熊本熊的日常

日常生活についての雑記

カードだらけ

2014年08月01日 | Weblog

今月からメインのクレジットカードを代える。これまで長年に亘って流通系のカードを第一選択として利用してきたが、今月からは交通系にする。春先から日頃利用している通販系の決済にその通販会社が発行するカードを利用するようになって既存のカードを利用する機会が減少したこと、交通系のカードの電子マネー機能が便利でそのポイントも使い勝手がよいこと、などが主たる理由である。それで財布のなかのカードを入れ替えたりしたのだが、結果として殆どポイントカードを兼ねたカードになった。

常々疑問に思っているのだが、ポイントの意味とは何だろうか。ポイントを発行する側からすれば、客にポイントを貯めるインセンティブを与えることで将来の売上につなげたいということなのだろう。しかし、ポイント発行に際して特段のスクリーニングもなく闇雲に発行して、客の側もポイント使用が当たり前ということになると、そもそもポイントの意味はあるのだろうか。最初からポイント相当分の価格を下げて売ったほうが集客効果があるのではないか。ポイント発行のコストを考えれば、むしろ利益率は上がるのではないか。昨今は個人情報の管理ということが煩く言われるようになっている。紙カードにスタンプを押すだけというようなものなら愛想程度のものだろうが、クレジットカートと一体化して個人情報と買い物履歴が結びつけられ、そのデータがサーバー上で管理されるとなると、ポイントの中味は紙カードとは比較にならないくらい重いものになる。そういうものが流出することに対するリスク管理までも含めてのポイント導入の費用対効果はどれほどのものなのだろう。案外、リスクのほうは考慮されていないのではないだろうか。先日のベネッセ事件のようなことがポイント絡みで起こらないというわけではないだろう。

それよりも、ポイントごときで客寄せをしようという発想は、客の側からすればなんだか馬鹿にされているようで不愉快でもある。それでもポイントが溜まれば躊躇なく利用してしまう自分に対しても不愉快である。


深夜の風景

2014年08月01日 | Weblog

7月31日は決算発表の集中日なので仕事を終わるのが遅くなり、帰りは新宿から深夜バスを利用した。

バスはほぼ甲州街道を走るのだが、新宿から環八を越えるあたりまで、道路の一部を通行止めにした大規模な工事がいくつも行われていた。規模が最も大きいと思われたのは首都高の補修工事だ。首都高が整備されたのは東京オリンピックの準備の頃からだ。4号線の初台から高井戸までが完成したのが1973年だそうなので、まだ40年ほどである。それで大規模な補修工事が必要になるというのは、鉄筋コンクリートの構造物というものがいかに脆いかということの証左だろう。あるいは、適当な時期に「老朽化」することで工事関係者の仕事が確保されるということなのだろうか。鉄筋コンクリートというのは、築浅のうちはいかにも頑丈そうな風情だが、古くなってヒビが入ったり崩落したりすると情けない感じがする。よく古民家と呼ばれるような木造建築だと年季が入って味わいのある色艶の柱や梁があったりするものだが、コンクリートの建物で古くなって頼りがいを感じるものというのは記憶にない。どのようなものでも生まれた時に必ず死を迎えることが運命付けられているものだが、生から死に至る経路というようなものは様々であるように思う。完成後しばらくの間は時を経る毎に力強くなって、その後も手入れさえきちんとすれば実用に耐え続けるようなものがある一方で、完成した時点がそのもののピークで後はひたすら衰退し続けるものもある。コンクリートの構造物というのはたいがい後者のような気がする。尤も、コンクリートの構造物でも作り手や使い手によっては仮に同じものであったとしても寿命に差が出るだろう。物質だけの区分で寿命の長短を一概に論じることはできない。

首都高の工事の他では共同溝の工事があった。車窓から見えるのは工事中を知らせる電光表示と工事をしているらしい人や機械だけなので、共同溝を作っているのか、既にある共同溝を補修しているのかはわからなかった。こちらも規模は大きそうだ。所謂ライフラインを共同溝という形でまとめるのは、保守管理運営上は効率的なのかもしれない。しかし、リスク管理上でも有効なのだろうか。同じ空間にまとめたことによって思わぬとばっちりと食うというような事態はないのだろうか。

ある程度の規模の工事は深夜に集中的に行われるので、こうして深夜の街を眺めると、特に年度末などの東京は工事だらけだ。今の時期にこれほど工事が集中するのはよくあることなのだろうか。それとも景気対策の一環なのだろうか。景気対策だとしたら、少し皮相な感じがする。