価できないため、持続可能的エネルギー計画からは除外される。
 こうしたエネルギー計画の策定主体も行政機関ではなく、生産企業体で構成する経済計画会議であるが、エネルギー計画の原案は、会議の下部機関として製油や電力等のエネルギー関連事業体で構成する「エネルギー計画協議会」で策定されることになる。

 

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持続可能的計画経済論[統合新版](連最第32回)

2024-12-29 | 持続可能的計画経済論[統合新版]

第2部 持続可能的経済計画の過程

 

第7章 経済計画とエネルギー供給

(1)エネルギー源の民際管理
 およそ高度産業社会がエネルギーを物理的な基盤としていることは、いかなる生産様式にあっても変わらない。しかし、エネルギー供給の理念と方法は、生産様式いかんと密接に関連している。
 その点、資本主義産業社会にあっては、エネルギーは物質的な生産活動の手段にすぎない。すなわち「初めに生産ありき」であって、想定された物質的生産活動に見合うエネルギーを供給しようと試みる。しかも、その生産活動は全体的な計画に基づいておらず、個別資本による利潤追求を目的とした競争的な経営計画の競合であるから、エネルギー供給に限界を設定することを忌避する。
 共産主義的な持続可能的計画経済の発想は、それとは逆である。すなわち「初めにエネルギーありき」であり、環境的持続可能性に配慮されたエネルギー供給計画の枠内で生産活動が展開される。言い換えれば、持続可能的計画経済下での経済計画過程の起点はエネルギー計画である。
 エネルギーはエネルギー源(ここでは、狭義のエネルギー源、すなわち一次エネルギー源を指す)から生み出されるから、持続可能なエネルギー計画の前提には、持続可能なエネルギー源管理、すなわち持続可能な天然資源管理がなければならない。
 資本主義社会には、そもそも「エネルギー源管理」という発想自体がなく、エネルギー源は枯渇の限界に達するまで恒久的に開発の対象であり、せいぜい天然資源の埋蔵国の政府や国営開発企業による間接的な開発コントロールがなされているにすぎない。
 近年はそうした間接コントロールすらも弛緩し、資源が投機の対象にすらされている。その結果は、石油を中心とするエネルギー源の価格変動による経済不安、そして資源の浪費・枯渇である。
 持続可能的計画経済は、こうした「エネルギー無政府状態」とは対極にあるエネルギー源の民際管理と結びついている。エネルギー源の民際管理とは、石油に代表されるエネルギー源はその埋蔵国に属するという「資源ナショナリズム」の国際常識と決別し、エネルギー源を無主物とみなし、人類全体の共同管理下に置くことを意味する。
 簡単に言えば、「天然資源は誰のものでもない」ということである。ただ、天然資源の民際管理を単なる理念でなく、実際に可能にするためには、地球規模での計画経済化を前提とした効果的な共同管理システムの構築を必要とする。

 

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持続可能的計画経済論[統合新版](連載第31回)

2024-12-27 | 持続可能的計画経済論[統合新版]

第2部 持続可能的経済計画の過程

 

第6章 計画経済と政治制度

(4)世界共同体の構成単位
 本章の最後に、世界共同体全体における計画経済体制の概要をまとめておく。すでに述べたように、世界共同体は世界政府のような中央集権的な単一の主権団体ではなく、分権化された構造を持っている。
 そうした世界共同体の基礎構成単位となるのが領域圏であるが、領域圏は在来の国に相当する政治単位であるとともに、世界経済計画の枠内での計画経済主体でもある。例えば、日本領域圏は日本の政治単位であるとともに、日本領域の計画経済主体である。
 この領域圏のレベルにはそれぞれ単一の経済計画機関として経済計画会議が置かれ、世界経済計画機関が設定した経済計画に沿って、各領域圏内の経済計画を策定することになる。世界経済計画機関と領域圏経済計画会議とは完全な上下の指揮命令関係にはないが、後者は前者の受託機関のような関係に立つ。
 グローバル計画経済は、こうした縦関係の計画だけでなく、横のつながりとしての経済協調関係を内包しているが、そうした経済協調は地理的・文化的に共通項を共有する近隣領域圏がまとまる連関地域を単位に行なうことが合理的である。
 そのような領域圏の連関地域的な協力体となるのが、汎域圏である。汎域圏自体は、計画経済主体ではなく、計画経済を補充する相互経済協調主体であるので、固有の経済計画機関を持たない。
 汎域圏の分け方には種々あり得るが、筆者はかねてより、世界をアフリカ‐南大西洋、ヨーロッパ‐シベリア、アメリカ‐カリブ、東方アジア‐オセアニア、西方アジア‐インド洋の五つに区分することを提案している(拙稿参照)。
 このような連関地域の経済協力体は現在でも存在しているが、それはしばしば連関地域ごとの経済競争関係に転じ、最悪の場合、排他的な経済ブロックと化し、国際戦争の要因ともなる。他方で、国境を越えてグローバルに跋扈する多国籍資本はこうした連関地域経済協調とは調和しない。
 グローバル計画経済における汎域圏は競争的単位でもなければ、旧ソ連が主導した旧コメコンのような国際分業圏でもなく、相互補充的な経済協調に特化した、グローバル計画経済に特有の単位と言えるだろう。

