10月24日

2008-10-24 06:42:52 | Weblog

       ( 綿の花 )

 

明暮に来てはたたずむ綿の花     桜井銀馬

 

綿の花大地太陽噴上ぐる        上野さち子

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10月23日

2008-10-23 06:30:58 | Weblog

     ( 公孫樹とぎんなん )

 

銀杏が落ちたる後の風の音        中村汀女

 

銀杏を干すしわしわの新聞紙       児玉輝代

 

銀杏を拾つては待つ次の風         大沢淳子


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10月22日

2008-10-22 15:20:59 | Weblog

      ( 浜菊 )

   茨城から青森にかけての日本海沿岸に自生する多年草

 

浜菊に海嘯(つなみ)は古き語り草       富安風生

 

浜菊や瀬戸の渦潮激ち合ふ          河本好恵

 

浜菊や波の飛沫の届く岩            北村古心


 

 

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10月21日

2008-10-21 06:41:08 | Weblog

        ( 岩手関山・中尊寺近郊 )

 

ゆく水に紅葉をいそぐ山祠            飯田蛇笏

 

添水樋に沈む紅葉の鋭さよ          細見綾子

 

水もまた燃ゆる彩とし櫨紅葉         桑田青虎

 

照紅葉囮に水をつかはする           瀧 春一

 

中尊寺うばたまの暗つゞれさせ       山口青邨



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10月20日

2008-10-20 17:59:01 | Weblog

        ( 多羅葉の葉・とりもちの木 )

 

川越の川越八幡の神木になっている多羅葉の木です。葉の裏側を木切れで

字を書くとすぐに黒くなります。昔はこれに文や歌を書いたのでしょう。

これから葉書という言葉ができたようです。

八幡様は源氏の守り神だそうです。

 

多羅葉の実の真つ赤なる修二会かな      細川加賀

 

多羅葉の大樹けやけき神の留守        河東碧梧桐

 

多羅葉をみだれ打つたる霰かな          京極杞陽



 

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10月19日

2008-10-19 11:03:23 | Weblog

      ( 川越祭り・宵宮 )

 

身にしみて夕風きよき宵宮かな     久保田万太郎

 

宵宮の間遠の笛の音それも消ゆ      松本佳子

 

  ☆連衆と連れ立って川越祭りを堪能しました。

このお祭りの起源は古く慶安元年(1648)城主の松平伊豆守信綱が,氷川神社

へ神輿や祭礼用具を寄進して祭礼を奨励,同4年(1652)に神幸祭が氏子の

町々を渡御したことから始まったそうです

現在,旧市街を曳きまわす山車は29基、今年のお祭りには15基の山車の

巡航が見られます。

普段は、吟行から句会へと時間の限りのなかで見ている景色も、のんびり歩くと

発見・感動が多く受けました、それを句になせれば良いのですが・・・

 

 

 

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10月18日

2008-10-19 01:55:10 | Weblog

      ( 川越祭り・鉾山車と蔵造り )

 

お神楽の鬼に赤子を抱かせけり     亀井雉子男

 

里神楽見て来し手振りして話す      高木晴子

 

笛方は真顔なりけり里神楽         木内彰志

 

 




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10月18日

2008-10-18 01:10:11 | Weblog

       ( 紅葉 毛越寺と遣水 )

 

金鶏山より毛越寺に秋の水       辻桃子

 

柿紅葉の中に錦木紅葉かな      河東碧梧桐

 

岩へ散り紅葉のなほも日を透かす   八木絵馬

 

城あれば戦がありぬ蔦紅葉       有馬朗人



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10月17日

2008-10-17 00:23:01 | Weblog

      ( 黄花秋桐 )

 

かたまりて通る霧あり霧の中      高野素十

 

朝霧や消え残る灯の港町        寺田寅彦

 

夕霧を来る人遠きほど親し        野澤節子

 

青年が背後に居りし夜霧かな       池田澄子


      ☆ 俳句を教わると言うこと、俳句を学ぶと言うこと

俳句の上達に何が一番大切か?自分なりに考えてみた、今分かることは

素直な気持ちで俳句に熱心に向かうほかは思いつかない

俳句を数年(初心者から出た辺り)やれば句会などでも点が入り,時には

指導者の選にも入る。この辺から持論が出てくる、決して悪いことではないが

その持論を曲げない防御が時に働き、肝心な吸収する心を閉ざすことになる

考えてみれば、俳句は雑草に、乳飲み子に、捨て猫に教わっている事もある

それは心を開いて対しているからで、そこに人が介在すると少し違うようだ。

指導者に教わることは勿論,先輩や初心者に教わることも大いにある。

阿部筲人著「俳句ー四合目からの出発」を是非一読して欲しい。

初心者を麓十合目と考えての俳句の学びの心得の著書である

上達にセオリーは変えられない。一歩一歩素直な気持ちで山頂を目指すこと

に他ならない。

これは私感だが、指導者は自分の今の俳句作品をもって指導にあたる

俳句の理論や知識は本で充分。学ぶ側からすれば「こんな句を詠んでみたい」

と思う一種の憧れが指導者に惹かれ、指導を素直に受け入れられるのだと

思う。ころころの将来の夢は俳句で世の中に恩返しができるようになること。

ゆっくり本当の力をつけるため、まだまだ学習です

 

 

 



 

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10月16日

2008-10-16 14:56:42 | Weblog

      ( 友禅菊 )

 

赤多き加賀友禅にしぐれ来る      細見綾子

 

雁わたし加賀の友禅流しかな      小原英湖

 

友禅の沈みて長し春の川         野村泊月

 

友禅に青花水の筆はじめ         桂樟蹊子

 


 

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