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持続可能的計画経済論[統合新版](連載第64回)

2025-02-13 | 持続可能的計画経済論[統合新版]

第3部 持続可能的計画経済下の生産・労働・消費

 

第13章 計画経済と労働生活

(4)労働紛争
 共産主義的企業体では労使の対立が止揚されているため、深刻な集団的労働争議は通常想定できないが、個別的には労働者と所属企業体の間で労働条件等をめぐる紛争は発生し得る。そのような場合の対策として、労働者参加を基本とする共産主義的企業体は紛争処理機能をも内在化している必要がある(企業内司法)。
 そうした企業内司法を担う第三者機関が、「労働仲裁委員会」である。これは当該企業と利害関係を持たない外部の法律家で構成される調停機関で、問題を抱える労働者からの相談を受けて紛争調停に当たる。
 そこで出された調停案に不服の労働者は労働基本権の擁護を専門とする司法機関である労働護民監に苦情申立てをすることができる(護民監全般については拙稿)。 
 労働仲裁委員会は、少数人の協同労働グループを除くすべての企業体で常置が義務づけられ、労働紛争は先行的に企業内の労働仲裁委員会での調停を経なければ、労働護民監への申立はできない(仲裁前置主義)。
 こうした個別的な労働紛争を越えた集団的労働争議は、上述したとおり、労働者の経営参加が基本となる共産主義的企業体にあっては想定し難い。中でも資本主義社会では労働争議のほぼすべてを占めていると言ってよい賃金闘争は、賃労働が廃される共産主義社会ではあり得ないことである。
 従って、集団的労働争議についてはそもそも想定外とみなしてよいとも言えるが、仮にそうした事態が発生した場合は、労働者参加機関を通じ、経営責任機関との協議によって解決するのが基本である。前回述べたように、共産主義社会では公式な労働組合の制度は存在しないからである。
 労働者参加機関をもってしても解決できない極限的な対立状況で、有志労働者が組合を結成し、ストライキなどの争議行動に出ることは必ずしも禁止されない。かといって資本主義社会のように「争議権」が正面から認められるわけではないので、争議行動を理由とする解雇もあり得るが、そうした処分の当否も労働護民監の個別的な判断に委ねられることになろう。

 

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持続可能的計画経済論[統合新版](連載第63回)

2025-02-12 | 持続可能的計画経済論[統合新版]

第3部 持続可能的計画経済下の生産・労働・消費

 

第13章 計画経済と労働生活

(3)経営参加
  資本制企業では、経営と労働とは厳格に分離されているのが一般である。労働組合の交渉権は認められていても、労組は経営そのものに介入できない。資本制企業では企業内における労使の厳格な階級的区別と優劣関係が基本となっているからである。
 これに対して、共産主義的な企業体においては、その程度と方法には企業形態ごとに差異はあれ、労働者の経営参加が共通した要素となる。この問題についてはすでに第11章でも論じたところであるが、ここで改めて労働の観点からもまとめておきたい。
 共産主義的企業体における労働者の経営参加は、大雑把に言って、経営と労働が分離されざるを得ない大企業では労働者代表機関による間接的な参加となり、経営と労働が合一化される中小企業では職員(組合員)総会による直接的な参加となるのであったが、いずれにせよ、こうした労働者参加機関は、労働条件や福利厚生に関わる問題に関しては、経営責任機関との共同決定権を保持している。
 共同決定という意味は、労働条件や福利厚生に関する案件は、必ず経営責任機関と労働者参加機関との合意に基づいて決定しなければならないということである。また労働者参加機関は、これらの問題に関して、経営責任機関に対し提案権を持つこと、さらに特定の経営問題が労働条件や福利厚生にも影響を及ぼす場合は共同決定事項として取り上げるよう経営責任機関に対し要求できることも含まれる。
 これを資本制企業に移し変えて類推すれば、労働条件や福利厚生に関する問題については、経営機関と企業内労働組合の共同決定事項とされるようなものである。しかし、資本制企業における労組はあくまでも企業外組織であるので、真の意味での労使共同決定は成立し得ない。
 共産主義的企業体にあっては、外部的な労働組合組織は必要ない。企業内労働者参加機関とは、言ってみれば労組が企業内在化されたようなものだからである。
 もっとも、労組の結成が禁止されるわけではない。しかし、労働者は企業内参加機関を通じて行動することが基本であり、労組はあくまでも外部の非公式団体にすぎないから、企業体は労組を公式の交渉相手とみなす義務はないのである。

 

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持続可能的計画経済論[統合新版](連載第62回)

2025-02-11 | 持続可能的計画経済論[統合新版]

第3部 持続可能的計画経済下の生産・労働・消費

 