 

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持続可能的計画経済論[統合新版](連載第30回)

2024-12-26 | 持続可能的計画経済論[統合新版]

第2部 持続可能的経済計画の過程

 

第6章 計画経済と政治制度

(3)世界共同体の役割
 前回、世界共同体には政経二院制は適用されず、世界経済計画機関は世共総会の下部機関の位置づけとなると論じたが、とすると、そうした政経一元的な世界共同体というものは計画経済体制においていかなる役割を担うことになるであろうか。
 その点、旧ソ連の行政指令型計画経済は、複数の構成共和国の連邦体ではあったが、ソ連邦という単一の主権国家一国限りでの計画経済として運用されていたから、その目標はソ連邦一国の経済開発に置かれていた。そのため、一国を越えたグローバルな計画経済の構想は、ついに現れることがなかった。
 これに対して、新たな計画経済は、地球環境の保全を何よりも優先する持続可能的計画経済という性格上、地球規模で実施される。そのために、その究極的な計画も全世界を包摂するようなレベルで協調的に行われる必要がある。そのような協調主体が、世界共同体である。
 ここで、そうしたグローバルな計画経済をより実効的に行なうには、「世界連邦」のような本格的な世界政府機構を設立したほうが効果的ではないかとの疑問が向けられるかもしれない。「世界連邦」はまさに世界を統一する政治機構であり、かねてより主として世界平和の観点から提唱する運動も存在している。
 実際、世界共同体は英語でWorld Commonwealthと表記されるが、このcommonwealthには「連邦」という政治的な意味もあり、現存する制度としては、英国とその旧植民地諸国で結成する国家連合体の英連邦がCommonwealth of Nationsと呼ばれている。これと同様にWorld Commonwealth を「世界連邦」と訳しても誤りとは言えない側面もある。
 しかし、行政指令型でなく、企業体による自主的な共同計画を軸とする新たな計画経済にあっては、国家という枠組みが無用であるのと同じように、「世界連邦」のような連邦国家的な枠組みも無用であり、「世界連邦」のような制度はグローバルな計画経済を上部構造的に保証する政治制度としてふさわしいものとは思われない。
 その点、commonwealthとは語源的にcommon=共通+wealth=富という二語の合成語であり、そこには「世界共通の富」という経済的な含意も認められる。このようなグローバルな人類共通の富の計画的な生産・分配に関わる政治経済的統合体としての世界共同体というものが、想定されてくるのである。

 

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持続可能的計画経済論[統合新版](連載第29回)

2024-12-24 | 持続可能的計画経済論[統合新版]

第2部 持続可能的経済計画の過程

 

