節目となる日本の今般第50回衆議院総選挙をめぐっては、自公連立政権の2009年以来の過半数割れということが強調されているが、自民党を第二党に落とし、完全に下野させた2009年と、比較第一党には残した今回とでは大きく異なる。―蛇足であるが、2009年の自公連立政権大敗時の麻生内閣には石破首相も農水相として入閣していた。自公敗北に縁の深い人のようである。
今回は過半数を取った政党が一つもないいわゆるハング・パーラメント(hung parliament)の状態であり、しかも、野党が多岐に断片化されており、このままでは特別国会の首相選出選挙でも過半数を取れる議員がおらず、首相が容易に決まらない事態となりかねない。与野党ともに、複雑な連立工作もしくはそれに準じた閣外協力工作は必至の状況である。
類似の先例としては、1993年の第40回衆議院総選挙がある。この時は、連立工作の結果、タケノコのように現れた新規政党の一つであった日本新党を率いた細川護熙を首班とする非自民八党派連立政権が発足したが、一年と持たず瓦解した。にわか仕立ての多党連立政権では必然である。奇しくも、1993年総選挙で日本新党から立候補、初当選したのが立民党の野田代表であった。
細川政権の短期挫折を当事者として渦中で目撃・体験した古参の証人ならば、にわか仕立てでなく、事前に入念な野党連合を組んで選挙に臨んでもよかったはずであるが、そうはせず、完全なハング・パーラメントを作り出してしまったのは、いささか不可解である。
その点、相対的に最も民意を精確に反映する比例代表選挙が基本の欧州大陸諸国では連立政権が常態であるから、連立予定の政党連合を組んで選挙に臨むことは与野党を問わず政治慣習であるが、まさに細川政権唯一の“成果”である小選挙区制を基本とする現行選挙制度は民意を精確に反映しない一人勝ち選挙であるから、事前の連合選挙は―慣例化した自公連合を別にすれば―、政治慣習とならない。それゆえ、レアケースとして完全なハング状態が生じると、たちまち政治空白が生じることになる。
ともあれ、自民党を完全に下野させなかった今般総選挙は、自民党が結党された1955年以降の日本の有権者が―2009年を例外として―自民党を諦め切れず、その心が世代を超えて依然自民党とともにあることを改めて示した。1955年以降に誕生した日本人は、生まれた日も、今日も、そして死ぬ日も自民党政権という人が圧倒的に多い。
このような主流的日本人の保守一辺倒の政治心情―「信条」ではない―は、筆者のようなマージナルな日本人にはなかなか理解し難いところであるが、原爆投下の加害国・アメリカへの変わらぬ親近感とともに、社会精神分析のよい対象たり得るだろう。