チャコちゃん先生のつれづれ日記

きものエッセイスト 中谷比佐子の私的日記

麦秋

2019年05月21日 20時49分03秒 | 日記

麦が美しい金色に輝いている

俳句の春の季語が「麦秋」

秋には「竹の春」という季語もある

なんで春に秋とつけ

秋に春という

日本の言葉はかくもややこしく美しい

麦の側に立ったら黄色く色づくのは自分の命の秋

竹の気持ちになったら秋に葉が入れ替わるので成長を始める春に自分がなった感じ

日本語は相手側の立場になって作られたものと

文字に意味を持たせて単語にした言葉がある

そういう言葉を日常に話していることで頭の訓練をしているのではないだろうか?

こういうややこしい言葉を話せる民族は他にあまりなさそうだ

日本語は美しいけどややこしい

日本人もややこしいーーそういう言葉を駆使してるから

人は言葉で傷つくことが多い

傷つける言葉はたくさんあるがそれと同じくらい人を気持ちよくさせる言葉も多い

人を気持ちよくする言葉の使い方を教わった人は少ない

黄金色に輝く麦畑を眺めていて

つくづく気持ち良い言葉を使う練習をしなければと思った

#麦秋 #竹の春  #言葉#黄金色  #日本語  #中谷比佐子

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着物がつなぐもの 157

2019年05月20日 13時16分36秒 | 日記
今回の断捨離の中に着物の雑誌、着物関連の雑誌が500冊ほどあった
図書館はいらないと云うし古本屋さんも引き取らないとのことで、「ありがとう」と言って丁重に処分
もちろんチャコちゃん先生の関係ページは切り取ってはみたがこれも膨大、仕事の行跡を処分するにはかなりの勇気と決断が必要
「よしっ!」という思いで後生に必要と思われる記事はきれいにフアイル
残りは「ありがとう感謝」で自分の周りから外れた
(ところがつい最近「その当時の写真がありますか?」「いえ処分しました!」という羽目にもなった)

この作業がかなり苦痛だったがその雑誌の中で時代がよくわかる
昭和50年代までは着物の縫い方やくりまわしの知恵の出し方にぺ^ージがさかれていた。各着物産地の現状とその撮影、この部分がチャコちゃん先生の主な仕事内容で日本全国を周り、着物に関係ない雑誌にも連載を持っていたみたい

しばらくして今度は作る人そのものに焦点を当てて訪ね歩いている
その時その方の思想や哲学に興味を持って取材しているので作る人達の着物に対する取り組みの感性が非常に千差万別で面白い

その後は「売る人」「仲買人」に目がゆきやはり日本の主要都市の呉服屋取材が始まっている
それでわかったことは女将さんの立場、女将、妻、主婦、母親、地域指導を含め百面六臂の働き、その姿を見て「もっと遊んでいただこう」という思いで「女将さんサミット」を立ち上げた
女将さんをあらゆる雑誌に登場させる工面をしたのでそれはよし
自分に来た仕事も女将さん優先の企画に変えてしまったりした
(いいことをしていたと思っていたがこれはとんでもない勘違いで自分自身を大切にしなくてせっかく仕事を私にくれた人の思いを裏切ることにもなった。誰からも感謝されることもなかったが、宇宙法則ということを自分をないがしろにすることで学んだのでそれはよし)

更に下がると今度は素材にやかましい気持ちが湧いてきて、絹、麻、木綿、化合繊とそれらを扱っている企業や科学者たちとの接点を持った
その時絹は蛋白質なので牛乳でも繊維ができると考えた科学者の発案で牛乳繊維も出てきて面白いと思い長襦袢にしてきたがもたついて着心地は今ひとつ
そのうち消えてしまった

その時から蚕に力を注ぐようになりそれは現在まで更にこの先も続いていくと思うが、今日本屋で着物の本を立ち読みしていたが「着方」「コーディネート」「着ていく場所づくり」が大きなテーマになっている現状の中着物はどんな生き方をしていくのだろうかと考えてみたいと思った(次回へ続く)
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着物が繋ぐもの 156

