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近代革命の社会力学(連載第359回)

2022-01-04 | 〆近代革命の社会力学

五十二 ニカラグア・サンディニスタ革命

(2)ソモサ一族独裁と抵抗運動
 サンディーノを殺害して、実権を握ったアナスタシオ・ソモサは職業軍人ではないにもかかわらず、国家警備隊司令官を経て1937年に大統領に就任すると、戦後、数年間の中断をはさみ、1956年に暗殺されるまで、国家警備隊を基盤とする独裁統治を行った。
 ソモサは保守的な白人コーヒー農園主の出自であり、その政治目標が地主・農園主階級の利益を増進することに置かれた点では近隣の中米諸国の支配者と大差なかったが、ソモサ体制の特異な点は共和制の枠組みで王朝のように政治を世襲したことであった。
 アナスタシオの暗殺後、長男ですでに上下両院議長を経験していたルイスが大統領を継いだ。ルイスは国家警備隊に所属したことのない文民で、晩年の父がアメリカの圧力で進めていた抑圧緩和路線をさらに拡大したが、ソモサ一族支配を変更することはなかった。
 そうした緩和政策の中、1961年に結成されたのがサンディニスタ国民解放戦線(FSLN)である。サンディニスタは元来、サンディーノの支持者全般を指す用語であるが、サンディーノの抵抗運動がアメリカの侵出に対する民族主義的なものであったのに対し、FSLNの場合は、ソモサ一族独裁―その背後にアメリカがあったことは確かであるが―への抵抗運動に重心があった。
 そのため、結成の直接の契機となったのは、サンディーノの抵抗運動ではなく、1959年のキューバ革命であり、同革命の余波現象の一つであった。とはいえ、FSLNはマルクス‐レーニン主義を標榜しつつも、純粋な党組織ではなく、その内部は大きく三つの派閥に分裂していた。
 第一はマルクス‐レーニン主義のプロレタリア潮流派で、都市労働者層に基盤を置いていた。第二は地方農民層に基盤を置く持久人民戦争派、第三はイデオロギー的には混合的だが、即時の革命蜂起を目指す第三者派であった。
 この三派はイデオロギーもさりながら、それ以上に革命の時間的な想定に相違があった。最も急進的なのは第三者派であり、最も長期のスパンを想定するのが持久人民戦争派、その中間がプロレタリア潮流派となる。第三者派は革命蜂起を急ぐためにも、一部の企業経営者層や聖職者、中産階級なども含めた階級横断的な糾合を目指したため、最終的には最強派閥となった。
 とはいえ、1960年代のFSLNはおしなべてマイナーな存在であった。ソモサ家独裁時代の議会はソモサ一族の私物政党である国家主義自由党が常勝する形式議会であり、FSLNが議会政党として進出できる構造ではなかった。
 転機となるのは、1970年代である。これに先立ち、1967年にソモサ家2代目のルイスが急死し、弟のアナスタシオ・ソモサ・デバイレが後任大統領となっていた。父親と同名の彼は国家警備隊出身の職業軍人にして、亡兄の緩和政策の批判者でもあり、就任するや、父の時代にも勝る抑圧策を敷いた。
 彼の代になると、ソモサ一族はニカラグア随一のコーヒー農園主であったばかりか、数多くの系列企業を擁する最大財閥に成長しており、国内総生産の半分近くがソモサ財閥に握られる状況で、ソモサ家は財閥―政党―軍部(国家警備隊)から成る複合的な政治経済権力と化していた。
 このような状況下で、FSLN内部でも、急進的な第三者派の力が強まった。特に、最大推計で死者1万人余りを出す惨事となった1972年12月のニカラグア大地震は、その後の政府の無策や災害便乗的な汚職、略奪が革命へ向かう流れを加速させることになる。

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