第13章 計画経済と労働生活

(2)労働基準
 資本主義市場経済下での労働基準は、労働力提供の対価(=労働力商品の価格)である賃金と労働時間の相関で規律される。すなわち労働時間に見合った賃金の保障、賃金に見合った労働時間の規制が基本となるが、実際には多くの不払い労働時間を含んでおり、それがマルクス的な意味での「剰余価値」の源泉である。 
 無償労働を基礎とする共産主義計画経済下の労働基準では、賃金という対価制度がないため、労働基準も一元的に労働時間で規律される。法定労働時間をどう設定するかは政策的な判断にかかるが、計画的な労働配分制度が確立されれば、いわゆるワーク‐ライフ・バランスも、単なるスローガンや企業努力の問題ではなく、労働計画の一内容として統一的に実施できる。
 例えば、計画的なワークシェアリングと組み合わせて現在の半分の4時間労働(半日労働)を原則とすることも不可能ではない。無償労働となると、裁量労働制の導入・拡大がしやすくなり、法定労働時間の規制が形骸化するのではないかという疑問もあり得るが、対価を伴わない労働において時間は唯一絶対の規制枠組みである。 
 さらに、賃金問題に収斂しがちな市場経済下の労働基準とは異なり、計画経済下では労働環境の問題、例えば職場ハラスメント防止対策や性別その他の属性による雇用差別の問題など、賃金問題には回収できない労働問題が広く包括的にカバーされるだろう。
 資本主義的な労働基準は、資本の活動に対する後発的・外在的な経済規制の一種であるから、利潤を上げようとする企業体の側では極力その規制をかいくぐろうとする底意を秘めている。そのため罰則で担保された労働基準監督制度が要求されるが、それすらしばしば有効に機能しない。
 共産主義的な労働基準は原発的・内在的な価値規準であって、利潤を考慮する必要のない企業体にはそれをかいくぐろうとする動機も働かない。そのため、労働基準監督制度は不要とは言わないまでも、警察権を持つ労働基準監督官のような制度は必要なくなり、企業内部の仲裁制度のようなものによっても労働基準は担保できるようになるだろう(本章(4)で後述)。

 

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持続可能的計画経済論[統合新版](連載第61回)

2025-02-10 | 持続可能的計画経済論[統合新版]

第3部 持続可能的経済計画下の生産・労働・消費

 

第13章 計画経済と労働生活

(1)労働配分
 
資本主義市場経済と共産主義計画経済を労働の面から大きく分ける点は、労働配分の有無である。資本主義市場経済にあっては、労働関係も市場的に構成されるから(=労働市場)、労働力もある種の無形的商品として“自由に”売り買いされることになる。
 その結果、資本主義市場経済には付きものの景気循環に応じて、労働力の過不足が常態化する。また求職者は基本的に自力で就職活動―労働力商品の売り込み―を展開するため、いわゆるミスマッチの発生も不可避的である。
 貨幣経済を前提としない経済計画は、貨幣基準ではなく、労働時間基準で示されるから、それは一面では労働計画でもある。労働計画は、計画的な労働配分を通じて実施される。ただし、計画経済の対象外の領域では労働計画は示されないが、労働力の過不足を生じないよう、労働配分は適用される。
 そのため、計画経済にあっては、一見“自由”ではあるが不安定でランダムな労働市場というものが存在しない代わり、無償労働を前提とした体系的な労働配分の制度が整備される。類推されたイメージとしては、ボランティアの割当を想起すればよいかもしれない。
 労働配分の実際は、共産主義社会の進行度によって変わり得る。最初期共産主義社会にあっては、適正な労働力確保のため、一定の規制的な労働配分がなされる可能性を排除しないが、完成された共産主義社会にあっては、労働は完全に任意とされたうえ、より選択的な配分がなされるだろう。
 いずれにせよ、計画経済の下では、職業紹介所が中心的な労働配分機関となる。共産主義的な職業紹介所は、資本主義的な職業紹介所とは異なり、単なる職の斡旋機関ではない。
 すなわち職業斡旋は、労働市場の存在を前提に、労使の出会いの機会を提供するにとどまるが、計画経済下の職業紹介所は、経済計画と環境経済情勢とに照らし、個別的な求職者の志望と適性を科学的にマッチングしつつ、教育機関とも連携しながら適職を紹介、配分する体系的な制度である。
 この制度が機能することにより、労働力の過不足は解消され、長時間通勤を要しない職住近接も相当程度に実現するだろう。そのうえ、心理学的な職業カウンセリングを通じた適職紹介が保障されることで、合理的な職業選択が後押しされるだろう。

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持続可能的計画経済論[統合新版]・総目次

2025-02-08 | 持続可能的計画経済論[統合新版]

