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農民の世界歴史(連載第25回)

2016-12-27 | 〆農民の世界歴史

第7章 ブルジョワ革命と農民

(2)フランス革命と農民反乱

 封建制が衰退しながらも根強く残っていたフランスのブルジョワ革命は、英国より一世紀以上遅れで勃発する。フランス革命は総体としてブルジョワ革命の性質を持っていたが、そこには農民革命が内包されていた。
 一連の革命の導火線となった1789年7月のバスティーユ監獄襲撃事件の報は農村にも伝わり、折からの食糧難と物価高騰に苦しんでいた農民らの不満は領主館襲撃に向かった。こうした農民反乱はフランス中部から始まり、瞬く間に全国に波及していった。
 このような動きに封建制の終焉を見て取った進歩的貴族層は、国民議会を通じて封建諸特権の廃止を決めた。しかしこうした重大な既得権益廃止の常として、一挙に進んだわけではなかった。革命第一段階の立憲革命期に実現したのは、農奴制・領主裁判権・教会十分の一税という西洋封建制における三大悪制の廃止であり、貢租については一括前払いによる免除による有償廃止という抜け道が用意されていた。
 このような半端な策では多くの農民は貢租免除を受けられず、依然として貢租を通じて農地に束縛される。そこで共和制移行が成った92年には、改めて「封建領主の合法的な領有を証明する文書が提出されない限り」という条件付きの無償廃止に修正されたが、これでもなお不完全であった。
 最終的に完全な無償廃止が実現したのは、ジャコバン派独裁期の93年のことである。有名な条文「従前の領主的貢租、定期及び臨時の封建的、貢租的な諸権利のすべては・・・・・・、無償で廃止される。」が、簡潔にその趣旨を表現している。
 こうして封建的諸制度から解放されたフランス農民はこれ以降、近代的所有権を保持する有産階級の仲間入りを果たすことになるが、それは農民の間での貧富格差の発生と、農民の全般的な保守化を結果したのである。フランス革命に反動的な形で終止符を打ったナポレオンはこうした新たな農民の権利を擁護し、ブルジョワのみならず農民層にも支持基盤を確立した。
 その点、フランス革命からおよそ半世紀を経た1848年公刊のマルクス‐エンゲルス『共産党宣言』では、「中間身分、すなわち小工業者や小商人・手工業者、農民、かれらがブルジョワジーと闘うのは、中間身分としての自己の存在を没落から守るためである。従って、かれらは革命的ではなく、保守的である。それどころか反動的でさえある。」と評されるまでになったのである。
 実際、フランス農民層は19世紀を通じて新興ブルジョワ層に加わり、ナポレオン一族支配の支持者となり、やがて来る社会主義運動・革命の潮流においては総体として反革命側に加わる素地を作ったであろう。

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