goo blog サービス終了のお知らせ 

熊本熊的日常

日常生活についての雑記

みんな雪のせいか?

2014年02月15日 | Weblog

昨日の大雪から一夜明け、今朝は雨が降っていた。娘と会う予定を入れており、10時の待ち合わせにしたのだが、移動途中で10時半に繰り下げた。京王線が雪のために徐行運転となっている上に、混雑して発着に時間がかかる列車があり、普段は各停でも25分ほどで行くところに倍の時間を要していたためだ。遅延の原因となっていた混雑は、一部の列車の運休や雪による徐行運転の所為もあるだろうが、混雑や駆け込み乗車にまつわる障害、リュックを背負ったまま満員電車に乗り込む不届きな客などが発車を妨害する所為もある。平日朝の通勤時間帯の混雑には秩序があるので大きな混乱に至ることは少ないのだが、休日の混雑には秩序が無いことが多いのでダイヤの乱れに直結しやすいのだろう。

秩序というのは規則とは違う。そこに明文化されたものはないけれど、そこにいる人々が暗黙のうちに創り上げる規則性のようなものだ。秩序を担保するのは、その場を共有する人々が当たり前に持ち合わせている他者への配慮と他者の事情を推し量る想像力である。所謂「知性」と「感性」だ。あくまで感覚的なことで、統計資料を目にしたわけではないが、ここ数年の間に電車が乗客どうしのトラブルで遅延したり、遅延しないまでも車内や駅構内で乗客どうしが揉めている風景を目にすることが増えた気がする。高校に進学して以来、電車を使って通学や通勤をしているので、かれこれ40年近く日常的に電車を利用していることになる。混雑状況はかつてのほうが酷かったはずだ。今に比べれば路線数が少なかったので輸送量が小さかったはずで、冷房化率も低かった。なかには赤羽線のように冷房車が走っていない線すらあった。その赤羽線は埼京線の一部となって本数も輸送量も格段に増加し、貨物線を利用した湘南新宿ラインなる新線も登場し、地下鉄の路線数が増えてそれと相互乗り入れをする私鉄も増えた。一方、利用人口はそれに比べると増加の程度は小さいのではないか。朝の混雑状況は私が高校、大学、社会人最初の数年といった時期に比べれば多少は緩和されているはずである。しかし、乗客どうしのトラブル、駆け込みによる障害発生、無理な降車にまつわるトラブル、扉への引き込まれ事故、といった事象を見聞きする機会は、少なくとも個人的には増えた気がするのである。乗客どうしのトラブルというのは昔から見かけていた。殊に赤羽線での帝京高校と朝鮮人学校の生徒同士の喧嘩などは日常茶飯事のようなものだった。しかし大人が肩が触れたの触れないので血相を変えるというようなみっともない風景はあまり記憶がない。駆け込みはよくあることだが、扉が閉まる寸前に慌てて下りようとするのは最近の風景だ。不思議なのは、寝ていて目が覚めたら下車駅だったというような様子ではなく、単純に動作がずれていて奇妙なタイミングで下車しようとする人を見かけるようになったことだ。どうしてそういうことになるのか傍目には全く理解できない。うだうだとこんなことを書いていても仕方ないので止めるが、不可思議な現象が多くなっていることに興味を覚えている。

昔、カルカッタの国立博物館で人体を輪切りにした標本を見たことがある。断面積は肩から腰にかけての胴体部分よりも腰から足にかけての下肢部分のほうが小さい。もちろん、胴体部分には腕も含めてのことである。つまり、荷物を持った人たちが限られた容積を共有しようとするなら、その荷物は胴回りに保持するよりも下肢周りに位置させたほうがより多くの人数が共有できる。そんなことを確認するために断面標本を見ろとは言わないが、見なくても想像できそうなものだろう。そういう想像ができないというのも不可思議なことである。