本連載第1部及び第2部の連載は終了致しました。下記目次各「ページ」(リンク)より全記事をご覧いただけます。第3部以降は、引き続き連載中です。


統合新版序文 ページ1

第1部 持続可能的計画経済の諸原理

第1章 計画経済とは何か

(1)計画経済と市場経済 ページ2
(2)計画経済と交換経済 ページ3
(3)マルクスの計画経済論 ページ4

第2章 ソ連式計画経済批判

(1)曖昧な始まり ページ5
(2)国家計画経済 ページ6
(3)本質的欠陥 ページ7
(4)政策的欠陥 ページ8

第3章 環境と経済の関係性

(1)環境規準と経済計画 ページ9
(2)科学と予測 ページ10
(3)環境倫理の役割 ページ11
(4)古典派環境経済学の限界 ページ12
(5)環境計画経済モデル ページ13
(6)環境と経済の弁証法 ページ14
(7)非貨幣経済の経済理論 ページ15

第4章 計画化の基準原理

(1)総説 ページ16
(2)環境バランス①:「緩和」vs「制御」 ページ17
(3)環境バランス②:数理モデル ページ18
(4)物財バランス①:需給調整 ページ19
(5)物財バランス②:地産地消 ページ20
(6)物財バランス③:数理モデル ページ21
(7)自由生産領域の規律原理 ページ22

第2部 持続可能的経済計画の過程

第5章 計画経済の世界化

(1)非官僚制的計画 ページ23
(2)グローバル計画経済 ページ24
(3)貿易から経済協調へ ページ25
(4)世界経済計画機関 ページ26
(5)汎域圏経済協調機関 ページ27

第6章 計画経済と政治制度

(1)経済体制と政治制度 ページ28
(2)政経二院制 ページ29
(3)世界共同体の役割 ページ30
(4)世界共同体の構成単位 ページ31

第7章 経済計画とエネルギー供給

(1)エネルギー源の民際管理 ページ32
(2)エネルギー供給計画 ページ33
(3)エネルギー事業体 ページ34
(4)エネルギー消費の計画管理 ページ35

第8章 計画組織論

(1)総説 ページ36
(2)世界計画経済の関連組織 ページ37
(3)領域圏計画経済の関連組織 ページ38
(4)地方計画経済の関連組織 ページ39

第9章 計画化の時間的・空間的枠組み

(1)総説 ページ40
(2)計画過程の全体像 ページ41
(3)計画の全般スケジューリング ページ42
(4)領域圏経済計画のスケジューリング ページ43
(5)領域圏経済計画の地理的適用範囲 ページ44

第10章 経済計画の細目

(1)生態学的持続可能性ノルマ ページ45
(2)産業分類と生産目標 ページ46
(3)世界経済計画の構成及び細目 ページ47
(4)領域圏経済計画の構成及び細目 ページ48
(5)広域圏経済計画の構成及び細目 ページ49
(6)製薬計画の特殊な構成及び細目 ページ50

第3部 持続可能的計画経済下の生産・労働・消費

第11章 計画経済と企業形態

(1)社会的所有企業 ページ51
(2)自主管理企業 ページ52
(3)企業の内部構造① ページ53
(4)企業の内部構造② ページ54
(5)企業の内部構造③ ページ55

第12章 計画経済と企業経営

(1)公益的経営判断 ページ56
(2)民主的企業統治 ページ57
(3)自治的労務管理 ページ58
(4)二種の企業会計 ページ59
(5)三種の監査系統 ページ60

第13章 計画経済と労働生活

(1)労働配分 ページ61
(2)労働基準 ページ62
(3)経営参加 ページ63
(4)労働紛争 ページ64

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持続可能的計画経済論[統合新版](連載第60回)

2025-02-07 | 持続可能的計画経済論[統合新版]

第3部 持続可能的計画経済下の生産・労働・消費

 

