体調もいまひとつやったし、昨夜はブログを書き終えた後早々に寝た。
そして今朝5時半に電話。見ると病院から。
出るか、ボケ!
職場愛が薄れつつある今、特別な努力をしようと思えない。体調もイマイチやったしさ。
これで一度起こされたものの、その後寝なおして目覚めたのは10時。頭痛、喉痛、咳はあったけど、働けないほどではなかった。疲れたときは睡眠やねぇ。
散歩と買い物に出かけ、休憩の後仕事へ。
今日は内科・外科病棟。もうリハブには行きたくない。
そういえばリハブに充てられていたスタッフが病欠していた。今朝の電話はこのため。出なくて良かったわ。
代わりはすぐに見つかったようやけど、シフト始めの30分ほどは正看1人で14名担当という状態だったらしい。例の脳梗塞の男性は相変わらずのようで、7時半に病欠の代わりのスタッフが来た後も2人でてんやわんや。インド人の同僚がその1人だったんだけど、どうやら何もかもが回らなさ過ぎて泣いてしまったらしい。午後の申し渡しが始まる前に顔を出してたら、2人ともヨレヨレ。同僚は「明日、絶対婦長に文句を言う!」と怒り心頭。無理もない。「いけいけ~」と背中を押した。でも聞く耳もたんのやろうな。
もとい。
日曜日の午後シフト。6名担当。久しぶりに適切な担当患者数。こんな小さなことで「やった」と思うような状態。
しかし結構忙しかった。
6名全員知らない人。だから状況を把握するのに時間はかかる。さっと目を通して、まずはある患者さんの包帯の交換から開始。
このおばあさんは両足のスネに潰瘍ができており、その治療ため先週入院してきた。認知症でもある。
この患者さんはたびたび「家族に電話して」「誰かに来てもらって」と泣く。午前中はナースコールの頻度がひどかったらしい。包帯の交換を終えたころに娘さんがやってきた。そして言う。「どんな治療がされているの?」。
どうやら入院して以降の混乱ぶりが受け入れられないらしい。また患者さんが望むままに私たちも家族に電話をかけるので、この娘さんをはじめ、みんな疲れが溜まっている様子。
基本的に認知症に対する特効薬というものはない。速度は人それぞれやけど、徐々に悪くなっていく。病院は患者さんの慣れ親しんだ環境ではないので、入院後、混乱のレベルが上がるのは予想通り。それを説明したけれど、娘さんには納得がいかないらしい。結局ドクターと話してくれ、としか言うことができず、診療所の番号を渡した。
娘さんが帰った後、次は孫娘さんが2名やってきて、ほぼ同じ会話の繰り返し。そして最後に妹さんが来てまた同じ説明。かなり長い時間をこの患者さんに割くこととなった。
またこれと並行して、担当していた患者さんが1人亡くなった。シフト始めに部屋をのぞいた瞬間「もう長くないな」と思う状態。ご家族が揃っていて、みんな状況を受け入れている模様。ただ苦しまないことだけを願っている様子がヒシヒシと伝わってくる。そのためかこちらには「モルヒネを投与してください」「喉元のゴロゴロといっている音を取り除いてください」と頻繁にリクエスト。
この状況まで来たら正直なところ吸引もモルヒネももう何の意味もない(実際患者さんは苦しそうでもなかった)。しかし言われた通りにした。家族のケアも看護の一環やからさ。
でもモルヒネを持って部屋に入ったらちょうど呼吸を止めたところだった。
ドクターを呼び、ご家族を送り出し、葬儀屋に連絡し、身体を清め、部屋を片付け…としているとあっという間に時間は過ぎていった。
こんな感じで最初の数時間はこの2名の患者さんの間で行ったり来たり。まともに他の患者さんと話ができたのは夕食が終わってからだった。
しかしこの後は比較的順調。投薬を済ませ、看護記録を記入し、ケアプランをアップデート。これらを座ってする余裕があった。一緒に入った同僚も心安い人ばかり。適度に忙しかったけど良いシフトやった。
全部仕事を終えてからも先輩たちとおしゃべり。不満が募っているのでお互いに競い合って吐き出す感じ。仕事が終わってからも30分ぐらいしゃべっていた。ちょっとスッキリ。
帰ったらもう日付が変わる前。Dがちゃんと主夫をしてくれており、部屋が片付いていた。片付いた家に帰るとホッとするわ。Dが入れてくれた紅茶を飲みながらこれを書いている。
明日はお休み。先日見に行った車を引き取りに行く。そこそこ早起きなのでそろそろ寝ないと。新しい車。楽しみやなぁ。
そして今朝5時半に電話。見ると病院から。
出るか、ボケ!
