森繁久彌といえば、何故か「だいこんの花」を思い出す。子供の頃に観ていたテレビドラマなのだが、森繁は元海軍大佐で巡洋艦「日高」の艦長だったが、今は隠居の身、というような設定だったと記憶している。日高の部下のひとりが近所で「日高」という名の小料理屋をやっていて、そこに夜毎通っては楽しげに飲んでいるという絵姿が印象に残っている。かつての部下からは「艦長」と呼ばれ、本人も当然のように艦長然としているというのが、子供心にも「戦友」というのはこのような関係なのかと思わしめた。そこはドラマなので、勿論脚色があるのは、今は承知しているのだが、当時の私は小学生だったので、そんなことまでは思い至らず、ただ良い雰囲気だと漠然と感じていたと思う。
戦時中の上官と部下の関係がこのように良好な状態で継続することが果たして一般的なことなのか、例外的なことなのか、身近に軍隊経験者がいないので想像もつかない。時間には人の記憶を浄化する作用があると思う。そのときは辛いことでも、後になってふり返ってみれば良い思い出、というようなことは誰にでもひとつやふたつはあるのではないだろうか。生きるか死ぬかという切羽詰った状況を共有した人たちの関係は、その状況が深刻であればあるほど強固になるものなのかもしれない。あるいは、それが悲惨を極めれば、その悲惨な状況と一緒にして記憶から消し去りたいと思うものかもしれない。不況だのなんだのと言われながらも平穏な時代に暮らす自分には、やはり想像できないことである。
そうした強固な人間関係とは無縁でいるということは、幸福なことなのか、不幸なことなのか。
戦時中の上官と部下の関係がこのように良好な状態で継続することが果たして一般的なことなのか、例外的なことなのか、身近に軍隊経験者がいないので想像もつかない。時間には人の記憶を浄化する作用があると思う。そのときは辛いことでも、後になってふり返ってみれば良い思い出、というようなことは誰にでもひとつやふたつはあるのではないだろうか。生きるか死ぬかという切羽詰った状況を共有した人たちの関係は、その状況が深刻であればあるほど強固になるものなのかもしれない。あるいは、それが悲惨を極めれば、その悲惨な状況と一緒にして記憶から消し去りたいと思うものかもしれない。不況だのなんだのと言われながらも平穏な時代に暮らす自分には、やはり想像できないことである。
そうした強固な人間関係とは無縁でいるということは、幸福なことなのか、不幸なことなのか。