第5章 計画経済と企業経営

(5)三種の監査系統
 資本主義的市場経済下の企業監査は、しばしば利潤追求に傾斜する経営機関に対して従属的、微温的となりがちで、外部監査も含めて企業不祥事の防止に十全の機能を果しているとは言い難い。また、環境監査を独立させる発想も現状ほとんど見られない。 
 持続可能的計画経済下の企業体における監査業務は、大きく三系統に分かれる。一つは業務の法令順守状況や事業遂行状況全般を監査する業務監査で、もう一つは会計監査、三つ目は事業活動の環境的持続可能性への適合性を監査する環境監査である。
 このうち、二番目の会計監査は外部会計士に委託して中立的に行われる。厳密に言えば、会計監査は一般会計監査と環境会計監査とに分かれるが、このうち外部会計士が取り扱うのは一般会計監査である。
 一番目の業務監査と三番目の環境監査は、企業体の内部機関によって行われる。企業体の監査機関のあり方は、企業体の種類ごとに異なる。これについては前章で企業の内部構造を論じた際、すでに先取りしてあるが、ここで改めて整理すると―
 まず計画経済の対象となる公企業である生産事業機構にあっては、多人数の監査委員で構成される業務監査委員会と環境監査委員会が別個に設けられる。大規模な私企業である生産企業法人にあっても、同様に業務監査役会と環境監査役会が並置される。
 これら業務監査機関は、会計監査人の業務に対する監査も担う。環境監査機関は環境会計監査のほか、日常業務の環境的持続可能性適合も合わせて随時監査する。環境監査機関のメンバーには環境経済調査士(環境影響評価に基づいて経済予測・分析を行う公的専門資格)の資格を有する者を最低2名含む必要がある。
 こうした監査機関は緩やかな合議体であり、経営責任機関のように代表職を置かず、あえて各監査委員が重複して職務を行うが、必要に応じて経営責任機関に対して共同監査勧告を行うことができるほか、業務の差し止め請求訴訟を提起することもできる。
 他方、中小企業体の生産協同組合にあっては最低3名の監査役を置けば足りるが、そのうち最低1人は環境監査役でなければならない。なお、零細の協同労働グループにあっては、最低1名の外部監査人を任命するが、業務監査と環境監査は区別されない。

 

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持続可能的計画経済論[統合新版](連載第59回)

2025-02-06 | 持続可能的計画経済論[統合新版]

第3部 持続可能的計画経済下の生産・労働・消費

 

第12章 計画経済と企業経営

(4)二種の企業会計
 マルクスは、『資本論』第二巻のあまり注目されない記述の中で、生産過程が社会化されればされるほど、簿記の必要性は高くなるとして、「共同的生産」では資本主義的生産におけるよりもいっそう簿記が必要になるが、簿記の費用は削減されると指摘した。
 資本主義的な市場経済は、企業の収益活動を記録し、いっそう利益拡大を図るための道具としても企業会計の技術と制度を発達させた。資本主義経済下での企業会計は、収益活動に関する収支の公開記録と収益的な経営計画策定上の参照データとしての意義を担っている。すなわち財務会計、管理会計いずれであれ、収益活動の計算=貨幣単位会計という点に最大の重点がある。
 別の視点から見れば、資本主義下の企業会計はその生産活動を金銭的に評価した間接的な計算記録であるがゆえに、それは極めて複雑に体系化され、簿記自体にコストを要するとともに、しばしば実態と乖離した粉飾決算のような不正も起こりがちとなる。
 その点で、持続可能的計画経済は貨幣交換経済の廃止という前提条件で成り立つものであるから、企業会計から金銭的計算という要素は排除され、金銭的に評価されない生産活動そのものの直接的な記録となる。
 そのため、持続可能的計画経済下の企業会計は基本的に保有材の状態を記録する資産表と物財のインプット・アウトプットを物量単位で簡明に記録する物財出納書が中心となるため、簿記に要する労力も節約される。
 ただし、計画経済の対象たる公企業の会計と対象外の私企業の会計には相違点がある。公企業の場合は、生産活動の大枠となる経済計画の範囲内での生産活動の公開証明記録としての意義に力点が置かれるのに対して、私企業の場合は物々交換にも一定は従事するため、その限りで収益的な活動もあり、計算的な要素も認められる。
 しかし持続的計画経済下での企業会計で最大の特徴を成すのは、環境会計の技術と制度が高度に発達することである。環境会計は環境的持続可能性が考慮された市場経済下でも導入されてきているが、収益活動に重点がある限り、計算会計に比べれば優先順位は低く、補完的な役割を果たすにすぎない。
 これに対して、持続可能的計画経済下の環境会計は生産会計に対して環境的な枠付けの意義を持つ優先的な会計であり、両者が一体となって、環境的に持続可能な生産活動の記録を成すことになる。

 

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持続可能的計画経済論[統合新版](連載第58回)

2025-02-04 | 〆続・持続可能的計画経済論

第3部 持続可能的経済計画下の生産・労働・消費

 