第6章 計画経済と政治制度

(2)政経二院制
 計画経済と政治制度の関係においては、代表制のあり方が問題になる。この点、旧ソ連のような行政指令型の計画経済では、経済計画は行政機関の任務であったから、旧ソ連の国家計画委員会のような計画行政機関が用意されれば足り、代表制の問題はさほど重要性を持たない。
 もっとも、そのような強大な権限を持つ行政機関を代表機関がどのように監督し得るかという民主的な監督の問題は発生するが、これは代表制そのものというより、行政監督の問題である。
 しかし、企業体の自主的な共同計画を軸とする新たな計画経済にあっては、そうした共同計画を策定する代表機関の制度や構成いかんが重要な問題となる。
 最もラディカルな制度としては、企業体の代表機関に一本化することが考えられる。例えば、業界ごとの代表者で構成する代表機関である。これは職能代表制に近い構成となる。
 特に、「合理的な共同計画に従って意識的に行動する、自由かつ平等な生産者たちの諸協同組合からなる一社会」という定義に基づくマルクスの共産主義社会論からは、生産協同組合(企業体)自身が代表機関を持つという構制が導かれるであろう。
 マルクスによれば、共産主義社会では、(一)統治機能は存在せず、(二)一般的機能の分担は何らの支配をも生じない実務上の問題となり、(三)選挙は今日のような政治的性格を完全に失う。そして共産主義的集団所有の下ではいわゆる人民の意志は消え失せ、協同組合の現実的な意志に席を譲るという。イメージとしては、協同組合が合同して直接に執政するような体制である。
 しかし、経済計画はそれだけでも多くの審議と調整を要する作業であるので、他の一般政策の審議は別途代表機関を設けて機能分担するほうが合理的であろう。その意味で、経済計画機関は一般代表機関とは別立ての企業代表機関として設置運営し、一般代表機関は経済計画機関の策定した経済計画に承認を与えるのみにとどめるのがよい。
 こうした計画(経済)/一般(政治)の二本立て代表機関―政経二院制―は、世界共同体を構成する領域圏のレベルにセットで設置されることになる。ただし、政経二院制といっても、両者の関係は完全な対等ではなく、政治院である民衆会議が言わば上院的な位置づけとして計画の最終的な承認権を保持する構造になるだろう。
 また世界共同体レベルにおける経済計画機関(世界経済計画機関)には、二院制構成は適用されず、総会(世界民衆会議)直轄機関としての位置づけが強くなる。世共の場合、政治的統合性が重視されるからである。ただし、この場合も世界経済計画機関は官僚制機関ではなく、世界の生産事業機構体で構成する合議機関である。
 なお、世界共同体内部の広域的なまとまりである汎域圏は経済計画そのものよりも、世界経済計画の枠内での地域間経済協調を主任務とするから、固有の経済計画機関が設置されることはない。

 

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持続可能的計画経済論[統合新版](連載第28回)

2024-12-23 | 持続可能的計画経済論[統合新版]

第2部 持続可能的経済計画の過程

 

第6章 計画経済と政治制度

(1)経済体制と政治制度
 本連載第2部の課題は、持続可能的計画経済のプロセスを明らかにすることであるが、本章では計画経済体制を上部構造において保証する政治制度のあり方について見ておきたい。
 一般的に、経済体制と政治制度の間に論理必然的な関係があるかと言えば、はっきりとイエスとはならない。しかし、緩やかながら論理的な対応関係を見出すことはできる。
 例えば、資本主義は自由経済を志向するから、経済規制を最小限にとどめる自由主義的な政治体制、特に議会制と結ばれた時に最も効果を発揮する。これは、議会制が多額の金銭をつぎ込む公職選挙を土俵とする金権政治の代表的制度であることからしても、資本が自らの保証人となる政党・政治家を通じて経済界の総利益を保持するという持ちつ持たれつのパトロニッジ関係を構築しやすいからである。
 他方、旧ソ連のような行政指令経済に基づく社会主義経済体制は、当然にも経済司令塔となる政府と計画行政機関を必要とするので、相当に集権的な国家体制と結びつく。その点、諸政党の寄合となる議会制はこの体制には適合しにくい。
 これに対して、新たな計画経済は行政指令型ではなく、計画経済の対象企業自身による自主的な共同計画を軸とするから、計画行政機関は無用である。そこからさらに、国家という制度そのものも不要とするかは、一つの問題である。
 ここでは、貨幣制度の廃止が鍵となる。公式貨幣を発行する通貨高権を失った国家はもはや国家ではないとすれば、貨幣経済によらない共産主義的計画経済は国家制度とは両立しないことになる。
 もっとも、国家廃止は必ずしも計画経済特有のものではなく、貨幣経済は残すが、国家の通貨高権は廃し、私的通貨制度に純化するという最もラディカルな自由市場経済論に立つなら、少なくとも理論上は「国家なき資本主義」も成り立つことになる。
 しかし、実際のところ、国家の権威づけを一切持たない私的通貨が取引の安全を担保されて安定的に流通するとは想定し難く、「国家なき資本主義」はまさに机上論にどとまるだろう。
 結局のところ、計画行政機関を持たない自主的な計画経済体制は、国家制度によらない新たな政治制度を上部構造に持つことになると考えられるが、そのグローバルな大枠となるのが世界共同体である。

 

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持続可能的計画経済論[統合新版](連載第27回)

2024-12-21 | 持続可能的計画経済論[統合新版]

第2部 持続可能的経済計画の過程

 

