季語を体感する

2006-06-25 08:56:30 | Weblog
     
      ブラックべりーの実

 季語の中には客観的に言表せないものがあり、そして地域によって若干の
 肌感覚がちがうものもある。
 雪深い山間の寒さと日本海の海辺リの雪混じりの風の寒さ
 沖縄など島の日差し暑さ、京都などの盆地特有の空気の暑さ、そして
 東京など都会のアスファルトの反射熱、クーラー、自動車の排気温、人いきれ。
 音であらわすなら「しんしん」「きんきん」「ちくちく」「じりじり」「むんむん」
 私の感覚ではこうなる。
 天文、気象を俳句になす時この音にかえることが作句の近道となり、同感を得やすい。
 この音を詠みこめば手っ取り早いが、それでは面白くない。
 今度はその音から連想できるものを取り合せの種として用いる。
 例えば「しんしん」からは闇、静寂、心、降りそそぐもの等である。

   死者は深雪に生者は檻に安らがむ 齋藤玄
   バイブルに鞣し香のある深雪かな 石原八束
   雪櫟夜の奈落に妻子ねて 森澄雄
   母の鏡蒼しと思ふ夜は雪 長谷川秋子

 例えば「じりじり」からは観念、不安、光、せまりくるもの等。
   
   とらわれの蟹炎天を掻きむしり 小宅容義
   炎天の犬捕り低く唄ひ出す 西東三鬼
   炎天や別れてすぐに人恋ふる 稲田 眸子
   つよき火を焚きて炎昼の道なほす 桂 信子
   炎昼や海の太陽茄であがる 吉原文音


 こんな風に捉え鑑賞を進めてゆくと辿りつくものが有ると思う。
   
コメント
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