第12章 計画経済と企業経営

(3)自治的労務管理
 前回も見たとおり、計画経済下における企業経営にあっては労働者の自主管理もしくは労使共同決定が基本となる。このことが意味するのは、労務管理が労働者自身によって自治的に行われるということである。
 その点、市場経済下の企業活動における労務管理は、経営と労働の分離に基づき、経営者が企業の収益獲得のための人的資源として労働者を使用するための管理政策であるから、それは本質上命令的かつ統制的なものとなる。
 これに対抗するべく、民主的な諸国では労働者に労働組合の結成を認めているが、労組はあくまでも社外の労働者組織に過ぎず、企業の内部的な意思決定に直接参加することはできないうえ、労組の活動には法律上も事実上も種々の制約があり、企業の労務管理への対抗力としては限界を抱えている。
 これに対し、計画経済下での自主管理や共同決定は、労働者が企業の内部的な労働者機関を通じて直接に企業経営に参加する制度であるから、そこにおける労務管理は本質上自治的なものとなる。
 反面、労働組合のような社外組織の必要性は減じるため、労働組合制度は廃止してさしつかえない。「労組廃止」という言い方が穏当でないならば、共産主義企業においては、資本主義的な労働組合の制度が企業の総監督機関たる内部機関としての従業員総会という形で発展的に解消される、と理解することもできよう。
 こうした自治的労務管理をもってしてもなお発生し得る個別的な労働紛争に関しては、社内に社外専門家から成る労働仲裁委員会を設けるなどの方法で個別に対処することが考えられる。
 ちなみに、広い意味での労務管理は準役員級の幹部労働者を含めた人事管理にも及ぶが、こうした幹部級人事管理の扱いについては別途考察を要する。基本的には、人事案件も自治的労務管理の範囲に含まれ、少なくとも幹部人事については自主管理ないし共同決定の対象となると考えられる。
 しかし、企業規模の大きな生産事業機構や生産企業法人の場合には人事の効率性を考慮して、一定以下の幹部人事については定款をもって経営責任機関の権限に委ねることも許されてよいかもしれない。

 

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持続可能的計画経済論[統合新版](連載第57回)

2025-02-03 | 持続可能的計画経済論[統合新版]

第3部 持続可能的計画経済下の生産・労働・消費

 

第12章 計画経済と企業経営

(2)民主的企業統治
 計画経済における企業経営では、企業統治の民主化が大きく進展する。市場経済下では「民主主義は工場の門前で立ちすくむ」と言われるとおり、株式会社をはじめ、市場経済的な企業経営は代表経営者のトップダウンや少数の重役だけの合議で決定されることになりやすい。
 これは、市場経済的な企業経営にあっては収益獲得が最大目標となるため、同業他社との競争関係からも可及的迅速な意思決定が求められることによる。
 これに対し、前回述べたように公益増進を目標とする計画経済下の企業経営にあっては民主的な討議に基づく意思決定―民主的企業統治―が可能であり、また必要でもある。
 そのあり方は前章で見た種々の企業形態に応じて様々であり得るが、すべてに共通しているのは、従業員機関が基本的な議決機関となることである。その点では株式会社における株主総会制度と類似する面もあるが、株主総会はあくまでも投資者としての経営監督機関にすぎず、株式会社の従業員機関は社外組織としての労働組合が不十分に事実上これを代替し、内在化されていない。
 従業員機関を基盤とする究極の民主的企業統治は、労働者自らが直接に経営に当たる自主管理である。その点で、共産主義的な私企業に当たる自主管理企業としての生産協同組合は、民主的企業統治のモデル企業となる。
 しかしこれは計画経済の対象外にある企業であり、計画経済の対象となる公企業としての生産事業機構にあっては、企業規模からしても文字どおりの自主管理は可能でない。そこで、この場合は労使共同決定制が妥当する。
 その詳細はすでに企業形態について議論した前章で言及してあるが、繰り返せば経営委員会と労働者代表委員会との共同決定制である。特に労働条件や福利厚生に関わる事項は、労働者代表委員会の同意なしに決定することはできない。
 さらに民主的企業統治のもう一つの鍵は、経営責任機関の合議制である。いずれの企業形態にあっても、強大な権限を与えられたトップは存在しない。生産事業機構の経営委員長にせよ、生産協同組合の理事長にせよ、経営責任機関をとりまとめる議長役にすぎず、いわゆるワンマン経営の余地は全くない。
 こうした合議制を徹底するうえでは、経営責任機関に経営委員長や理事長その他の代表職をあえて置かず、経営責任機関の各メンバーがそれぞれ職務を分担しつつ、経営責任を完全に対等な関係性において担う制度も一考に値するであろう。

 

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持続可能的計画経済論[統合新版](連載第56回)

2025-02-02 | 持続可能的計画経済論[統合新版]

第3部 持続可能的計画経済下の生産・労働・消費

 