第5章 計画経済の世界化

(5)汎域経済協調機関
 世界共同体とは一つの国家のような統合体ではないため、世界経済計画といっても、それは領域圏の地域的なまとまりである五つの汎域圏間での経済協調関係を内包する。そうした汎域的な経済協調関係は、資本主義的な商業貿易に代わるものとして、持続可能的計画経済において極めて重要である。
 煎じ詰めれば、持続可能的計画経済とは、世界経済計画を基本に、個別的な領域圏計画経済と横断的な環域間経済協調が有機的に連関しながら運営されていくグローバルな経済システムと言える。
 その意味でも、経済協調圏としての汎域圏は重要な単位であり、そうした汎域間経済協調を担う機関として、世界経済計画機関とは別途、汎域圏経済協調会議のような実務機関を設置し、常時経済協調関係を維持する必要がある。 
 具体例を挙げれば、自動車なら世界経済計画に示された指針に従い、各々汎域圏内での中心的な領域圏が生産し、汎域圏内で融通し合う。その結果、自動車メーカーが世界的なシェアーを巡り競争し合うという関係はなくなり、生産活動はそれぞれの汎域圏内で完結することになる。
 ただし、それは硬直的なルールではなく、アフリカのように独自の自動車メーカーが存在しないところでは―もちろん独自に育成される可能性は資本主義経済下よりも開かれるが―、隣接するヨーロッパから調達するというように、汎域圏を越えた協力関係の存在も否定されるわけではない。
 さらに汎域圏のもう一つの重要な役割として、食糧農業分野での経済協調がある。共産主義的な食糧生産は貿易によらず、各領域圏で自給的にまかなうことが基本であり、現実にも共産主義はそれを可能とするが、農業の発達状況と生産量は地理的条件及び天候にも左右され、不均衡を完全には免れないことから、食文化に共通性のある汎域圏間で不足産品を融通し合う協力関係は不可欠である。
 そうした協力関係をグローバルに調整する専門機関として世界食糧農業機関が置かれる。これは現存国連機関である国連食糧農業機関(FAO)の業務を引き継ぐものであるが、この機関は調整機関にとどまり、現実の協力実務は汎域圏ごとに設置される食糧農業会議が行なう。

 

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持続可能的計画経済論[統合新版](連載第26回)

2024-12-20 | 持続可能的計画経済論[統合新版]

第2部 持続可能的経済計画の過程

 

第5章 計画経済の世界化

(4)世界経済計画機関
 グローバルな計画経済の実務機関となるのは、世界経済計画機関である。これは各領域圏の計画機関である経済計画会議の総本部に相当する機関でもあり、グローバルな計画経済が最終的に確立された暁には、同機関が策定した世界経済計画の総枠内で各領域圏の経済計画が策定されるシステマティックなものとなる。
 この世界経済計画機関は全世界の領域圏で構成する世界共同体の専門機関の位置づけを持つが、現存国連諸機関のような官僚制的行政機関ではなく、各領域圏の経済計画会議と同様に、生産企業自身の共同計画を策定する合議制機関である。
 その構造は各領域圏の経済計画会議の相似形となる。すなわち、世界経済計画機関の意思決定を担う執行部(上級評議会)は計画経済の対象となる環境負荷産業分野の生産事業機構の世界組織である生産事業機構体の代表者で構成される。
 資本主義経済にはこうした生産事業機構体に該当する組織は存在しないが、強いて現存する類似例を挙げるとすれば、世界鉄鋼協会(World Steel Association)とか国際自動車工業連合会(Organisation Internationale des Constructeurs d'Automobiles)といった国際的な業界団体をイメージすればよいと思われる。
 資本主義体制の下では、こうした国際業界団体はあくまでも業界ごとの国際的な利益代表組織であり、生産活動そのものの調整を行なうことは国際カルテルに当たり、むしろ禁止される。しかしグローバルな計画経済下の生産事業機構体は単なる業界団体ではなく、まさに世界計画経済の主体的組織となるのである。
 こうして生産事業機構体が世界経済計画機関を通じた審議のうえで策定した世界経済計画は、世界共同体の民衆代表・意思決定機関である総会(世界民衆会議)で審議を受けなければならない。その結果、可決された世界経済計画は、条約に準じた規範性をもって各領域圏を拘束し、各領域圏レベルでの経済計画の準拠指針となる。

 

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持続可能的計画経済論[統合新版](連載第25回)

2024-12-19 | 持続可能的計画経済論[統合新版]

