私の好きな詩人に、埼玉県羽生市出身の宮澤章二さんという方がいらっしゃいます。
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埼玉県を始めとする学校の校歌などの作詞も多く手掛けられているので、
もしかしたらご存知な方もいらっしゃるかもしれません。
今回のタイトルは、その宮澤章二さんの詩の中でもとくに大好きな「流れの中で」という詩の一節です。
先日の高校入試ガイダンスのあとにアンケートを実施したのですが、
その中に「受験に向けて不安なことはありますか?」という質問に対して、
「漢字や英語が苦手で、英検や漢検を受ける気にならない。それでも受けたほうがいいですか?」という質問をもらいました。
その時に真っ先に浮かんだのが、今回の記事のタイトルとして拝借した一節でした。
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(イメージ)
自分が苦手なもの、嫌なものはなるべく避けたい、それはそれでとても良くわかります。
それが自分にとって良くないものだとすれば、当然避けるべきだとは思います。
ただ、その苦手や嫌いを越えた先に、自分の成長があるならば、
私はそれにトライするのもありかなと思います。
もう少し現実的なことを言うと、
受験というものが避けられない以上、いつかは「落ちるか・受かるか」という局面と相対することになります。
受験が初めてのそういう局面になるよりも、
英検や漢検などで、「落ちるか・受かるか」といった局面を
あらかじめ練習しておくということもできるのではないかと思います。
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(イメージ)
受かるためにはどんな勉強が必要なのか?
どんな勉強が自分にとって成果につながるのか?
そういったことの経験を積むチャンスと捉えてみるのも、1つの考え方かなと思います。
「落ちたらどうしよう」という人もいますが、それで失うものは何でしょうか?
勉強した時間、検定料、確かにそういうものは失われるかもしれません。
でもその代わりに、
「これではだめだから、こうしたほうがいい」
という経験を手に入れることもできます。
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短期間的に見れば、不合格の場合は確かに損をした気になりますが、
真剣に挑んだのであれば、それはのちの受験などにも必ず生かされてくる、私はそう思います。
あとよく、
「自信が持てるようになったら受けます」
という人がいますが、おそらくそんな日は来ません。
行動をしない限り自信なんてつかないからです。
それにどんなに勉強しても自信満々になるってことは、ほとんどありません。
毎年受験前の生徒さんたちを見ていると、
あれだけ勉強したのに、自信満々で入試に挑んでいった人なんてほぼ皆無です。
だから、自信があるかどうかよりも、
やることをしっかりやったかどうか、
のほうが大切ですし、
自信はなくともここでやるしかない、
と決めて動けるかどうかなんだろうと思います。
宮澤章二さんの詩には、
「得られずに失われたものたちの数の多さ」
とあります。
チャレンジやトライをしなかった結果、
様々な経験やチャンスを「得られずに失われたもの」にしないこと、
それが大切なのかなと思います。
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