2019年05月17日 08時57分42秒 | 日記
着物のTPOを考えてみたい
先日電車の中で着物に靴を履いて嬉しそうな二人の20代と思しき女性に出会った
着物の中にはレースの白いブラスが見えたふたりともお揃い
肩からショルダーバックを掛けている着物の素材は化合繊

可愛い顔をしていた
明治維新の坂本龍馬も靴で闊歩していた
チャコちゃん先生も麻の浴衣にサンダルを履いていたことがあるがそれは下駄を履くと当時はホテルに入れなかったから
そういえば
一流のホテルでは雨下駄も許してもらえず慇懃無礼にスリっぱを差し出されたこともあった
それにこりて雨の日には必ず草履も携帯していた

あるとき京都で舞妓さんがポッくリを脱がされスリッパを履かされている現場に出くわし
舞妓ちゃんの可愛らしさはあのポッくリにあるのにと思い
よせばよいのにホテルの支配人を呼びつけ
「どうして履いてはいけないのか理由をお聞かせください」
「絨毯が痛むので」「
「ピンヒールのほうがよほど痛むのではないかしら」
「でも決まりですので」
「お役人みたいなこと言わないでよ、ここは京都よ舞妓ちゃんは観光の要でしょう?」

お茶屋のお母さんが間に入り宴会場では履いてもいいと云うことになった

「バカじゃあないの」と納得できない気持ちで打ち合わせに入っていたら
お茶屋のお母さんが探し当ててきて
「おおきにお時間あったら家で一休みどうどす」
と誘われそれ以来未だにお付き合いが続いている

自分のことだと
「ハイそうですか」とすぐ引き下がるのに人が理不尽な目にあってると血が騒ぐ
困った性格

今では浴衣に下駄でも平気に通している 時代ですかね

基本的に礼装とか正装は由緒正しくきちんとするべきだと思うが
普段は「着たいように着たらいい」
しかしその着方に「美」がなければ意味がないと考える。見ていて気持ち悪かったらそれはいい着方ではない

着物の長い歴史の中でいろんな着方が登場している
その着方には階級があったり職業での表現の違いがあったりしている
それを認識しないと
そしてその違いをよくわかっていないと着姿を間違う
一時振り袖の乙女が花魁の着付けをするのが流行った年がある
花魁の職業を理解していなかったのだろう

基本を崩して着るのは改革だが
まるきし基本を無視して崩しているとそれは「ごみ」

どうして足袋を履くのか
なぜ草履なのか
長襦袢や襦袢はどうして必要なのか
帯は何故に存在しているのか
それらが長く必要とされたことを理解した上で
「私はこのように着たい」となればきっと美しい

#花魁 #振り袖 #浴衣 #チャコちゃん先生 #歴史 #基本 #舞妓ちゃん #お茶屋 #中谷比佐子


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試練は学びのとき

2019年05月16日 10時41分36秒 | 日記
人は生きている限りどんな人でも必ず一度は試練がある
何度もある人もいる
またその試練が長い人もいる

試練は病気だったり、仕事の失敗、行きたい学校に行けなかった、失恋、悲恋、最愛の人の死、仕事がなくなる、人間関係などなど
人の数と同じくらい試練の種類があると思う

苦しいとか悩むとか人生で負と思える日々があるけど
長く人生をやっているとそれはすべて学びの時間であるということがよく理解できる
学ぶ必要のない人は試練はないか
ある
試練にも段階があり
個人の魂を磨くための試練
世の中を良くするための試練
地球を平和にするための試練
その人のキャパによっていろんな試練が用意されていると思う

毎日試練はある
満員電車で足を踏まれる
踏んだ相手を恨む?不用意に足を出していた自分を責める?「お足(お銭)踏まれたから今日は出費を控えよう('-'*)アリガト」と踏んだ相手に感謝できたらもうそれだけで苦しみや悩みの試練は遠のいてしまう

起きる試練はすべて意味がありその人の学びなのでそこからどう学んでいくか

また乗り越えられない試練は来ない
その人の身に合った試練だもの

チャコちゃん先生は平成は試練の連続だった
脱皮のごとく皮から身を出しているが未だ少し皮の中に身が残っている
脱皮は苦しいでも脱皮したあと身は一段と大きくたくましくなる

それを
山での撮影の時蛇の脱皮を一部始終観察していて「脱皮」の意味をヘビさんに教えてもらった
絶対元の殻には戻れないそれくらい大きくなる

蛇が脱皮を完成したとき思わず「良かったね、おめでとう」と声張り上げたらスルスルと身を隠してしまった
恥ずかしかったのかな?