第2部 持続可能的経済計画の過程



第5章 計画経済の世界化

(3)貿易から経済協調へ
 グローバルな持続可能的計画経済が実現された暁に世界経済上生じる最も大きな変化は、貿易という経済行為の消滅―「自由貿易」か「保護貿易」かを問わず―である。これはちょうど「一国」レベルでは商業が消滅するのとパラレルな関係にある。貿易とは海と陸の境界を越えた商業活動の謂いであることからすれば、当然の事理である。
 ただ、貿易が消滅するといっても、完全に「一国」レベルでの自給自足体制に移行するわけではない。食糧を含めた自給困難な物資の海外調達は継続される。しかし、それはもはや貿易という商業的な形態においては行われず、無償の経済協調という形態で行われる。
 ここで言う経済協調とは、資本主義経済下の経済協力のように「途上国」に対する「援助」として実施される恩恵的経済行為ではなく、原則的・日常的な互恵的経済行為として行われることに留意が必要である。
 そのような試みの不完全な先例として冷戦時代にソ連を中心とした社会主義経済圏の経済協調体制(コメコン)があったが、これは画一的な分担分業体制を採ったため、メンバー国の産業構造の偏りを生んだ。持続可能的計画経済における経済協調はそうした画一的な分業によらない柔軟な地域間協調である。
 実際、前節で述べた世界経済計画はそれ自体が経済協調の全般指針でもあるが、具体的な経済協調は地理的近接性を考慮して近隣経済協調圏のレベルで行われる。これも次章で改めて述べるが、世界を五つに区分した汎域圏がそのまま経済協調圏として機能する。例えば、日本の場合は汎東方アジア‐オセアニア圏が帰属経済協調圏となる。
 こうした経済協調の中でも、食糧に関しては人間の死活に直結し、自然条件に左右されるところが大きいため、通常の経済計画とは別途計画が立てられる必要があるが、具体的な経済協調はやはり汎域圏のレベルで行われる。
 また経済協調の一環として、エネルギー源となる天然資源の民際管理の問題がある。『共産論』で論じたように、天然資源はナショナリズムに委ねず、何者にも属しない無主物として民際管理下に置かれるが、その管理機関として世界天然資源機関が置かれ、持続可能な共同採掘が行われる。世界経済計画はこうした資源の分配計画も包含するものとなる。

 

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持続可能的計画経済論[統合新版](連載第24回)

2024-12-18 | 持続可能的計画経済論[統合新版]

第2部 持続可能的経済計画の過程



第5章
 計画経済の世界化

(2)グローバル計画経済
 第1部で環境的持続可能性を重視する新しい計画経済、つまり持続可能的計画経済の理論的基礎について論じたが、そこでの議論はさしあたり、「一国」のレベルでの計画経済を想定してきた。
 しかし、環境的持続可能性とは、正確に言えば地球環境の持続可能性―つまり、地球が少なくとも人為的な要因から死滅することのないように保持していくこと―を意味するから、持続可能的計画経済は特定の一国だけで実践され得るものではない。
 持続可能的計画経済は、その究極的な形態においては、まさに地球規模でグローバルに遂行されていかなければならない。この点において、それは環境的持続可能性を一国の政策レベルの課題に矮小化する「環境政策論」とも、また気候変動や生物多様性等々特定の環境課題を個別の国際条約―しかも、批准/脱退は各国の個別判断任せ―を通じて協調しようとする近年の潮流とも異なり、よりいっそう徹底した世界化を目指している。
 そのためには、持続可能的計画経済の世界的な準則となる世界経済計画が必要とされる。それは前章までの議論で前提とされてきた「一国」レベルにおける経済計画の全体的な大枠(キャップ)となるものである。言い換えれば、「一国」レベルでの計画は世界レベルでの経済計画に基づく個別的な割当て(クォータ)の位置づけとなる。
 このような壮大な構想に対しては、果たして数十億人口を抱えるに至った現存地球上でそれほど大規模な経済計画を紛議なく実効的に策定することができるのかという「現実主義」からの疑問が示されるであろう。
 たしかに、これは人類がいまだ経験したことのない壮大な経済実験ではある。しかし、それも現存の主権国家体制を揚棄し、主権国家の連合体にすぎない現存国際連合に代わる「世界共同体」を創設することを通じて、実現の道が開かれると考える。
 世界共同体は、主権国家に代わって主権を持たない領域圏で構成されるトランスナショナルな政治経済組織である。その意味で、持続可能な計画経済と政治体制の関係は重要な論点であるが、これについては次章で詳論する。

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持続可能的計画経済論[統合新版](連載第23回)

2024-12-17 | 持続可能的計画経済論[統合新版]

第2部 持続可能的経済計画の過程

 

