梅雨入り

2006-06-09 14:50:08 | Weblog
       待つ胸に形なして行く花菱草   野崎明子
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佃煮屋の歳時記  

2006-06-08 13:58:55 | Weblog
    飴色の蝿とりリボン湖畔亭 海老原真琴

 ご承知の通り、ころころの幼少時代の実家の稼業は佃煮屋でした。
 皆さんがぱっと浮ぶあの佃島界隈の藍の暖簾のかかったり、大きな一枚板に金字
 などといった粋なもんでは決してありません。イメージから言えばあの、寅さんの
 映画に出てくる隣のたこ社長の工場のようなものを連想して頂ければいい。
 その頃までの佃煮屋の夏は暇なもんで・・なにしろ保存の技術も方法もない時代で
 多く作れば腐ってしまう。しかたなしに瓜の塩漬け、朝鮮漬け、ぼたんきょう漬け
 などなど、どこからもってきたのか造り酒屋にある大樽が2つも工場の外に鎮座
 ましましていた。

 秋頃からは、蝗の佃煮がはじまる。ころころの3人兄弟も学校から帰ると蝗の
 干し場へ行って雑草取りやら他の虫を選別する仕事をする。
 時折とり忘れた飛蝗などもごったに佃煮になるが食べれば同じ味に感じた。
 秋から冬にかけては、蕗、昆布、豆などの佃煮、冬こそ佃煮屋の最盛期になる。

 正月の御節につかう、鮒、鯊の甘露煮、昆布巻き、黒豆、おたふく豆、田作り
 これを12月一ヶ月で作る。昆布をかんぴょうで巻くのも。魚を炒るのも
 祖母の仕事、煮込みは母の仕事、父は小肌の粟漬けの段取り、これがかなり
 つらく見えた。このしろを腹で裂いて指で骨取りをする。真冬である。
 氷水に入った魚を捌いていく。父の両手は真赤で皹切れていた。
 小肌を平樽に甘酢と粟できれいに敷き並べていく手際は今でも目に浮ぶ。
 皹切れた手を甘酢に漬けるわけで、かなりの苦痛だったと思う。
 それでも父の愚痴は聞いた事が無い。

 その忙しさも春まで・・春は小女子の佃煮からはじまる。関西では釘煮と言うらしい
 、俳句をやっていてその違いを知ったのは最近だ。
 関西は薄味だというが、その佃煮だけは関東の小女子のほうが味も薄い気がするし、
 見た目も飴色に仕上がる。

 あの工場に有った大きな鍋や竃、漬物の大樽、工業用の扇風機、蝿とり紙、
 どれひとつも思い出深いものになっている。

  
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6月7日

2006-06-07 19:18:51 | Weblog
       夏蝶やわれは今日待ち今日去らせ    中村汀女
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6月6日

2006-06-06 06:03:54 | Weblog
      文字遊び「竹」by korokoro
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句会後感その2

2006-06-05 20:32:53 | Weblog
       文字遊び「風」by korokoro

 散々人の句にいろいろ言っておきながら・・
 というわけで反省を兼ねて自句自解、自句批判などを。

    まつさきに地神が汚れ梅雨出水
    父の郷里、秋田県雄勝群稲庭は今でこそ稲庭饂飩の里として全国に名を
    知らしめていますが、雪深い山里です。
    村落は皆瀬川という川に添った農村で、冬に働き手は出稼ぎか、近くの
    漆器工場などへの兼業を余儀なくされています。
    田や畑は川から離れた一段と小高い処に限られる為に、村の墓どころは
    川端にあり、幾度の出水によって被害をうけています。
    その墓の横にも小さな田畑があり耕地を少しでも確保しようと苦肉の策
    なのでしょう。そんな小さな田畑の端には地神様の幣や犬小屋より
    小さな社らしきものを祀っています。
    ころころの本家の墓石はもう150年ほど前のものです。幾度となく
    出水に流され、かすかに姓がわかるほど傷んでいます。
    そんな風景を思い出しながら詠んだものです。
    縄様、ゆ様、志様にお採りあげ頂いて嬉しかったです。
  
    湯治湯やあばれ出水の忘れ岩
    この句も父の田舎の風景です。
    皆瀬川の上流には小安峡温泉があります。
    上流といっても父の村落から車で10分ほど登ったところで、
    その渓流は赤土色した大きな岩がごろごろとした
    とても有馬、伊香保、鬼怒川などといった温泉地とは比べることが
    出来ないほど鄙びた温泉です。そこの外湯の景色でした。
    連衆のご意見の中に「今を詠む」が俳句という事が出ていましたが。
    こと出水に関してはこの地で遭遇すれば命にかかわるところで、
    過去の出水跡を句種にするほかは有りません。
    愛様、縄様の特選にとって頂きました。

    かたつむり行方の果の夕間暮れ
    兼題の「かたつむり」「まいまい」「でで虫」身近なはずなのに
    詠めませんでした。当たり前の句で数合わせは反省ですね。
   
    浅漬けの茄子の色良き梅雨入かな
    この「梅雨入り」と「五月雨」の句を明るく詠むことは自分の課題でした。
    そのうえ「梅雨」と「五月雨」との詠み分けができればと考えています。
    季重なりは承知で詠みました。み様、志様に誉めて頂き感激です。
 
    車椅子押すに買ひたる夏帽子
    先日、母からの電話の内容に「帽子買ったのよ」という話がありました。
    母の足にも金具が入って、日常は杖の生活です。その母が父の車椅子を
    押して、少しでも父を外に出そうと頑張っています。
    もう少し詠みこんで句を仕上げたいと思っています。
    それは、私の俳句の一番のファンは母だからです。
    み様に採って頂きました。ありがとうございます。

