1964年6月16日午後1時2分ーそれは新潟県民にとって、永久に忘れられぬ「時」となった。
新潟地震は関東大震災以来の大地震といわれ、損害概算額三千億円、深い爪痕をこの大地の上に残した。
しかし、われわれは不死鳥のごとく、この爪痕の中から飛び立ち、明るいあすに向かって、建設譜を奏でることを誓い合っている。
新潟日報社が1964年8月1日に刊行した「新潟地震の記録」定価390円のグラビア記録誌の冒頭文である。
昨日は新潟柳都中学の生徒が「総合学習」の一環として、50年前に起きた新潟地震の体験者を取材し、教訓としたい。と言う趣旨で取材に来た。
指導のコーデイネーター以外に4人のメンバーだった。「新潟地震の時、どんな体験をされましたか」だった。
当時の記憶を呼び覚まし、この「新潟地震の記録」「昭和37年当時の卒業アルバム」「戦前からの周辺記録写真」「新潟国体の参加賞」等当時の同時期に起きた
記憶を呼び覚ます記憶品を並べた。関東大震災はマグニチュード7・9、新潟地震は7・7、中越地震は6・8、中越沖地震も6・8、東日本大震災は9・0と
いくつか調べておいたデータを示して教えてあげた。
新潟地震の直接体験者といっても以降もけっこう体験している。災害大国日本に生まれた経験だ。ライフラインの寸断と救援策、自衛隊の出動と活躍。
自衛隊はいらない。平和憲法だけで十分、国連がある。と言って自衛隊を目の敵としていた「とある政党支持者」の多くが自衛隊の活躍以降、極端にトーンダウン。
以降不毛な発言が少なくなった。「国連の無力」「憲法の解釈」「力の現状変更」「実行力のない内閣」「経験不足の閣僚」
多くは政治と直結する社会問題。少し教えてあげました。
1時間以上も熱心に取材していった「新潟柳都中学の生徒さん」総合学習の成果を身につけて成長してほしい。そんな思いが残った。