
浅草羽子板市・羽子板
東京では、毎年12月18日が浅草寺のご縁日にあたり、この日をはさんだ三日間、境内で開かれる。
はじまりは、今から約350年ほども昔の江戸時代初期(万治年間・1658年)頃だという。

観音へ羽子板市を抜けて来し 下里美恵子
羽子板市手締めの声のよく透る 中山敏彦
羽子板市富樫弁慶睨み合ふ 伊藤範子
抽斗に色褪せぬ羽子見つけたり 千葉ゆう
羽子板市下町訛り懐かしき ころころ

うつくしき羽子板市や買はで過ぐ 高浜虚子
羽子板市片割れ月も明治ぶり 林 翔
似顔みな紅さし灯る羽子板市 長谷川かな女
羽子板市の播磨屋と書く箱火鉢 遠藤 はつ
いくさあれど羽子板市につれだてる 森 光子
声かけぬ羽子板市の清水屋に 石田波郷

この清水屋さんは雷門に入って仲見世の右手、最初のお土産屋さん「旧清水屋」仲見世では唯一俳誌を
扱ってました「雲母」「沖」「河」「馬酔木」あと数誌有ったと思います
そこの主が「河」の同人伊藤黄雀さんでここを通る俳人は俳誌が並ぶのを見てほとんど黄雀さんに
声をかけて行ったそうです私も26~7才の頃、ここまで俳誌を買いに来ては黄雀さんとしゃべり
して帰ったのを思い出します。もう代替わりをしてお土産専門になって屋号も変えて(福光屋)
現在でも商っていますもともとは江戸時代末期、絵草子屋より始まった店という事です
雲ひくく垂れていんげん実となりぬ 伊藤黄雀
荷風忌の踊り子がガムを噛む楽屋 伊藤黄雀

サイトから一部資料・写真・知識お借りしています
東京では、毎年12月18日が浅草寺のご縁日にあたり、この日をはさんだ三日間、境内で開かれる。
はじまりは、今から約350年ほども昔の江戸時代初期(万治年間・1658年)頃だという。

観音へ羽子板市を抜けて来し 下里美恵子
羽子板市手締めの声のよく透る 中山敏彦
羽子板市富樫弁慶睨み合ふ 伊藤範子
抽斗に色褪せぬ羽子見つけたり 千葉ゆう
羽子板市下町訛り懐かしき ころころ

うつくしき羽子板市や買はで過ぐ 高浜虚子
羽子板市片割れ月も明治ぶり 林 翔
似顔みな紅さし灯る羽子板市 長谷川かな女
羽子板市の播磨屋と書く箱火鉢 遠藤 はつ
いくさあれど羽子板市につれだてる 森 光子
声かけぬ羽子板市の清水屋に 石田波郷

この清水屋さんは雷門に入って仲見世の右手、最初のお土産屋さん「旧清水屋」仲見世では唯一俳誌を
扱ってました「雲母」「沖」「河」「馬酔木」あと数誌有ったと思います
そこの主が「河」の同人伊藤黄雀さんでここを通る俳人は俳誌が並ぶのを見てほとんど黄雀さんに
声をかけて行ったそうです私も26~7才の頃、ここまで俳誌を買いに来ては黄雀さんとしゃべり
して帰ったのを思い出します。もう代替わりをしてお土産専門になって屋号も変えて(福光屋)
現在でも商っていますもともとは江戸時代末期、絵草子屋より始まった店という事です
雲ひくく垂れていんげん実となりぬ 伊藤黄雀
荷風忌の踊り子がガムを噛む楽屋 伊藤黄雀

サイトから一部資料・写真・知識お借りしています
心楽しい風物詩です
当地では羽子板は もうお目にかからないと言って
過言ではないくらい存じないです
12月の浅草寺は行ったことなくて、、
年の瀬 お正月はは浅草寺は愉しいでしょうね
テレビでもその景色を紹介されますが
私の知っている浅草の羽子板市の賑わいと現在の
仲見世は違ってきています
それが外国の方の多さです 京都でもあまりにインバウンドの方々で通勤通学のバスさえ満車状態だとか
今の浅草には昭和の風情はありません