第12章 計画経済と企業経営

(1)公益的経営判断
 計画経済における企業経営は、当然にも市場経済におけるそれとは大きく異なったものとなる。すでに述べたように、真の計画経済ならば貨幣交換を前提としないから、およそ企業活動にはそれによって貨幣収益を獲得するという目的が伴わない。とりわけ計画経済の対象となる公企業にあっては、まさに公益への奉仕が企業活動のすべてである。
 こうした公企業の経営は経済計画会議が策定した共同計画に準拠して行われるから、経営機関の裁量は限られたものとなる。ここでの経営判断は共同計画の範囲内で、いかに環境的に持続可能で、安全かつ良質の製品・サービスを生産し、公益の増進に寄与し得るかという観点からなされることになる。
 このことは、ソ連式計画経済の下で起きていたように「中央計画」にただ従うだけの機械的・官僚的な経営判断を意味していない。持続可能的計画経済にあっては、経済計画会議を通じた企業自身による自主的な「共同計画」―「中央計画」ではない―が経営の共通指針となるのであるから、この共同計画(3か年計画)の策定へ向けた見通しと準備も重要な経営判断事項となる。
 こうした非収益的な経営判断を公益的経営判断と呼ぶことができる。ただ、このような経営判断は主として計画経済の対象となる公企業に妥当するものであり、計画経済の対象外となる私企業については全面的に妥当するものではない。
 とはいえ、私企業であっても、市場経済下とは異なり、やはり貨幣交換による収益獲得が存在しない点では公企業と同様であり、公企業から製品・サービス等の供与を受ける限りでは、間接的な形で経済計画が及ぶことからすれば、その経営判断は相当程度に公益的性質を帯びることになるだろう。
 もっとも、私企業にあっては、物々交換の形で一定の交換取引に従事することも認められることから、その面では収益的な活動を展開する自由がある。その限りで、私企業では収益的経営判断が必要とされるが、貨幣経済下の金銭的利益を至上目的とする収益的判断とは自ずと異なるものとなるだろう。
 総じて言えば、計画経済下での経営判断は「いかに儲けるか」ではなく、「いかに社会に貢献するか」という公益性を帯びるという点において、市場経済下ではせいぜい企業の二次的な責務にすぎず、所詮はPRの一助でしかない「社会的責任(CSR)」が、そうした特殊な用語も不要となるほど、企業経営の本質として埋め込まれると考えられる。

 

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持続可能的計画経済論[統合新版](連載第55回)

2025-02-01 | 持続可能的計画経済論[統合新版]

第3部 持続可能的計画経済下の生産・労働・消費

 

第11章 計画経済と企業形態

(5)企業の内部構造③
 前回まで見た企業形態は、いずれも一般的な生産活動に当たる生産組織の例であったが、今回はそれ以外の分野における特殊な企業形態について概観する。
 まず計画経済の適用があり、生産計画Bに基づいて運営される農漁業分野のような第一次産業分野は社会的所有型の生産事業機構(農業生産機構水産機構)によって担われる。ただ、その内部構造は通常の生産事業機構とは異なる。
 第一次産業は地方性が強いため、地方ごとの分権的な分社構造を採ることが合理的である。どのレベルでの分社構造かは政策的な判断に委ねられるが、集約性を高めるには相当広域的な分社構造とされるだろう。その点で、細胞化された地域協同組合の連合組織として運営されてきた日本の農協・漁協とは根本的に異なる。他方で、ソ連の国営農場ソフホーズのような中央集権構造とも異質である。
 これら各生産事業機構の地方分社はそれぞれが生産事業機構としての構造を備えるが、中央本社にも各分社から選出された委員で構成する経営委員会と労働者代表委員会が置かれる。
 他方、地方ごとの消費計画に基づく消費事業を担うのは、消費事業組合である。これは自主管理型の生産協同組合とは異なり、各地方ごとの住民全員を自動加入組合員とする一種の生活協同組合組織である。
 そのため、その運営は組合員の代表者で構成する組合員総代会をベースに、経営に当たる理事会と組合従業員の代表から成る労働者代表役会が共同決定する二元的な内部構造となる。
 以上とは異なり、福祉・医療・教育などの公益事業に関わる公益事業組織のあり方も問題となる。こうした公益事業組織は、資本主義の下では非営利事業体として特殊な法人格が与えられていることが多いが、共産主義経済ではそもそも営利事業が消失することから、営利と非営利の区別は明瞭には存在しなくなる。
 そこで、こうした公益事業組織も自主管理型の生産協同組合でよいとも考えられるが、単純な生産活動とは異なるため、特別な公益事業組合/法人の組織とし、特に公益確保のため、日常運営に当たる理事会のほかに、外部の識者や市民から成る監督・助言機関として、監事会を常置するべきであろう。 

 

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持続可能的計画経済論[統合新版](連載第54回)

2025-01-30 | 持続可能的計画経済論[統合新版]

第3部 持続可能的計画経済下の生産・労働・消費

 