第5章 計画経済の世界化

(1)非官僚制的計画
 持続可能的計画経済は、その観点のみならず、過程の点でもソ連式計画経済とは異質のものである。すなわち、それはソ連式のような行政主導の官僚的計画ではなく、生産企業体自身による自主的な共同計画の過程を辿る。
 その点で、「自主管理社会主義」と呼ばれた旧ユーゴスラビアの制度に類似するが、旧ユーゴの場合、各生産企業体を労働者自身が管理運営するという「自主管理」に重点があり、全体計画に関しては二次的な関心しか置かれていなかったため、それは事実上個別生産企業体の独立採算と一定の競争関係をもたらし、市場経済への近接を示していたのであった。
 これに対し、持続可能的計画経済において想定される自主的な共同計画は、全体計画を生産企業体が共同して策定・運用していくという「共同管理」に重点が置かれるのである。
 こうした生産企業体による共同計画の策定機関としては、各生産企業体の計画担当者で構成する「経済計画会議」(以下、計画会議と略す)のような代表機関が想定される。
 その計画は、内容的には環境的持続可能性に立脚するものであるから、計画会議は経済計画に必要な環境経済学的分析の高度な機能をも擁し、計画策定を主導していくことになるだろう。従って、この機関には行政機関におけるような官僚は存在しない代わりに、専従職員として環境経済調査士が所属する。
 環境経済調査士とは、環境学的な観点から経済分析・予測をする専門職であり、経済学と環境学が融合されて初めて成り立つ新しい専門職である。言わば、エコロジスト+エコノミスト=エコロノミストである。
 資本主義経済下でも「環境経済学」という新分野が誕生しているが、市場経済を絶対前提とする資本主義経済学の中では周縁的な領域にとどまっている。しかし、持続可能的計画経済にあっては環境経済学が機軸的知見となり、それに照応した実務職も誕生する。
 となると、環境経済調査士が計画会議を動かす準官僚的な存在と化すのではないかとの懸念もあり得るが、かれらの役割はあくまでも経済計画に資する調査分析に限局され、実際の計画策定は計画会議の審議の場で公開討議に付され、議決されるから、この機関は旧ソ連の国家計画委員会のような行政機関よりも議会に近いものと言える。
 こうした自主的共同計画は旧ソ連式国家計画に比して、格段に生産現場の判断に立脚した柔軟かつ分析的な知見をも反映した現実的な計画となると見込まれる。
 さらに、持続可能的計画経済は地球環境の持続可能性に立脚する以上、究極的には全世界的な規模で実施されなければ完結しない。こうした言わばグローバルな経済計画についても、各生産分野ごとの世界的な連合組織が自主的に策定・運営するシステムが想定されなければならない。

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持続可能的計画経済論[統合新版](連載第22回)

2024-12-15 | 持続可能的計画経済論[統合新版]

第1部 持続可能的計画経済の諸原理



第4章 計画化の基準原理

(7)自由生産領域の規律原理
 持続可能的計画経済においては、計画経済の対象領域は環境負荷的産業領域に限局され、それ以外の領域は計画外の自由生産に委ねられる。これは、厳密には計画経済というより、計画経済と市場経済の混合経済体制の一種と解釈されるかもしれない。
 こうした混合経済体制に共通する難点は、原理の異なる二種の経済体制を混合することで、機能不全を起こすことである。化学にたとえるなら、水と油のように混ざらずに分離されるならまだしも、混合の結果、毒性の強い物質が発生してしまうような事態が最も懸念すべきものである。
 それを防ぐには、「混合」という発想に替えて、計画外の自由生産領域を計画経済の残余領域として把握することである。すなわち、自由生産領域は計画経済の対象外ではあるが、間接的な形で計画経済の規律が及ぶ領域とみなされるのである。
 その点、自由生産領域といえども、結果的に生産財やエネルギー供給に関わる基幹産業分野をカバーする計画化対象領域から物品やサービスの供給を受けるので、波及的に計画経済が妥当することは必然である。
 さらに、環境的な持続可能性の原理は自由生産領域といえども適用されるのであり、自由生産領域の生産活動も共通の環境法体系によって規律され、環境的持続可能性を害するような「自由」は容認されないことになる。
 ところで、持続可能的計画経済体制は貨幣経済を前提としない経済システムであるから、自由生産領域といえども、当然の貨幣経済ではなくなる。となると、ここでの「自由」とは、単に経済計画の適用を直接には受けないという含意にとどまり、自由生産領域=市場経済となるわけではない。
 理念型としては、完全に無償供給型の自由生産活動も想定できるが、現実にそのような活動がどの程度の規模で行われるかは、人類にとって未知の世界である。経済人類学的な予測として、人類が本質的に交換を欲する生物であるなら、何らの交換も伴わない純粋に利他的な無償の生産活動は、ごく限られたものとなるだろう。
 そこで、貨幣経済に代わって旧来の物々交換慣習が復活してくるなら、それは交換経済の一種であるし、物々交換の対象物が慣習的に定式化されれば、貨幣経済に近づく。そこから、特定の取引界でのみ通用する私的貨幣が発生し、定着すれば、慣習的な貨幣経済の段階へ進む。
 持続可能的計画経済体制において、慣習的な私的貨幣は公式の通貨として認証されることはないが、逆に禁圧されるわけでもない。こうした経済慣習も自由生産領域における私的自治の表出として尊重される。ただし、自由放任ではなく、民事法上の規律は受ける。

