フルール・ダンテルディ

管理人の日常から萌えまで、風の吹くまま気の向くまま

『遠い伝言―message―』 6

2008年09月28日 | BL小説「遠い伝言―message―」

 翌朝は「夏迎え」というよりは「夏本番」の雲一つない良い天気で、気温も上がりそうだった。絶好の祭り日和だったが、洗濯日和でもある──とテスは考えたらしく、彼らは宿の娘とともに、川から水を引いた共同の洗い場に行き、今着ているもの以外、マントから靴まで全部、石鹸の泡にまみれながら洗った。といっても、泡まみれになったのはエドだけで、テスは自分の下着や小物を洗うと「あとはお前がやれ」とエドに命じ、その上、娘の手伝いもしろ、と宿の大量のリネン類も洗わせて、自分は日陰に座って見物していた。
「本当に助かったわ。どうもありがとう」
 エドとともに、川原に張ったロープに洗濯物を干していた娘は、頬を染めて彼に笑いかけた。
「どういたしまして。こんなにたくさん、大変ですね」
 エドは、たぶん自分と同じくらいか少し上かもしれない、化粧気のない素朴な娘に笑い返した。彼女のうっとりしたまなざしに気づきもせず。
「いつものことだから慣れてるわ。でも、おかげで早く済んだから、お祭りに行けそう。……よければ、いっしょに行かない?わたし、案内するわ」
「え……」
 彼は、テスを振り返った。土手の木の下に座っていたテスは、エドと目が合うとそっぽを向いた。
「弟に、訊いてみないと。だけど、弟は興味なさそうだったから」
「そう……」
 彼女のがっかりした様子にエドは申し訳なくなり、「訊いてくる」と言い置いてテスのところへ行った。
「どうした?」
 彼女に祭りに誘われたと話し、「断ってもかまわないよね?」と言うとテスは、
「行けばいいじゃないか」
 と答えた。
「おれ以外の人間と会話するいい機会だ。練習だと思えばいい。…邪魔だろうがついて行って、助け舟は出してやる」
「君がそう言うのなら…」
 内心を見せない無表情のテスの言葉に何か引っかかったが、エドは戻って彼女に行くよ、と告げた。
「じゃあ、急いで掃除とお昼の用意を済ませるわ。お昼ごはんは一緒に食べに行きましょう!」
 彼女は先に戻ってる、と慌てて走って行った。
 エドは、テスの横に座った。
「……出発せずに今日も泊まることにしたのは、ひょっとして俺のため?俺が、祭りを見たいと思って?」
「……別に。強行軍だったから、一息入れようと思っただけだ」
「そう?」
 仏頂面で答えるテスに見えないように、エドはこっそり微笑した。
「エド、手を出せ」
 テスは、ズボンのポケットから摑み出した硬貨を何枚か、彼の手に置いた。
「今朝、洗濯を手伝うかわりに宿賃をまけてもらった。その差額だ。お前の働いた報酬だから、受け取れ。それから、彼女といる間はお前が金を出すことになるから、これはその分だ」
 と、最初に渡した分に上乗せする。
「女性のお供をするんだから、けちけちせずに使え」
 昨日からテスはそのつもりだったのだ。祭り見物をしたそうな顔をしたエドのために連泊することにし、テスに負担をかけまいとする彼が、気兼ねせず自分のために金を使えるような方法を考え…報酬で得た金を持たせて、街へ行って来いと言うつもりだったのだろう。
(だったら、断ればよかった。そしたらテスを誘って、テスに楽しんでもらえたのに……)
 白くはためくシーツの波を眩しげに眺めるテスの横顔を見つめ、エドは心の中でため息をついた。
 午後、彼らは祝祭ムード一色に染まった街へ出かけ、大道芸人に手を叩いてコインを投げ、屋台で買った揚げ菓子を食べながら露店を冷やかし、特別に公開された王宮の前庭(そのほんの一部だが)を見学した。何もかもエドにとって珍しく、心浮き立たせる経験だった。宿屋の娘エリーもとても嬉しそうで、少しばかり緊張して彼女と接していた彼をほっとさせた。ただ、彼女がいるために「エドの弟」を演じ続けているテスのことだけが、気がかりだった。
 西の空に日が傾きかけた夕刻、干しておいた洗濯物を取りに川原に寄って、彼らは一旦宿に戻った。
「エド、夜も一緒に出かけない?10マル頃から広場でみんな踊り始めるわ。若い人はみんな参加するの。ふたりで踊りに行かない?」
 エリーは昼間の余韻で頬を火照らせて、恥ずかしげに誘いかけた。
「あ、でも……」
 見ると、テスは知らん顔で横を向いていた。
「ごめん、夜は…明日発つから早く休みたいんだ」