    宵祭もつ焼く煙にさそわれて 
    披講の時に種明かしをしてしまいましたが、「煙」(けむ)と詠みたかった
    そして、ある日見ていた地方紹介のITの中に「煙にさそわれて」という
    フレーズを拝借したわけです。
    旦那様が江戸っ子の竹様に採って頂いて光栄です。

    「とりあえず」「あれ」で出てくるビールかな 
    本来は原句です。ここから発展して物語を創作していくのが
    ころころの句作過程なのです。7句投句という中で色々な
    作風を試すことも私の悪いところでしょうね。反省。

   

 
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句会後感その1

2006-06-04 09:57:28 | Weblog
      ブラシュの花

 6月のテーマ句会56句の投句の満開でした。

 選句7句という縛りの中からこぼれた佳句を紹介し、私なりの感想を書きます。

 *蛇衣を脱ぎ山門を出でにけり 
 佳句。なまめかしさも感じる。尼寺という私の中の物語
 *悪態を吐いてさばさば浴衣がけ 
 後談で下五が「単衣帯」に変わっていたとか、私がプリントした時はこうでした。
 そうです。「浴衣がけ」でなく名詞どめがいいです。
 *吊橋に届く出水の滾りかな
 佳句です。出水の滾りがいいですね。しいて言えば「届く」といったところが
 選者の混乱をさせたのかもしれません。
  *百合の香や母にもありし泣き黒子
 句会の披講の時にも言いましたが、なぜ百合の香としたのかもったいない一句。
 上五は例えば山百合、白百合などに抑えたほうが良かったでしょう。
 香で触発された発句でも名詞で充分一句の中に香ります。でも佳句
 *梅雨空に浮かぶ二人や観覧車
 このお句も披講の時に言いましたが「や」によって種明かしになってしまいます。
 それと「空に浮ぶ二人」は「や」で切ると不自然に感じます。
 「の」をお薦めしました。後談、作者のお話を聞いて微笑ましいご夫婦の旅の
 思い出のお句とか・・なおさら「二人の観覧車」がいいです。
 *校庭を泡立たせけり大雷雨
 乾ききった校庭の土は大雷雨によって泡だったようなさわぎ。
 私の中では「けり」なのか「たり」なのか迷っていました。それは「たり」によって
 雷を擬人化したかった私の間違いでした。やはりここは客観で掲句が正解。
 *滴りの中に丸まる世界かな
 よく分かります。一度は◎を付け、はずしました。どうしても「丸まる」のほかの
 表現が欲しいように思います。  
 *旅先に意気投合の夏帽子
 このお句も良く分かります。「の」がひっかっかります。客観で詠むなら
 「意気投合す」でしょうね。
 *夏服の園児駆けくる聖母月
 「夏服」と「聖母月」の季重なりより、その二つが同じ重さにあるのが問題かと
 思います。できれば園児と聖母の同時斡旋は避けたほうがよいのかもしれません。
 *片影を選びて母と歩みけり
 なにも言うことがないお句。それが物足りなく思わせてしまうのかも知れません。
 でも一句として発していると思います。
 *一閃の魔の走るごと黒蜥蜴
 よくわかります。しいていえば「ごと」でない言い方の工夫がほしいところ。
 黒蜥蜴一閃の魔のよぎりけり ではいかがでしょうか?
 *万緑の片隅にゐて国憂ふ
 このお句に関しての評は自信がありません。
 私が感じたままを言えば景色を広げすぎたために大げさに感じました。
 「万緑」と「国憂ふ」の大きさに対して片隅の作者との距離感に違和感がありました。

 選句にたいしては様々な採りようが有って良いと思います。
 今回特に気になったことはたった一語の「てにおは」が物語や景色を
 広げたり、閉ざしたりすることを感じて欲しいと思いました。



 

 
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G毎日句会の再閉会に思う

2006-06-02 12:34:52 | Weblog
   花さびしければ群れ咲きゆきのした    堀葦男

 3月10日から再開されたGの毎日句会、5月末をもって再閉会となった。
 ある程度危惧はしていた。それは前回の閉会理由と違った新たな難問が提議
 されれば、再閉会は想定内だったと言うしかない。

 前回の閉会の理由も今回の理由も私が知っているわけではない。
 Mさんを慕って、参加された多くのMさんファンの嘆きは見るに耐えなくて
 終盤は開けることすら億劫になった。

 5月31日のMさんの日記の「疲れました」という一行。
 これは今Mさんが言えるメッセージの中で唯一の本音であり、
 どう憶測してもそれ以上の心は計り知れない。

 どんなに回りのものが大切に思っても、一個人のHPに参加させて
 もらっている訳である。
 一見組織だっているように見えても一個人の力で全体を見渡し満足のいく
 結果を引き出すには限界もある。
 私達は「疲れた」と仰るMさんには「お疲れ様、休憩なさってください」としか
 言うほかはない。

 組織としてのGと個人のMさんと、人それぞれに関わり方が違うし、思い込みも
 違う。これはどんな結社、組織にもいえること。
 一個人が大切に思う事を粛々とできることが自由であると思う。

 「一期一会」を得たことこそ最良の喜びと感じるべきだと思う。

 落ち着かれたらきっとこちらに遊びに来ると思っています。

 
 

 
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6月

2006-06-01 09:14:01 | Weblog
    ブラック・べりー(赤塚植物園)
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