脱皮を怖がってはいけないと思ったものだ
逆にありがたいことなのだと
今回の断捨離も脱皮の分野に入るだろう

#脱皮 #試練 #断捨離 #学び #チャコちゃん先生 #中谷比佐子
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着物が繋ぐもの 155

2019年05月15日 10時04分48秒 | 日記
もともと着物の模様はニュースペーパーだと思う
模様の始まりは「織」で表したり「石摺りや木版、葉摺、絞り」などがあってこれらは今で言う幾何学的な模様であった
色の発達は素晴らしく植物や鉱物での染料の使い方は日本は世界で最も多色の色を布に染めた民族だと思う
さて
布に模様を染め出すようになったのは江戸時代「友禅染」の技法ができてから
この時代はは誰でもが旅ができなかった
藩政を敷いていたのでその県境のようなところには必ず札所があり
旅に出かける人は通行手形が必要であった
一般的にはなかなか諸国を旅することはできない

そこで
各地の絵師たちがその土地の名所旧跡を書いて訪れた人に売っていた
それが布に描かれ高価なお金を出して国で留守預かっている家族の土産に持ち帰ったのが友禅の着物
都風俗、大名行列、神社仏閣 春夏秋冬の景色、仏様
絵になるものはすべて布に描いて都の宣伝をしたのではないかと思う

ニュースペーパーだから都で流行している食べ物や習慣、祭祀なども表現されていた
またご当地自慢の風景や名所なども人々に知らせる縁となっていた
昔の衣裳を見ると本当に想像を掻き立てられる模様が多い
そして今それが時代を雄弁に語っているので貴重な資料にもなっている

自然を見る目が細やかな日本人は「椿や松、梅、竹」などに降り積もる風景を模様にしたり
雪の結晶の面白さを文様に取り入れたり
縄文土器を絣柄にしてみたりその創造力の凄さに敬服する

こういう模様の生い立ちを考えるとき
物語性のあるものを着物の模様にするのが本筋なのだなと思うようになった
古くは伊勢物語を模様にした尾形光琳を始めとする琳派と言われる絵師たちの繪を着物の模様にすることが多かった
今でも着物の基本の柄としてもてはやされている

着物はキャンバスだと思っている
其処に様々な表現がありそれを着る人が完成させる
江戸時代までは着物が引き着だったので大胆な模様もいきいきと息づいていたが
今は帯との調和があり着る人の感性と知恵に委ねられている
だからこそ着物の模様の意味を知ることが大切なのかもしれない

ある時からチャコちゃん先生は着物の模様に意味をもたせることに熱中
今日は久しぶりに長年の友(共著もある)中野裕弓さんとのデート、横浜なのでマリンブルーの地色の着物
そして昔裕弓さんがトドと会話したことを思い出しトドやクジラ・イルカなどの柄を描いた着物を着ていき喜ばれた
着物はごちそうでないといけないとつくづく思った次第

#友禅 #中野裕弓 #横浜 #トド #イルカ #クジラ #マリンブルー #模様 #絵師 #名所旧跡 #縄文土器 #松竹梅 #伊勢物語
#尾形光琳 #琳派 #中谷比佐子


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着物が繋ぐもの 154

2019年05月14日 09時35分34秒 | 日記
三社祭が近い
浅草の観音様は観光客で連日大賑わいひっそりと隣の敷地に神社がある
明治6年に浅草神社と名付けられたが歴史は平安後期にまで(または鎌倉初期まで)遡る
観音様は推古天皇の時代に建立されているのでもっと古い

三社の神紋が江戸解模様に使われている
三社は二人の漁師と一人の賢者が祀られているので三者つまり三社

さて事の起こりは
チャコちゃん先生今はなき熊谷好博子さんの「江戸解模様の柄」に魅せられその原点を探りたくなったのだ
そこで行き着いたのが三社つまり浅草神社
浅草神社の神紋は三本の魚網が文様化されている