「そんなに遅くまでいなくてもいいわ。ね?」
 洗濯物をかかえたテスは、さっさと階段を上がって行ってしまう。
「ありがとう、でも、弟をひとりにするわけにいかないから。ごめんね」
 なおも言いかけるエリーを置いて、エドは急いで部屋に戻った。部屋に入ると、テスはベッドに腰かけて服をたたみ始めたところだった。
「……おれに遠慮せずに行ってくればいい。心配したほど会話に不自由はしていなかったようだし」
「いいよ。踊りなんて知らないし。それに、明日は出発だろう?荷作りして休んでおかないと」
 答えながら、彼はテスの表情をうかがった。なぜだかさっき、テスが腹を立てていたような気がしたからだった。しかし、もうテスの感情は読み取れなかった。
 昼間につまみ食いしたので彼らはいつもより遅めの夕食をとりに、すっかり日が落ちてから出かけた。街は夜になっていよいよにぎやかになり、店の軒先に吊るされたランタンが通りを明るく照らし、道を行き交う人々は目一杯着飾って、笑いさんざめいていた。客で溢れかえる食堂でなんとか席を見つけて注文を終えた頃には、陽気な雰囲気に影響されたのか、テスも機嫌を直したようで、目が合ったエドにかすかに微笑みかけたくらいだった。
 店を出て、昼間以上の人通りの中を帰路についた彼らは、何度も通った広場にさしかかった。行きは露店に人がたむろしていたそこは、今は露店はたたまれ、ダンスの輪が出来上がっていた。
 広場は、通りに比べて薄暗かった。中央の噴水の周りに並べ置かれたランプしか明かりがなかった。その中で、いくつもの大小の輪が、歌と手拍子と、ギターをひと回り小さくしたような弦楽器の旋律に合わせて回り、縮み、拡がり、隣りの輪とくっついたり離れたりしている。よく見れば、踊る者も見物している者も、十代から二十代と思われる若者しかいなかった。踊りの輪もしょっちゅう人が加わったり、抜け出していったり、崩れがちだ。
 独特の雰囲気に知らず立ち止まってしまったエドの後ろから、声がした。
「……お前、彼女の誘いの意味を知らずに断ったんだろう」
 振り向くと、テスはエドの視線を避けるように足元を見つめていた。
「え?」
「祭りの夜は特別だ。普段は知り合う機会のない相手と出会える。前から思いを寄せていた相手に心を打ち明ける者もいれば、一夜限りの恋を楽しむ者もいる。今夜出会った相手と付き合い始めて、結婚する者もいる。踊りながら気に入った相手がいれば誘って、相手にされなかったらまた別の相手を探すし、お互いに気に入ればふたりで抜け出していってもいい。……お前も、気に入った相手がいれば中に入ればいい。朝まで帰ってこなくてもかまわない」
 その意味を理解するまでには時間がかかった。わかった瞬間、エドの頬に血が昇った。
「……!!」
 腹が立ったのではなく、恥ずかしくてたまらなかった。テスに気づかれていたのかもしれないと思うと、気恥ずかしくて逃げ出したくなった。
 この世界に来た当初は、精神的にも肉体的にも余裕のない状態だったのだろう、そんなことは感じなかった。だが、ここ数日は、夜半、あるいは明け方、テスが眠っている間に処理するようになっていた。
 茫然と、うつむくテスを見つめているうちに、冷静さが戻ってきた。エドは、テスの表情に気がついた。いつもは感情を表に出さない彼が、自分自身の言葉に傷ついていることを隠しきれずにいた。
 深呼吸して、エドは一歩近づいた。
「テス」
「……なんだ」
「俺は、誰とも踊る気はないよ」
「……」
「好きになった相手は大事にしたいから、置き去りにするような真似はしたくない。俺は自分の世界に帰るつもりだから、そんな無責任なことはしない。戻る方法が見つからなくて、ここで生きる決心をするまでは、俺は誰かを好きになったりしない…好きになってはいけないと思ってる」
 テスは、ますますうつむいた。
「帰ろう、テス」
 エドが歩き出すと、テスのついてくる気配がした。エドは歩を緩め、テスが横に並ぶのを待った。ひどく落ち込んでいる彼に怒っていないと伝えたくて、少しかがんで彼の手を握った。テスは反射的に手を引きかけたが、振り払わなかった。エドは、自分の中になぜか哀しみが満ちてくるのを感じた。
 彼はふと、自分は嘘つきになるかもしれないと、思った。
 


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