第11章 計画経済と企業形態

(4)企業の内部構造②
 経営と労働が分離する社会的所有型の生産事業機構に対して、自主管理型の生産協同組合は、労働者自身が経営にも当たる構造となる。そのため、生産協同組合では全組合員で構成する組合員総会が最高経営機関となる。
 こうした自主管理が可能な企業規模はどのくらいかということが一つの問題となるが、最大で組合員数1000人未満が限度かと考えられる。あるいはより限定的に500人といった水準まで下げることも考えられるが、これは政策的な判断に委ねられる。
 組合員数500人を超える生産協同組合の場合、全員参加による総会を常に開催することが現実的でないとすれば、生産事業機構の労働者代表委員会に準じた組合員代表役会を設置することが認められてよいだろう。また500人未満の場合でも、委任状による代理参加が認められてよい。
 いずれにせよ、生産協同組合では組合員が総会を通じて直接に経営に当たるが、零細企業よりは大きな規模を持つ以上、経営責任機関としての理事会は必要である。理事は組合員総会で選出され、総会の監督を受ける。監査制度については、生産協同組合でも業務監査と環境監査が区別され、それぞれに対応して業務監査役と環境監査役が常置されなければならない。
 以上に対して、組合員数が1000人を超える大企業となると、もはや生産協同組合の形式では律し切れないため、社会的所有企業に準じた生産企業法人を認める必要がある。従って、生産協同組合が組合員の増加により、生産企業法人に転換されることもあり得ることになる。
 この大企業形態は、生産事業機構に準じて経営と労働が分離され、経営役会と労働者代表役会が常置される。その余の内部構造も生産事業機構に準じたものとする。
 他方で、組合員20人以下のような零細企業(要件となる員数は政策的判断)に対しては、生産協同組合の形式では融通が利かないこともあり得ることから、こうした場合はより自由な協同関係を構築できるように、協同労働団(グループ)のような制度がふさわしいだろう。
 この場合、監査役を最低一人は置くこと以外(業務監査役と環境監査役を区別する必要はない)、企業の内部構成については任意とし、経営はメンバー全員の合議によるか、数人の幹事の合議によるか選択できるようにする。

 

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持続可能的計画経済論[統合新版](連載第53回)

2025-01-29 | 持続可能的計画経済論[統合新版]

第3部 持続可能的計画経済下の生産・労働・消費

 

第11章 計画経済と企業形態

(3)企業の内部構造①
 前回まで、共産主義的な企業形態として、大きく社会的所有型公企業としての生産事業機構と自主管理型私企業としての生産協同組合の種別を見た。ここからは、これら諸企業の内部構造に立ち入って考察する。
 まず計画経済の主体ともなる社会的所有型の生産事業機構は企業規模に関しては最大であり、それは資本主義経済における一つの「業界」の大手企業すべてを統合するに匹敵するような規模を擁する。 
 こうした大規模企業体を運営していくうえでは、労働者が自ら経営に当たる自主管理型の経営と労働の合一は現実的に無理であるので、株式会社と同様、経営と労働は分離せざるを得ない。
 そこで、経営責任機関として株式会社の取締役会に相当する経営委員会が置かれるが、企業規模が大きいことに加え、民主的な企業統治を保証するためにも、最高経営責任者のような独任制の経営トップは置かず、経営委員長を中心とした合議制型とする。
 ここで経営と労働の分離といっても、資本主義的な労使の指揮命令関係ではなく、経営と労働の共同決定制を確立する必要がある。こうした共同決定制は進歩的な資本主義諸国ではかねて株式会社形態でも導入されてきたが、労使の上下関係からこうした共同決定は事実上形骸化しているのが実情である。
 これに対し、共産主義的な公企業では、共同決定制を実質的なものとするため、労働者の代表から成る労働者代表委員会を常設し、特に労働条件や福利厚生に関わる分野では、経営委員会と労働者代表委員会の共同決議を議案の有効成立要件とする。その他の議案についても、経営委員会は労働者代表委員会に事前開示し、労働条件に関わる限り共同決定事項とするよう要求する機会が保障されなければならない。
 ところで、およそ共産主義的企業には株式会社の総監督機関である株主総会に相当するようなオーナー機関は存在しない。しかし、社会的所有型の生産事業機構の場合、究極のオーナーは民衆であるから、民衆代表機関が究極のオーナー機関となるが、これは多分に政治的・象徴的な意義にとどまり、実際上は職員総会が総監督機関となる。従って、上記経営委員会及び労働者代表委員会の委員はいずれも職員総会で選出され、両機関の活動は職員総会で監督される。
 ただし、職員総会といっても、生産事業機構は大規模であるため、全員参加型の総会開催は技術的に無理があり、総会代議人による代議制的な制度となるだろう。その代議人の選出法は抽選または投票によるが、それぞれの企業ごとに選択できるようにする。
 さて、最後に株式会社の監査役会に相当する監査機関として、業務監査委員会が置かれるが、これは主として法令順守の観点からの監査機関である。
 加えて、持続可能的計画経済下では企業活動に対する環境的持続可能性の観点からの内部監査制度の確立も求められるから、業務監査委員会とは別に、環境監査委員会が常置される。両監査委員会の委員も、職員総会で選出される。

 