このいわれは推古天皇の時代にまでさかのぼる
628年3月18日(この日付こうもはっきり言われているのがどうしてなのか知らない)
この日二人の兄弟漁師がいつものように浅草浦(現代の隅田川)で漁をしていたが一向に網に魚はかからない
日暮れまで頑張っても網にかかったのは木彫りの人形
その人形を水に流すのだがまた網にかかってくる
何回も同じことが起きてついに仕方がないので持ち帰った
近くに住む郷土史家の賢者に見せると「聖観音菩薩ではないか」と尊像としてまつり 
また賢者も剃髪して仏門に入り浅草寺にその聖観音菩薩様を安置、観音信仰が都に広まった

時代が下がってまた三人を郷土の神様として三社明神社が観音様に隣に建立
明治6年に浅草神社として浅草の郭の鎮守様ともなった

江戸解模様は水辺の様子芦や松そして魚網を三本立てて飛ぶ千鳥を描いたもの
地色は藍
郭の引き着から大奥の女たちも着るようになり江戸解模様は人気になったようだ

熊谷好博子さんはこの江戸解模様を更に精密な友禅染を完成させた方だと思う

50年前三社祭の衣裳ということで取材をしたとき
氏子総代がこの江戸解模様の絽の着物を生きに着ていたのが今でも印象に残っている
氏子の役員さんたちも着物やハッピでこの柄をサラリと着ていた
地色は藍グレイでなかなかいい色目

現代のように人人人ではなくちゃんと地元民による敬虔な祭りだったのだと思う

またどうして「江戸解模様」というのかとその時長老に聞いたら
「江戸下がりのご女中たちが城で着ていた浅草風景模様を古着屋に売り、古着屋はそれを解いて売ったからじゃない?」
ほんとか嘘かわからないがこの話を好博子さんに話したら「ありうるね」とおっしゃっていた
好博子さんも赤坂芸者の引き着をよく染めたので芸者をやめた人はやはり古着屋さんに売っていたらしいからと

三社祭が始まるとお江戸は浴衣を着始めると昭和の長老は教えてくれた

#着物 #江戸解模様 #友禅 #チャコちゃん先生 #熊谷好博子 #古着屋 #浅草寺 #浅草神社 #神紋 #中谷比佐子 #三社祭
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着物が繋ぐもの 153

2019年05月13日 09時22分54秒 | 日記
ここ一ヶ月かけて断捨離をしていた
特に仕事での写真ネガやメモ資料などはなかなか捨てがたく
まずその処分から始めたので時間がかかったようにも思う

着物や帯、帯留は何回も整理対象になっていたので今回は整理するものなし
しかし伏兵がいた半襟
チャコちゃん先生は半襟に異常に凝っていたのでその枚数たるや千を超える
かといって刺繍や色半襟は少ない三枚くらいか
すべて白

白い半襟に固執しているのは首もとを白で埋めるとレフ板の役目をすることに気がついたから
撮影現場にいるとレフ板の力がどれほどのものかを知る
顔にレフ板を当てると一気に顔が明るく華やぐ
それと同じことが半襟にも通じる

芸者さんの取材をしたときも白い半襟にどれだけ助けられているかという話を聞いた
芸者さんの場合は一回使ったら(襟元で汚れを落としながら実際は何回か使う)その半襟はもう二度と使わない
そこまで白半襟を顔映りの良いものと考えている

チャコちゃん先生の場合はそうは気前良くならない何回も何回も洗っては使っていた

特に24節気の半襟を身につけることに集中していた時があり
着物の仕事をし始めた当初
そして365日20年間着物を着ていた当時15日おきに半襟を取り替えていた
小寒までは古代縮緬 大寒まではうづら縮緬 立春明雲 雨水東雲 啓蟄綸子などなど
しばらくすると半襟機を壊すということになり込み入った半襟素材は生産がだめになった

半襟を扱っていた店の閉店を聞くとすぐさま飛んでいって買い取り
それを聞いた半襟やさんが店を閉めるときお声をかけてくださる
ということでたくさんの半襟が手元に集まりみんなで分けて楽しんだ

着物はたくさん買えないけど半襟の楽しみを昔の人は持っていたのだと思う
今でも呉服屋さんで「襟」とついた屋号は昔半衿専門店だったと思う
昭和の初期には半襟専門店に行列ができるほど半襟人気は高かった