 

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持続可能的計画経済論[統合新版](連載第21回)

2024-12-13 | 持続可能的計画経済論[統合新版]

第1部 持続可能的計画経済の諸原理



第4章 計画化の基準原理

(6)物財バランス③:数理モデル
 持続可能的経済計画における物財バランス基準の適用においては、厳密な数理化が必須であり、これを誤ると計画経済では需給関係の失調、しかもどちらかと言えば、需要を満たす供給が停滞し、物不足が恒常化することになりかねない。そこで、物財バランスの精緻な数理化が必要となる。
 その点、従来から、線形計画法の理論が開発されてきた。これは、主として旧ソ連の計画経済体制の中で、限られた資源の最適配分という観点から研究開発された数学的手法で、特にソ連の数理経済学者レオニート・カントロヴィチが、この分野の先駆者であった。
 線形計画法の理論自体は、市場経済下の個別企業の生産計画や輸送計画などにも応用可能であるため、市場経済の西側でも、オランダ出身の数理経済学者チャリング・クープマンスが、一つの商品を生産するために必要な各生産要素の有限的な組み合わせを求めるアクティビティ分析の手法を開発した。
 カントロヴィチとクープマンスの両氏は、それぞれ東と西で別個に研究された業績により、1975年度ノーベル経済学賞を共同受賞しているが、ここで線形計画法を介して、計画経済理論と市場経済理論とが交差する形となったのは、興味深いことであった。
 これらの先駆的な線形計画法理論は、計画経済・市場経済いずれであれ、環境的な持続可能性という観点がまだ埋め込まれていなかった時代の研究産物であるから、これを持続可能的計画経済に応用するに当たっては、さらなる理論的進化を要するであろう。
 その点、線形計画法とは、簡単に言えば、第一次的な式で記述された制約条件の中で最適な目標値を得るための数学的な手法であるから、持続可能的計画経済においては、第一次的な基準原理となる環境バランスの制約条件内で最適な生産目標値を得るうえで応用できるであろう。
 もっとも、線形計画法は、およそ人間が何らかの計画を厳密に数理化する際の計算式を提供する広義の数理計画法の一つであり、数理計画法には、他にも線形計画法に対立する非線形計画法や、組み合わせ爆発を防ぐために最適化問題を多段階に分け、逐次段階を増やしながら解を求めていく動的計画法といった手法もある。
 おそらく環境バランスという予測困難で、複数通りの予測シナリオが想定される制約条件内での最適解を導出するうえでは、線形計画法を基礎としながらも、動的計画法を適用する必要があるかもしれない。いずれにせよ、こうした数理計画法の適用に当たっては、その物的基盤となるスーパーコンピュータや人工知能の利用が欠かせない。
 その点、旧ソ連の計画経済体制では、コンピュータ化の不備が厳密な計画策定の技術的な障害となっていたことが指摘されているが、思うに、これは旧ソ連型計画経済が貨幣経済と国家主導の上に成り立っており、国家による高度なコンピュータ化への投資力に限界があったがゆえであろう。
 それに対して、持続可能的計画経済は本質的に貨幣経済を前提としないので、貨幣による投資ということが必要なく―そもそも問題にすらならない―、貨幣経済下ならば国家であれ、企業であれ、巨額の投資を必要とする高度コンピュータ化や人工知能の活用も、決して困難なことではない。

 

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持続可能的計画経済論[統合新版](連載第20回)

2024-12-12 | 持続可能的計画経済論[統合新版]

