会議招集をかけておいてから考えるものに「資料づくり」がある。案外手間があかかる。
資料を探していてふと気がつく、不足部分。
どこを探しても見つからない。本来この手の資料ならここの部分が解らないと比較できない。そういったものだ。
例えば会費。一世帯あたり100円集めているとするコミ協と500円集めているとするコミ協がある。500円集めているコミ協は財政的に豊かと思いがちだが
そうとも言えない。1500世帯しかないコミ協と7000世帯のコミ協と規模が大分違うからだ。
20世帯しかない町内会組織が多い地区と数百世帯単位が多い地区コミ協もある。100円でも7000世帯で70万。500円で1500世帯は75万円。
500円で7千世帯集めれば375万円。役員の数はこれだけの規模の差があってもほとんど変わらないのだ。
20世帯しかない町内会組織は役員のなりてがいない。数百世帯ある町内会は多くの人材。これだけ違う地域格差。
案外知られていない。資料は特定の役員しか持っていない。これでは、議論も深まらない。
会長しか出ない会議がある。たまたま代理で出ると貴重な資料がもらえたりする。1部のみだ。この資料が公にならないかぎり実態は見えてこない。
そうゆう資料だ。案外、「手の内を知られたくない」とする会長は門外不出の資料として私物保管する。これが組織の停滞を招くきらいがある。
対外的な組織比較ができないのだ。井の中の蛙に落ち入り易い。敵を知り、己を知れば百戦危うからずだ。貴重な資料は多くの幹部から
知ってもらいたい。わかったうえで議論してもらう。情報のだし惜しみは停滞を招く。特定の個人にだけ独占させると弊害も生まれやすい。
地位に恋々の役員の機密資料となってしまう。比較検討できる資料があって、実態がわかった上で役員会の議論があって然るべき。そう思うのだ。
多くの限られた資料を出すことにした。ネットで解る範囲の調査もした。会議資料は当日配る。
事前に配ろうとすると修正が入る可能性がある。正しい情報であれば、できるだけお知らせする。そこから身のある議論は生まれてくる。