母もなにかのお返しには必ず「半襟」を懐紙に包んで差し上げていた
その半襟を購入するところが「ゑり次」という和装小物やさんで今でもあるのだが
幼少の頃その店に母が半襟を購入するたびについていっていた
腰紐や襦袢の色が美しいということと何より必ず珍しいお菓子を出してくれるお菓子目当てだ

何年か前
「昔の半襟残ってない?」
と聞いたら茶箱の中から絽縮緬や楊柳、代わり縮緬、うずらなどが出てきて狂喜乱舞して購入した

しかしチャコちゃん先生の保管が悪く黄変したものも多く
またまた汚れが取れてないものもあり夏物単衣用のも泣く泣く処分

やはり茶箱が良かったのだと知る

#半襟 #着物 #二十四節気 #チャコちゃん先生 #レフ板 #中谷比佐子
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よちよち歩き

2019年05月10日 17時42分12秒 | 日記
あるき始めた童女が目の前を歩いている
とぶようによちよち
見るからに嬉しそう
体全体が喜びにあふれている

ピンクのレギンス白いセーター
おろしたばかりのピンクの靴
手を左右に広げ拍子をとっている

下水道の細い道をまたいで
「(^^)//゛゛゛パチパチ」と自分で拍手
一緒になって後ろから拍手

振り返った拍子にパタンと尻もち
それもおかしいらしく
キャキャッと声を上げて喜ぶ

初夏のキラキラ輝く太陽を浴びて
天使のように愛らしい
「かわいいわねえ」
とかけた言葉に黒目をクルクルニッと笑う

まさに即今只今
今歩くことに我が命をかけている
「さよなら」
というと手をひらひらさせ速度を上げて歩み去った

バス通りに出たら
よちよち歩きの老人と出会う
前かがみになって顎を出しちょこちょこと足運び

疲れの滲んだ
悲哀を込めた背中がいろんなことを語っている
人生を始めたばかりの人
たくさんの経験体験をして生きている人

色んな人がこの道を歩く

歩ける喜びを感じながら歩こう
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着物が繋ぐもの 151

2019年05月09日 13時54分34秒 | 日記
同年輩、同世代のチャコちゃん先生の友人たちが
「私達もっと声を出さないといけないわね」と言い出した
世代的に姑に仕え嫁にないがしろにされる世代だ
特に育ちの良い家庭夫人はそういう目にあっている

社会に出て働くなんてことはいいところのお嬢さんはしてはいけないことで
「女が大学に行くなんてとんでもない」
同級生で一人東大に入った女友達がいてその後官僚にでもなるのかと思っていたら
さっさと上級生を捕まえて結婚してしまった
「あなた社会のためにならないね」
と同級会であったとき文句を言ったら
「私ただ勉強ができていただけ、なんの取り柄もないの。ヒサコはカリスマ性があるから社会に出たほうがいいと思っていた、絶対影響力があるもの」

へーそうなんだと変に感心した

新婚生活を冷やかしに仲間と訪れたら
白い割烹着を着てせっせとパウンドケーキなどを作り振る舞ってくれた
「彼が着物好きだから母がたくさんもたせてくれたの」
その時は沖縄の久米島絣よと教えてくれた黒地に黄色の絣が散らばっ薫物にオレンジ色の帯が初々しく
「あの秀才がねえ」
「あのガリ勉さんがねえ」
と帰りの途はカルチャーショックが強くバカ食いして気炎を上げた、

その影響はあまりにも強かったのか当時の仲間はみんな完全主婦の道を歩み、姑問題に悩み(家風が違うと徹底的に教育をし直された人達も多い)
その上長い介護生活
そのあとは今度は時代が変わり強くなった嫁に降伏する生活
だから自分の歩いてきた道に自信が持てず
受けた教育を活用することもなく「この先どうしようどう生きよう」という思いが強い

産業革命以上の社会の変革に戦前の教育と戦後の教育の間に育った世代は戸惑うばかり
茶道の名手でも師匠の道を選ぶのではなく
日本の文化に精通していてもそれを仕事にするでなく
着物の着方にまた着物の持つ文化を知っていてもそれをひけらかすこともなく