第1部 持続可能的計画経済の諸原理



第4章 計画化の基準原理

(5)物財バランス②:地産地消
 物財バランスにおける需給調整がその包括的基準原理とすれば、その分岐的基準原理として、地産地消がある。地産地消とは、地元で生産した物を地元で消費するという原理であり、同じ用語が、資本主義社会でも、主に農産物の生産と消費に関する一つのスローガンとして使用されることがある。
 資本主義社会で提示される地産地消の趣旨には不明確な点も多いが、公約数的には、生産者と生産地が明確な地場産農産物に対する郷土愛的な安心感といった消費者心理的な趣旨と、自由貿易による国際競争圧力にさらされる地方の農業基盤の防衛という農政的な趣旨が漠然と混ざり込んでいるようである。
 しかし、基本的に自由市場を前提とする資本主義体制下での地産地消は、生産者と消費者の任意に委ねられた一つのスローガンにすぎず、国際取引を含む広域遠隔流通を禁じるというような規範的な形で地産地消を施行することが実際にできるわけではない。よって、例えば日本の地方自治体レベルで2000年代から策定されるようになった「地産地消計画」も、経済計画としての計画ではなく、政策目標としての「計画」である。
 これに対して、持続可能的計画経済における地産地消は、地方ごとに策定される規範的な消費計画を規律する原理となるものである。従ってまた、その対象品目も農産物に限らず、衣食住に関わる日常必需的な物品に広く及ぶ。
 それは、総体的な需給調整としての物財バランスに対し、地方的な物財バランスの指標となるものでもあるから、経済計画の立案という観点から見れば、経済計画の地方分権化を結果する。従って、地産地消自体も、地方単位での需給調整の原理を内包しており、ここでも環境バランスに応じた生産容量の計算が厳密に行われる。
 ただし、旧ソ連で非効率な計画経済システムの改革の一環として試行された形式的な地方分権化とは異なり、持続可能的計画経済の本質を確保するための本質的な分権である。実際、地産地消が計画的に施行されることにより、主要な二酸化炭素排出源となる遠距離輸送が制限され、環境的な持続可能性にも資するところは大きい。そうした観点から見るなら、持続可能的計画経済における地産地消は、流通と分配に関する基準原理でもあると言える。
 このように、持続可能的計画経済における地産地消とは、グローバル資本主義に対抗する地場産業防衛の政策的スローガンでも、また計画経済システム改革の技術的な方策でもなく、持続可能的計画経済における本質的要請に由来する本質的な物財バランス基準の一つに位置付けられるものである。

 

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持続可能的計画経済論[統合新版](連載第19回)

2024-12-11 | 持続可能的計画経済論[統合新版]

第1部 持続可能的計画経済の諸原理

 

第4章 計画化の基準原理

(4)物財バランス①:需給調整
 環境的な持続可能性に重点を置く持続可能的計画経済においては、何よりも環境バランスが計画化の優先的基準原理となるのであるが、経済計画は生産と分配、消費の全経済過程を計画的に調整することを意味するから、物財バランスという原理が不可欠である。
 物財バランスとは、経済全体における需要と供給の総体的な事前のバランス調整を意味する。そして、このような事前の需給調整こそ、需給関係を市場におけるランダムな取引の結果に任せるために、需給関係の気まぐれな転変から恐慌局面を含む景気の無規律な循環を結果する市場経済との最大の相違点として、計画経済論において強調されてきたものである。
 その点、持続可能的計画経済においても、需給調整が重要な原理となることは変わらないが、従来の計画経済論とは異なり、持続可能的計画経済論では、まず環境バランスの基準が適用された後に、その枠内で需給調整が適用されるという二段構えになる点が異なっている。
 従ってまた、需給調整が適用されるのは、環境負荷的な産業分野―おおむねエネルギー産業を含む工業的・鉱業的基幹産業分野と重なる―に限局され、旧ソ連型の計画経済において追求されたように、あらゆる産業分野にまで及ぶ拡大的なものとはならない。言い換えれば、非環境負荷的産業分野は需給調整の適用対象外であり、自由生産に委ねられることになる。
 需給調整が適用される場合、予め見込まれる需要予測に応じた生産計画が立案されるのが通例であるが、持続可能的計画計画経済においては、そのプロセスが逆転し、環境バランス基準に基づいて許容される生産量及び生産方法に応じて需要が規整されることになる。
 つまり、「これだけの分量が欲しい」という生(なま)の需要に応じて生産量が決められるのではなく、環境バランス基準によって許容された生産量及び生産方法に応じて需要が決定されるということになる。その限りで、需要は人間の消費欲求とは直結しなくなり、言わば環境的に規範化されることになる。
 その点では、経済開発に重点を置いた旧ソ連型の計画経済において、達成されるべき生産目標(ノルマ)が規範的に決定され、それに応じた需要が刺激されていたこととも異なり、環境的に許容される生産容量が規範的に決定され、それに応じた需要が導出されることになる。
 といっても、需要が機械的に定められるのではない。人間が文化的に充足された生活を営むことのできる限界線は担保されなければ、窮乏を強制することになりかねない。従って、生産容量も、そうした文化的生存限界線を下回ることのないように調整されなければならない。

 

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