第1部 持続可能的計画経済の諸原理
第2章 ソ連式計画経済批判
(3)本質的欠陥
ソ連式計画経済は失敗した経済モデルであるということは、今日の定説となっている。しかし、それはソ連体制そのものが解体・消滅したことによる結果論的な定言命題であって、実際にどのような点でなぜ失敗したかの分析は十分に行われないまま、ソ連式計画経済の対照物とみなされる市場経済の正しさがこれまた論証抜きで絶対視されているのが実情である。
たしかに、ソ連式計画経済はソ連体制が存続していた時代からすでに行き詰っていた。その原因は、逆説的ではあるが、それが真の計画経済ではなかったという点にこそあった。
ソ連式計画経済は、「計画経済」というよりは、前回も見たとおり、激しい内戦からの戦後復興を目的とする国家資本主義過程で誕生した政府主導の「経済目標」に導かれた一種の統制経済であった。それはスターリン政権下で戦後復興が一段落し、経済開発・高度成長を目指した本格的な「5か年計画」が始動しても、本質的には変わらなかった。
何より貨幣経済も存置されたままであった。従って、末端の消費財は商品として国営商店で販売されていたし、計画供給の中核となる生産財についても市場取引的な要素が残されていたのだった。
ソ連における生産活動の中心を担った国営企業間には競争原理が働かなかったということが定説であるが、実際のところ、複雑な計画策定手続きの過程で国営企業間にある種の利権獲得競争があり、また個別企業は事実上の独立採算制を採り、1960年代の限定的な「経済改革」の結果、その傾向は増した。
さらに労働は賃労働を基本とし、しかも―あらゆる資本家・経営者の理想である―出来高払い制が主流であり、マルクス的な意味での剰余価値の搾取は国営企業の形態内で厳然と残されていたのであった。表見上の低失業率にもかかわらず、実際は企業内に余剰人員を抱え、「社内失業者」が累積していた。
要するに、ソ連式計画経済は、典型的な市場経済とはたしかに異質であるとしても、市場経済的要素が混在した国家主導の混合経済的なシステムであり、レーニンが暫定的な体制と考えていた国家資本主義が理論的に検証されることなく遷延的に発達したものだったと言える。
他方で、ソ連式国家資本主義の本質は統制経済であったからこそ、統制経済に付き物の闇経済が発現した。これが厳正な企業監査システムの欠如ともあいまって国営企業幹部の腐敗を誘発し、物資横領・横流しのルートを通じた闇経済が組織犯罪的な地下経済として社会に根を張ることになった。
それでも中央計画が精確に行われていればより持続的な成功を収めた可能性はあったが、ゴスプラン主導の計画は現場軽視ゆえに不正確な経済情報に基づく杜撰な机上プランとなったため、その理念である「物財バランス」自体が不首尾に終わり、需要‐供給のアンバランスが生じがちであった。そのためソ連経済に景気循環はないという公式説明にもかかわらず、資本主義の特徴である景気循環が存在した。
かくして、ソ連式計画経済は構造上の本質的な欠陥を多々抱えていたために「計画経済」としては成功しなかった。その根本原因を簡単にまとめれば、本来計画経済が適応できない貨幣経済に計画経済を無理に接木しようとしたことにあったと言えよう。
ただし、公平を期して言えば、ソ連式計画経済もその初期には低開発状態のロシアを新興工業国へと急速に浮上させる開発経済の手法としては相当な成功を収めた事実は指摘しておかねばならない。しかし、一定まで成長した後の持続可能性には欠けていたのである。その背景には、次節で論じる政策的な欠陥も寄与していたと考えられる。