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持続可能的計画経済論[統合新版](連載第6回)

2024-11-25 | 持続可能的計画経済論[統合新版]

第1部 持続可能的計画経済の諸原理

 

第2章 ソ連式計画経済批判

(2)国家計画経済
 内戦後の戦後復興の過程で誕生したゴスプランを中心とするソ連式計画経済の性格は、多分にして統制経済に近いものであったと言える。それはまた、同時に国家による行政主導の計画経済であった。その点で、第1章で見た協同組合連合会の共同計画を基本とするマルクスの計画経済論からは外れていたのであった。
 もっとも、レーニンは最晩年の論文の一つの中で、社会主義をもって「文明化された協同組合員の体制」とするユートピア的定義を提出し、完全な協同組合化を「文化革命」と呼んで後世に託してもいるが、それは行程も定かでない遠い将来のこととして事実上棚上げされていたのである。
 こうした性格の下に始動したソ連式計画経済は、レーニン早世後、後継者の椅子を射止めたスターリンの指導下で基本的な骨格が形成される。その最初の業績は、1928年に始まる第一次五か年計画であった。これ以降、経済計画の基本年単位は5年に定められ、五か年計画がソ連式計画経済の代名詞となる。
 その計画策定は、「物財バランス」という元来は科学の術語である物質収支:英語ではいずれもmaterial balance)に由来する技法に基づいていた。科学において物質収支とは、ある化学反応の系において単位時間にその系に投入される物質の量と系から得られる物質の量との均衡を意味する。
 計画経済にあっては、ある一定期間に投入される物財の量と生産される物財の量をバランスさせる技法とされる。それによって需要と供給とを均衡させ、市場経済にありがちな両者の不均衡から生じる不安定な景気循環を防止できるというのである。
 実際の計画策定は、支配政党たる共産党が国家を吸収・凌駕する形で党・国家が二元行政を展開するというソ連の政治制度を反映し、極めて複雑なプロセスで行われていた。特に共産党が国家を凌駕する存在であったソ連では、まず行政機関であるゴスプランの前に、共産党指導部が経済計画の基本方針を決定したうえ、それを連邦閣僚会議(内閣に相当)で詰めたうえ、ゴスプランに送付することになる。
 ゴスプランでの具体的なプラン策定は先の物財バランスを考慮した計画経済の中心を成すが、それはゴスプランを舞台にした他の経済官庁や経済専門家などの意見を交えた折衝の結果たる合意として現れた。
 だが、これで終わりではない。ゴスプランが策定した計画の範囲内で、今度は各産業界を統括する経済官庁が個別の生産目標を策定したうえで、所管する国営企業へ通達する。個別企業はそれに基づき個々の生産計画を作成し、再び所管官庁を通じてゴスプランに戻され、計画の修正案が策定される。
 そうしてまとめられた最終計画案が再び閣僚会議及び共産党指導部に送付されたうえ、最後に憲法上国家の最高意思決定機関として位置付けられた最高会議で承認され、立法化される。こうしてようやく五か年計画が施行される。
 ざっとこのような煩雑なプロセスを経て実施されるのがソ連式計画経済であったが、見てのとおり、官僚制的なセクショナリズムと上意下達の権威主義的なシステムによった行政主導の官僚主義的計画経済であって、これが一名「行政指令経済」と呼ばれたことには十分理由があったと言える。

 

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