北千住で小三治の独演会を聴いてきた。落語会にしては早い12時30分開演で、はねたのが14時半過ぎで、まっすぐ帰るには余裕のある時間だったので、帰りに帝釈天にお参りをしてきた。
さて、落語だが、開口一番の後は長いマクラ付の「一眼国」。マクラのほうは土曜の雪のことから始まって、雪で都知事選に行かなかったこと、都知事候補のこと、立川談志のこと、応援演説を要請されることと自身の政治に対する姿勢のこと、1969年12月の衆議院選挙で細川護煕氏の応援演説に行ったこと、などに続いて噺が始まった。マクラの内容と噺の内容のつながりが絶妙だ。
「一眼国」の要旨はこういうことだ。六十六部から一つ目の女の子の話を聞いた両国の香具師が、その一つ目をさらってきて自分が経営する見世物小屋に出そうと考える。聞いた通りに江戸から百里ほど真北に行ったところ、果たして聞いた通りの場所に出て、一つ目の女の子を見つけた。抱きかかえて江戸へ戻ろうとすると、女の子が騒いだので、村人が次々に現れ、とうとう香具師は捕まって役人の前に引き出される。その村人たちはことごとく一つ目で、当然に役人たちも一つ目だった。役人に「面を上げ」と言われて香具師が顔を上げると、役人は驚愕し、「この者には目がふたつある!調べは後回しにして見世物小屋に出せ!」と宣う。
選挙の翌日に聴く所為もあるのだろうが、深い噺だと思う。何が正常で何が異常なのか、という基準がどれほど確たるものなのかを問うているようだ。落語のサゲには主人公を取り巻く環境や価値観がひっくり返るものが少なくない。笑いを生むには聴く側が既存の価値観を無批判に受け容れている必要がある。受け容れているものがひっくり返って見えるから笑うのである。目が二つあるのが当然なのに、一つ目ばかりの村に行くと二つ目が見世物になる、その転換が笑いを生むのである。「一つ目が多数派なら、確かに二つ目は見世物だよな。要は多数決だ。」などと納得してしまっていては笑いにならないのである。そう考えると、日常の風景のなかには笑いの種に事欠かない。いかに思い込みのなかを生きているか、 ということを思い知るのである。
本日の演目
柳家ろべえ「近日息子」
柳家小三治「一眼国」(まくら:雪のこと、選挙のこと、談志のこと、高校時代のこと、細川護煕氏の応援演説のこと、など)
(仲入り)
柳家小三治「あくび指南」
開演:12時30分、終演:14時35分
会場:THEATRE 1010