熊本熊的日常

日常生活についての雑記

一方通行

2014年04月09日 | Weblog

今日の「ほぼ日刊イトイ新聞」に太陽系の動きを紹介した別のサイトの記事が紹介されていた。そのサイトにはYouTubeの映像が貼付けてあって、その映像を見てなんとなく心にあった諸々の違和感が片付いたような気になった。地球も含め普く天体は運動していることはわかっているつもりだが、普段の生活のなかではどうしても天動説的な感覚になってしまう。「日が昇る」とか「沈む」とか、「月が出る」とか、こちらがじっとしていて向こうが一方的に動いているかのような感覚を持って暮らしている。しかし、地球は太陽の周りを回り、太陽はどこかへ向かって動いている。でも、地球が太陽の周りを回るように太陽が何かの周回軌道を進んでいるというような単純な話ではないらしいのだ。どこへ向かうともなく、太陽は時速70,000キロで驀進中だそうだ。誰がどうやって計ったのか知らないが、時々刻々未体験ゾーンが展開しているのは、たぶん確かな気がする。

要するに、自分が暮らしている場は一回性のものであり、次の瞬間に何が起こるかなど知り得ようが無いということだ。科学や学問として物事の規則性や法則を探求するのは、それはそれとして大事なことかもしれないが、それが普遍的なことであるというような大胆な思い込みをすると、たぶん危険だと思う。「歴史は繰り返す」というが、スケールの取り方の問題だろう。繰り返すように見える範囲でしか物事を捉えなければそのように見えるだけのことだ。自分自身のことを思えばどこにも繰り返しなど無い。生まれてこのかた死へ向かってまっしぐらに突進している。そうは言っても目の前の毎日を生きないわけにもいかないのではないかというような漠然とした思いがあるので、方便として未来が過去の延長線上にあると想定しているが、そういう指針を置かないと何かと不自由なのでそうしているだけのことだ。そんなことは本当は誰でも知っているのである。でも、世間は方便を現実と決め込んで、その仮想現実のなかで浮遊する利害に目を奪われ、目先の欲得に溺れて徒に無用な争いを起こしたりする。それが不思議でならない。