逆に言えば
「あなた達傲慢よ自分の宝を磨いていないもの自分だけで満足しているもの。今若い人たちは日本の本当の歴史を知りたいのよ、カルチャあーセンターで勉強するのやめなさいよ あなた達のほうが体験豊かよ」

では具体的にどうする
「まずはあなた達が率先して通過儀礼を復活させなさい」
「というのは?」
「お金あるんでしょう?ほらお孫ちゃんのお祝いSさんの長女三歳?お被布かわいいわよね、お嫁ちゃんのきものも作ってあげなさい」
「あちらのお母様がーー」
「バカねそんなこと言ってるから日本の通過儀礼がどんどんなくなっていくのよ」

日本人は祭祀民族でしょう
すべての自然に神宿ると教えてもらったんじゃあなかった?
だからこうやって神様が守ってくださってんでしょう?
そういう感覚を身をもって体験したんでしょうわたしたち?
自分を誇りに思いなさい

自分が親にやっていただいたことを子供や孫にして差し上げなさい。通過儀礼の復活ですよそれであなたは尊敬される

大演説してしてしまったわ('-'*)ホホホ

#通過儀礼 #お被布 #介護 #割烹着 #チャコちゃん先生 #祭祀民族 #嫁 #着物 #久米島紬 #中谷比佐子
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着物が繋ぐもの 150

2019年05月08日 13時34分52秒 | 日記
10連休をいきなり決めてしまった内閣(怖い国になってきた)
大いに楽しんだ人困った方様々
チャコちゃん先生は断捨離中で作業がはかどり感謝
着物の整理もできてこれからこの地球を去るまで新しい着物がいるのかどうなのか

着物は差し上げることは多いがいただくことは殆ど無い
好みがはっきりしていて自分でデザインするか自分で選ぶのしか手を通したくない
人に対する好みはまったくないが着物と洋服は頑固なくらいやかましいバックもだ
食べ物もなんでいただくし好き嫌いはない

このお休み中預かった着物6枚ほどいた
解く必要はなくプロに任せればいいのだが着物を解くことによって仕立てた方の気持を知りたいと思うのが癖
テレビの前に座ると手がかってに着物をほどきたがる
というより胴裏にカビが生えていることが多く早く表と裏を離してやりたいと思う

仕立ての人の手は様々で普通は一時間もかからず一枚は解くが最後の着物はなんと3時間もかかってしまった
針目があまりにも細かくミシンかと思えるほどだ
しかし本場結城紬をミシンで縫うはずはないと思いたいがやはりミシンだろうかと考えてしまう
すべてをぐし縫いのような手で縫い勧めていて精神修行に役立つと苦笑
ミシンでない証拠はしっかりと豆を作っているということだ
因みに昭和40年代のものであった

胴裏にカビが出ないのは輸出羽二重だ
肌に沿う小幅の胴裏は黄変もするしカビも出る
昔の人は春と秋頻繁に虫干しをしていたので胴裏が黄変するようなことはなく
着物にうるさい人は胴裏は小幅と決めていた

広幅の輸出羽二重はもともとスカーフ用に織は動力機で織っているのでセリシンも化學処置ができて真っ白の布になる
しかし
裏地にしたとき特に繊細な糸が表生地の場合はプカプカと風で膨らむ感じがする
その感覚が嫌で胴抜きしたてをする人も多い
そのため小幅の胴裏を好む人も多かった

富豪の御宅の着物は「着るために着物を購入する」というのではなく
「着物を揃える」という感覚の場合が多いようだ
そのためしつけのついたままの着物がタント出てきて驚く

絹は糸が呼吸をし続けているので空気を吸わせてあげなければ死んでしまう
その死が黄変だったりカビだったりする
裏の生地が衰えていることは表も同じように弱っている

こういうめんどうなきもの生活を日本人は長く続けてきた
それはなぜだろうと着物をほどきながら考える
答えはいろいろと出てくるが「ご明察」という答えはまだアチャコちゃん先生出ていない

# 本場結城紬 #着物 #しつけ #チャコちゃん先生 #胴裏 #黄変 #輸出羽二重 #中谷比佐子

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