岡田美術館へ「深川の雪」を観にでかけてきた。「深川の雪」を収蔵している岡田美術館を観にでかけてきた、と言ったほうがいいかもしれない。開館前からいろいろ話は聞いていたが、予想していたものを遥かに凌ぐものだった。観光地の美術館なのでそれなりのものかと思っていたのだが、よくぞこれだけのコレクションを短期間で作り上げたものだと感心した。コレクションの主である岡田和生氏がどのような人なのかは知らないが、ちょっと検索すればいくらでもいろいろなことが出てくる人だ。それはともかくとして、「深川の雪」もいろいろありそうな作品だ。歌麿の「雪月花三部作」と呼ばれるもののひとつだが、「三部作」というのは今の時代から振り返ってみたときにそう呼び習わしているだけのことであって、描いた本人あるいは発注者がそういうことを意識していたのかどうかはわからない。描かれた年代も違えば画の構成も異なり、紙質とか絵具なども違うのかもしれない。共通するのはでかいということと作者の署名がないということ、発注者が栃木の豪商である釜屋善野伊兵衛ということだ。
今でこそ地方都市はどこも衰退著しいが、物流の手段が人馬と船くらいしかなかった時代には中継点の位置付けが大きかったはずだ。物資にはそれに伴う金融もあったはずで、金融が伴えば信用情報も付いて回ることになる。物資も金融も情報もつまりは価値であり、当然、そうしたものの仲介者には富がもたらされ、主要街道の宿場が発展していたことは容易に想像がつく。富をもたらすものは人であり、人の集まるところで価値が生み出される。そうした人の動きや流れの変化の歴史に素朴に興味を覚える。
ところで岡田美術館だが、ここを訪れるためだけに箱根まで足を運ぶ価値があると思う。今回は「深川の雪」を観るという動機が大きかったが、展示のなかで特に印象深かったのは1階に並ぶ陶磁器だ。自分が道楽で陶芸をやっている所為もあるかもしれないが、例えばここに並ぶ唐三彩の馬は遠目に視界に入った瞬間に吸い寄せられるような力を感じる。時代を下った景徳鎮のものもそうなのだが、今に残る古い中国の作品は作家のものではない。官窯で焼かれて大事に使われてきたものが殆どだろう。気の遠くなるような手間隙をかけて、皇帝に象徴される絶対的な権力の下で養成された職工たちによって作られたであろう作品だ。おそらく、そこに作り手の「私」はない。だからこそ、これほどの高い完成度が実現されるのではないだろうか。ただひたすらに均整の取れた成形をし、極限まで均質な施釉をし、大勢の人間が夜を徹して窯の火勢を正確に調整してこその製品だ。それぞれの工程の精度を上げれば上げるほど、そこから「私」は排除されるのである。その結果、何千年も制作物が残るのではないか。何が「良いもの」なのかは、人それぞれに思いがあるだろうが、後世に残るような仕事をしようと思えば、自分というものを削りに削って跡形もなく残らないようにしなければ、万人が「良い」と思うようなものは出来ないではないか。自分で自分を消し去ってしまうことで、何かが残るということなのではないか。
岡田美術館の後、ポーラ美術館に足を伸ばした。モディリアーニの特集が行われていたが、この美術館に並ぶのはポーラのオーナーであった人が40年ほどかけて蒐集したコレクションだ。コレクションの成り立ちも、コレクション自体も岡田とは対極にあるような印象を受ける。岡田はたぶん世間をあっと言わせるようなものを狙って集めてたものだろう。ポーラは好きなものを集めた結果だろう。どちらもそれぞれに観る者の眼を楽しませてくれる。しかし、岡田を観るときの心の動きと、ポーラを観るときに感じるものとは、ずいぶん違う。それは私だけのことではないと思う。
ところで、「深川の雪」には作者の署名が無い。何故、歌麿は署名を残さなかったのだろう。