甘藍もつややかに夏立ちにけり 相生垣瓜人
昨日はGの吟行句会、柴又帝釈天から矢切の渡しに乗って対岸の野菊の墓の寺へ
かなりの距離を歩く吟行になった。その分肌で感じる土、風、川の匂いを満喫
していずれ句になしえる取材も出来たと思う。
いずれと言うのも句会に間に合わせの数は詠めたものの自分の中では未消化の
句ばかり、柴又帝釈天はなじみの地ゆえに感動が薄れつつ句に仕立てて読者に
伝えることが出来ないのだろう。力不足は否めない。
わたり来る矢切の風や梅雨鯰
梅雨晴間という季語にはいささか湿り気の多い曇り空、帝釈天への挨拶句。
参道と帝釈天脇にある川千屋は川魚料理の老舗、鯉、鰻、鯰の味を楽しむ
事ができる。そこは句会連衆には説明はせず肌感覚で詠んでみた。
香煙の梅雨きざしたる湿りかな
この句も同様、参詣者を観察していると誰も皆、体に香煙を浴びるように、両の手で
まず胸にそれから各自健康に不安ある個所へ煙を掬い浴びている。
最初に胸(心臓)に浴びるというのはやはり自然な長寿へのご利益を欲しての
動作だと感じる。いつもなら立ち上る香煙も香炉から地面に降るように見えて
発句となった。
風上にまわす舳先や梅雨曇り
柴又から矢切の渡しに乗って対岸へ、時間的には引潮であり舟は下流へと
流される。離岸する時は船頭の櫓捌きで行くものの舳先は目的の船着き場には
向けない、向ければなおさら流されてしまうからだ。
高校生の時に少し上流で泳いでいたがその頃より水が汚れていると感じる。
この時期は上流からの梅雨で流された土などの濁りがあるのかも知れない。
くちなわの畷自在の泳ぎかな
船着場から野菊の墓への道は農道できゃべつ畑、ねぎ畑、水田を抜けていく
前日の雨でかなりのぬかるみがある。少し歩くと田の側溝の上に1メートルほどの
青大将(くちなわ)、連衆も恐る恐ると石などをぶつけている。
心は少年期に戻っている。もう少し歩いていると今度はその用水の中をかなりの
速さで泳ぐくちなわを発見。さっきのより長い。
蛇はこんなにも早く泳ぐものだとは思わなかった。皆で追いかける。
くちなわはその気配を察してか急停止、急旋回、そしてまたその身を今度は
畝を登るような姿勢をとる 連衆の少年期はまだ続いている。
句会後の反省会で「畷」はあぜ道のことだから少々景色に無理があると言われた。
確かに泳いでいたのは用水であるから実写ではないが、「畷」という文字の効果は
水田も用水もその風までも暗喩することができる。
14名の参加、欠席投句1名 総数75句
同じコースで吟行をするから類想、類感はいなめない。
そのなかで自分の観察眼を発揮して誰もが見て詠めなかったものを句に仕立てる
事が大切に思う。そんな佳句も少ないが有った。
景色を見て感動を詠むのも俳句、その感動者のふとした様を詠むのも俳句
吟行のひとりが開く白日傘 初様の佳句
今回の句会選句、句会後の反省会でも気になったこと。
選句は善意がとても必要だということ。落選句を選ぶのではない。
選句眼こそ俳句の力だと確信する。
追記 初めてお会いしたがれい様の俳句もたいしたものだ。
昨日はGの吟行句会、柴又帝釈天から矢切の渡しに乗って対岸の野菊の墓の寺へ
かなりの距離を歩く吟行になった。その分肌で感じる土、風、川の匂いを満喫
していずれ句になしえる取材も出来たと思う。
いずれと言うのも句会に間に合わせの数は詠めたものの自分の中では未消化の
句ばかり、柴又帝釈天はなじみの地ゆえに感動が薄れつつ句に仕立てて読者に
伝えることが出来ないのだろう。力不足は否めない。
わたり来る矢切の風や梅雨鯰
梅雨晴間という季語にはいささか湿り気の多い曇り空、帝釈天への挨拶句。
参道と帝釈天脇にある川千屋は川魚料理の老舗、鯉、鰻、鯰の味を楽しむ
事ができる。そこは句会連衆には説明はせず肌感覚で詠んでみた。
香煙の梅雨きざしたる湿りかな
この句も同様、参詣者を観察していると誰も皆、体に香煙を浴びるように、両の手で
まず胸にそれから各自健康に不安ある個所へ煙を掬い浴びている。
最初に胸(心臓)に浴びるというのはやはり自然な長寿へのご利益を欲しての
動作だと感じる。いつもなら立ち上る香煙も香炉から地面に降るように見えて
発句となった。
風上にまわす舳先や梅雨曇り
柴又から矢切の渡しに乗って対岸へ、時間的には引潮であり舟は下流へと
流される。離岸する時は船頭の櫓捌きで行くものの舳先は目的の船着き場には
向けない、向ければなおさら流されてしまうからだ。
高校生の時に少し上流で泳いでいたがその頃より水が汚れていると感じる。
この時期は上流からの梅雨で流された土などの濁りがあるのかも知れない。
くちなわの畷自在の泳ぎかな
船着場から野菊の墓への道は農道できゃべつ畑、ねぎ畑、水田を抜けていく
前日の雨でかなりのぬかるみがある。少し歩くと田の側溝の上に1メートルほどの
青大将(くちなわ)、連衆も恐る恐ると石などをぶつけている。
心は少年期に戻っている。もう少し歩いていると今度はその用水の中をかなりの
速さで泳ぐくちなわを発見。さっきのより長い。
蛇はこんなにも早く泳ぐものだとは思わなかった。皆で追いかける。
くちなわはその気配を察してか急停止、急旋回、そしてまたその身を今度は
畝を登るような姿勢をとる 連衆の少年期はまだ続いている。
句会後の反省会で「畷」はあぜ道のことだから少々景色に無理があると言われた。
確かに泳いでいたのは用水であるから実写ではないが、「畷」という文字の効果は
水田も用水もその風までも暗喩することができる。
14名の参加、欠席投句1名 総数75句
同じコースで吟行をするから類想、類感はいなめない。
そのなかで自分の観察眼を発揮して誰もが見て詠めなかったものを句に仕立てる
事が大切に思う。そんな佳句も少ないが有った。
景色を見て感動を詠むのも俳句、その感動者のふとした様を詠むのも俳句
吟行のひとりが開く白日傘 初様の佳句
今回の句会選句、句会後の反省会でも気になったこと。
選句は善意がとても必要だということ。落選句を選ぶのではない。
選句眼こそ俳句の力だと確信する。
追記 初めてお会いしたがれい様の俳句もたいしたものだ。