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持続可能的計画経済論[統合新版](連載第52回)

2025-01-27 | 持続可能的計画経済論[統合新版]

第3部 持続可能的計画経済下の生産・労働・消費

 

第11章 計画経済と企業形態

(2)自主管理企業
 持続可能的計画経済の対象である環境高負荷産業分野以外の分野は、自由経済に委ねられる。もっとも、自由経済といっても、貨幣経済を前提としないため、貨幣交換経済ではなく、経済計画の規律を受けないという意味での「自由」である。
 こうした計画経済の対象外となる自由経済分野の生産活動は、私企業によって担われる。この点で、その純粋形態においては私企業の存在を容認しないソ連式の社会主義体制とは異なることが留意されなければならない。
 私企業であるということは、設立が自由であること、その活動が経済計画に拘束されず、関係法令を順守する限り自由であることを意味する。ただ、私企業といっても、もちろん株式会社ではなく、共産主義社会に特有の私企業である。
 共産主義社会特有とは、第一に株式会社のように利益配当を目的とする営利企業ではなく、非営利企業であることを意味する。第二に、株式会社のように経営と労働が分離され、経営者が労働者を指揮命令して生産活動に従事させるのではなく、生産活動に従事する労働者自身が自主的に経営に当たる労働と経営が一致した自主管理企業である。
 このような企業形態は会社というよりも組合であり、こうした共産主義的私企業の法律的な名称を「生産協同組合」としておく。名称の点ではマルクスが想定していた生産協同組合と重なるが、マルクスの生産協同組合が計画経済の運営主体と位置づけられていたのに対し、ここでの生産協同組合は計画経済の外で活動する自由な私企業である点において相違する。 
 こうして共産主義的生産様式の下での生産活動の基軸は、公企業として計画経済の主体となる生産事業機構―設立は認可制―と、自由経済分野を担う私企業としての生産協同組合―設立は登記制―の二本立てとなる。企業規模で言えば、前者は大企業、後者は中小企業である。
 ただし、私企業でありながら、その規模が大きいために自主管理を文字どおりに実行することが困難であり、社会的所有企業に準じた内部構造を持つ中間的な企業形態や、反対に組合よりも小さな零細企業に特化した協同労働形態も存在し得る。こうした修正型企業形態の法律的な名称と内部構造については改めて後述する。

 

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持続可能的計画経済論[統合新版](連載第51回)

2025-01-25 | 持続可能的計画経済論[統合新版]

第3部 持続可能的計画経済下の生産・労働・消費

 

第11章 計画経済と企業形態

(1)社会的所有企業
 近現代の主要な生産活動は、労働力と物財を集約した企業を拠点に組織的・継続的に行われる。計画経済にあっても、この点は変わらないが、その企業形態は生産活動の様式(生産様式)に応じて定まってくる。
 資本主義的生産様式の下では、民間から広く投資資金を調達しやすい株式会社形態が代表的な企業形態となる。他方、ソ連式の行政主導型計画経済による社会主義的生産様式の下では、国家が直接投資し、運営する国有企業形態が代表的な企業形態となる。
 これに対して、生産企業が主体的に策定した共同経済計画に基づく共産主義的生産様式では、株式会社でも国営企業でもない公企業が代表的な企業形態となる。
 この点に関して、マルクスは共産主義社会を「合理的な共同計画に従って意識的に行動する、自由かつ平等な生産者たちの諸協同組合からなる一社会」と定義づけている。
 この定義によると、マルクスが構想する共産主義社会の生産活動は生産協同組合という企業形態によって行われるであろう。実際、マルクスの計画経済は、こうした協同組合企業の共同計画に基づくことが想定されていた。
 しかし、この定義と構想はいささか理想主義的に過ぎる感がある。現代の基幹的産業分野では大規模かつ集約的な生産活動が要請されるし、環境的持続可能性を組み込んだ計画経済を実行するためにも、計画経済が適用される環境高負荷産業分野については協同組合よりも大規模な企業体を活用することは不可欠と考えられるからである。
 仮にマルクスの構想を生かしつつ、基幹的産業分野の生産活動に照応する生産企業体を設計するとすれば生産協同組合合同のような形態が想定できるが、このような企業合同は統合的なガバナンスの点で問題を生じる恐れがあり、一つのモデル論にとどまるだろう。
 そこで、より現実的な企業形態としての共産主義的公企業は、株式会社のように投資家株主が所有者となるのでも、国有企業のように国家が所有者となるのでもなく、社会的な共有財として社会に帰属するという点で、社会的所有企業と規定することができる。その法律的な名称を、ここでは「生産事業機構」と命名する。
 こうした生産事業機構が生産する分野は、計画経済が適用される環境高負荷分野に限られる。言い換えれば、計画経済の運営主体は公企業である生産事業機構である。

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