職場愛が薄れつつある今、特別な努力をしようと思えない。体調もイマイチやったしさ。
これで一度起こされたものの、その後寝なおして目覚めたのは10時。頭痛、喉痛、咳はあったけど、働けないほどではなかった。疲れたときは睡眠やねぇ。
散歩と買い物に出かけ、休憩の後仕事へ。
今日は内科・外科病棟。もうリハブには行きたくない。
そういえばリハブに充てられていたスタッフが病欠していた。今朝の電話はこのため。出なくて良かったわ。
代わりはすぐに見つかったようやけど、シフト始めの30分ほどは正看1人で14名担当という状態だったらしい。例の脳梗塞の男性は相変わらずのようで、7時半に病欠の代わりのスタッフが来た後も2人でてんやわんや。インド人の同僚がその1人だったんだけど、どうやら何もかもが回らなさ過ぎて泣いてしまったらしい。午後の申し渡しが始まる前に顔を出してたら、2人ともヨレヨレ。同僚は「明日、絶対婦長に文句を言う!」と怒り心頭。無理もない。「いけいけ~」と背中を押した。でも聞く耳もたんのやろうな。
もとい。
日曜日の午後シフト。6名担当。久しぶりに適切な担当患者数。こんな小さなことで「やった」と思うような状態。
しかし結構忙しかった。
6名全員知らない人。だから状況を把握するのに時間はかかる。さっと目を通して、まずはある患者さんの包帯の交換から開始。
このおばあさんは両足のスネに潰瘍ができており、その治療ため先週入院してきた。認知症でもある。
この患者さんはたびたび「家族に電話して」「誰かに来てもらって」と泣く。午前中はナースコールの頻度がひどかったらしい。包帯の交換を終えたころに娘さんがやってきた。そして言う。「どんな治療がされているの?」。
どうやら入院して以降の混乱ぶりが受け入れられないらしい。また患者さんが望むままに私たちも家族に電話をかけるので、この娘さんをはじめ、みんな疲れが溜まっている様子。
基本的に認知症に対する特効薬というものはない。速度は人それぞれやけど、徐々に悪くなっていく。病院は患者さんの慣れ親しんだ環境ではないので、入院後、混乱のレベルが上がるのは予想通り。それを説明したけれど、娘さんには納得がいかないらしい。結局ドクターと話してくれ、としか言うことができず、診療所の番号を渡した。
娘さんが帰った後、次は孫娘さんが2名やってきて、ほぼ同じ会話の繰り返し。そして最後に妹さんが来てまた同じ説明。かなり長い時間をこの患者さんに割くこととなった。
またこれと並行して、担当していた患者さんが1人亡くなった。シフト始めに部屋をのぞいた瞬間「もう長くないな」と思う状態。ご家族が揃っていて、みんな状況を受け入れている模様。ただ苦しまないことだけを願っている様子がヒシヒシと伝わってくる。そのためかこちらには「モルヒネを投与してください」「喉元のゴロゴロといっている音を取り除いてください」と頻繁にリクエスト。
この状況まで来たら正直なところ吸引もモルヒネももう何の意味もない(実際患者さんは苦しそうでもなかった)。しかし言われた通りにした。家族のケアも看護の一環やからさ。
でもモルヒネを持って部屋に入ったらちょうど呼吸を止めたところだった。
ドクターを呼び、ご家族を送り出し、葬儀屋に連絡し、身体を清め、部屋を片付け…としているとあっという間に時間は過ぎていった。
こんな感じで最初の数時間はこの2名の患者さんの間で行ったり来たり。まともに他の患者さんと話ができたのは夕食が終わってからだった。
しかしこの後は比較的順調。投薬を済ませ、看護記録を記入し、ケアプランをアップデート。これらを座ってする余裕があった。一緒に入った同僚も心安い人ばかり。適度に忙しかったけど良いシフトやった。
全部仕事を終えてからも先輩たちとおしゃべり。不満が募っているのでお互いに競い合って吐き出す感じ。仕事が終わってからも30分ぐらいしゃべっていた。ちょっとスッキリ。
帰ったらもう日付が変わる前。Dがちゃんと主夫をしてくれており、部屋が片付いていた。片付いた家に帰るとホッとするわ。Dが入れてくれた紅茶を飲みながらこれを書いている。
明日はお休み。先日見に行った車を引き取りに行く。そこそこ早起きなのでそろそろ寝ないと。新しい車。楽しみやなぁ。