今回の断捨離の中に着物の雑誌、着物関連の雑誌が500冊ほどあった
図書館はいらないと云うし古本屋さんも引き取らないとのことで、「ありがとう」と言って丁重に処分
もちろんチャコちゃん先生の関係ページは切り取ってはみたがこれも膨大、仕事の行跡を処分するにはかなりの勇気と決断が必要
「よしっ!」という思いで後生に必要と思われる記事はきれいにフアイル
残りは「ありがとう感謝」で自分の周りから外れた
(ところがつい最近「その当時の写真がありますか?」「いえ処分しました!」という羽目にもなった)
この作業がかなり苦痛だったがその雑誌の中で時代がよくわかる
昭和50年代までは着物の縫い方やくりまわしの知恵の出し方にぺ^ージがさかれていた。各着物産地の現状とその撮影、この部分がチャコちゃん先生の主な仕事内容で日本全国を周り、着物に関係ない雑誌にも連載を持っていたみたい
しばらくして今度は作る人そのものに焦点を当てて訪ね歩いている
その時その方の思想や哲学に興味を持って取材しているので作る人達の着物に対する取り組みの感性が非常に千差万別で面白い
その後は「売る人」「仲買人」に目がゆきやはり日本の主要都市の呉服屋取材が始まっている
それでわかったことは女将さんの立場、女将、妻、主婦、母親、地域指導を含め百面六臂の働き、その姿を見て「もっと遊んでいただこう」という思いで「女将さんサミット」を立ち上げた
女将さんをあらゆる雑誌に登場させる工面をしたのでそれはよし
自分に来た仕事も女将さん優先の企画に変えてしまったりした
(いいことをしていたと思っていたがこれはとんでもない勘違いで自分自身を大切にしなくてせっかく仕事を私にくれた人の思いを裏切ることにもなった。誰からも感謝されることもなかったが、宇宙法則ということを自分をないがしろにすることで学んだのでそれはよし)
更に下がると今度は素材にやかましい気持ちが湧いてきて、絹、麻、木綿、化合繊とそれらを扱っている企業や科学者たちとの接点を持った
その時絹は蛋白質なので牛乳でも繊維ができると考えた科学者の発案で牛乳繊維も出てきて面白いと思い長襦袢にしてきたがもたついて着心地は今ひとつ
そのうち消えてしまった
その時から蚕に力を注ぐようになりそれは現在まで更にこの先も続いていくと思うが、今日本屋で着物の本を立ち読みしていたが「着方」「コーディネート」「着ていく場所づくり」が大きなテーマになっている現状の中着物はどんな生き方をしていくのだろうかと考えてみたいと思った(次回へ続く)